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昇天する悪魔

 リョウゴクの旧国技館は、その建物だけではなく、運営方法もまた、クラシックのままだった。と言うのも、昭和の時代から宣伝用に使っていたアドバルーンを、いまだに、屋根の上に浮かせていたからである。

 直径4メートルはあるかと思われる巨大風船を、あの大鉄傘の上空に、ゆらゆらと泳がせていたのだ。このアドバルーンに、現在、催しているイベントや展示展の宣伝を吊るしていたのである。ただでさえ目立つ大鉄傘に、こんなアドバルーンまで浮かんでいると、その宣伝効果やインパクトは、文字どおり、絶大なのであった。

 そして、今は、このアドバルーンは、違う形で、沢山の大衆の注目を集めていた。このアドバルーンの綱が結わえられていた屋根の位置に、怪人が佇んでいたのである。言わずもがな、あの賊の人間ヒョウが、いつの間にか、こんな場所にと潜伏していたのだ。

 大騒ぎを起こした後、警官隊の厳重な包囲網のせいで、旧国技館からの逃走がかなわなかった人間ヒョウは、迷った末に、このアドバルーンの元にまで逃げ延びていたらしい。確かに、夜間ならば、そこは絶好の隠れ場所でもあったのかも知れないが、だが、こうして、太陽が昇ってしまうと、そこは、もはや、どこへも逃げられない行き止まりの空間にと変わっていたのであった。

 ようやく、捜索中の人間ヒョウを発見できたものだから、ツネカワ警部ひきいる警官隊も、張り切って、その逮捕の為の行動を再開したのだった。

 思えば、あのアケチ探偵も、いち早く、人間ヒョウが屋根に逃げていた事に気付いていたのかも知れない。だが、彼には気の毒な話ながら、事情を知らなかった警官たちが、アケチの計画をすっかり台無しにしてしまった訳である。

 今度は、アケチの無念に報いるべく、警察が活躍する番なのだ。昨夜は間に合わなかった消防署のはしご車も、今は無事に到着していた。旧国技館の大鉄傘にも、野外からじかに上れるようになったのである。屋根に上る実行部隊の警官の数も増員されて、いよいよ、大人数での捕り物劇が始まったのだ。

「犯人に告ぐ。今すぐ、抵抗をやめて、そこから下りて来なさい!」

 まずは、ツネカワ警部が、メガホンで屋根へと警告を促した。しかし、そんなものに耳を傾ける人間ヒョウではないのであった。

 かくて、実力行使による、人間ヒョウ逮捕作戦も始まったのだ。

 十分に装備した警官たちが、はしご車を使って、ぞくぞくと、大鉄傘にと上っていった。そして、頂上の人間ヒョウの周りを、完全にグルリと取り囲んだのである。

 それでも、人間ヒョウは、まだまだ油断のできない相手なのであった。直接、取っ組み合いになれば、これだけの人数で飛びかかっていっても、返り討ちにあう恐れがあるのだった。

 不幸中の幸いだったのは、人間ヒョウに奪われていたツネカワ警部の拳銃がすでに回収されていた点だ。それは、国技館の中の通路の一角に無造作に落ちていたのだった。その拳銃は弾切れしていたので、どうやら、銃弾を使い切ってしまった人間ヒョウは、拳銃それを捨ててしまったらしかった。つまり、今の人間ヒョウは、危険な飛び道具は持っていないものと考えられるのだ。それだけでも、警官たちは、頭上の人間ヒョウに、安心して向かっていけると言うものなのである。

 警官部隊は、人間ヒョウに肉弾戦を仕掛けるのではなく、大きな網による捕捉を検討していた。その方が、有利に、安全に、人間ヒョウを捕まえられるからだ。数人で持った網を左右に大きく広げて、四方から、警官たちは、頂上の人間ヒョウへと、じりじりと近付いていった。

 これには、実は、人間ヒョウの方も、さすがに圧倒的に自分が不利だと悟ったみたいなのである。人間ヒョウは、じわじわと接近する警官たちを睨みつけて、必死に威嚇し続けていた。このままでは、彼は、どう善戦しようと、最後は確実に根負けして、捕獲されてしまうのである。しかし、人間ヒョウも、決して、ツネカワたちが見くびっていたほど、馬鹿でもなかったのだった。

 こうして、あと一歩で、警官たちの網が人間ヒョウの体に覆い被りそうになった、その矢先だ。

 突如として、頭上の巨大アドバルーンが、ふんわりと浮かび上がった。上昇したのは、アドバルーンだけではない。アドバルーンの綱を握っていた人間ヒョウの図体も、一緒に、軽やかに舞い上がったのだった。

「ああ。しまった!」地上から、それらの様子を見守っていたツネカワが、ハッとして、悔しそうに呟いた。

 そうなのだ。人間ヒョウは、警官たちが迫ってくるのを横目で見ながら、一方では、せっせと、アドバルーンの綱をナイフで切り刻んでいたのである。本来ならば、アドバルーンの図太い綱は、人間の腕力では切り離せないはずなのだが、化け物の人間ヒョウならば、それが出来たのだった。

 人間ヒョウは、呆気にとられている警官たちを眼下に見下ろしながら、得意げに、アドバルーンとともに、空へと上昇していった。

「ざまあみろ!見たか、オレ様の実力を!お前らごときに、絶対に捕まったりするものか!あばよ、ツネカワ。あばよ、アケチ探偵!」人間ヒョウは、哄笑とともに、大声で捨てゼリフを吐いたのだった。

 その体は、アドバルーンと一緒に、どんどん、天へと上っていく。まるで風も吹かない晴天だったので、アドバルーンは、まっすぐ上へと飛んでいったのだ。

 こうして、手も足も出せないまま、人間ヒョウの姿は、たちまち小さくなっていき、青空の一点と化し、ついには全く見えなくなってしまったのだった。果たして、人間ヒョウは、このまま、どこへと逃げるつもりなのであろうか。

「そうだ。ヘリコプターだ。誰か、警察航空隊と連絡を取って、ヘリコプターを派遣してもらえ!」

 ツネカワ警部も、ずっとオロオロしているのではなく、すぐに、そのような指示を出したのだった。さすがは、アケチ探偵にも劣らぬ警視庁の名警部なのである。

 かくて、警察のヘリコプターが、さっそく、トーキョー・シティの上空を飛ぶ事となったのだ。

 目標は、もちろん、空へと消えていった人間ヒョウのアドバルーンである。そして、警察のヘリコプターが、空を少し探し回っただけでも、目的物はすぐに発見されたのであった。

 人間ヒョウの乗ったアドバルーンは、本当に、そのまんま、まっすぐ上へと移動していたのだ。

 このアドバルーンは、およそ高度10キロの付近をフラフラと漂っていた。アドバルーンに詰めてあった気体と重量の関係で、上昇するには、この辺が限界だったのであろう。

 ヘリコプターの搭乗員が確認すると、確かに、このアドバルーンの真下には、怪しい人型のものが垂れ下がっていたのである。まさしく、そいつこそは人間ヒョウなのであった。

 こんな一面に青空と雲しかない空間で、ポツンとある気球アドバルーンの下に、一人の人間がぶら下がっているだなんて、実に異様な光景なのである。ヘリコプターの搭乗員は、一瞬、この気球の下の人間はただの人形じゃないかとも疑ってしまったのだが、よおく観察すると、絶えず動いていたので、やはり、本物の人間に違いないのであった。

 とは言え、こんな高度で、腕の力だけで綱にぶら下がり続けているのは、さしもの怪物の人間ヒョウであっても、そうとうな試練であっただろう。しかも、この高さならば、空気だって薄いし、気温もかなり低かったはずなのだ。この脱出は、人間ヒョウ自身にとっても、なかなかの辛い冒険だったはずなのである。

 ヘリコプターの搭乗員は、人間ヒョウをこの拷問から解放してあげたい気持ちにもなったのだが、でも、それは出来ない相談なのでもあった。

 まず、ヘリコプターは、プロペラの起こす突風の都合で、アドバルーンのそばまで近づく事が出来なかった。つまり、人間ヒョウの様子を探る事はできても、接近して救出する事は無理だったのである。かと言って、こんな高度から、人間ヒョウを下へと飛び降りさせる訳にもいかないのだ。

 また、アドバルーンの空気を抜けば、早く、人間ヒョウを地上へ下ろす事も出来たはずなのだが、これも実行するのは、かなり難しかった。例えば、銃撃でアドバルーンを割ったりしたら、いっぺんに空気が漏れてしまい、急降下で落ちてしまう恐れもあったのである。同じような理由から、銃でアドバルーンに GPS を打ち込むような行為もはばかられたのだ。

 結局、ヘリコプターは、人間ヒョウのアドバルーンの存在を確認はできたが、それ以上の事は行なえず、指をくわえて見守るしかなかったのであった。このようにして、しばらく、このアドバルーンの動向に付き合ってから、そのあと、無念ながら、ヘリコプターは地上の本部へと引き返したのである。

 都内は、すっかり、この風船男こと人間ヒョウの話で持ちきりになっていた。皆は、この奇想天外な悪党が、空へ逃げた後、どうなったのかに関心を持ち、ひどく気にし続けたのだ。まさに、空の人間ヒョウは、今一番の話題の人物であった。ゴシップ好きの彼らは、ワクワクしながら、この事件の続報を待ち続けたのである。

 もっとも、ヘリコプターの方も、そう頻繁に、人間ヒョウの現状を確認しに行く訳にも行かなかったのだ。

 とは言え、この奇妙な空への逃走騒ぎは、それから幾時間も経たないうちに、いきなり、決着がつく事となったのだった。

 翌日の朝早くに、警察署のツネカワ警部のもとに、緊急の電話が掛かってきた。その電話を受けて、ツネカワも驚いた。

 なぜならば、電話からの通報によると、人間ヒョウのアドバルーンは、放置しているうちに、勝手に空気が抜けていってしまったらしく、自然と降下してきたようで、今また、巨大風船それは、地上から見える高さにまで戻ってきた、との話だからであった。

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