ナイフ文字の謎解き
「ほほう。犯人のやつ、今度はまた、なかなか手の込んだ演出をしてきましたね」
午後に玉村邸に戻ってきたアケチ探偵は、新しい犯行現場の捜査を開始すると、とても興味深そうな表情になったのだった。彼のそばには、コバヤシ助手やナカムラ警部、当主の善太郎や息子の二郎といった、この屋敷の主だった面々も、神妙な顔で同席しているのだ。彼らは、アケチの鮮やかな推理を、ひそかに期待していたのである。
新たな犯行現場とは、玉村邸の敷地内にある木造倉庫だった。30メートル四方の大きさはあり、主に大きな私物を保管する為に使われていた。8メートルほどの高さの位置にある屋根はドーム状なのだ。この倉庫の一方の壁に、複数の短剣が突き刺さっていて、このナイフの刺されていた箇所を一つに繋げてみると、そこには「6」の数字が浮かび上がったのだった。
このナイフの刺さっていた壁と言うのが、実は、外塀の方を向いていたのである。この倉庫の壁と塀の間の土地は、3メートルほどしか無かった。その為、無理に点検する必要もない場所として、警備の巡回ルートからは完全に外されていた。実際に、よほど注意して観察しない事には、このナイフのメッセージも絶対に見過ごされていたであろう。時計塔のあのピエロは、どうやら、このナイフの「6」を玉村家の人間に見つけてもらう目的で、あのようなパフォーマンスをしたみたいなのであった。
さて、この奇怪な犯行について、アケチ探偵の推理を聞かせてもらう事にしよう。
「あの『6』の数字は、だいぶ高い場所に、ナイフ本体を利用して、描かれています。大体、下から5メートルぐらいの位置でしょうか。どんなに背の高い人物でも、ハシゴでも使わなければ、あんな所にナイフを突き刺すのは不可能ですね。ところが、この壁の下の地面を調べてみますと、人が踏み込んだような形跡が全く確認できません」と、アケチが饒舌に推察を開始した。
「つまり、犯人は、この壁にハシゴをかけて、ナイフを刺したのではないと?」ナカムラが尋ねる。
「鑑識に詳しい分析は任せますが、多分、そうでしょうね」
「じゃあ、犯人は、ナイフを遠くから投げて、あのナイフ文字を書いてみせたと言うのかね?」食い気味に、今度は、善太郎が聞いてきた。
「はい。その可能性の方が強いです」
「いや、まさか。この壁は、高級なケヤキ製なのだよ。触って、自分で確認してみたまえ。そうとう硬いんだ。力を込めて、じかにナイフを突き立てたとしても、容易に突き刺さりはしないだろう。ましてや、投げ当てたぐらいで、あんなに綺麗にナイフが刺さるとは思えない」
「そのへんが、第一の謎ですね。あのナイフは、ちょっと柄の形も変わっています。洒落たデザインのつもりなのか、正確に丸くて、まるで棒のようです。あれって、もしかすると、家庭用のナイフではなく、ナイフ投げショーなどで使う特別製のものなのでしょうか」
「そうかもしれませんね。あとで鑑識に調べてもらいましょう」コバヤシがフォローした。
「じゃあ、やっぱり、ナイフを投げて、あの数字を書いたのか!」二郎も乗り出してきた。
「いえ、そう簡単にも言い切れないのです。もし、下からナイフを投げたのでしたら、もっと曲がった角度でナイフは刺さっているはずでしょう。しかし、あれらのナイフは、どれも、ほぼ真っ直ぐに壁に刺さっており、しかも、かなり深くまで食い込んでいます。これが、第二の謎です」
ここで、アケチ探偵は、再度、周囲を見渡した。考え込んだ彼は、でも、すぐに閃いたのだった。
「ああ、そうか!」と、アケチは唸った。「皆さん、ついて来てください。謎を解く鍵は、この邸宅の外にあるのかもしれません」
アケチが、急に走り出した。それを見て、他の同席者も、急いで、あとを追いかけたのだった。
アケチがやって来た場所は、この玉村邸のすぐ外部の塀の付近であった。それも、犯行現場の木造倉庫に隣接したあたりの塀のところなのである。
その塀をジッと観察したアケチは、すぐ、探していたものを発見したのか、やがて、ニコニコと笑顔になったのだった。
「ああ、やっぱり。案の定だ。ほら、あの塀の上の部分を見てください。あそこだけ、何ヶ所か、塀のコンクリートが小さく欠けているでしょう?犯人は、あそこを利用して、塀をよじ上ったのです」アケチが言った。
「塀をよじ上るだと?まさか!よじ上ったところで、塀のてっぺんには高電流が走っておるのだ。少しでも、体を乗り出したら、すぐオダブツだぞ」と、善太郎。
「その通りです。だから、犯人は、塀のてっぺんまでは上りませんでした。あのコンクリートの欠けている場所に、上手にロープや足などを引っ掛けて、それを支えにして、体を背後にのけぞらせながら、塀の内側を覗き込み、さらには、ナイフを壁に投げ刺してみせたのです。だから、ナイフが刺さっている場所も、塀の高さと、ちょうど一致しているでしょう?」
「おいおい。そんな神業、人間にできるものか!」善太郎が叫んだ。
「いえ。相手は暗黒星ですからね。例えば、暗黒星の一員であるクモ男は壁渡りの名人で、以前にも、10メートル離れたビルの間にロープの橋をかけて、仲間を渡らせてみせるような技術を披露していました。奴にかかれば、この程度の塀上りも、恐らくは、朝飯前です」
「じゃあ、この塀こそが、こうもり男やピエロの侵入口だったという事も考えられるのではないのかね?」興奮してきたナカムラが口を挟んだ。
「さあ。それはどうでしょう。塀の上までは上れても、次に、塀の内側に飛び込む為にロープを引っ掛けられる、適当なものが見当たりませんからね。目の前の倉庫は、残念ながら、丸天井なので、うまくロープの先の鉤は刺さらないでしょう。何とか、ロープを固定できたとしても、塀のてっぺんに体を触れさせないように、塀を飛び越えるのは、至難の技かと思います。さらに、この侵入方法は、完全な一方通行であり、外へ逃げ出す事ができません。そんな片手落ちな事をするほど、暗黒星の連中は間抜けではないはずです」
「うむ。なるほど、そうか」
「とは言え、あの塀のコンクリートの欠損部分は、早く修復しておいた方がいいでしょうね。また、おかしな目的で悪用されないとも限りませんからね」アケチは、注意を促したのだった。
「アケチくん。君の推理がおおかた正しかったとしても、まだ合点のいかない部分がある。それは、あのナイフの刺さり具合だ。本当に、手で投げたぐらいで、あんなに深く、ケヤキの壁に突き刺さるものなのかね。しかも、相当な正確さで、『6』の形を描いている。クモ男とやらは、壁上り以外でも、ナイフ投げの才能でも超一流なのかね?」善太郎が、なおも、アケチに疑問を投げかけた。
「まあ。そのへんが、この犯行の第三の謎でもある訳ですよ」アケチは、うろたえる様子もなく、ニッコリ笑ってみせたのだった。
さて、ひとまずは、不思議なナイフ文字の事件についても、なんとか、説明がついたみたいなのである。
意外にも、善太郎は、少し安心していたようだった。多分、ナイフ文字は塀の外から書かれたらしいと分かったからだ。つまり、相変わらず、賊は、この玉村邸の敷地の中にまでは忍び込んではいないのである。あの時計塔の上にだけ姿を現わす奇妙な怪人たちは別として。
こうして、アケチのもとに集まっていた人々も、いったん解散して、各所に散らばり始めたのだった。その時、思い悩んだような表情をした二郎が、ふと、アケチのそばに近づいてきたのである。
「あのう、アケチさん。実は、ちょっと話したい事があるんだけど」二郎は、小声でアケチに告げたのだった。