13 きっと喜びます
「それがしは何とも思っておらぬ。頭を上げよ」
執務机についたシャルロタは書類から目を外し、優しくそう言った。シャルロタの目の前では、家令とメイド長が深く頭を下げていた。ゆっくりと顔を上げた家令が口を開く。
「寛大なお言葉、大変恐縮でございます。先ほど、旦那様にこの件をご報告いたしましたので」
「ふむ。そうか」
昨日の庭での一件の後から、よそよそしかった使用人たちが急に親し気になった。元はこのような人懐こい人柄のものたちばかりだったのだろう。
今朝、シャルロタは神妙な顔つきでやってきた家令とメイド長に謝罪を受けた。彼らは、想像以上に美しかったシャルロタを見て、主であるレーモの愛人なのではないかと訝しんでいたと言うのだ。それは二十五才でありながら未だ未婚、というシャルロタのせいでもある。
「いや、それがしは本当に何とも思っておらぬのだ。むしろ、感心したくらいだ」
「感心、でございますか?」
「うむ。他国から突然やって来たそれがしに対し、王都の屋敷のものたちはいささか親切すぎる。押売りにやってきた行商も簡単に屋敷に通してしまうなど、人をすぐに信用してしまうきらいがある。主人の不在が多いこちらの屋敷までもそのようなお人よしばかりであったなら、ひとつ鍛え直さねばならぬ、と思うておったところだ」
シャルロタが元は兵士であったことを知っているメイド長が顔を強張らせた。
「皆、よくできたものたちばかりで安心した。して、義父上はこのことについて、いかにおっしゃったのだ」
家令が静かに頷き、胸に手をあててこたえる。
「旦那様にはきつく叱責されてしまいました。しかし、すぐにお笑いになり、昨日、庭から聞こえた笑い声に参加できなかったことを悔やんでおられました」
「うむ。そうか。義父上の腰の状態はいかであろうか」
「当初よりは随分と楽になったようで、体を起こすことはできるようです。まだ歩くまではいきませんが」
「合点承知した。では、もう少し良くなったら、皆でそろって庭で……ええと、何であったか……ピ……ピッカ……ピッカラブウ……であったか?」
「……もしかして、ピクニック、でしょうか」
首を傾げたシャルロタに、家令が冷静にこたえた。
「そう、それだ。ぴくにっく、とやらをしようではないか。木の下でうまいものを食す宴は楽しいと聞いたぞ」
「ピッカラブウ……」とつぶやきながら肩を震わせるメイド長を肘で小突き、家令が再び深く頭を下げた。
「御意に。シャルロタ様、今後とも、我々に何なりとお申し付けください」
「うむ。よろしく頼む」
シャルロタは手元の書類に視線を落とした。
今までの領地の様々な報告書、決算書。仕事で家を空けることが多かった父や兄の代わりに、シャルロタは元の実家の領地運営も手伝っていた。とはいえ、戦場と戦場の合間のわずかな期間に書類に目を通す程度であったが。
歩いて行ける程度の範囲しか回れていないが、実際に領地を検分してから書類を見るのでは随分と違う。シャルロタはもう少し領地を見て回る必要があるな、と思った。
机の上の書類や本を棚に戻し、執務室の外に出ると、ドアの横にレオポルドが立っていた。
「ぬ? 貴殿、ここで何をしておる」
「仕事終わりました? 邪魔しないように待ってました」
よく見れば、レオポルドの手にはクッキーが握られている。ここで暇そうにしていてメイドか誰かに恵んでもらったのだろうか。お前は犬か、という言葉をシャルロタは飲み込んだ。
「今日は馬車に乗って遠方へ行こうかと思っているのだが、貴殿も行くか?」
「もちろん。俺は案内兼、護衛でここに来ていますから」
「護衛など、それがしには」
「いりますよ! シャルロタさんは領主のご令嬢なんですからね」
「う、うむ……。まあ、良い。いずこへ行こうぞ」
「ちゃんと俺がデートコースを、あ、いえ、領地の主要なところを見繕ってあります。馬車の手配してきますね。シャルロタさんは着替えてきてください」
「うむ、かたじけない」
最後のシャルロタの言葉も聞かずにレオポルドはあっという間に駆けて行った。本当に犬みたいだ。
自室に戻って着替え、ノエミに髪を結ってもらう。ノエミはまた、後ろに残した少量の髪の毛先をくるくると巻いて肩から前に下げた。
「そなたはこの巻き髪が好きなのか」
「はっ、はい。女性らしくってとっても可愛いと思うんですけど、あの、シャルロタ様はお嫌でしたか?」
「そんなことはない。おのれの髪がこのようになるとは、げに不思議な気分である。しかし、これを見るとどうもレオポルド殿のことを思い出すのだ」
「あら! まあ!」
ノエミが赤らんだ頬を両手でおさえた。そして、鏡越しにシャルロタの顔をのぞきこんでくる。
「うぬ? いかがした?」
「うふふ。それ、レオポルド様に言ってあげてください」
「レオポルド殿に?」
「ええ。きっと、喜びますよ。とぉっても!」
「ふむ、よくわからぬが、それならば言ってみようぞ」
「言った時のレオポルド様のご様子、あとで教えてくださいね。うふふ」
「かまわぬ。承知した」
玄関へ行くと、レオポルドがメイドから受け取ったバスケットを馬車に積んでいるところだった。御者に話しかけられ、二人は笑顔で会話をしている。
「シャルロタ様、どうぞこちらを」
メイド長がシャルロタに帽子を持たせた。例のつばの大きなやつだ。
視界が遮られることに眉をひそめたシャルロタの耳に、メイド長がそっと顔を寄せる。
「レオポルド様が、今日は日傘ではなくお帽子で、とご指定でしたので」
「なにゆえ」
「さあ、そこまではわたくしには。そんなことよりも、シャルロタ様!」
「うぬ?」
「いいですか、レオポルド様の言うことを良く聞いて、ちゃんとついてゆくのですよ。けして勝手に一人で出歩いたりしないでくださいね」
「う、うむ」
「それから、知らない人にはついて行ってはいけません」
「うむ?」
「そうそう、座る時は足を閉じるのですよ! わかりましたか?」
なんだ、その急な子ども扱いは。
シャルロタは目をぱちくりとさせた。そういえばメイド長はノエミの母であったか。
「うむ。合点承知した」
シャルロタが頷くと、メイド長が心配そうにシャルロタの髪やスカートの乱れを直した。
「シャルロタさん、お待たせ。行きましょう」
近付いて来たレオポルドが自然な流れでシャルロタの右手を取り、その指先に軽く口付けた。見送りに出て来ていたメイドたちが、きゃあ、と声を上げる。
しかし、シャルロタは眉間にしわを寄せ、じとりとレオポルドの口元を睨んだ。
「えっ、すみません。いやでしたか?」
「……貴殿の口には何も付いておらぬぞ」
若干青ざめながら首を傾げるレオポルドと、不快そうに眉を寄せるシャルロタ。
「それがしだって、手巾くらいは持っているぞ。言えば貸してやったと言うのに」
「ん? んんん?」
「……なぜそれがしの手で口を拭ったのだ」
シャルロタの言葉に、レオポルドがポカンと口を開け、メイド長はじめ、この場にいるものたち全員が白目をむいた。
「えっ、あの、挨拶のキスだったんだけど! もしかして、知らない?!」
「うぬ? 挨拶だと?」
ハッとしたシャルロタはあわてて自分の手を見た。
「なるほど……そういえば、帝国の貴族女性もこのようにされていたのを見たことがあるぞ。そうか、初めてだったので気付かなかった。面目ない」
「いえ、全っ然! むしろシャルロタさんの初めてとか、ご褒美です!」
さっと表情を変え嬉しそうに笑ったレオポルドが、もう一度シャルロタの手を掴んで馬車の方へ引っ張っていく。「レオポルド様ってポジティブ……」とつぶやいたノエミの声にメイドたちが揃って頷いた。