12 荷物を持ちます
明くる日のクローチェ子爵家の屋敷では、いつも冷静な家令がめずらしく戸惑っていた。
まず朝イチで街のパン屋が山ほどの焼きたてパンを持って来た。何やら昨日、店主の老母が散歩の途中で杖が折れ困っていたところを、シャルロタに助けられたお礼だと言う。老母を背負ってパン屋に現れた長身の女性は「しからばこれにてごめん」と言って名乗らずに帰って行ったそうだ。間違いなくシャルロタだろう。
その後は、子供の帽子が風に飛ばされ木に引っかかって困っていたご婦人、足場が崩れて屋根から落ちかけた大工、荷馬車が側溝に脱輪してしまって困っていた商人がお礼を言いに次々と訪れた。脱輪した荷馬車にいたっては、シャルロタが一人で馬車を持ち上げたという。どういうことだ。
家令は現在、いつもよりも多い郵便物の仕分けをしている。
取引先からの郵便に混じって、人々を助け華麗に街を闊歩する姿に一目ぼれした、というシャルロタ宛のラブレターが数通届いている。ちなみに、送り主は全て女性である。
シャルロタは今、一人で教会へ向かっている。早朝に行く予定であったが、訪問客がひっきりなしに訪れ、あっという間に昼を迎えこの時間になってしまったのだ。
たった半日でこの有様である。今日も何かをやらかすに違いない。家令はシャルロタを一人で行かせたことをひどく後悔した。
まずは主に指示を仰ごう。
家令は立ち上がり、まだベッドに寝たきりのレーモの元へ向かった。
教会を出たシャルロタは、晴天をひと睨みした後、勢いよく日傘を開いた。
外を出歩く時には必ず帽子をかぶるか、日傘をさすようにとフローリアとアニェーザからきつく言われていた。視界が狭まるのがどうにも不便だが、令嬢とはこういうものだ、と言われてしまえば、シャルロタは素直に言うことを聞くしかない。
王都の教会と比べれば、こちらの教会は建物も大きく敷地も広い。片手に日傘を持ち、もう片方の手で軽くスカートを持ち上げ、ゆっくりと階段を下りた。色あせたレンガの道を気を付けて進み、大きな鉄製の門の前で足を止めた。
日傘を少し傾けると、門には青々とした蔦が絡みつき、小さな紫色の花が無数に咲いているのが見えた。
ほら見ろ。日傘のせいで花に気付かないところだったではないか。手入れされたものばかりではなく、こういった自然に咲く花を愛でてこそ令嬢なのではないか。
シャルロタはその紫色の花に伸ばしかけていた手を止めた。
まさか自分が可愛らしい花に目を留める日が来るとはな。
そう思い、ひっこめようとした手に影が落ちた。驚いて振り向けば、そこには笑顔のレオポルドが立っていた。いるはずのない人物の姿に、シャルロタは目を丸くした。
「こんにちは! シャルロタさん!」
軽く首を傾げて笑うレオポルドは、声もしゃべり方もやっぱりレオポルドで、間違いなくレオポルド本人だった。
「うぬぅ……。こうも容易く背を取られるとは……やはり日傘は益体もないものであるぞ……」
「ん? 日傘? ああ、俺が持ちますよ」
レオポルドが伸ばした手をさっと避け、シャルロタは両手でしっかりと日傘を握った。
「さしつかえない。それがしだってこれくらい持てるぞ」
「いえ、俺が持ちます。ほら、俺の方が腕が太いでしょ」
目の前に伸ばされたレオポルドの腕をじっと見た後、シャルロタは自分の腕を見た。確かに、倍くらい太い。というか、自分の腕はこんなにも細かったか!? 何度見比べても、やはりレオポルドの腕は太かった。
「シャルロタさんだって自分よりも小さい人がいたら、荷物を持ってあげるでしょ。それと同じです。シャルロタさんが持てる持てないじゃなくて、俺の方が腕が太いから、俺が荷物を持つんです」
「うむ。なるほど、理解した。では、頼んだ」
素直に日傘を渡したシャルロタに、レオポルドが嬉しそうに頬を緩めた。
今日のレオポルドは胸までボタンを開けたシャツにウエストコート姿だ。見るからに高級そうな衣服であるが気取らずに着くずしていて、まさに高位貴族の三男という感じだ。
「さても、貴殿はここで何をしている」
「ああ、ぎっくり腰でシャルロタさんの案内ができないってレーモさんから手紙が来たんですよ」
「貴殿に!?」
「俺、子供の頃からこの町に遊びに来ていたんで詳しいんですよ。有給余りまくってるんで、がっつり休み取ってきました!」
「ゆうきゅう……とは、なんぞ?」
「あれー? 帝国には有給ってないのかな。仕事を休んでも給料が出るんです」
「意味がわからぬ。なぜ働かずして銭を得る」
「えっと、仕事も休みもどちらも全力で頑張ろうぜ、ってことです」
「ほほう。それは重畳である」
「そういうことです」
レオポルドが傾けた日傘が、シャルロタの頭上をすっぽりと覆う。見上げれば、レオポルドにはさんさんと陽が当たっている。
「ふむ、二人入るにはこの日傘では狭いな」
「俺は日傘に入らなくていいですよ。この通りすでに日に焼けていますから」
「そうか? 白いように見えるが」
「そうかな。でも、毎日陽に当たってるから平気ですよ」
シャルロタは首を傾げた。シャルロタの頭に浮かぶのは帝国兵団の男たち。彼らは、泥がついても分からないではないか、と笑いあうほど日焼けした肌をしていた。今にもはち切れそうに軍服を持ち上げる筋肉はどこもかしこも傷だらけで、むしろ傷の多さを競っていたくらいだ。
一方、目の前にいるレオポルドは、人種的に日焼けしても黒くならない性質なのだろう、彼らに比べたら肌は色白だし艶があるし、傷ひとつない。茶色の髪だって日の当たっている部分は金色に輝いているし、よく見れば顔つきは母親のトスカにどことなく似ている。シャルロタは人の美醜についてはあまりよくわからないが、トスカは誰が見たって美人の部類に入ると思う。ということは、レオポルドは美男子なのではないだろうか。
眉間にしわを寄せ、凝視しながらじりじりと顔を寄せてくるシャルロタに、レオポルドはポッと頬を赤らめた。
「そ、そんな、シャルロタさんて積極的。こんな皆が見ているところで……でも、あなたがその気なら俺だってやぶさかでは……」
「貴殿は母親似なのであろうか」
ぎゅっと目を閉じ唇を尖らせていたレオポルドがぱちりと目を開けた。
「え? なんだ、キスしてくれるのかと思ったのに……いえ、独り言です。……そうですね。母親に似ているとよく言われます」
「そういえば、タッキーニ侯爵はまだ見ておらぬな」
騎士団長である長男のネレーオとは髪の色は同じだが、顔つきはあまり似ていない。次男の姿形はさっぱり覚えていない。
「親父はずっと領地に行ったっきりでほとんど帰って来ないですね。ネレ兄に騎士団長の地位を渡した後、領地で自警団の教育にかかりっきりで」
「さようか」
とうとう背伸びをしてまでレオポルドの顔を覗き込んでいたシャルロタは、気が済んだのか日傘の下へ戻った。
「さても、いつまでもここにおったら邪魔になるであろう。ゆくぞ、レオポルド殿」
「はいっ」
大きく腕を振ってずんずんと勝手に歩き始めたシャルロタを、あわててレオポルドは追いかけた。
背の高い二人が並んで歩く姿は、街の人々の目を引いた。ただでさえ昨日、一人で街を闊歩していたシャルロタに、皆興味津々である。領主が他国から養子を迎えたという噂は既に広まっていた。それらしき女性が姿を見せたと思えば、やたらと行動的で、奇妙な言葉遣いで話すのだ。興味を持たない方がおかしい。
「レオ君じゃない? 久しぶりね」
意を決したように二人の前に進み出た花屋のおかみさんが、レオポルドに話しかけた。レオポルドと同時にその声に振り向いたシャルロタとぱちりと目が合う。さあ、早く紹介しておくれ。おかみさんの表情がそう語っている。
「はい。休みが取れたので、久々に遊びに来ました」
「そう! 今も第三騎士団で立派に働いてるのねえ。おばさん嬉しいわあ」
ハキハキとこたえるレオポルドに相槌をうちながら、おかみさんはちらちらと目配せをしてくる。レオポルドがおかしそうに笑いながら、少しだけ日傘を上げた。
「こちらはクローチェ子爵家のシャルロタ嬢です。こちらへは来たばかりなので、俺が街を案内してるんです」
紹介され、少しだけ口の端を上げたシャルロタの笑顔に、おかみさんの表情がぱあっと明るくなる。
「んまあっ! やっぱりそうだったのね! いや、昨日からずっと皆で話してたのよ~、あ、いえ、ほら、子爵様のご養子が女の子って聞いてたからね~。まあ、まあ、こんな美人さんだったなんて! あっ、ごめんなさい。私は花屋のイメルダです」
一気にしゃべり始めたおかみさんにシャルロタはぱちりと瞬き、すぐに笑顔で右手を伸ばした。
「それがしはシャルロタである。よろしくお頼み申し上げる」
「え? え? あの……」
両手でシャルロタの手を握ったおかみさんがぽかんと口を開けて固まった。
「シャルロタさんは外国から来たばかりだから、まだこちらの言葉は勉強中なんです」
ニコニコと笑顔のレオポルドの様子に、戸惑っていたおかみさんも落ち着きを取り戻した。
「うむ、勉強中ではあるのだが、まだ合格点までは至っておらぬ故、気長にお待ちいただけると僥倖である」
「え、ええ! もちろんです、こちらこそ至らないところばかりですけど、よろしくお願いいたしますね! シャルロタ様!」
ぎゅうぎゅうと握っていたシャルロタの手を放したおかみさんは、ちょっと待ってて、と言って走って店に戻って行った。そして、すぐに片手にビニール袋を下げて戻ってくる。
「これ! 持って行ってちょうだい! うちは花屋だからこんなものしか差し上げられないんだけど、朝に一度水をやれば手間がかからずに咲くやつだから。さあさ、どうぞ、どうぞ」
おかみさんは強引にシャルロタの手に袋を持たせる。中をのぞけば、芽吹いたばかりの緑色の小さな葉が二つ見えた。
「苗か」
「ええ、お庭に植えてちょうだい」
「うむ、花は育てたことがない。植えてみることにしよう。かたじけない」
「また来てくださいねー」
ペコペコと愛想良く頭を下げるおかみさんに手を振って、二人は花屋を後にした。
「苗、俺が持ちます」
「これくらい……」
「腕」
「うむ、そうであった。お頼み申し上げる」
片手に日傘、もう片手に苗の袋を下げたレオポルドは、機嫌よく歩いて行く。その笑顔に、様子を窺っていた街の人々が次々と話しかけてきた。その度にシャルロタは挨拶をし、気安く握手をしていった。
「苗を持っていてはどこにも行けぬな。まっすぐ屋敷に帰ろうぞ」
「俺はこれくらい大丈夫ですよ」
「その……早く苗を植えてみたいのだ」
「えっ、可愛い……! 早く帰って植えましょう!」
二人で並んで屋敷に戻ると、家令は一度ハッとしたように驚いた後とても嬉しそうにしていた。すぐに庭に案内してくれ、庭師を呼んだ。
庭師に言われるがままにおそるおそる苗を土に植えたシャルロタは、最後にぎゅっと土を素手で整えた後、嬉しそうにほほ笑んだ。遠巻きに様子を窺っていた使用人たちもその笑顔につられて顔をほころばせた。
庭師から水の入ったじょうろを受け取ったシャルロタが、水を待つ苗に目を細め、ごくりと唾を飲み込んだ。
震える手で慎重にじょうろを傾けた時、レオポルドが口を開いた。
「シャルロタさん」
「な、なんだっ!」
あわてて手を止めたシャルロタが振り返った。
「シャルロタさん、花って話しかけながら水をやると良く育つらしいですよ」
「なっ、なぬう!!」
ぐるん! と首をまわしてシャルロタは庭師を見た。目も耳もない植物に話しかけるとは、いったいどういうことだ。そんな荒唐無稽なこと、あるものか。彼女の表情はそう語っていた。
「そうですね、そう言った話もあります」
「あにはからんや!」
あっさりと肯定した庭師の言葉に、シャルロタは声を上げた。そして、今か今かと水を待つ苗とじょうろを何度も見比べ、うむ、と小さく頷いた後、スカートを手で払い地面に片膝をついた。
「シャルロタさん!?」
片膝をつき、片手を胸にあて騎士の礼を取ったシャルロタに、レオポルドが呼び止める。それには返事せず、大きく息を吸ったシャルロタがカっと目を見開いた。
「それがしの名はシャルロタ! この度そなたをもらい受け、もてなすことと相なった次第である! 誠心誠意を尽くす所存である! 至らぬことばかりであろうが、ご容赦いただきたい! ささ、たんと水を飲むがよい」
じょうろで苗に水を注ぐシャルロタの姿勢の良さと、苦笑いでそれを見守るレオポルドの姿に、庭師も使用人たちもいろいろと戸惑いを隠せなかった。
差し出されたレオポルドの手を借りて立ち上がったシャルロタが顔を上げ、使用人たちに見られていたことに気付いて少しだけ恥ずかしそうに顔をしかめる。それをきっかけに、どこからともなく笑い声が聞こえ、ここ最近緊張感の走っていた屋敷は久しぶりに明るさを取り戻した。
わたくしチョロイン……