11 領地へ
舞台はクローチェ子爵家の領地へ移動します。
「本当は私も行けたらいいんだけど、ごめんなさいねえ」
「義母上、案ずることはない。それがしが義父上を必ずや守ってみせよう」
「シャルロタさん、違うわよ! フローリアはシャルロタさんを心配しているのよ」
「んぬ?」
母子の会話に割り込んで来たトスカの声に、ボンネットと呼ばれるつばの大きな帽子を揺らしてシャルロタが首を傾げた。
「タッキーニ侯爵家から護衛騎士もお借りしたから、道中は大丈夫だよ。うちの領地は強盗が出るほど大きな街じゃないしね」
旅装に身を包んだレーモが笑顔でフローリアの頭を撫でた。その横でそっと頭を下げて撫でられるのを待っているトスカ。空気を読んだシャルロタがその頭をそっと撫でると、トスカがきゃっきゃと声を上げて喜んだ。
やっと出発した馬車の座席で、シャルロタは帽子を脱いで息をついた。
シャルロタとレーモは、クローチェ子爵家の領地へ向かっていた。それほど大きな領地ではないが、王都からも近く、代々商売上手なクローチェ子爵のおかげで非常に栄えている。
元々クローチェ子爵家は傍系の伯爵家の領地の管理をしながら、自分で興した事業を順調に伸ばしていた。浪費がたたって破産した伯爵家からそのまま領地を買い取り、さらに発展させ今に至る。
令嬢言葉の勉強と並行して領地運営の勉強もしているシャルロタは、自分の代で財を減らすわけにはいかない、と身の引き締まる思いだった。
そもそもシャルロタがこのクローチェ子爵家に養子になることができたのは、親戚内に養子にできる年頃の子供がいなかったからだ。息子のファウストは十歳まで生きていた。息子を失ったショックで数年は何も考える気にもなれなく、いざ養子を取ろうと動いてみれば、年頃の親戚はすでに将来が決まっていた。
養子に形だけ爵位を譲り、実質はレーモが補佐をして運営する。その間に親戚の次の世代の子供が育つのを待つ。そういった事情で、シャルロタは引き取られた。シャルロタは遠い他国の遠縁の遠縁である。新しい有能な養子が来たらすぐに首を挿げ替えることのできる、都合のいい存在だ。
ある程度の覚悟をして移住してみたものの、存外レーモとフローリアは親切にしてくれている。次の養子が来るのはもうすぐなのか、それともまだまだ先なのかはわからないが、それまでの間、シャルロタは立派に中継ぎを務めようと腹を固めた。
「お騒がせしてすまなかったね。……フローリアは馬車が苦手でね、数時間で着く領地に行くにも、何度も休憩を取らないとならないから、片道だけで一日がかりになってしまうんだ」
「うむ。では、今度は日程に余裕がある時に共に行こうぞ」
「そうだね」
窓の外を見たまま、視線を動かさずにレーモは続けた。
「……ファウストは馬車に轢かれて死んだんだ。道路に飛び出した女の子をかばって、馬に……。それ以来、フローリアは馬車に乗るのが苦手なんだ」
馬車の事故、とは聞いていたが、詳細までは知らなかったシャルロタは瞬いた。あごに手を置き、慎重に言葉を選んで口を開く。
「うむ、それは大変立派なことであった。その女児が今も幸せに生きていることを願う。……これからは、ファウスト殿の分までとはいかないかもしれぬが、それがしが親孝行をしていこうではないか」
何だか偉そうな言い方になってしまったな、と首をひねるシャルロタに、窓から視線を戻したレーモは思わず声を上げて笑ってしまったのだった。
領地のカントリーハウスに到着し馬車から降りると、玄関前には屋敷の使用人たちがずらりと並んでいた。気安く手を上げてその列の前を歩いて行くレーモに続き、シャルロタは屋敷に入った。
「こないだぶりだね、皆変わりないかな」
レーモののん気な声にメイドたちがほほ笑みながら頷いている。が、シャルロタと目が合うと、一様に顔が強張り目を逸らされてしまった。レーモに紹介された家令に至っては、あからさまに訝し気な視線を向けられた。
ふ、とシャルロタが口の端をわずかに上げると、いっそう彼の眉間のしわは深くなった。
次期当主として与えられた部屋は、必要最小限の家具のみで殺風景だった。だだっ広い客室、と言った具合の部屋を案内しながら、これからシャルロタの好きなものを揃えていったら良い、とレーモは言った。特に部屋の好みなどないシャルロタは別にこのままで良いと思ったが、眉をひそめたまま暗い表情の家令の表情を見て口を閉じた。
まだ頬の幼い丸みが残る侍女が、おずおずと紅茶を淹れると、そそくさと逃げるように部屋を出て行って、シャルロタは部屋にぽつりと残された。ガランと隙間だらけの本棚に置いてある数冊の本をパラパラとめくり、そのうちの一冊を取ってソファに座った。
紅茶は美味しかった。王都の屋敷とは違う茶葉だろうか。到着した時の様子から、もしかしたら嫌がらせもあるかもしれない、と覚悟はしていたが、あまりにも普通の紅茶を出されて肩透かしを食らった気分だった。
天井から床までの大きな窓では白いレースのカーテンが風にそよいでいる。床は隅までピカピカに磨かれていて、執務机に置かれた小さな花瓶の影が薄く伸びていた。
歓迎されていないとはいえ、部屋は清潔に整えてくれていたようだ。
明日からはレーモに領地を案内してもらい、領地運営の指導をしてもらう予定だ。
シャルロタは手の中の本を開き、余計な事を考えないようにした。
「なんと! まことか!?」
夕方になり、部屋にやってきた家令の告げた言葉に、シャルロタは驚いて声を上げた。
「はい。以前も何度かやっているものですから、癖になってしまっているようで……」
家令はそう言うと、強張った表情で頭を下げた。シャルロタはすぐに家令の頭を上げさせ、あごに手を置いて少し考えた。
「義父上がぎっくり腰とは」
自室でくつろぎながら留守の間に届いた郵便物や荷物の確認をしていたレーモが、小箱を開けようと持ち上げた際にぎっくり腰になったそうだ。そのままの体勢で動けなくなっているのを家令が発見した。レーモはこの腰痛の心配もあって、本格的に養子を探すことにしたと言う。いたって元気ではあるようだが、腰がダメでは歩くことすらできない。しばらくは安静にしなければならないだろう。
「うむ。それがしが義父上の寝室に見舞いに伺ってもよいものであろうか」
シャルロタがそう尋ねると、家令は少しだけ考えあぐねた後、頷いた。
家令に先導され主寝室に向かうと、レーモが非常に情けない顔をしてベッドに横になっていた。
「ご、ごめんよぉ~シャルロタさん」
「かまわぬ。それよりも、義父上は大事無いのか」
「この体勢から動けないんだ……。あと数日はこのままだと思うから、すまないが街の案内は屋敷の誰かと……」
シャルロタはしゃべり続けるレーモを手で制して黙らせた。ベッドの傍にある椅子に腰を下ろし、姿勢を正す。
「うむ、案ずることはない。先ほど、部屋にあった書物にてこの街の大体の地理は暗記した。この辺りであれば、一人で歩けるであろう」
「いや、でも、女性一人で」
「ぬはは、安全な街だ、と言ったのは義父上であろう。なあに、そう遠くには行かぬ。安心せい」
まだ何か言いたそうなレーモであったが、腰が痛いのか顔をしかめ、渋々頷いた。家令を呼んでいくつか用事を頼んでいたので、シャルロタはそっと部屋を出た。
廊下の遠くからメイドたちが掃除の手を止め、シャルロタの様子を窺っている。ぱちりと目が合うと、逃げるように去って行った。
部屋に戻りクローゼットを開け、侍女が仕舞ってくれた外出着を取り出す。自分で着替えたが、どうにも背中のボタンが留められない。鏡を見ながら何とか手を伸ばすが、うまくいかなかった。仕方がない、違う服にするか。諦めたシャルロタが手を下ろすと、いつの間にかドアの傍に控えていた侍女が駆けて来た。
「あのっ、お手伝いいたします」
「ぬ? かたじけない」
「い、いえ……」
よく見れば先ほど紅茶を淹れてくれた若い侍女だった。
「先ほどの茶は大変美味であった」
「えっ、あっ、ありがとう、ございます……。あの、お出かけですか? 髪はどうされます」
「ふむ。このままではまずいであろうか」
「……お着替えで乱れてしまったので、直しますね」
侍女はシャルロタを椅子に座らせると、おどおどとしてはいるものの手慣れた様子で髪を梳き始めた。王都の家のおおざっぱな侍女アニェーザとは違ってとにかくやさしく丁寧に、かつ手早くブラシを動かしてゆく。
まるで毛づくろいされているようだな。
シャルロタが少しだけ口の端を上げると、侍女はびくりと眉を上げ、さらに慎重に髪を結っていった。
「うむ。これは良いな。礼を言う」
「ととととんでもございません!」
いつもよりも緩くまとめられた髪は動きやすく、鏡の中のシャルロタは少しだけ若く見えた。不安そうに瞳を揺らした侍女がずりずりと後ずさりを始める。
「待て。そなた、名は何と申すのだ」
「あっ、あの、ノエミです」
「うむ、良い名である。しかと覚えたぞ」
距離を取ろうとするノエミを引き止め、その後もいろいろと聞いた。ノエミは十五才で、母がこの屋敷でフローリアの侍女をしているそうだ。将来はこの屋敷の女主人の侍女となるべく、子供の頃から母親から教育を受けていたそうだ。フローリアはあまり領地にやってこないし、跡継ぎはなかなか決まらない。普段は母はメイド長として屋敷のメイドの管理をしており、ノエミはハウスメイドとしてひと通りの雑用をこなしていた。この度シャルロタがやって来ることになり、今日がノエミの侍女としての初仕事だったという。
このまま順調に行けばシャルロタがこの屋敷の女主人となる。つまり、ゆくゆくはこのノエミがシャルロタの侍女となるらしい。
「それがしは領地についても、また、この国についてもまだまだ勉強中であるゆえ、教えを請うこともあろう。その時はよろしくお頼み申し上げる」
「そ、そんな、私でよければ、いくらでも」
耳まで真っ赤になったノエミが、大きく手をぶんぶんと振りながら後ずさり、そのまま部屋から出て行ってしまった。
シャルロタは小さなバッグを肩にかけ、帽子をかぶった。
ノエミに聞けば、この屋敷から出てすぐの街は彼女が気軽に一人で出歩くこともできる程度に治安が良いらしい。
家令に一声かけ、シャルロタは外へ出た。
つばの大きな帽子は視界が悪い。
繁華街らしき街角で少しだけつばを持ち上げてあたりを見回せば、行き交う人々がチラチラとシャルロタの様子を窺っていた。帽子から珍しい亜麻色の髪が見えているのだろう。
ノエミの結ってくれた髪は、意図的におくれ毛が肩に垂らされており、毛先がくるりと巻かれている。
まるでレオポルドの巻き毛のようだな。
人差し指でそのおくれ毛を持ち上げながら、シャルロタはほほ笑んだ。
立ち並ぶ一軒一軒の店を眺めながら歩いて行くと、吹く風が少しだけ湿っぽくなり生臭い香りが混じってきた。そういえば地図上ではこの街には大きな川が東西に流れていた。川沿いにはテントが並び、威勢の良い売り子がとれたての魚を売るマーケットが開かれていた。小ぶりのものが多いが、どれも新鮮で形が良い。魚を持って歩くわけにも行かず、眺めるだけなのが残念だった。テントの横に積み重ねられた木箱の上で眠る猫の顎をなで、シャルロタはマーケットを後にした。
この先からは急に道路が古くなった。きっとここから旧市街なのだろう。建物も古びたままのものが多い。空き店舗が多いせいで整備も後回しになっているようだ。だからと言って、人通りがないわけではない。この向こうにある住宅街の住民はこの旧市街を通って繁華街へ向かうのだ。
急ぎ足で駆けていく女性が、シャルロタの目の前でカクンとつまずいた。
「きゃあっ」
シャルロタはとっさに腕を伸ばし女性を受け止めた。その際に少しだけ帽子がずれ、シャルロタの射貫くような黒い瞳に捕らえられた女性は、ひぃっ、と思わず息を呑んだ。
「大事無いか、ご令嬢よ」
「え、え? あ、ありがとうございます」
女性を優しく立ち上がらせると、シャルロタはその足元を確認した。
「ふむ。踵がひっかかったか」
古い道路にはひびがたくさん入っており、そのうちの一つの深いヒビに女性の細いヒールがひっかかってしまったようだ。
「それがしの靴は踵が太いゆえ、気付かなかった。面目ない。すぐにとは約束できぬが、なるべく早くに整備をするよう進言しよう」
「あ、あの、えっと?」
帽子を取って胸にあて、シャルロタは軽く礼をした。背が高く姿勢の良い彼女に頭を下げられ、女性はポッと頬を赤らめた。
「それがしはシャルロタ。シャルロタ・クローチェ。本日この街へ参ったばかりで、まだ道理も分からぬそこつ者である。またお会いすることもあろう。よろしくお頼み申し上げる。しからば、これにてごめん」
帽子をかぶりなおし、シャルロタはさっそうと歩き始めた。
いつも感想ありがとうございます!
そして、誤字報告も……( ;∀;)すみません・・・・・・助かります・・・・・・!