10 刃物には慣れている
次の日の昼、早速トロイージ辺境伯家からお礼の品が次々と届いた。娘のルーナはすでに王都を発って領地へ帰ったそうだが、可愛らしい文字の手紙が添えてあり、丁寧にお礼とお詫びが綴られていた。辺境伯からは子爵家に困ったことがあればすぐに駆け付ける、と言付けまで預かった。
奇しくも辺境伯からの信頼を得たシャルロタに、レーモとフローリアはひどく驚いたものの、「友達ができて良かったね!」とすぐに笑い飛ばしたのだった。
木の上に令嬢がいた話をレオポルドに聞かせたいと思っていたシャルロタだったが、その日の夜、貧民街で火事騒ぎがあり、レオポルドは帰って来なかった。
火事は消防団員が消すが、その混乱に乗じて強盗やケンカが起こるため第三騎士団は総動員で駆り出されたそうだ。
貧民街で起きた火事は無事鎮火され、第三騎士団が広場に簡易テントを張って住民を一時的に避難させたらしい。国はすぐに貧民街そばの教会を拠点とし、援助物資の配布をした。また、貧民街の住民で動けるものたちを積極的に採用して瓦礫の撤去、家屋の修繕にあたらせ、一時的ではあるが職を与えた。
「……ってことらしいわよ。レオがさっき帰って来てそう言っていたわ。汗だくだわ煤まみれだわで、今、シャワーを浴びているの。着替えたらまた向かうらしいわ」
「まああ、眠ってないんでしょう。大変ねえ」
トスカとフローリアが生け垣を挟んでおしゃべりを始めたのを盗み聞きしていたシャルロタは、花壇に水をやりながら隠れてあくびをした。
昨晩は、遠くの空に上る幾本もの煙を部屋の窓から一晩中眺めていた。あのひ弱なレオポルドが暴漢を抑え込めるのだろうか、と心配で眠れなかったのだ。そんなわけで寝不足のシャルロタは、この後少し昼寝でもしようかと思っていた。
「レオったら、着替えたらまたすぐに戻るって言うのよ。貧民街の広場で炊き出しをするんですって」
頬に手をあてて心配そうに言うトスカの声に、シャルロタの目は一気に覚めた。
「その炊き出し、それがしも手伝いに行きたいのだが」
「「えっ!?」」
トスカとフローリアがぎょっとして振り返る。
スカートの土を掃って立ち上がったシャルロタは、庭をさっそうと横切り、二人の傍まで足早に歩いた。
「シャルロタさん、本気!?」
「それがしは冗談など言わぬ」
「あらまあ、シャルロタさん。気持ちはわかるけれど、貧民街は女性には危険なのよ」
「聞いてしまった以上は参らぬわけにはいかぬ」
「トスカ、レオ君に聞いてみたら?」
「フローリア、あんた相変わらず甘いわねえ。待ってて、レオ呼んで来るから」
しばらく待つと、シャツのボタンを止めながらレオポルドが庭に駆けてきた。まだ水のしたたっている濡れた髪は、いつもよりもさらにくるくると巻いていた。
「レオポルド殿、それがしも炊き出しに連れて行っていただきたく、お頼み申し上げる」
「ちょ、ちょっ、ちょっと待って。シャルロタさん、そりゃあありがたいけど、無理ですよー!」
「それがしは帝国で飢饉の村や戦に巻き込まれた町の炊き出しに参加いたしたことがある。邪魔にはならぬよう、気を付ける」
「貧民街なんて令嬢の行くところじゃないんです」
「ぬう……」
ぎりりと歯噛みしたシャルロタの表情に、レオポルドが思わず後ずさった。
「……貴殿は……それがしの出自を知っておろう。称号は返還したとは言え、騎士の誇りまでは失っておらぬ。わが身に力ある限り、この国に尽くすと誓ったのだ」
「う、うーん、でも」
「貴殿も同じであろう。それがしは、これからは人を生かすために自分の力を使ってゆきたいのだ」
レオポルドが頭を抱え、そのまま髪をくしゃくしゃと掻きむしった。自分をじっと見上げているシャルロタと目が合うと、頬を少し紅くし、ため息をついた。
「……う……わかりました。一人でも手伝ってくれる人が多いのは助かります。その代わり、広場までは馬車で行ってくださいよ」
「あいわかった」
「俺は馬で来てるんで、先導しますから。馬車用意してきますから、シャルロタさんは動きやすい服装に着替えて」
「かたじけない」
令嬢が貧民街へ行くだなんて、と、アニェーザには怒られた。が、ちゃんと動きやすいワンピースを着せてくれ、髪もほどけにくいようにしっかりと結ってくれた。
踵が低めのショートブーツを履き、外に出るとすでにレオポルドが待っていた。
「面目ない。待たせた」
「いえ、俺も来たばかりです」
すぐに頑丈な侯爵家の馬車に乗せられ、貧民街へ向かった。
シャルロタは窓に張り付いて外の景色を眺めていた。知らない道を進む馬車の揺れに心地よさを感じていた。
古い教会の扉が開け放たれ、騎士たちがぞろぞろと出入りをしている。出て行く騎士は皆、重そうな物資を背負ったり肩に担いだりしている。なるほど、あの筋肉も無駄ではなかったのか。
「絶対に一人にならないでくださいね。暗がりとか行っちゃだめですよ」
「うむ。心得た」
馬車の扉を開けるなり注意するレオポルドに、適当に相槌を打ったシャルロタは待ちきれなくて馬車を飛び降りた。あわてて抱き留めたレオポルドは、ゆっくりと彼女を地面に下ろし、上から下までその姿を眺めた。そして、うーん、と顔をしかめた後、やっぱりため息をついた。気の逸るシャルロタはそんなことには気付かずに、レオポルドの背を追って貧民街の広場へ向かった。
体の大きな自分が邪魔にならないように、かつ、迅速に動くべし。
現地へ着いたらどのように動くべきか、シャルロタは頭の中でシミュレーションを繰り返した。
広場へ着き、前に立つレオポルドの背から顔を覗かせると、ざわめいていた一同がいっせいにシャルロタを見て固まった。しんと静まり返る広場に、カシャーンとお玉の落ちる音がして、全員がハッと我に返る。
「あー、だから嫌だったんだ……」
「それがしはそんなに迷惑だったか……?」
レオポルドとシャルロタが同時につぶやいた。レオポルドの言葉にショックを受けたシャルロタが、肩を震わせた。
「ち、違っ、違いますっ。そういう意味じゃなくて、シャルロタさんを見られたくなかったって言う意味で」
「な、何が違うと言うのだ……!」
「あっ、あっ、違~う、違う! だからそうじゃなくて、ええと、シャルロタさんの美しさを知ってるのは俺だけにしたいって言うかっ……ん? あれ?」
レオポルドが意を決して口にした告白は誰も聞いていなかった。おそるおそるやってきた平民の女性からエプロンを受け取ったシャルロタは、とっくに炊き出しのテントへ向かっている。
「それがしは料理はできぬが、刃物の取り扱いは慣れている。どれ、野菜の切り方をご教授されよ」
見るからに貴族然としているシャルロタに、手伝いの女性たちはおどおどしつつも、野菜の皮の剥き方を丁寧に教えた。本人の言う通り、シャルロタは一度聞けば言われた通りにしゅるしゅると上手に芋の皮を剥いていく。それを見た女性たちが、続々とシャルロタに話しかけていった。
あっという間に山ほどあった野菜を切ったシャルロタは、その後の料理を他の女性に任せ、広場に出た。平民の女性たちに囲まれても嫌な顔をするどころか、素直に彼女たちの助言を受けるシャルロタに、貧民街の住民たちも騎士たちも目が釘付けだった。
頼まれた荷物を運び終え手持ち無沙汰になったシャルロタはレオポルドに指示を仰ごうかと思ったが、彼は集まればすぐに揉め事を起こす輩たちの仲裁に入っていた。見るからに柄の悪い男たちに怯むこともなく、手際よく集まった人々をさばいてゆく。逆上していた気の短い男たちも、素直にレオポルドの言うことを聞いている様だった。力で制圧するのではなく、きちんと話を聞いて対応している冷静なレオポルドに、シャルロタは感心した。
エプロンのひもを縛り直しながら、きょろきょろと周りを見回したシャルロタはやにわに歩き出した。そして、広場の一番端でぐったりとしている老女をいきなり抱き上げ、テントの日陰に寝かせた。すぐに騎士が届けたスープを受け取ると、立てた膝に老女の頭を載せた。
「そなた、自分で食事は摂れそうか?」
ぐったりとはしているが、老女はこくこくと頷いた。おずおずと老女が上げた手にスープの器をしっかりと握らせ、シャルロタはそっとその場を離れた。
すぐにまた足早に広場を横切り、炊き出しの行列の最後尾にたどり着くとくるりと振り返り、大きく息を吸った。
「皆のもの! 全員! 整列!」
我先にと行列を無視して横入りをしたり、前の人の肩を押したりしていた住民たちが、ぎょっとしてシャルロタに振り返った。
「慌てずとも全員分用意してある! そこ! 押すな! 列を乱すでない! 全員、右へならえ! 待機!」
シャルロタのよく通る声に、乱れていた行列が一列に並び始めた。列に入ることができずにおろおろしていた母親と子供を呼び寄せ、シャルロタが最後尾に並ばせた。その前に並んでいた柄の悪い男が振り返り、母子をじろりと睨みつける。
「おい、俺の前に入っていいぞ。俺は、後でいい」
驚いて動けない母子を見て、ちっ、と舌打ちした男が、母子の後ろに並び直した。それを見ていたシャルロタが、一瞬きょとんとした表情をした後、わずかに頬を緩めた。
「かたじけない。礼を言う」
その笑顔に、男がぎょっとして顔を赤くした。
「おい、俺も後でいい」
「私も、いいわ。こっちへいらっしゃい」
「子供に先に食わせてやれ」
次々と先を譲り合い、母子はペコペコと頭を下げながら、行列の半ばくらいまで進んでいた。先ほどまで殺気立っていた行列はずいぶんと和やかな雰囲気になり、笑い声が聞こえるほどになった。
うむ、と頷いたシャルロタは、再びきょろきょろと辺りを見回しながら人込みに消えた。しばらくすると、広場横の路地からシャルロタが姿を見せた。背には雑巾よりも汚れた衣服をまとった老人を背負っていた。どす黒い肌、蠅のたかった髪。貧民街の住民でさえ顔をしかめる老人を、嫌がる素振りなく背負うシャルロタに皆がぎょっとした。
人の少ない日陰に寝かせると、医師がすぐさま駆けつけて老人の診察を始めた。
貴族令嬢とは思えない八面六臂の活躍を見せたシャルロタには、どさくさに紛れて置引きや誘拐を企んでいた破落戸たちもさすがに手を出すことはできなかった。