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萎縮効果

※本文終盤にまとめがあります。お忙しい方はそちらの確認だけでも大丈夫です。


「どうも、後手だ。


 さて、前回までの解説で、


『表現の自由は、全ての人権の中でもっとも手厚く保護されるべき権利である』


『しかし、主に"公共の福祉"に反するものに関してはある程度の規制は受ける』


 ……事を説明してきた。


 では、ここで考えてみよう。


『"表現の自由が(不当に)侵害されている"とは、具体的にどういった状態であるか?』


 ……君はどう思う?」


「う〜ん……そりゃ、他人から『そんな事言うな!』って押しつけられている状態だとか?」


「それを考えるために、まず以下の会話を見てくれ。



A『"古代宇宙飛行士説"だとか言うデタラメな仮説なんて、今後絶対に口にするん

  じゃない。分かったな』


B『はい、すみませんでした。もう二度と言いません』



 ……君は、上記のAとBの会話を見て、"一体どちらが表現の自由を侵害している"と思った?」


「んなもん"A"に決まってんじゃね―か! おのれA! 許すまじ!」


「いきり立ってるところ悪いんだが、正解は"B"だ。Bこそが"自らに与えられた表現の自由と言う権利を、自ら侵害している"んだ」


「……ゑ?」


「普通に"……え?"って言おうな?


 ……なぜなら、Aはただ表現の自由に従って『古代宇宙飛行士説を口にするな』と主張しただけだ。その言葉には何の"強制力"も"拘束力"も存在していない。同意するもしないも、それは"聞いた当人"の問題なんだ。


 一方でBは、Aの発言に従って自ら『古代宇宙飛行士説を二度と口にしない』事を宣言し、自ら実践しようとしている。Aの言った"何ら強制力のない言葉"に納得し、自由意思でそれに従おうとしているんだ。


 これはつまり、


『Bは自らの意思によって、自らに与えられた"表現の自由と言う権利"を手放している』


 ……と言う事なんだ」


「……いや、でもAは"命令口調"だし……」


「いくら命令口調であろうが、"AがBに対して命令する権利"がなければそもそも意味がない。Bが『そんな命令に従ういわれはない』と突っぱねれば、あるいは単に無視すればそれで終わりだ。


 しばしば、議論の場などで『強い言葉を多用したり、威圧的な態度を見せながら自説を主張する』人を見かけるが、"それら意見に同意するか否か"の判断はあくまでも『聞いている側に与えられた権利』だ。


 だから、もしも『強い言葉を使うほど、聞いている相手も同意しやすくなるだろう』『威圧的な態度を取れば、相手も同意せざるを得ないだろう』……と考えているのなら、それは"単なる勘違い"だ。意見を聞き入れるかどうかは相手の自由であって、意見を主張した当人に『自分の意見に従わせる権利』はない。


 むしろ、そうした主張方法は相手に不快感、不信感を抱かせて逆効果になる可能性が高い。加えて言うなら『自分の意見に従わせる』と言う考え方そのものが"結論ありき"の姿勢、つまりは論理より結論を重視した(導き出したい結論に沿って論理展開を行っている)、信憑性に疑問符のつく思考方法である事を指摘しておこう。


 ……まあ現実には、"人間関係の上下"などの理由で相手の意見を無視したくてもできないケースもあり得るが……それはさすがに俺の手に余る問題だ。そういう状況に立たされている人達に対しては『ご愁傷様です』としか答えられない。それに関してはどうか勘弁してほしい。


 ……一方で、例えば以下のような状況であればどうか。



A『(Bの襟元をつかみながら)"古代宇宙飛行士説"だとか言うデタラメな仮説な

  んて、今後絶対に口にするんじゃない。分かったな』


B『はい、すみませんでした。もう二度と言いません』



 ……これは『Aが暴力的な手段を用いて、Bの言論を封じようとしている』状況だ。


 もしもBが反論や無視を行えば、Aから何らかの暴力や報復措置を受ける可能性があり得る。実際に行われるか否かは関係ない。Bからすれば『痛い目に遭いたくないから、言うのを止めざるを得ない』と判断するのに十分な状況だ。


 このように"何らかの物理的手段"をともなったり、"何らかの具体的な不利益"をちらつかせたりなど、『発言、表現を行った者が強制的に何らかの代償を支払わされる』のが"表現の自由を侵害されている"状態の一つだと言える(議論を進めるため、取りあえず今回はそのように定義づける。もちろん他の定義を否定するものではない)。法律による規制も、それが正当か不当かは置いておくとして、これの一形態であると言えるだろう。


 では、例えば以下のような場合はどうだろうか。


 "古代宇宙飛行士説"を唱えたある人物が『他者から何らかの危害を加えられる』『"不道徳者"などのレッテルを貼り付けられ、社会的な信用を落とされる』『SNSアカウントを凍結させられる』『多人数に迫られ、半ば強制的に謝罪をさせられる』などの出来事に巻き込まれた……という状況があるとしよう。


 果たして、Bはこの状況下で"古代宇宙飛行士説"を唱える事ができるだろうか?


 難しい状況だと言えるだろう。


 なぜならば、Bも同じような出来事に巻き込まれ、被害を受ける可能性が考えられるためだ。Bの立場から言えば、『"古代宇宙飛行士説"を唱える行為そのものが危険、リスキーである』と感じられるだろう。


 もちろん、何の問題も起こらない可能性だってあり得る。しかし、普通の人は

『危険、問題に巻き込まれたくない』と言う心理が働くものだ。リスクよりも安全を選びたいと思うものだ。


 危ない橋を渡るのは相応の覚悟がいるし、普通は『ただ意見を言うだけ』にそんな覚悟はなかなか持てない。こういう状況では、意見を述べる者が心理的に萎縮(いしゅく)

(この場合は『怖がる、縮こまってしまう』程度の意味)してしまい、自発的に意見を差し控える選択を取ってしまうと考えられる。


 罰則やリスクと言ったものを恐れるあまり、"規制などの適用範囲"を実際よりも過剰に広く見積もってしまい、結果として"実質的な規制範囲"を拡大させてしまう事があり得るんだ。


 これを『萎縮(いしゅく)効果』と呼ぶ。


 そして"表現の自由"は、この萎縮効果の影響を非常に受けやすい権利であると考えられているんだ。


 この萎縮効果は、表現を規制したい側にとって"都合のいい規制方法"となり得

る。何しろ直接禁止にしなくても、『リスクをほのめかす』『危険であると受け手に思わせる』だけで実質的な規制や抑止(もしくはそれに近い事)を行う事ができるからだ。


 しかも、『発言を差し控える』のは発言者側の責任だ。直接"禁止だ"などとは言っていないんだから、規制をしたい側は特に責任を取る必要はない。『別に私、一言も"禁止だ"なんて言ってませんよね?』と言い逃れる事が可能なんだ。


 だからこそ、『(特に表現に関する)規制、ルール』などについて考える場合、"萎縮効果による影響"を十分考慮に入れなければならないんだ。


 例えば『海に入ってはならない』と言う法律があるとしよう。


 この場合の『海に入る』の定義は何だろうか。


『腰まで海水に浸からなければOK』なのか、それとも『指先だけでも海水に触れたらダメ』なのか。


『波が届く範囲の内側に入ったらダメ』と言う事も考えられるし、その場合『干潮時に、満潮時の水位まで立ち入る』のはOKなのかダメなのか、と言う問題も考えなければならない。


 これらが曖昧(あいまい)である場合、人は『OKか、それともダメか』の判断が正確に行えない。結果『うかつな判断をして法律違反となるくらいなら、確実に大丈夫と言えるような判断をした方が安全だ』と思う人が多くなるだろう。


 それどころか、『砂浜だって"海の一部"なのかも知れないから、念のため砂浜へ立ち入るのはよそう』『"海水のしぶき"に触れてもダメなのかも知れないから、しぶきが飛んでくる可能性がある海岸近くの道路を歩くのは止めておこう』……と判断する人が現れる可能性だってある」


「いや……それはいくら何でも大げさすぎるんじゃ……」


「そう思えるかも知れない。しかし、その『大げさな可能性』にまで影響を及ぼしかねないものが"萎縮(いしゅく)効果"と言うものなんだ。


 法律に関する議論をしていると、しばしば『"法の抜け穴"を防ぐために、法律はあえて曖昧さを残して柔軟性を持たせた方がいい』……と言った意見を目にする事がある。


 場合によってはその考え方にも一理あるが、果たして『萎縮効果の影響についてどの程度考慮に入れているのか?』と言う部分に疑問を持つ事もある。取りあえず俺からは『萎縮効果について、十分に考慮するべきである』とだけ言っておこう。


 と言う訳で、今回のまとめだ。


一、表現の自由が侵害されている状態とは、『発言を行った者が強制的に何らかの

  代償を支払わされる』事などが考えられる(今回はそのように定義づける)。

  例えば暴力などで強制的に言論を封じられる事である。法律による規制もこの

  一形態と言える。


二、あるものを直接規制しなくとも、『危ない、リスクがある』と相手に思わせる

  だけで規制と同じ効果をもたらす事ができる。これを"萎縮いしゅく効果"と呼ぶ。


三、表現の自由は、萎縮効果を非常に受けやすい権利である。そのため、十分に留

  意する必要がある。


 ……以上だ。

 では、また次回」


お付き合いいただきありがとうございます。

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