性表現
※本文終盤にまとめがあります。お忙しい方はそちらの確認だけでも大丈夫です。
※今回は内容の性質上、一部に性的な表現が使用されています。
おそらくはR15に引っかからないとは思われますが、苦手な方はご注意下さい。
「どうも、後手だ。前回に引き続き、表現規制について説明して行こう。
今回は『性表現』についてだ。
念のため最初に断っておこう。今回は内容の都合上、どうしても"性的表現"が避けられない。事前に了承した上で読み進めてほしい。
……犯罪煽動表現と同じく、原則として性表現も表現の自由で認められている。しかし一方で、性的表現を嫌う人間にとっては性的羞恥心を刺激し精神的な苦痛を与え、結果として"精神的自由を侵害する"可能性がある。
したがって、性表現にも一定の基準を用いて規制が認められている。具体的に
は、刑法第175条『わいせつ物(猥褻物)頒布等の罪』だ。
これは、『わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列』する行為を禁じる法律だ。ここで言う『わいせつ』とは、
『社会通念に照らして性的に逸脱した状態(Wikipediaより抜粋)』
……の事を差す」
「……割と曖昧なんだけど……」
「そうだな。
現在の判例においては、『わいせつ三要件』と呼ばれる基準を用い、対象となるものがわいせつであるか否かを判断している。
その基準とは、
1・徒に性欲を刺激・興奮させること
2・普通人の正常な性的羞恥心を害すること
3・善良な性的道義観念に反すること
……だ」
「…………"普通人"って、具体的にどこの誰を想定してんだ……? それに、"善良な性的道義観念"って何だ……?」
「そう。やはりこの基準においても『曖昧である』との批判がなされている。
そのため"わいせつか否か"は、現状では『裁判官の主観』において判断されているものなんだ」
「……ん? もう一つ気づいた事があるんだけど、それなら『成人向けコンテン
ツ』は法的に一体どうなってるんだ? ほら、成人向け雑誌だとかアダルトビデオだとかは普通に日本に流通してるし、ネットでも成人向け画像とか普通に見れるじゃん?」
「いい質問だな。君はどうなっていると思う?」
「う〜ん……。あれらは『十八歳未満は見ちゃダメ』ってルールがあるから、"わいせつだけど特別に流通してOK"って感じとか?」
「正解を言おう。
……厳密に法律を適用させた場合、『それらは全て"違法"』だ」
「………………え?」
「厳密に言うと、"成人向けコンテンツは全て違法"。大事なことなので二回言いました」
「………………え? ……いやでも、普通に流通してるし……え?」
「その反応も無理はないだろうな。……実のところ、日本に『成人向けコンテンツの取り扱いを許可する法律』は存在していない。『十八歳未満は見ちゃダメ』も正式なルールではなく、業界側が審査団体を設立した上で行っている"自主規制"でしかない。
そして、成人向けコンテンツはわいせつ表現がなされている。したがって、成人向けコンテンツは"刑法第175条に違反"している」
「……マジ?」
「マジ。
……とは言っても、現実には君が言った通り成人向けコンテンツはごく普通に流通している。
それらが存在すると言う事実は世間一般に公然と知れ渡っており、全く隠されていない。
多くの人々がそれらコンテンツを簡単に入手可能であり、またインターネットなどでそれらコンテンツを閲覧、収集する事もごく一般的に行われている。
それらコンテンツの流通によって、何らかの具体的・直接的な形で問題や害悪が発生している訳でもないし、警察などもそれらを積極的に取り締まっている訳でもない。
つまり成人向けコンテンツは、『理屈の上では"違法"だが、実質的には"合法"』……と言う、何ともグレーな立場なんだ」
「……めっちゃフワフワしてんな……」
「そうだな。余談ながら、成人向けコンテンツなどで"モザイクが用いられる"理由は、それによって『映像を不鮮明にし、わいせつ性を軽減させる』とともに、『作中で性行為が行われているかどうかを曖昧にする』目的があるからだ。
そのため"成人向けコンテンツが正式に認められている"国では、モザイクが用いられていない、いわゆる"無修正作品"の制作が認められている場合があるんだ。
……日本においても、成人向けコンテンツが普通に流通している現実を鑑みて、『現状の規制を続ける必然性・妥当性は薄れつつある』と言った指摘がなされている。また、ゾーニングやレーティングなどの"区分陳列”によって、『成人向けコンテンツを"見たい人(表現したい人)と"見たくない人"両者への配慮が、現状十分になされている』と言う見方もある。
この話題に関してはこの辺りで切り上げるが、まあ表現の自由の判断に関わる知識として覚えておくといいだろう。
では、"表現の自由と性表現"における判例を見ていこう。
まず、1957(昭和32)年3月13日に判決が下った『チャタレイ事件』からだ。
これはイギリス人作家デーヴィッド・ハーバート・リチャーズ・ローレンスが執筆した『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に翻訳した作家の伊藤整と、版元の社長である小山久二郎の両名が、刑法第175条に問われた事件だ。
もともと『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写が存在しており、伊藤・小山の両名はそれを認識していながら販売した、として起訴された。
この裁判において、最高裁判所は以下のような判決を下した(以下より一部抜粋https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/271/051271_hanrei.pdf)。
『本訳書の性的場面の描写は、社会通念上認容された限界を超えているものと認められる』
『本書が全体として芸術的、思想的作品であり、その故に英文学界において相当の高い評価を受けていることは上述(判決主文)のごとくである(中略)。
しかし芸術性とわいせつ性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。(中略)それが春本ではなく芸術的作品であるという理由からそのわいせつ性を否定することはできない』
『わいせつ性の存否は純客観的に、つまり作品自体からして判断されなければならず、作者の主観的意図によって影響さるべきものではない』
……この判決によって、
『"科学性や芸術性"と"わいせつ性"とは別次元の問題だよ。だからいくら芸術性が高くても、それでわいせつ性がなくなるって訳じゃないよ(別次元説)』
『わいせつかどうかは、社会通念によって客観的に判断するよ。作者の主観的価値観で判断するもんじゃないよ』
……と言う判例が示された(結果、小山久二郎を罰金25万円に、伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決)。
この判決は、通説とされていた、
『"科学性や芸術性"と"わいせつ性"は同次元の概念だから、科学・芸術性が高まる事によってわいせつ性は軽減され、最終的には解消される(同次元説)』
『作品におけるわいせつ性とは、その作品全体との関連性を見て総合的・相対的に判断されるべき(相対的わいせつ概念)』
……を否定するものとなっている。
余談ながらこの『チャタレイ夫人の恋人』は、1960年に本国イギリスでも同じく"わいせつである"と言う旨の訴訟が起こっている。が、こちらの結果は陪審員の満場一致で無罪となっているぞ。
次に、1969(昭和44)年10月15日に最高裁からの判決が下った『悪徳の栄え事件』について触れよう。
この事件は、フランス革命期の小説家マルキ・ド・サドの『悪徳の栄え』を翻訳した小説家の澁澤龍彦と、版元社長の石井恭二の両名が刑法第175条に問われた事件だ。
この裁判において最高裁から以下の判決が下された。
(以下より一部改変の上で抜粋・
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/747/050747_hanrei.pdf)
『刑法175条の文書についてのわいせつ性と芸術性・思想性との関係について、いわゆるチャタレイ事件の見解に従う』
『もとより、文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下にわいせつ性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度にわいせつ性が解消されないかぎり、芸術的・思想的価値のある文書であっても、わいせつの文書としての取扱いを免れることはできない』
『文書の個々の章句の部分は、全体としての文書の一部として意味をもつものであるから、その章句の部分のわいせつ性の有無は、文書全体との関連において判断されなければならないものである』
……砕けた感じに要約すると、
『チャタレイ事件の判決を基本とするよ』
『芸術性や思想性がわいせつ性を軽減、解消する事はあり得るよ。でも解消されなければわいせつ文章として取り扱うよ(補足をすると、一見これは"同次元説"を支持しているように見えるが、裁判所はあくまで"別次元説"を支持している)』
『文章の一部だけで判断するもんじゃなく、文章全体との関連で判断するべきものだよ』
……と言ったところだ。
今回の判決では、前述のチャタレイ事件で採用されていた"部分的考察方法"ではなく、"全体的考察方法"が採用された。『問題箇所だけを取り出すやり方』から、『文章全体を見て判断するやり方』へと変化したんだ。
一方で、この判決には参加した弁護士からの反対意見も出ており、中でも裁判官の一人、色川幸太郎の反対意見はいわゆる"知る権利"を打ち出した事で注目を集めた。
『憲法21条にいう表現の自由が、言論、出版の自由のみならず、"知る自由"をも含むことについては恐らく異論がないであろう(上記リンク先・41ページ上段より)』
……この判決で、石井を罰金10万円に、澁澤を罰金7万円に処する有罪判決が下された。
超・余談だが、澁澤はこの裁判を『勝敗は問題にせず、一つのお祭り騒ぎとしてなるべくおもしろくやる』という方針を立てており、最初から真剣に取り組むつもりはなかったそうだ。有罪判決についても、マスコミの取材に対し『7万円くらいだったら、何回だってまた出しますよ』と語っている。
最後に軽く、『四畳半襖の下張事件』にも触れておこう。
これは1980(昭和55)年11月28日に最高裁から有罪判決の下った事件だ(被告・野坂昭如に罰金10万円、佐藤嘉尚に罰金15万円)。
この裁判ではわいせつ性の判断において、前述の"全体的考察方法"に対してより具体的な論点を表した。
以下の通りだ。
1・当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法
2・右描写叙述の文書全体に占める比重
3・文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性
4・文書の構成や展開
5・芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、
6・これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興
味にうったえるものと認められるか否か
……上記を統合した結果、今回の事件では『わいせつ文章に当たる』と判断されたんだ。
これはいわば、"わいせつ表現"と"芸術性"との『比較衡量論(前々回の"優越的地位"参照)』と言う訳なんだ。
……では、今回のまとめだ。
一、性表現も表現の自由として認められている。しかし『わいせつ三要件』と呼ば
れる基準を用いて制限を加える事が許されている。
二、実は、日本において成人向けコンテンツは『厳密には違法』である。ただし、
『実質的に合法』と言うグレーな状態でもある。これに対して『現状の規制を
続ける必然性・妥当性は薄れつつある』などの指摘がなされている。
三、性表現が有罪判決を受けた例には、『チャタレイ事件』『悪徳の栄え事件』
『四畳半襖の下張事件』などがある。
……以上だ。
では、また次回」
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作者の苦労が報われます。