犯罪煽動表現
※本文終盤にまとめがあります。お忙しい方はそちらの確認だけでも大丈夫です。
「どうも、後手だ。では、早速始めようか。
前回、俺は『表現の自由は他の人権と比べて優越的地位を与えられており、最も手厚く保護されるべき権利である』事を説明した。
しかしいくら優越的地位にあるとは言え、全ての表現が無制限に認められている訳ではない。場合によっては表現に対する規制が許されている。今回からそれらを説明して行こう。
最初に説明するものは『犯罪煽動表現』だ」
「……何かもう、字面からアレな雰囲気がにじみ出てるんだけど……」
「まあ、それがマトモな反応だろうな。犯罪煽動表現とは、つまり『他人に犯罪をそそのかす』ような表現の事だ。
最初に言っておくと、犯罪煽動表現と言えども表現の自由によって保護されている権利なんだ。例えば『生き延びるための手段が他にないのであれば、盗みを働くのもやむを得ないだろう』……みたいな発言を行うのも、当人の自由だ。
もちろん『単なる冗談、一種のジョーク』として犯罪的な内容、もしくはそれを煽動する表現を含んだ発言を行う事だって(当然、場の空気などを読んだ上で)自由だ。
そもそも、犯罪煽動表現を含む発言が全面的に規制を受けてしまった場合、『犯罪や法律の是非に関する議論』にも大きな制限がかかってしまうだろう。
例を上げれば『LSD(幻覚剤)はうつ病の治療に有効と言う結果が出ているので、医療用として認可されるべき。LSDは恐れるべきものではない』……と言う意見も実際に存在する。
さらに、そもそも『思想そのもの』は処罰対象とはならない。これは『行為主義の原則』と呼ばれるものだ。処罰の対象となるものは『実際の行動』だけであり、たとえ頭の中でどのような犯罪的な内容を思い浮かべたとしても、あるいは発言したとしても、それだけでは罪とならない……と言う考え方だ。
たとえば、頭の中で『嫌な上司にトリカブト吹き矢を使った後、てつはうで爆破してやりたい』……と考えたとしても、もしくは実際に発言したとしても、実行に移さなければ決して処罰される事はない。もちろん侮辱罪や恐喝罪などであれば別だし、そう発言した結果会社をクビになっても俺は一切の責任を持てないが。
もしも上記のような表現までもが規制された場合、それは行為主義の原則からの逸脱に繋がり、ひいては『特定思想そのものの規制』にも繋がりかねない。"特定表現はダメ"となれば、"その表現の元となる思想はダメ"を意味しかねないから
だ。
このように犯罪煽動表現も表現の自由によって認められている。しかし一方で、犯罪を煽動して実際に何らかの犯罪行為が行われ、結果他人に危害が及ぶ可能性もある。そうなれば、他人の人権が不当に侵害される結果となるだろう。そのため、一定の基準を用いて規制を行う事が許されている。
その基準とは『明白かつ現在の危険の基準』と呼ばれるものだ」
「……字面から何となく分かるような、微妙に分からんような……」
「まあ、詳しく説明するから大丈夫だ。
この『明白かつ現在の危険の基準』は、表現内容を直接規制する場合に限定して用いられるべき、最も厳格な違憲審査基準とされている。
その基準は、次の三つだ。
1・近い将来、実質的害悪を引き起こす蓋然性が明白であること。
2・実質的害悪が重大であり時間的に切迫していること。
3・当該規制手段が害悪を避けるのに必要不可欠であること。
ざっくりと砕けた感じに言い直すと、
1・その発言が『近い将来、ヤバい事態を引き起こす可能性大だろ』レベルである
事。
2・それも『今すぐ止めないと間に合わねーだろ』レベルである事。
3・『こりゃもう規制しなきゃ止められないだろ』レベルである事。
……となる。
この『明白かつ現在の危険の基準』と言う考え方が初めて示された裁判は、1919年にアメリカ最高裁によって判決が下された『シェンク対アメリカ合衆国事
件』だ。
当時の米国の社会党書記長チャールズ・シェンクが、激しい調子で徴兵を批判する内容のリーフレット15000枚を徴兵適齢者達に郵送配布した。その行為が
"軍内での命令拒否や反乱などを引き起こそうと試みたり、新兵の徴募などを故意に妨害する"事を禁じた『1917年のスパイ活動法(防諜法)』に違反するとして起訴された……と言う事件だ。
この裁判においてオリバー・ウェンデル・ホームズ裁判官が執筆した全員一致の法廷意見では、
『平時においては(シェンクの行為は)憲法上の保護範囲内』
である事を認めつつも、
『しかし、行為のひとつひとつの性格はなされた状況に依存する』
と、指摘した。
その上で、次のように述べている。
『最も厳格に言論の自由を保護するとしても、劇場で火事だと偽って叫び、パニックを惹き起こそうとする者は保護されないだろう。そして、暴力と同じ効果を持つ言葉を発することが禁じられたとしても、言論の自由によって保護されるものではない』
『連邦議会が防止する権限を有する実態的害悪をもたらす、"明白かつ現在の危険"を生み出す状況下で、その言葉が用いられ、それ自体として"明白かつ現在の危険"を生み出す性質を持っていたか(その点を重要視するべきである)』
そして、最高裁から以下の判決が下された。
『徴兵に対する被告の批判はアメリカ合衆国憲法修正第1条によって保護されてはいない。なぜならばその批判は戦時にアメリカ軍が徴兵し徴集する行為に対して、"明白かつ現在の危険"を生み出したからである』
……つまりシェンクの行為は、
『平和な時なら許されたかも知れないけど、戦時中にそんな事されたらどう考えたって国家がヤベー事になるじゃん』
……と判断され、それを取り締まるのは表現の自由の侵害には当たらない、と判決が下されたんだ(この判決により、シェンクは監獄へ六ヶ月の収監となった)。
日本における判例を見てみよう。
終戦直後の日本では、深刻な食糧不足に見舞われていた。政府は不足する食料を確保するため、1946(昭和21)年2月17日に『食料緊急措置令』を施行した。これによって政府は農家から強制的に農作物を買い上げる事が可能となり、強権的な供出が行われるようになった。
それに対し、当時の日本農民組合北海道連合会・常任書記は比布農民連盟主催の農民大会において、集まった同村在住農民達の前で次のように述べた。
『大体、供出割合の字句さえ不合理である。俺達百姓が自分で作って取れた米を政府が一方的行為によって価格を決定し、それを供出せよなどとは虫がよい。今までのようなおとなしい気持ちではだめだ、百姓は今まで騙されてきたのだから供出の必要も糞もない』
『今の政府は資本家や財閥にはいかなることをして強権発動をしたことがない。それに反してわれわれ百姓には取り締まりに名を籍りて、あらゆる弾圧をしているではないか。供出米も月割供出にして政府が再生産必需物質をよこさぬかぎり、米は出さぬことに決議しようではないか。今頃陳情とか請願とかいうようではだめだ』
……上記演説などによって、集まった農民達へ『政府に対する売り渡しをしない決議』を煽動した。
しかしその演説で聴衆の共感を得る事はできず、決議もなされず、常任書記は起訴される事となった(食糧緊急措置令違反事件)。
この裁判において、最高裁判所は以下のような判決を下した。(以下より一部抜粋・https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/487/055487_hanrei.pdf)
『憲法における言論の自由といえども国民の無制約な恣意のままに許されるものではなく、公共の福祉によつて調整されなければならぬ場合があるのである。
されば食糧管理法所期の目的の遂行を期するために定められた、同法の規定に基く命令による主要食糧の政府に対する売渡を為さざることを煽動するが如き右被告人等の判示言動は、国民として負担する法律上の重要な義務の不履行を慫慂(誘いかける)し、公共の福祉を害するものであるから、かかる所為は新憲法の保障する言論の自由の限界を逸脱するものであってこれを犯罪として処罰するも、何等憲法二一条に反するものでないことは〜(以下略)』
……要するに、
『今、日本は食糧が足りなくってヤベー訳なの。いくら言論の自由があるからって、あんたが好き勝手言うの許してその結果国民に食糧が行き渡らなかったら大変でしょ? だからそんな事言っちゃダメなの』
って事だ(被告は懲役六ヶ月の実刑判決)。
もっともこの判決は、
『"決議しよう"と言う比較的穏当なものであった被告人の発言内容を問題にしていない』
『実際に被害が生じていたどうかも検討していない』
……などの問題点が指摘されている。また、食糧状況が著しく好転している現代社会において、『これが先例として意味があるかどうか』に関しても疑問が呈されている。一応参考として挙げておくが、この判決が現代でも通用すると単純に考えない方がいいだろう。
ちなみに余談だが、当の『食糧緊急措置令』はあんまり効果がありませんでし
た、と言うオチが待っていたぞ」
「締まらないなオイ……」
「当時は大変な中、みんな手探りでやっていたんだよ。
……また、『渋谷暴動事件』と呼ばれる出来事にも触れておこう。
これは1971年(昭和46年)11月14日に東京都渋谷区で革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)が起こした暴動事件だ。
事件そのものも民間人を含めて負傷者多数、機動隊員一名が殉職するなどの大きな被害が出た悲惨な出来事だ。殺人、傷害、放火……などの容疑で多数の逮捕者が出ている。
が、ここでは暴動の決行直前、渋谷宮下公園で行われた集会での発言に焦点を当てよう。
中核派全学連中央執行委員会委員長が、反対集会に参加した多数の学生や労働者達の前で以下のような演説を行った。
『本集会に参集した全ての諸君が自らの攻撃性をいかんなく発揮し、自ら武装し、機動隊を殲滅せよ』
『一切の建物を焼き尽くして渋谷暴動を実現する』
……この演説を行った委員長は、重大犯罪の煽動を行ったとして破壊防止法39条、40条違反で起訴された。
その結果、平成2年度に最高裁から以下の判決が下された(以下より一部抜粋の上、一部要約。https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/374/050374_hanrei.pdf)。
『(犯罪煽動も)表現活動としての性質を有している。
しかしながら、破壊活動防止法40条の煽動は公共の安全を脅かす現住建造物等放火罪、騒擾(騒乱)罪等の重大犯罪をひき起こす可能性のある社会的に危険な行為であるから、公共の福祉に反し、表現の自由の保護を受けるに値しないものとして、制限を受けるのはやむを得ない~(以下略)』
……この裁判の結果、被告人は懲役3年執行猶予5年が確定し、同時に煽動罪が合憲である(表現の自由の侵害には当たらない)事が判例として示された。
……では、今回のまとめだ。
一、表現の自由と言えども、無制限に認められている訳ではない。
二、犯罪煽動表現も表現の自由として認められている。しかし、『明白かつ現在の
危険の基準』を用いて制限を加える事が許されている。
三、『明白かつ現在の危険の基準』とは、『近い将来に重大な事件(問題)を起こ
す可能性が高く、時間的にも余裕がなく、規制以外では止められそうにない』
ような場合に表現規制が許される、と言う考え方。
四、犯罪煽動表現が規制された事例として、『シェンク対アメリカ合衆国事件』
『食糧緊急措置令違反事件』『渋谷暴動事件』などがある。
……以上だ。
では、また次回」
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