虫の駅
地上まで何メートル?
ツキビ駅の地下は43mなのだそうだ。
俺は今、天井を見上げながらぼんやり、その数字のことを思い出していた。この天井から地上までは43mもあるのだ、と。
スマホは繋がる。
ホームのどこかにルーターがあるからだ。
清潔で明るく、電波も入っていて、あまり地下深くなのだとは感じない。あるいは感覚が麻痺しているのだろうか?
だがプラットホームから見た地下鉄の線路は、とても暗い。線路伝いに僅かな照明が点々と続いているが、線路に首を伸ばしてトンネルの先を覗き込んでも、まるで先が見えなかった。
暗い洞穴のような世界が、生温い風を流している。風だろう。まるで呻き声のような、地下鉄のトンネルの中を響く音が聞こえる。
真夏の、夜でも暑い日々だというのに地下鉄は涼しかった。
俺を掴んで引き込みそうな闇に、慌てて引き返す。見ていると背筋がゾワゾワとして……気味が悪い。
まだかな。
待っている電車はいつくるのかと、スマホの時計を見れば、既に到着予定よりも二〇分は遅れているではないか。遅延のアナウンスはなかったはずだ。
係の人に聞いてみようか……そうは思っても、誰もいなかった。というよりも俺以外の人間がいない。一二両編成の列車だって止まれるような大きなプラットホームなのに、たった一人というのは、不安で腹の下をムズムズさせた。
「!」
人がいないかと、線路から背を向けていた。
直感が背筋を電流した。
慌てて、夜を前になおす。
ゆっくりと振り返って、ゆっくりと警戒しながらいつでも、『そういうことができるように』だ。
鳥肌がたって、産毛が逆立っているのがわかる。
「う〜、どうして……」
怖いのは大嫌いだ。さっきまで、本東地、田村、梶、清水、川端と一緒に楽しんでいたのにギャップが酷すぎる。大学生にもなって、と維持を張ったが、やっぱり誰かについてきてもらえばよかったか?
男としてのプライドは……女……女の子とはいえ勿論あるが、それは心を押し潰す恐怖に勝るものじゃない!
なんで今日に限って遅れているんだろう。
日本の電車なんだ、ダイアはほぼ正確なはずなのに、それが二〇分以上も遅れるなんてツイテナイ、本当に。
「あ〜。ここからだな」
背中から声を聞いて、俺は跳ね上がった……ような気分になった。線路の反対側、つまりは階段のほうから作業服姿の男がゾロゾロと三人やってきたのだ。ヘルメットを被って繋ぎの服、腰に道具を付けている姿は、なんらかの作業員であることは疑いようがない。
「兄ちゃん、ちょっとごめんよ」
兄ちゃんではない。
よっこらせ、と作業服姿の男達は、線路へと降りていく。事故とは言わないが、何かトラブルがあったらしい。
「あの、何かあったんですか?」
「うん? あぁ、ちょっと、な。列車が止まったんだ。電気がちゃんと通ってるのに止まってるから、車掌がブレーキをかけたんだろうが、一向に動かないし、遠隔も受け付けないから、その調査」
間違いなく、今、俺が待っている列車だと思ったが、そう思うだけで待つことしかできない。
闇の中へ消えていく三人の作業員と、彼らが点灯させたライトがチカチカと遠くまで見えていたが、それもやがて見えなくなった。
「……」
どれほどの時間がたっただろうか?
耳が痛くなるような静寂で、狂った時間感覚の中でも既に一時間は経過している。
例の列車の最寄り駅は、そう遠くないから、歩いてもたかが知れている距離だ。
列車を動かすことに手間取っているのだろうか?
あるいは、何か重大な事故がおきたとか……。
ーーガチャン、ガチャン。
レールを滑る列車の音だ。よかった。少し時間がかかっただけなのだ、と俺は安心した。すぐに列車が止まって、俺はそれに乗って帰る。家までは、すぐで、お風呂に入って今日寝よう。
そんな、のんびりとした考え。
危ないから下がれ、とのアナウンスに従って充分な距離をもった。
列車が……やってくる。
だが、だがそれは、恐ろしい状態だった。
自動ドアが開いて、待ち望んでいた列車から鉄臭い風が吹き出す。
血の臭いそのものだった。
誰も乗っていない列車。
しかしそこには、確かに生きた人間がいたのだという痕跡でおぞましいまでに染め上げられている。
監視カメラは何を見ているんだ。
警備員は居眠りでもしているのか。
開かれた自動ドアから、赤い体液が流れ落ちてくる。それはビタビタと線路を犯した。鼻を刺し、頭が痛くなる強い血生臭さは、夏場に魚から抜いたハラワタのようだ。
死んだ。
沢山の人間が、だ。
凄惨な殺戮が引き起こされた列車は、逃げることが許されない生き餌の箱だったに違いない。窓に残された、いっそ悲痛さ滲んでいる手形。シートごと引き裂かれたのか、飛び出た綿はぐったりするほど赤く湿っている。天井に噴き上がった血は、動脈からあちこちにまいたらしい。逃げ惑い、それでも何かにバラバラにされて殺されていった。その残りが今、ドアを開いて待っている。
震えていた体の震えが、止まった。
「あの三人……!」
戻ってこなかった作業員の男たちが心配だ。俺は監視カメラにアピールしたが、なんらかのアクションは何もない。
一刻を争うのに!
だがまあいい。
列車がある限り、少しでも目に入れば異常なんてすぐにわかるんだ。
消火栓の扉を開けた。少なくとも開けたということが伝達されるし……よかった、ここにはあったようだ。
赤い頭に黄色い柄、ラバーのグリップ。
非常時用の消防斧だ。本来ならば、想定は開けることができなくなった列車の窓を割って脱出とかなのだろうが……俺は斧の鞘を外し、迷うことなく線路に降りた。
終電だ。
歩いていても、少なくとも、やってきた列車に轢き殺されることはない。
僅かなレール伝いの照明しかない中を、高圧電流に気をつけて俺は走った。まだ生きているかもしれない。そして、躊躇えばその時間で死んでいるかもしれない。
スニーカーの不釣り合いな足音を走らせた。
人間ではない化け物がいるが、行くしかない。斧があるが、まさか使う事態になれば最悪だ。
どれほど歩いただろうか?
転がるライトの明かりを見つけた。
人間がいるんだ!
駆け出したくなった気分を鎮めて、ゆっくりとうかがう。何もいない。明かりを一本だけだ。最後に入った作業員は三人で三本だったはずなのに。
「大丈夫ですか?」
にじり寄って、声をかける。
暗い。
不用意に心配して、背中から何かに襲われたなんて間抜けもいいところだ。悪いが、すぐに助け出そうなんてことはできなかった。
人間の形をした子熊のような影だ。うずくまっている。よくは見えないが、うっすらと輪郭と深い影、明るい作業服の色でなんとか判別できた。
「大丈夫……」
俺はもう一度声をかけた。
そして、見た。
顎が食い千切られ、裂かれた腹から腸が溢れ落ち、それを両腕で支えている姿を。喋れないはずだ。顎がこの男にはもう無い。
ふが、ふが、と二度と閉じれない喉の奥から血の泡を作りながら何かを伝えてくる。だが、言いたいことは何もわからなかった。
「ツキビ駅まで肩を貸します。辛いと思いますが、もう少し歩いてください」
腸がこぼれよう顎がなかろうと、歩かせることに容赦はしなかった。一刻の猶予もない。
俺は右手に斧を持ち、左肩を貸した。
男の全身は鋭利な刃物、例えるならハサミのようなもので切られたような傷が多い。刺されたのではない。
ーーコッ。
「!!」
物音だ。
何かが落ちた。
「うぅ!」
左肩の男が呻いた。
なんだ!?
なんということだ、男の背骨を折るように、30cmはある巨大な昆虫が取り付いている!
俺は男を倒し、しつこく背中についていた昆虫を渾身の一撃で蹴り飛ばした。
間抜けな鳴き声で地下鉄の壁に叩きつけられたその大型昆虫は、いささかも、あるいはさらに高い戦意で起き上がり襲いかかろうとして……斧で叩き割った。
反射でビクビクと震えるそれに、ライトを当てた。蟻に近い外骨格生物だ。本当に昆虫なのかはこの際どうでもいい。
「顎が上下に運動するのか、こいつ……」
大きさが異常だ。そしてなによりもおかしいと感じたのは、この虫が、一般的な虫のそれとは違い、上下に噛み合わせる仕組みなことだ。少なくとも頭の突起を利用して、顎を上下させて、ヘラクレスオオカブトの仲間のように顎が動く。現生でそんな蟻は見たことがない。少なくとも、遥か太古には絶滅した形態だ。いないわけではない。だがそれは……。
「踏ん張ってください」
俺は背中を血と、腸で汚した。
苦しいだろうが、俺の背中で腸を押し込みように背負う。ショック死するかもしれない。だが、のんびりと歩いている場合ではなくなった。
「走りますよ!」
行くも戻るも一本道だ。
振り返らない。
あっという間に、プラットホームまで帰ってくることができた。線路の照明の中、僅かな反射が見える。複眼か単眼に反射しているように見えた。
「そ、そういえば、列車、どこに行ったんだ?」
息を整える間もなく、重症の男をプラットホームに持ち上げて、俺も続いて這い上がった。
えたいのしれない、蟻のような怪物は、少なくともプラットホームの照明が届く場所まではやってこなかった。
相変わらず誰もいないプラットホームで、俺は自分の足で伝えることにした。
「少し待っていてください。すぐに助けを呼んできます」
「……」
男には、既に意識がなかった。脈は確認しない。生きていると、生きられると信じて全力を出す、それだけだ。
斧を片手に、服という服を血で赤く染めていたが、気にはしなかった。
ツキビ駅は広い。
地上から底まで43mだ。
他人の血で染まった衣服と斧でエスカレーターに飛び込んだ。幸か不幸かなら、不幸よりの幸運で誰とも鉢合わせないからこそ騒動にはならなかった。終電直前だったのだ。地下鉄の売店の全てが閉まっていて、酷く人気がない。白いとも黄色いとも見える照明が、妙に明るすぎる。そんな風に感じられる静けさを、俺は走り抜けた。
改札口前で駅員を捕まえることに成功した。ツイテル! そう思ったのも束の間だ。駅員は浮浪者みたいな、あるいはそのものの小汚い男に捕まっていた。
「だから、僕の妻がダクトに吸い込まれたんだってば! あれは、あれは何かが妻を襲った!」
「カズチさん、終電後にここを貸すだけでも無茶をやってるんだ。あんまり困らせんでくださいよ」
俺はそんな喧嘩に割って入った。そんなことよりも、と、だ。始め、ギョッとされた。血にまみれて斧を持っているからだ。怪物の話をしても信じてはもらえなかった。それよりも、俺が殺人鬼として通報された。もうこの際、なんでもいいから早く人手を寄越してくれればなんでもよかった。
誰かくる。
それに安心すれば、ドッと疲れが噴き出す。成人男性を背負って一駅走り、直後にここまで上にマラソンだ。アドレナリンの効果も切れて、乳酸や筋肉の痛みを感じた。
不潔を嗅いだ。
悪臭。
眉をひそめて見れば、『監視』を駅員に押し付けられた、カズチとかいう浮浪者が覗き込んでいる。
「僕は知ってるぞ! この駅には怪物がいる。あんた、猟奇殺人をした血じゃないな」
何かがおかしい、駅員は現実を見ようとしない!と叫ぶカズチの声は、嫌に反響した。
「僕の妻も、連れて行かれた。ダクトの入り口で、お金を見つけたんだ。ラッキーだと腕を入れた瞬間、何か、何かが猛烈な勢いで入れた妻の腕を引っ張った。まるで釣り竿をしゃくるように妻が何度も頭を叩きつけられ、腕が肋骨が見えるまでもろとも引き千切られて……妻はダクトの向こうに行ってしまった……」
聞けば、括り罠のような植物、らしきものが見えたそうだ。
俺は戦慄した。
あの蟻擬きが、それほど強力な罠を作ったのだろうか?
腕を引き千切るなんて……噛んだわけではない。引っ張ってだ。カズチは蟻のような生き物は見ていないという。
俺はプラットホームの惨劇をカズチに話した。駅員には伝えきれなかったことも全て話し、今起こっていることを、知る限り完全に共有した。
「駅員、遅いな」
空調の効いた構内で、生乾きになりつつある服。酷い臭いだ。
駅員が来ない。
少し、遅すぎる。
カッ……カッ…。
そんな時だ。硬い足音を聞いた。「きっと駅員だ!」とカズチは走った。静かすぎる構内だ。少し、離れた場所から聞こえてきていた。カズチが曲がり角の先へと消えた。あっちは暗いな、どうして……。
直後のことだ。
「ぎやぁぁぁっ!!」
人間とは思えないような絶叫だった。
俺はすぐに立ち上がり、斧も忘れずに持ち、声の場所へと走った。胸騒ぎ、嫌な予感。それらは、当たってしまうものだ。
なんということだ!
カズチが襲われていた。人型の影が馬乗りになって、カズチの頭を執拗に何度も何度も、引き裂いている! 目も鼻も唇も削がれて、頭蓋が剥ぎ取られ、脳味噌の前半分が無残にも掻き回されていた。
「や、やめろぉー!!」
体当たりで人型の影を吹き飛ばす。それは酷く軽くて簡単に飛んだ。暗くて、よく見えない! 本当に人間なのか!? 人型には見えるがあまりにもおぞましすぎる!
カチ、カチ、カチ。
気味の悪い音をたてながら人型は、顔が割れるようにバラバラ、小さく動いているようだ。数秒、睨み合い、しかし人型は背中を見せてあっという間に逃げ去った。暗い構内をだ。
暗いのは、天井近くの照明や、売店などの明かりが消えているからだとわかった。床には少なくないガラス片が落ちている。
「カズチさん!」
助かるものではなかった。脳のほとんどが、顔面と同じように、完全に破壊されている。僅かに脊髄の反射か何かでびくんびくんと跳ねているだけの死体に変わっていた。
「……」
消えた駅員はすぐに見つかった。
しばらく歩いた先の階段で倒れていた。背骨を引き抜かれ、首から下、尾骶骨までの脊柱が転がっている。途中で襲われたのだろう。
今、ツキビ駅には何人の人が残っているのだろうか。本当にまだ、異常に気がつかれてはいないのだろうか。俺は今更になって、暗闇の中でも赤く点いている火災報知器のボタンを押した。けたたましい電子音とともに、駅全体に火災の知らせが響き渡る。
地上まで43mだ。
今はもう少し短いだろうが、40mはあった。エレベーターを使う気にはなれない。あれが待ち伏せていれば、格好の餌箱になる。一度は悩んだが、気まぐれに呼んだエレベーターの中を見て、地上へ送り返した。考えることは誰もが同じで、そして連中は知っているらしい。
自衛隊を寄越して欲しい。
心からそう思った。
警察の銃器対策部隊の装備で対抗できるとはとても思えない。いや、どうなのだろうか。ただ、自衛隊の兵隊が持つ銃と、警察がもつ銃とでは破壊力が段違いの気がする。よくは、知らないが……。
何人死んだんだ。
実感があまりない。
むごい死に様だ。
怖い。
だが不思議と何もかんじなくなっていた。短時間で受け入れているのだろうか。違う。たぶん、自分ではない誰かだと思い込んでいる。現実を現実としながらもそうではないとワンクッション置いて……いや、今考えることはこれじゃない。
来る。
四肢が引き裂かれ、内臓を引き抜かれる。
死にたくなければ生きるしかないのだ。
「はぁ……はぁ……」
息を整える。筋肉に溜まった乳酸菌を絞り出す。乳酸のせいで筋肉に負担がかかっている。
恐ろしいことだ。
地上まで走ろうと思っても、途中で力尽きるだろう。それこそを狙われているかもしれない。階段で疲れきったところを襲う。ありえる話だ。
この場所で耐え抜くしかない。
「あっ」
照明が落ちた。
次々と暗闇が追ってくる。
そうか、そこまで『理解している』のか。
足元の非常灯、作業員から借りた頼りない細いライトだけを頼りに、俺は、この広大な空間に取り残された。
聞こえる。
何かが這い回る音が。
近づいてくる。
「はぁ……はぁ……」
耐えられなかった。薄暗闇の中を歩いている。それを追ってくる足音がどこからも聞こえる。もしかしたら、俺の足音なのかもしれない。だが、『もしも』を考えたらジッとはしていられなかった。
地下鉄の駅が迷宮だと感じたのは初めてではないが、今ほど命がけでさまようのは初めてだ。そうあってたまるか、ではあるが。
足元さえよくは見えないのに、先なんてほとんどわからない。
それでも。
頭に浮かぶのだ。
上下に顎を動かす昆虫のような怪物の姿がだ。BEMかよ。旧時代のデカイ目の怪物。そんなエイリアンなんて時代遅れなんだから、今、俺の目の前に現れるなよ。
だが、疑問が多い。
小休憩に背中を壁に預けながら、少しだけ乱れた息を整えながら考えた。
浮浪者カズチの妻を襲った植物、それとカズチを襲った人型がわからない。虫ではなさそうだし、虫には見えなかった。地下鉄の列車や作業員たちを襲ったのは、少なくとも後者の一人は間違いなく蟻の化け物だ。
形の違いは何を意味するんだ?
迷宮と思っていたが、どこにも逃げ出せない狩場か巣穴かもしれない。俺はそこに迷い込んでいるのか。
地上は、遥かに遠かった。
見上げても見えない先だ。
そう思っていた。
「あっ」
明かりが見えた。
蟻どもめ、全ての照明を破壊したわけではなかったらしい。それに誰かが手を振っている。ぼんやりとした輪郭でよくはわからないが、腕があって脚で立っている人型だ。
「大変なんだ! 下で死にかけている男いる!」
助けを呼んでくれ、と叫んだ。
だが奇妙なことに、人影は呑気に手を振り続けている。おかしいと感じた時には、物音に素早く反応できた。
宙を飛んでいた蟻擬きを横目に捉えている。酷くスローモーに見えた。斧を水平にふるって吹っ飛ばす。蟻擬きは鉤爪で転がらないよう踏ん張った。だが俺はそれに駆け寄り踏みつけ、斧を振り下ろす。外骨格が砕け、体液が散った。
やられた!
浮浪者を襲ったのも人型だ!
明かりの中にいた人型はすでに消えていて、照明の光だと思っていたものもすでに無かった。発光する生物は何種類もいる。そういった類のものが、罠を張ったんだ!
「……」
ふと、非常灯に照らされた、今叩き割った蟻擬きを見ていて気がついた。前脚が酷く平たく、僅かに曲面を描いている。両方の脚を合わせれば楕円で、それは目鼻のある顔に見えた。人間の顔だ。体の輪郭も、外骨格が脚を収納できるような形に見えた。それは見事にはまって、『人間の顔に似たものをもち、二本脚と二本の腕をもつ人型』になった。
「なんということだ……」
背後の闇に、軋む音を聞いた。
ハッとした時にはすでに、人間ではない顔が目の前にあった。
どれほど……。
「うぅ」
意識を失っていたらしい。
駅とは思えない場所だ。下水道……のようにも感じるが、下水はどこにも流れてはいない。もしかしたら非常用の、例えば洪水などがあったときに、水量を調整するための水道なのかもしれない。そのための空間が地下にあると聞いたことがあった。
だが何も見えない。
何も……。
腐った肉の臭いと硝煙のような刺激臭が満ちている。手探りすれば、ザラついた、平らに作られたコンクリートのようなものに触れた。
あと、たぶん斧のラバーグリップと重さだ。
「おい! しっかりしろ!」
光が見える。
人型も……慌てて逃げようとして、滑った。
「落ち着け、もう大丈夫だぞ!」
誰かが、手を握ってくれている。
「生存者を発見した、すぐに応援を寄越してくれ!」
彼からは、真っ赤に焼けた鉄の臭いと灰の臭いがした。
俺は、警察に助けられたらしい。病院で聞いた話では、地下鉄よりもさらに下の水路で見つかったのだそうだ。警察は言葉を濁したが、俺以外にもたくさんの行方不明者がいて、駅からの通報で地下鉄に入ったとき、『人型の影を追って偶然にも地下水路で発見した』のだと……。
「異常肉食植物についてですが……」
まったく意味のわからない事情聴取をされた。蟻の化け物ではなく植物の話ばかりだ。常軌を逸した話そのものには、もう慣れた。だけど俺は、本当に何もわからないことだ。
警察は地下で、人間を襲う植物を駆除したらしい。
蟻の化け物ではなく、だ。
俺は恐るべき事実を察した。
あの、蟻の化け物は人間を利用したのではないだろうか?
9900万年前の蟻の顎と同じ構造を持った、そして現在知られているどの蟻とも違う、高度すぎる『文化』を持っている!
あれはそんな生物だった。
虫はどれほどの高度な仕組みや生態を持っているといっても、全てが脊髄反射の積み重ねと自然淘汰で選択された、プログラムされた反復でしかない。どこまでいっても、だ。
違う。
あれは違う!
人間だけが持っていた、言葉でも、そしてほとんどの生命が継承する血でもなく、もっと高度な手段による社会性だ。
酸素を必要としないのは、まさか……植物が繁栄する前の時代から原点があって、植物を敵視しているのは環境を激変させたからなのか?
推測に推測が重なり、俺はさらに恐怖した。
それならばだ。
奴らはいったい……どれほど……何億年も戦争を続けているのか!?
新参者の人類は、その戦争を知りもしなかったというのに!
異常だ。
何もかもがおかしい。
だが私は、気がついてしまった。
地球の支配者は、地球を支配していると考える人類よりもあるいは、より狡猾なのではないか、と。




