本と本、ダメダメ痴漢
電車に揺られて巡り合う男女。
ファイト!
あの人と出会ったのは、ある登校日の電車の中だった。
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、 、 、
電車の駆動と慣性が私を揺らす。これは私の日常であり、私の憂鬱な一日の始まりの合図であった。
ガタンゴトン、がたんごとん、心の中で私も鳴らす。最初はそれでも暇つぶしができたけれど、今はそれも飽きたので、本を読むことにした。親のお小遣いで買った中古の本は、私の狭苦しい体をどんどん壮大に、気持ちが大きくなっていった。私はそれから本を少しずつ買っては、無我夢中で読みまくった。
「ん……」
この日は、特別だった。うつら、うつら、私は珍しく本を読みながら眠たくなっていた。眼鏡が少しずつ落ちていく。私の唯一の相棒が私の元から離れていく。たった一つの贈り物。黒淵の四角い私の眼鏡。
待って、行かないで……
でも眠気は容赦なく私の意識を奪っていく。私一人ではこれ以上抗うことが――
そう思った瞬間、私の目の前にとんでもない光景が広がっていた。
「……白い……ブリーフ…………」
思わず言葉が漏れた。そして、
「どうして、俺のパンツを……?」
そうだ。私の目の前には傘の露先部分が男性のチャックの穴と上手く嵌まり込んで、いつの間にかチャックが限界まで下ろされていた。その洞の中から白ブリーフがこんにちはしていた。
「痴漢?」
「!?」
紺色スーツの男性は慌てて首を横に振る。痴漢。それは破廉恥行為、性虐待、片方しか気持ちよくなれない酷い行為。そしてそれをしている(?)男性は必死で捲し立てた。
「これは傘が勝手に……」
「傘のせいにするんだ」
「いや、だからこれは事故で!」
「……」
じっと見つめる学生の目は、俺を明らかに犯人と言わんばかりの目をしていた。確かに傘を結ぶのを忘れてしまったこちらに非はある。俺の恥ずかしい場所を見せてしまったことで、君を悲しませたことは謝る。だがこれは決して君を辱めたいわけでもなければ、自分の快楽を優先したわけでは決してない。だから――――って、なんで心の中で言ってるんだ!
ちゃんと口に出せ、俺! でないと、取り返しのつかないことに……。
「では」
その時、私は何故か意味の分からないことを口走った。理由は今ならわかる。でも当時の私は自分の言葉に彼と同じような反応をした記憶がある。
「私の本を読んで来てください。それが口止め料です」
「え?」
「…え?」
互いに見つめ合う。だがこれは恋に落ちたとかそういうのではなく、ただ何を言っているんだこいつ? を表情で表したようなそんな顔だった気がする。
間はしばらく続いた。そして私の目的地の駅の名が呼ばれた時、私は彼に更にこう付け加えた。
「それじゃあ、あなたの……今読んでいる本と交換……しませんか?」
それが私と彼との運命の分かれ道になったことは言うまでもない。
それから一週間が経とうとする晩。自宅の私室のベッドの中で、私は布団に体を丸めながら項垂れていた。話題は専ら痴漢の日のこと。
何であんなこと言っちゃったんだろう。変な奴だ。サイコパス的な奴だ。いつもの静かな無口の私はどうした。自分と相手の本を交換して、一週間後に会えたら感想を言いましょう??? 意・味・不・明! ……でも相手の人も確かに白ぶ……を見せたけど、事故と言えば事故に見える。というかもし悪意があれば、もっと惨めな態度を取るはず……。
そうだ。あの人は……と見せかけてからの「嘘つきの顔」で取り繕うことだってある。解らない。うそ発見器を持っていればこんなことにはならなかった。くそ。私のしたことが……。
コンコン
ドアを叩く音が、私の思考を真っ白に消し去った。そしてドアを叩いた人が私がいることを分かっているのかのように声高に言った。
「鶺ノ(の)鴒さん。晩御飯、ここに置いておきます。食べ終わったら外に置いておいてください」
まるで他人のような接し方。それが我が父なのだ。無理して私なんかを引き取らなくてもよかったのに……
「じゃあ、また……」
いつまでも心を開いてくれない私にもどかしさを感じながら去っていった。
まあいい。そんなことよりあの人に渡されたあの本だ。題名は……、
「簡単に恋する方法。簡単に女心を得るための108の方法」
ふふふ……。女心をたった108で手に入れようとするとは、あの人もなかなか面白いじゃない。最初の一日で読み切ったけれど、なかなか興味深い本であった。早く、あの人に会いたいな。なんでこううずうずしているのか。もしやあの白ぶ……いやいや、私はそこまで変態ではない。もしやこれは恋なのでは……。
うーん。どうだろう。
そう思いながらも、またもやってくる眠気に勝てず、晩御飯を忘れて深い眠りに就くのであった。
痴漢容疑者である会社員は、ベッドの上で項垂れていた。話題はもちろんこの前の痴漢騒動。相手の学生が終始静かに驚いたおかげで他の人には露見しなかったのだろう。これ以降俺に警察のコールはない。……でもあの学生が言っていた言葉が気になる。
「一週間後、またこの電車で会えたなら、お互いの本の感想を話しましょう」
謎だらけだ。言葉は解る。だが痴漢のお咎めがこの本を読むことに繋がったということなら、ホッとしてよいのだろうか。事故であることが証明されたとして、彼女にトラウマ(であってほしくはないが)を植え付けたことは事実。できる限りあの学生の言葉を信じよう。
できれば、俺の人生が終わらないことを祈る!
ふと渡された学生の本。題名は……
「それでも痴漢はやってない。冤罪と犯罪の境界線」
明らかに狙ってるよな。……。いや、駄目だ。結局彼女を苦しめたのは俺だ。しっかりと自戒を込めた謝罪をしなければ……、とズボンのチャックが完全に締められているのを確認するのであった。
少女視点で始まります。続きはまあ、……早くできたら、
ということでまだ名前は私も考えてませんが、少女の名前は「鶺ノ鴒」セキノ・レイが判明しました。長い名前はやっぱり苦手なので、できるだけ短くまとめたいですね。題名とか、主題とか。
では次回。