青い車で夜を君と
『今夜9時、青海駅に車で迎えに来て』
彼女からの素っ気ないLINEに思わず頬が緩んでしまう。
「今日はバイトもないし、ちょっと早めに行ってお台場でも散歩するかな~。とりあえずシャワーだな。」
シャワーを浴びながら鼻歌なんか歌ってしまう。期待するなと遠くの方で警報が鳴っているけど、浮かれた僕はそれを無視する。
夜8時。僕はお台場海浜公園を歩いている。
『今すぐ青海駅に来て』
彼女からだ。僕は路上駐車した愛車に走って戻る。ドライブ専用のiPodを操作して、彼女が好きなMr.Childrenのプレイリストを再生すると、青海駅まで車を走らせた。
「お待たせ。」
青海駅前に車をつけると、青いワンピースを着た彼女の姿はすぐに見つかった。
今日も綺麗だ。彼女の立っている場所だけスポットライトが当たっているみたい。
僕がさっと車を降り助手席のドアを開けると、彼女は無言で座席に滑り込む。いつも無表情な彼女だけど、いつもより動きが乱暴だ。機嫌悪そう。
「約束より早かったね。たまにはお台場散歩してみようかと思って早めに来ておいて良かったよ。」
シートベルトを締めながら、彼女の不機嫌に気付かないフリで明るく話しかけるも、無視。彼女は窓の外に目を向けている。
「夜景が綺麗だから、ちょっとドライブしようか。」
再び無視。いつものことなので気にしない。彼女の心の中にいるのはギョーカイ人の彼氏だけ。二人とも無言のまま、青い車はレインボーブリッジを走っていく。
「都合よく使われてんだろ。怒るなり無視するなりしろよ。」
昼休み。大学の学食で昼食をとりながら、僕は親友に叱られている。
「惚れた弱みっつーの?助手席に乗ってくれるってことは嫌われてないってことだよね?」
「オスとして見られてないんだよ。後部座席に乗ったら完全にタクシーだろ。」
「・・・」
分かってる。彼女に会いに行くまでの高揚感と別れた後の虚しさ。彼女から呼び出されることはあっても、僕からの遊びの誘いは曖昧な笑顔でかわされてしまうことも。
「それにあいつが付き合ってるのって妻子持ちのギョーカイ人だろ。クスリ売ってるとかヤバい噂もあるし、お前もう関わるの止めろ。」
「俺の勝手だろ。放っておいてくれよ。」
カッとして立ち上がると、空になったトレイを手に午後の授業の教室に向かう。
カッとしたのは図星を指されたからだ。
大学内で1、2を争う美人の彼女は、1年くらい前にモデルのバイトで今付き合ってる彼氏と知り合ったらしい。そいつはテレビ業界でかなり力を持ってる奴らしく、目をかけられた彼女はCMに出たりチョイ役でドラマに出たりするようになった。
そいつが結婚してることは確かだ。つまり不倫だ。ただ、最近彼女とそいつはうまくいってないっぽい。そして、先月辺りから僕は彼女にちょくちょく呼び出されるようになった。夜限定で。
僕と彼女は高校が一緒だった。高校生の頃から美人で有名だった彼女に対し、僕は容姿も成績も運動神経も平々凡々。畏れ多くて、自分から話しかけるなんてことはできなかった。
そんな彼女が東京の大学を希望していると知り、僕も親に土下座して東京への進学を許してもらった。
猛勉強の末、彼女と同じ大学に合格した僕は、意を決して彼女に話しかけた。
「し、4月から同じ大学だね。よ、よろしくね。」
前の晩散々イメージトレーニングしたのに、いざ彼女を前にしたら舌が回らなくなってしまった。
「吉田君だっけ。よろしくね。」
彼女は微笑んでくれた。
僕は恋に落ちた。奈落の底に叩き付けられたんだ。
「吉田くぅ~ん?元気~?」
珍しく彼女から電話だ。いつもはタクシーよろしく時間と場所をLINEで指定されるだけなのに。
「もちろん元気だよ。電話ありがとう。酔ってるの?」
いつも無愛想なのに今夜のテンションは異常だ。
「吉田君には関係ないじゃん。そんなことより今ヒマ?ヒマならこれから会おうよ。」
「これから?もう11時だよ。」
ヒマはヒマだ。YouTubeで何となく動画を見ながら、もう寝ようかと思っていたところだ。
「何かあったの?」
「いつも何も言わずに迎えに来てくれるじゃん。」
怒るなり無視するなりしろ。親友の声が頭の中で反響する。
「いつもは事前にLINEくれるでしょ。」
「吉田君さぁ、彼女いるの?吉田君みたいな人の彼女、きっと幸せだよねぇ。」
「いっ、いないよ、そんなの。」
唐突な質問に狼狽える。自慢じゃないが、彼女いない歴=年齢だ。
「そっか、彼女いないんだ~。じゃあさ、私とエッチしない?」
「は、はぁぁ!?」
風俗は怖くて行けず、生まれてこの方彼女がいない僕は、もちろん童貞だ。そんな僕に憧れの彼女からのこのセリフは、後頭部を一撃されるくらいのショックだ。
「え、いや、あの…彼氏いるんでしょ?」
電話越しに彼女が息を飲む音が聞こえた気がした。
「別れたよ。」
「え?」
「奥さんにバレたのか、別の愛人ができたのかわかんないけど、急に『君の将来を潰しちゃいけないから』とか何とか言ってさ、あっさり捨てられたわよ。」
こんな状況で、二十歳の童貞に言えることは何もない。
「いつも彼とのデートの後に迎えに来てくれてたから、やらせてあげようかと思ったのに。つまんない奴。じゃあね。」
何も言えなかった。ショックが強すぎて、悲しみも怒りも湧いてこない。ただただ阿呆みたいに呆然としていた。気付いたら電話は切れてた。
我に返ると、涙が流れていた。
「なんで…」
悲しいのか怒っているのか分からない。彼氏にフラれて自暴自棄になっている彼女に何と答えればよかったのか。
彼女の言葉に乗っていれば、童貞卒業、さらにあわよくば彼氏になれたのかなとも思ってみる。
「無理だな…」
彼女に話しかけるだけでボロボロだった自分が、彼女を抱く、なんて。失敗の予感しかない。それに、万が一エッチがうまくいったとしたって、彼女にとってはただ寂しさを埋めるだけの行為だ。華やかな世界で、リッチな彼氏とドラマや映画みたいなデートをしてきた彼女が僕との付き合いに満足してくれるとは到底思えない。
今日のところはこれがベストな選択だったと思うしかない。
かなりひどいことを言われた気もするけど、彼女のことが好きな気持ちには全く揺るぎがなかった。
いつか、ちゃんと彼女をデートに誘って、夜景が見える素敵なレストランでディナーして、長い夜を愛車の青い車で彼女とどこまでも走れるような自分に。
誰かの代わりじゃなく、僕自身を見てほしいから。