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風詠と蟲姫

醜い姫と血塗れの戦乙女

作者: あやぺん

 この世で最も大切な物を守る為ならば、何だってする。

 その結果は、血塗れの戦乙女の異名らしい。


***


 酒場にて。


「血塗れも戦もその通りだが、乙女ねえ。ウジクソ共が」


 ビールを呷り、ジョッキを床に投げ捨てる。ガシャンと盛大な音を立てて壊れたガラスを、義足で踏みつけた。

 パキンッという小気味な音が酒場内に広がる。静寂の意味は畏怖。愉快だ、と笑い声を上げると人の目が集まる。

 美しく生まれたので、注目を浴びるのには慣れている。そして、虚像を押し付けられるのも。


「カール様。それはどういう意味です?」

「知らんのか、ビアー。この地位に就くために私が何をしたのか」


 隣に座るビアーの耳に、フウッと息を吹きかける。

 頬を微かに染めて、期待の眼差しを向けられたので、脛を思いっきり蹴っ飛ばしてやった。


「っ痛」

「誰がお前みたいな、何の得もない男を相手にするか」

「そ、それって……」

「甘い汁だけ吸って、約束を反故にするクソ豚がいた。のうのうとまた来たのでどうしたと思う? あそこに噛み付いて、ちぎってやった」


 もう一度耳に息を吹きかけると、ビアーは真っ青になった。己の物で想像したのだろう。


「ま、まさか。ご冗談で……」

「食うなんて不味いし気持ち悪いので、暖炉で燃やした」


 同じテーブルの騎士達の表情が、みるみる悪くなっていく。

 正確には、相手の子飼いの男にそうして、目の前で「裏切るならば次はお前」と脅迫。

 相手の愛娘の背後で噛み付く仕草をしたり、首を切る動作もした。

 何の対策もせずに、格上に歯向かっても、得にならない。

 私が何か続きを話すのを待っているのか、次々と騎士達の喉が鳴る。しかし無言。誰も何も話そうとしない。


「嘘をつくな。奴隷騎士が貴族相手にそんな事をして、酒場で呑気に酒を飲めると思うか?」


 ゼロースの発言に、そうですよね、という返事が次々と出てくる。騎士達の大半は、安堵しつつも疑心という様子。

 

「戦場で屍の山を築く鬼を乙女! この世には、阿呆ばかりだな!」


 ビアーの胸ぐらを掴み、椅子から持ち上げ、投げ飛ばす。


「貴様等! 私の背に乗っても守らんからな! 主は誰だ⁈  我等の頂点はシュナ姫様だ! 裏切れば私が地獄の果てまで追いかけて首を刎ねる!」


 酒が足りないな、と前に座るゼロースのビールジョッキを鷲掴みした。

 必要ないのに庇われた事が心底腹立たしい。


「おいカール、それは俺の酒だ」

「ゼロース。カール様だ。今回の戦での活躍とこの体で、師団長になれるだろう。丁度良く腰抜け師団長が戦場で死んだ。師団長の次は、一気に元帥だ。第四軍を絶対に私のものにする」


 ほぼ貸し切りの酒場内が、高揚で満たされていく。それと正反対の空気も入り乱れる。

 部下を盾にし、敵前逃亡しようとする師団長など不要なので、ぶっ殺した。

 酒場内の騎士達は、ハッキリと二つに分裂している。

 賛同者。もしくは不平不満を抱いたり、師団長殺しを恨んでいる者。

 前者が多いのは当然だ。捨て駒にされて喜ぶ者は居ない。

 後者も必然。元師団長の金魚の糞で、命や金、権力が約束されていたのに、後ろ盾を失って反目しない訳が無い。


「部隊長がいきなり師団長になるか」

「いいや、ゼロース。なるさ。私を押し上げるのは誰だ?」


 ドンドン、と足で床を踏み鳴らす。一人一人と目を合わせて、柔らかくを心掛けて微笑む。それから、ビールを一気飲み。


 酔え。勝利と美女は好物だろう?


 さあ、酔え!


 案の定、私の名前の大合唱。扇動なんて簡単。

 勝利へ導く強い英雄に人は従う。憧れ、敬う。見目麗しいから、余計に。

 中身をあまり隠していないというのに、人々はいとも簡単に騙される。


「カール様ってシュナ様の名で王宮内で権力を得るつもりだろう? あの美貌だし、王子と結婚したりするかもな。で、女王だ。あり得る。ついていった方が絶対に得だよな」

「俺見たぜ。あの化物姫を甲斐甲斐しく世話する、別人みたいなカール様を。野望がなけりゃ、あんな痴者に媚びれねえって。よだれだして、喚いてるんだぜ?」


 小さな囁きが耳に届く。何とでも言え、と無視して立ち上がる。


「聞いたか? カール様、今回の報償金を丸ごと寄付したそうだ」

「丸ごと寄付⁈ また⁈ この荒々しさは照れ隠しっていうのが、また良いんだよな」


 別の小さな囁きが耳に入る。噂を鵜呑みにする阿呆め、と無視しようと思ったが、腹立たしいのでテーブルを蹴り上げた。


「何も見抜けない馬鹿豚野郎共が!」


 唯一無二の主に、可愛い服でも買ったら? と渡された金を、ポケットから出して店員の足元へと投げつけた。テーブルの弁償代だ。

 市民派でいるべきなので、感情任せに店を破壊して放置は不味い。いつもこう。体が先に動いてしまう。

 それにしても、服など欲しくない。可愛い服でも買ったら? とは、この野蛮な私に可愛い服なんて発想、頭がイカれている。

 あの方は噂とは全く違うが、確かにある意味化け物で、頭がおかしい。


「殺せ! 殺してみろ! 殺せるものなら殺してみろ! 我が主を殺そうとする者は、このカールが全員首を刎ねる! 逆なら背負おう!」


 祝勝会なんてつまらないので、そろそろ帰ろう。そういう気持ちを見抜くゼロースに「おい」と止められる。

 伸びてきた手を軽く払った。力の差を見せつけたいなと考え直し、左頬を思いっきり殴りつける。


「痛てて……」

「帰還と結婚祝いだ。背後を任せて良かった」


 途端に結婚? という台詞が酒場内を飛び交う。それを無視して、さっと酒場を出た。

 幼馴染の元奴隷騎士ゼロースは、作戦成功や勝利ではなく、部下を死なせた自責の年に囚われて陰鬱さを醸し出す男。

 発破になるかは知らないが、殴られたかっただろう。単に八つ当たりと、注目逸らしをしたかっただけ。そのついでだ。


 店を出て歩いていると、名を呼ばれる。

 間も無く騎士爵になるが、今はまだ奴隷騎士。しかし、国を守る英雄の一人。勝利の女神。だから、名前を呼ばれるというのは理解している。

 虫唾が走るので聞こえない振りをする。何も見抜けない阿呆な者達を、本当なら全員殴りたい。死ね、と叫びたい衝動を堪える。

 今はその時ではない。しかし、与えられた役柄を演じきれる程、器用ではない。納得も出来ていない。


 毎日、毎日、不満ばかりだ。ため息を吐きながら、サッと買い物をして帰宅した。


 ☆☆

 

 大陸北西にある、大蛇の国。

 地から迫り出す台地に建造された、四重砦の堅牢な城。

 その一階、砦の内側の中でかなり手薄な場所と地下室に、この国唯一の姫が暮らしている。


 さらさら、さらさらという音が静かな部屋に響く。

 彼女は薄暗い部屋で、ランプの灯りの元、良く何かを書いている。

 この羽根ペンを走らせる音は好きで嫌い。

 聞いていると落ち着くが、浮腫んだ手を動かし続けると、かなり痛むのを知っている。

 だから時折、無性にあの羽根ペンを破壊したくなる。


「あら、早かったのね。おかえりなさい」


 シュナ姫の優しく、美しい声で、苛立ちが少し減った。

 けれども、顔を見て悲しくなる。今日の彼女は普段よりも辛そうだ。

 浮腫みが酷くて、四角い輪郭になっている。瞼が腫脹して、夏空色の右目は殆ど見えない。

 灰色に濁る左だけでは、私を見られない。現に私が立つ位置と別の方向に体を向けている。

 それなのに、シュナ姫はそんな顔をしなくても大丈夫よ、というようにニコリと笑っている。

 色々と不満で、思わず、唇が尖った。


 手をマッサージしようと思い、近寄る。徐々にシュナ姫の体が私の方へ向いた。やはり視界が狭いのだろう。

 私はまるで辛くありませんという雰囲気を醸し出す穏やかな微笑みには胸が痛む。

 

「ふふっ。またゼロースと喧嘩でもしたの?」


 少し歌うような声の出し方。殺気立っていた気分が凪いでいく。


「まさか。あんな軟弱、相手になりません」


 手荷物を壁際に起き、シュナ姫に近寄り、手を握る。

 硬い皮膚でゴツゴツしている手は、かなり冷えていた。寒い部屋で、ずっと羽根ペンを握っていたのだろう。

 昨日まであった薪が無いのは、何故なのか。

 出かける前に暖炉に火をくべたのに、消えているのは、どうしてなのか。


 問わなくても分かる。薪は人にあげた。残りの炭は、私が帰ってきたら使おうと取ってある。

 騎士宿舎や下働きの部屋が寒いとか、そういうことを聞いたのだろう。

 私の報償金が丸ごと寄付されたという噂も、シュナ姫が私名義で寄付したに違いない。その資金は、使わない私財を売ったのだろう。


「私が心配で帰って来てくれたのね。ありがとう。その袋、何を買ったの? 見せてくれる?」


 そう言うと思った。

「はい」と返事をして、 シュナ姫から手を離す。

 紙袋から箱を出して、中身を取り出した。

 名前も知らない花の形の髪飾り。銀製で、決して安くは無かった。あまりに安物だと気にされる。

 可愛い服でも買ったら? と言われたが、そんなもの、シュナ姫に用意されたドレス以外は着たくない。騎士服、甲冑が気楽だ。

 彼女の気遣いと自分の趣味の妥協の結果、髪飾りになった。装飾品にはまるで興味が無いので、一番売れている物、と店員に告げて購入。


「まあ、ジャスミン」


 シュナ姫は箱から髪飾りを出して、素敵と眺めた。私以外は見ていないのに、動作一つ一つに品がある。それだけ無自覚ということだ。

 この姿を大勢の者の前で披露して欲しいが、この城には魑魅魍魎みたいな欲望にまみれた馬鹿ばかり。

 王位を奪われると、王や上の兄達は怯え、彼女を殺すだろう。だからシュナ姫は己を偽っている。

 隠れている今でさえ、単に見た目が気に食わないという理由で何度も殺されかけている。


「似合うわ。ジャスミンは優雅の象徴よ。綺麗で素敵」


 シュナ姫は背伸びをして、腕を伸ばし、私の頬を撫で、髪飾りをひっつめた髪に飾ってくれた。

 お世辞にも触り心地の良い手では無いけれど、心底嬉しい。楽しそうに笑う顔も喜ばしい。

 これを期待して、苦痛な買い物をしてきた。

 興味の無かった髪飾りも、もう好きかもしれない。

 シュナ姫がこのように喜んでくれるなら、毎日使っても良い。


「ありがとうございます」

「あのね、カール。ジャスミンといえば、素晴らしい絵があるのよ」

「見たいです」


 少しよろめきながら、本棚へ駆け寄ると、シュナ姫は一冊の本を出した。

 私の手を取り、ソファへと移動する。二人で並んで腰掛けて、彼女がめくる本の中の絵を眺める。

 絵画なんてまるで心は踊らないけれど、鼻歌混じりで解説してくれるシュナ姫には胸が弾む。

 彼女の歌が好きだ。透き通る柔らかな小さな声を聞く度に、安心する。

 親愛を感じて、安穏に身を任せ、この時間が永遠に続けば良いのにと願う。


 拾われて、この地下室でシュナ姫と姉妹みたいに育てられた。育てて貰った。

 醜いが故に、生まれてすぐ、父親に地下室へ追いやられたお姫様。

 生まれつきの謎の奇病は、風土病だろうと言われているが、生まれつきなのも、全身症状というのも珍しいという。

 彼女はあまりに賢いが故に、兄達を脅かすのではないかと、何度も殺されかけた。

 彼女を守ろうとした母は、嫉妬や邪魔者扱いで、罠に嵌められて斬首刑。

 国王も化け物娘を産んだ女なんて要らない。飽きた。必要ない、というように後押しをしたという。

 他国との協定の象徴である妃は、病死だと発表された。

 後ろ盾と美貌を持つ母親が消えると、醜い姫の味方はほぼ消えた。

 悲劇に襲われ続けているシュナ姫と共に育ち、私はこの世で最も尊いものは何かを知っている。


 急にシュナ姫の歌が止まった。時計を見た後なので、何かの時刻なのだろう。


「少し席を外すわ」

「今日こそお供しても良いですか?」


 ふるふる、とシュナ姫が首を横に振る。


「かしこまりました」


 立ち上がり、膝をついて、頭を下げる。


「いってらっしゃいませ」

「いつもいつも大袈裟ね。少し行ってきます」

 

 私は頭を下げたまま、唇を噛んだ。シュナ姫は親衛隊の誰かと、どこかに視察だ。

 自分ももっと役立ちたいのに、立ち入らせてくれない世界。

 道化を演じて情報を拾うシュナ姫に、明け透けなく罵声や中傷を浴びせる王族、貴族に腹を立てて暴れた過去のせいだ。

 私はいつも憤怒や憎悪の感情を、上手く抑えられない。


「不満そうね。もう少し色々と練習して。問題なければお願いするわ」


 ぽんぽん、と頭を撫でられる。

 はい、と返事をすると、シュナ姫は脇を通り過ぎていった。

 年上は自分の方なのに、彼女の方が姉のようだ。シュナ姫は、まだようやく成人という歳なのに。 


 私室から去ったシュナ姫は、夜中近くに戻ってきた。幼い男の子を連れて。

 シュナ姫の出迎えをしたら、彼女は阿呆演技で、ヘラヘラ笑いながら、少年と手を繋いでいた。

 背後にいるのは、今日の護衛当番の騎士。親衛隊所属の老兵バースに、見下ろされる。


「カール、シュナ姫がどうしてもと申されるので連れてきた」


 またか、と腰を落とす。少年は震えて俯いていたが、私を見上げて、ほんの僅かに嬉しそうに笑った。

 シュナ姫が少年から手を離す。奇声を発して、ソファへダイブ。

 足をバタバタさせた後、糸が切れたように寝てしまった。まあ、寝たフリだろう。そうだろうか? 眠っているように見える。

 暗殺回避と情報収集の為に己を偽る演技はかなり巧みで、真実を知る私さえ見抜けない事がある。

 バースもシュナ姫の本当の姿を知らない筈。

 この城の中で真実を知っているのは私と、あとは誰か分からない。死んでいった者が多いので、ごく限られた者のみ。

 

「どうしてもとは、遊ぶとかですか?」

「ええ。泣いて大声で頼まれましたので。気に入った時はかなり離しませんから仕方なく連れてきました。どうするか決めたら教えて下さい」


 肩を竦めると、バースは部屋を後にした。去り際、少年の頭を軽く撫でて。

 侍女にして寝室内護衛騎士の自分にシュナ姫の決定権があるのは、本来なら不思議な話。

 何せ、私は拾い子で、肩には王家の奴隷印がつけられている。

 なのに、気がついたらこうなっていた。誰が誘導したかというと、シュナ姫である。

 シュナ姫がいつの間にこのように導いたのか、私にはその手筋がサッパリ分からない。一番近くにいるのにだ。


「お前、名は?」


 化け物姫に怯える子供は、私の顔を見て安堵する。

 笑いかけないのに、人は美貌に騙される。少年も安心したというように、微かに笑った。


「ガル」

「カールだ。飯……風呂が先だな」


 臭いので、先に風呂へ連れていく。シュナ姫の為に用意していた湯を使うのはシャクだが、仕方が無い。それがシュナ姫の望みだ。

 先週は少女だった。シュナはしょっ中子供を拾ってくる。男児で命じられない場合は騎士だ。

 ガルの体を雑に洗い、雑に拭く。自分の時は、シュナ姫の母ナーナが、うんと優しくしてくれたのに、真似出来ない。

 食堂に行くのは面倒だし、シュナ姫と得体の知れない少年と二人きりにさせるのも嫌。

 部屋にあったお菓子を与える事にした。

 服はないのでタオルと毛布で包む。ソファに座らせて、マドレーヌを渡した。


「とりあえず食え」

「あり、ありがとう……」


 ボソボソと呟くと、ガルははにかみ笑いを浮かべた。


「お前、痣だらけだな。やられたらやり返せ。弱いままじゃ何も成せない。強くなれ。死にたく無ければな」


 子供なんて好きじゃない。指で額を弾く。


「痛い……」

「お前は明日から騎士だ。馬小屋掃除からの下働き。死ぬよりはマシだろう。嫌なら出てけ。勝手に死ね」


 うん、とガルは頷いた。死ねと言われてうんとは阿呆め。


「あの……」

「興味無い」


 身の上話には興味無い。不幸なんてそこらに転がっている。

 懐かれるのも鬱陶しい。移動して、ソファに横たわるシュナ姫を抱き上げた。


「今夜はそこで寝ろ。盗みでもしたら首を刎ねるからな。しばらく向こうを見ていろ」


 先月、そういう少年がいたな、と思い出す。恩知らずの裏切り者はこの世で最も嫌いだ。

 なので、首を刎ねて川に捨てた。いや、ドブだったかも。殺した後、どうでも良くなって記憶が曖昧。

 ガルの視線を確認し、地下室への隠し扉を開く。ガルは盗み見しなかった。

 地下へ続く階段を降りていると、シュナ姫が目を開けた。


「ありがとう。降ろして」

「このままベッドまで運びます」

「そう? 断ってもいつも運んでくれるから、お礼を言うことにするわ。ありがとう。ねえ、男の子は全員騎士にするの?」

「ええ。己の力で成り上がれる良い仕事だと思います。常に人員不足ですし」

「期待薄なら直ぐに教えてね。少々あてがあるの」


 自分にも限界があり、何もかもは与えられない。だから、シュナ姫は騎士でも仕方が無いと妥協する。

 彼女が不服そうなのは、多くの下級騎士の末路が戦死だからだ。


「はい。そうします」


 笑ってみせたけれど嘘だ。ぶん殴って、脅して、たまに煽てて、使える手駒にする。

 戦争で手柄を上げるには、役に立つ駒が必要だ。


「カールはもう少し、こう、柔らかい……」

「苦手で不服ながらも努力しました」

「まあそうね。貴女、子供が嫌いですからね」

「シュナ様、いつか必ず私が貴女様の何もかもを世の中に見せます」

「ええ。それまでは、私の為に名声を高めて頂戴ね」


 シュナ姫は笑ったけれど、嘘だ。私を守る為の嘘。拒否したところで、シュナ姫は幸せにならない。悲しむだけ。だから、甘んじている。

 望まれている行動よりも、かなり態度は悪い。そこまでの自制心や演技力は養えていない。


「まだまだ先だけど、必ず父上を蹴落とすわ。お母様の為に……」


 この声には、憎悪よりも悲痛を強く感じる。いつもそうだ。シュナ姫の思考なら、復讐ではなく、母親が望むだろう平和を願う。

 父親や兄達に必ず復讐するとたまに口にするけれど、目が本気では無い。

 彼女の瞳には、憎悪の炎は宿らず、常に苦悩と悲痛が閉じ込められている。

 家臣が望むから口にしているだけ。


 本当は姫など辞めて、身一つで逃げ出したいだろう。

 国境戦線における数々の勝利立役者。

 搾取する貴族階級から市民への還元。

 私は関与出来ていないが、水面下での政治改革を実行。

 この城の中、いやこの国で一番与える側に立っているのは、シュナ姫だ。


 私の愛するお姫様は、ある意味イカれた化物だ。こんな状況で、隠れて与え続けるなんて、狂っている。

 私が彼女なら、城中に油を撒いて、何もかも燃やす。

 毎日毎日、そう思う。恩人を斬首にした者達を全員殺してやりたい。絶対に殺す。特に国王。妻も娘も見捨てる裏切り者。私の恩人を害する虫。絶対に許さない。

 何も知らずにシュナ姫を貶める者達も殺したい。

 それを望まないのはシュナ姫なので、直接手を下したりしない。敵と裏切者を使って害虫を殺す。

 私の中で、シュナ姫よりも重い命なんて無い。

 

「シュナ様、必ずやこのカールがお守り致します」

「いいえ。ねえ、そろそろ騎士は辞めて侍女に専念してくれないかしら?」

「それは無理です。戦場での高揚感を捨てられません」

「そう。頼んでも無駄なのよね」

「ええ。頑固者ですから」


 騎士を辞めるなら死ぬ。そう見せてから、シュナ姫は本気で頼んでこない。

 もしかしたら、今度こそ聞いてくれるかもと、顔色を窺う程度だ。


 今夜もベッドの布団の中で、二人で並んで眠れる幸福。

 戦場で死んだら、二度と得られない時間。

 それでも私は剣を握り、槍を手にし、返り血を浴びる。

 強さが無ければ、か弱いお姫様を守れない。だから、誰よりも強くなりたい。

 権力が無ければ、守りきれない。奴隷の部隊長ではなく、確固たる地位と権力が必要だ。その為に戦い勝利する。

 

「ねえ、カール。うんと考えるから、次も必ず帰ってきてね……」


 布団の中で、抱きしめられて、抱きしめ返す。


「シュナ様の作戦で、今まで帰ってきたので、これからもです。死にかけたら逃亡してきます」

「うん……。ねえカール、もう家族は貴女だけよ……」


 震える泣き声を出した、シュナ姫の背中をさする。

 夜な夜な寝言で呟くのは、母親の名や、失われた従者達の名前。それから、謝罪の言葉。


「ならそうですね。シュナ様が王位についたら、そこらで孕んで増やします」

「もう。そこらで孕むって、やめてちょうだい」

「ならシュナ様が産みますか?」

「まさか。誰と? 私を抱きたい男なんて居ないわよ」

「いえ。私が男ならっ!」

「あはは! くすぐらないで! そうよね、一人くらいいてくれるかもね!」


 あはは、という屈託の無い笑顔と声。


 愛情豊かで優しい。品が良くて穏やか。

 触れれば艶のある滑らかな髪に、至極の声。

 見た目が悲惨だとしても、誰かしら惚れる気もするが、生憎私は女なので分からない。

 男に生まれたかった。そうしたら、私は毎日シュナ姫を抱いて、愛を囁く。

 男が戦場で武勲を上げ続ければ、かなりの地位にまで登り詰められて、王女だって手に入れられる。

 特にシュナ姫は疎まれているから入手は簡単だろう。

 シュナ姫の目的は私と同じ。私を英雄として祭り上げ、王妃にする。

 王はシュナ姫の夫。飾りだけの女王に、本物の王とその隣に並ぶ私。

 分かっているのに、私はもう橋の上から降りられない。気がついた時には後の祭り。

 私のシュナ姫への献身を利用したこの作戦から、私は逃げられないと見抜かれている。

 私はシュナ姫から離れたくない。守りたい。彼女の顔に泥も塗りきれない。


 この国で最も醜く愚かな姫は、この国で最も美しくて賢い。


 世界は、神はなんて残酷なのだろう。


 シュナ姫に、人並みの容姿さえあれば、彼女は誰よりも幸せになれたに違いない。

 いや、万能は己だけで良いと、神は人に完璧を許さなかったのかもしれない。


 シュナ姫を愛する男性が現れたら、彼は世界一幸福になれる。私のように。



 ☆☆数年後★



 テーブルを挟んで向かい合って座り、チェスをする二人を、歯を食いしばって眺めている。


「と、いうのが俺の作戦だ」


 ティダの手がチェスの駒をごっそりと移動させた。シュナ姫が顔をしかめる。

 二人の左手薬指に、王家のしかたり通りに作られた。白銀製の指輪が光る。


「おいティダ、負けを認める前に盤上を破壊するな」

「惚れた方が負け、というからな」


 ニコリ、と爽やかな笑顔を浮かべると、ティダは腕を伸ばした。

 その手がシュナ姫の頭を撫で、頬を包む。

 シュナ姫は嬉しそうな笑顔を浮かべた。


「いちいち余計な台詞を口にするな。共同戦線には納得している。気安く触るな」


 ペチリ、とシュナ姫の手の甲がティダの手を払う。表情は笑顔のまま。


「愛する妻に気安く触らない夫なんているか? 居ないさ」


 拗ね顔でシュナ姫の髪を指で弄り始めると、ティダはこちらをチラリと確認した。


「で、お邪魔虫はいつまでそこにいるんだ? もうここはお前の部屋じゃねえ」

「いえ旦那様。貴方様こそお好きな部屋へどうぞ。あちらこちらで食い散らかして、楽しいでしょう?」


 微笑むシュナ姫は、ティダの手を再度払った。


「そりゃあ情報収集の為さ。この城を牛耳るのに、あれこれ仕入れないと。シュナ、お前が非協力的だからだ。あと欲と愛情は別さ。そりゃあ俺だって、可能なら朝から晩までお前の相手をしたい」


 そう告げると、ティダは立ち上がり、突然シュナ姫にキスした。

 驚いた後に、首を振ってもがくシュナ姫に、ティダはキスをしながら立ち上がり、彼女に近寄る。


「うえっ。苦しい。おい、やめろって」


 シュナ姫の両手がティダの首を絞めた。


 あはは、と呑気な声を出すと、ティダはシュナ姫を抱き上げて、再度軽いキスをした。


「だから気安く触るな。夫婦なんて関係は共同戦線が終わるまでだ。貴様は元帥補佐官に参謀補佐官。私が戴冠すれば表向きの王。褒賞は要求通り軍事力。欲しいものを与えてやるから、手に入れたらとっとと自国に帰れ。私に構うな」

「おいおい。俺達の夫婦関係は、一応休戦の象徴だぜ? 終われないさ。紙切れや口約束が何の役の立つ。言っただろう。俺は必ず国に舞い戻る。優秀な片腕が必要だ。そして互いを裏切らない相手でなくてはならない」


 シュナ姫の顔がどんどん赤くなる。ティダの首を絞める手に力を入れているのだろう。

 しかし、ティダは涼しい顔をしている。


「シュナ、非力だな」

「ああ。だから貴様を受け入れた。不敗神話、我が軍でも続けてもらうぞ。貴様の作戦は却下だ。作戦は私が考案中。お互い、囮役に駆り出されて犬死は御免だろう?」

「ならそろそろ話せ。ああ、ベッドの中でしたいのか」


 ヒョイッとシュナ姫を片腕で抱くと、反ティダは対側の手で彼女の手を拘束した。

 

「じゃれてくるのは悪くないが、女は可愛げを混ぜてくれないとつまらないぞ。まあ、政略結婚で数日じゃ愛も信頼も生まれないか。しかしなあ。俺はこうして歩み寄っているのに、つれなすぎだ。お姫様」


 また軽くキスをすると、ティダは歩き出した。


「歩み寄る? まさか。貴様と何かが生まれる事はない」

「んだよ。あんなに乱れて、懇願の目で見といて……。照れ屋か。今は忠犬が見ているもんな。シュナは照れ屋だと覚えておこう」


 楽しそうなティダに対し、シュナ姫は思いっきり不満げな表情を浮かべた。


「私はカールと寝る」

「はいはい。初夜だけしか一緒に寝てくれなくて寂しいよ。まあ妻のおねだりは聞くべきだから仕方ないな」


 地下室への隠し扉を開きながら、ティダはまたシュナ姫の抱き方を変えた。抱き竦められたシュナ姫の手が、ティダの背中を叩く。

 地下室への扉が閉められた。こうなると、ティダはしばらく出てこない。私は部屋の床を義足で破壊したい衝動を抑え、扉前をうろうろした。


「あの犬皇子め。シュナ様を拐かして、何もかもを簒奪する気だ。東のハイエナめ。クソ野郎が」


 休戦協定締結の証にと、東から婿入りしてきた皇子は、この城ではもう用無し。

 暗殺して「病死してしまいました」と報告する予定である。国王はティダ皇子を密偵だと考えているらしい。

 国王勅命なので、私も堂々と殺そうとしたが、ティダは強かった。

 怪力で、素早く、人外みたいな強さ。おまけに城内を血で染める、化物狼まで飼っている。


 時が満ちてきて、シュナ姫が国王の座を狙おうとしていた矢先にこの政略結婚。

 休戦協定締結及び、東の国と共に南の国へ戦争を仕掛けるという決定。その為の結婚。

 その中で、シュナ姫と彼女の軍の立ち位置は囮役。要は死ね、という事だ。

 頭のイカれた醜い姫と結婚して、共同戦線の囮役になれ、とはティダも祖国で疎まれているらしい。

 ティダは皇帝に復讐し、祖国を手に入れる息巻いている。その為には権力と武力が必要。

 それを手に入れるのに簡単なのは、シュナを女王にすること。そうすればティダは王だ。

 

「くそっ。殺してやりたい……」


 床を蹴りそうになり、耐える。

 この部屋はシュナ姫の私物だから、壊してはいけない。

 イライラは募るが、捌け口がない。

 ティダが出てきた瞬間に、シュナ姫の側へ駆け付けたいから、部屋から出て行く訳にはいかない。

 今夜、一つ試したい作戦がある。私はひたすらティダが戻ってくるのを待った。

 何かを待つという時間は、長過ぎる。怒りが頂点に達した時、地下室への扉が開いた。

 待ち焦がれた相手が、欠伸をしながら、のんびりと歩いてくる。


「ああ忠犬。おやすみ」


 目も合わさずに私の横を通り過ぎようとしたティダに向かって、両腕を伸ばした。

 

「主の為に色仕掛けは良いが、俺はお前みたいに他の男や血の匂いがする女は苦手だ。遊ぶ相手として選びたくない」

「私はシュナ様唯一の家族だ。使える駒だぞ。シュナ様は諦めて私にしておけ」


 首に手を回して、体も密着させる。


「嫌だね。何度も抱くのは妻だけだ。誓った相手はシュナでお前じゃねえ。女からの愛情と男からの愛情は種類が違う。俺の大駒には、それなりの謝礼が必要だ。お前はお前で使う。しかしこの役回ではない。却下」


 ティダは私を突き飛ばした。軽く押されただけなのに、強過ぎる。よろめき、危うく床に腰をぶつけそうなった。

 私を見下ろす、夜の海のような暗い瞳に、ぞくりと背中に戦慄が走る。


「シュナ様を極楽浄土へ導かなければ死よりも恐ろしい目に合わせてやる。そう言ったのはお前だ。で、俺は何をしている? 妻を大事にしているぜ。守ろうともしている。大事な戦力を殺してみろよ。返り討ちだ。お前の実力で俺が殺せるのか?」


 無理だろう? と言わんばかりにニヤリと笑った後に、ティダは不機嫌そうに顔をしかめた。

 フンッと鼻を鳴らし、部屋から出て行く。

 殺してやりたいが、実力が及ばない。奇襲、暗殺と思って隙を窺っていたが隙がない。おまけに、みるみるシュナ姫の軍を掌握しやがった。

 圧倒的強さを見せ、自分達はこれから負け馬姫派閥から勝ち馬皇子派閥になると披露。ついてくれば、金や権力が手に入る。掌握はあっという間だった。戦車を素手で破壊した人外。東の国には化物が住んでいたらしい。

 ティダはそのように、言葉巧みな詐欺師にして、人外かつカリスマだ。誰も彼もが、ティダの抗い難い空気に飲まれていく。


「シュナ様……」


 あんな男に絆されてしまったら困る。欲しいものを手に入れたティダが、シュナを捨てるのは明らか。

 地下室へ続く階段を降りて、寝室へと向かう。シュナ姫は寝巻きを着るところだった。

 腕を動かし辛いようで、もぞもぞと遅い。近くに寄って、手伝った。


「大丈夫でしたか?」


 シュナ姫は無言。無表情で、私の事を見ない。大丈夫では無さそうだ。シュナ姫はテーブルに近寄っていく。


「……霜夜の さむしろに 衣片敷き ひとりかも寝む……」

「シュナさ……」


 声を掛けようとすると、シュナ姫は羽根ペンを掴み、テーブルに突き立てた。

 テーブルではなく、羊皮紙にだ。異国の字で何か書いてある。ティダの筆跡。


「期待していた⁈ ふざけないで!」

 

 シュナ姫の絶叫が響く。彼女は机の上に重ねている本を腕で払い、床に落とした。


「切ない想いで寝る⁈ 死ね! 絶対に殺してやる!」


 床に落ちた本を蹴ると、シュナ姫は振り返り、私に抱きついてきた。

 こんなに怒りの感情を爆発させるシュナ姫は初めてだ。


「シ、シュナ様……」

「あの目……。なんたる屈辱……悔しい……」


 シュナ姫は私の胸に顔を埋め、うわあああんと声を上げて泣いた。

 このように泣くのも、何年ぶりだろう。


「あんな目をして、騙せると思っているの!」


 大粒の涙を流し、荒い呼吸で、シュナ姫は椅子の背もたれを掴んで投げ飛ばそうとした。

 非力で持ち上がらない椅子を手で払う。痛みに顔を歪めると、シュナ姫は床に座り込んだ。


「私の家臣が捨て駒にされる。用済みになったら殺される。あの男は私の何もかもを奪う……。 絶対に騙して操ってやる……」


 うずくまり、震えながら泣き続けるシュナ姫を抱きしめる。


「すみません……。あの男、ちっとも殺せず……」

「殺さなくて良い。返り討ちに合うだけよ。素直に従いなさい。殺せないなら使うまで。私を手篭めにしたいのならさせてやる。貴女達の為なら……何でもする……。なのに悔しい……。腹が立ち過ぎて演技が出来ない……」


 シュナ姫の腕が背中に回る。きつく、縋るように抱きしめられた。


「絶対に手を出してはダメよ。お願い、殺されないで。お前なんて誰にも愛されない。だから欲しいだろう? というあの蔑みの目、許せない。私は誰よりも本物を知っているわよ! ふざけないで! このような侮辱、絶対に許さない! 利用して必要がなくなったら絶対に殺してやる!」


 シュナ姫は再度大泣きした。泣いて、泣いて、泣き続け、疲れて眠った。

 毎日だ。ティダに抱かれ、毎日泣く。さめざめと泣いていたが、今日は初めて怒りを露わにした。

 シュナが密かに恋愛小説が好きなことを知っている。

 時折私を着飾ろうとするのも、お洒落への憧れ故だ。

 見た目が悲惨でも、カールみたいに誰か一人くらいと口にした事を思い出す。

 騙されたフリが出来ないのは、純情を捨てられないのとプライドか。


—— 私は誰よりも本物を知っているわよ!


 その通りだ。シュナ姫の母は残していく娘の為に、国王を批判せず、大人しく死刑台に登った。娘に母を非難せよと命じて。

 シュナ姫の母が残したシュナ姫の護衛は、全身全霊で彼女を守っている。

 散って行った仲間は、シュナ姫の母だけではなくシュナ姫を敬い慕い、命を散らした。

 私も泣いた。戦い続け、シュナ姫に与えられた軍の頂点に登り詰めたのに、まだ足りない。

 力が欲しい。誰よりも強くなりたい。


 二人で泣いて、寝台で一緒に眠った。


「カール……今日もありがとう……」


 闇世の中での囁き。私は毎晩、眠ったフリで本音を聞く。


「私……幸せね……」


 少し震える涙声。


「守らないと……」


 腕に抱きつかれた。シュナ姫の本音に、叫び出しそうになる。

 死に怯え、地下室に閉じこもり、病のせいで誹謗中傷され、好きでもない男に蹂躙され、漏らす本音が「幸福」と「守りたい」とはおかしい。

 シュナ姫の日常は特殊なのに、彼女の中ではそれが当たり前。そのせいだ。

 

 約一ヶ月後。私達は出征した。国軍の約1/2が投入される、東の国との共同戦線。

 難攻不落の異次元大国を陥落させれば、想像を絶する富と力が手に入る。


「本国へ帰還し王が隙を見せたら首を刎ねる! 私は本日よりドメキア王に反旗を翻す!」


 声すら変わった、態度の変貌したシュナに対して、司令室中にざわめきが起こる。

 シュナは右手を握り、その拳で机を殴った。

 水を打ったような静寂がおとずれる。


「バース軍は先に第二軍の後方へ回り込む。カール軍は東から突撃。どうせあの豚兄第二王子は大軍に胡座をかいて平野いっぱいに兵を広げるはずだ。後ろと横から一気に叩いて中央制圧。豚兄第二王子さえ討ってしまえばいい!」


 司令室は静まり返ったままだ。そりゃあそうだ。醜く阿呆な姫が、鈴を転がすような美声で、作戦命令を出している。


「ちなみにティダの任務が成功すれば第四軍はほぼ無傷。期待しようではないか」


 嫌味っぽい言い方をすると、シュナ姫は隣にいるティダの肩を叩いた。

 ティダは軽く会釈をした。シュナ姫を立てる演技だ。

 シュナ姫は机によじ登り、地図を両足で踏んだ。両腕を組んで司令室内の部下を見下ろす。

 この日を待っていた。これから、シュナ姫はこの世の何もかもに反撃する。

 私は彼女を守る。持てる力を全部使って守るのだ。これまでのように。


「謀殺されかける事108回。毒蛇の牙にかからぬ醜い姫。我が名は不死の蛇(ヴォロス)。私に従えば死が避けて通る勝利の女神を従える唯一の蛇だ!」


 仁王立ちしたシュナ姫が一同を順繰りに見据える。

 私は彼女が「勝利の女神」と口にした際に見られた。堪らず、シュナ姫の隣、机の上に飛び乗る。


「血塗れの戦乙女の参謀長シュナ姫を裏切れば私が地獄の果てまで追いかけよう! 従う者には勝利を! 報償を! 権力を! あらゆる物を授けると約束しよう! 英俊豪傑(えいしゅんごうけつ)不老の蛇(ヴォロス)に心臓を捧げる者はおるか!」


 高らかに剣を掲げる。シュナ姫も私もこの場限りの忠誠心など見抜く。だから返事になど興味ない。

 ティダがシュナ姫を引っ張って机から引き摺り下ろした。それからシュナ姫を横抱きにし、机の上へ飛び乗る。


「無敗神話の大狼兵士ティダ・エリニュス・ドメキアここに!」


 シュナ姫はフンッと鼻を鳴らした。ティダの腕の中で狡猾な笑みを浮かべている。お前のことなど信頼していないという冷めた目線。


「血塗れの戦乙女カールは当然ここに!」


 叫ぶついでに、ティダの左足を踏みつけようとしたが無駄だった。素早く避けられる。

 矛先を失った私の義足は机にぶつかり、巨大な音を立てた。思わずチッと舌打ち。

 今は隙がないが、ほんの僅かでも隙を見せた時に殺す。

 即死させない。シュナ姫の純情を奪ったことを、後悔させ、懺悔した後に首を跳ねる。侮辱には侮辱を返さねばならない。


「賢翁バースここに!」


 バースが机の前方に進んで、両腕で剣を握り、剣先を天井へ向けた。


「戦乙女の盾にして剣。威風王シュナ様の忠実なる家臣ゼロースここに!」


 高々と左腕で剣を掲げたのはゼロース。それを見てビアーが同じように剣を掲げた。師団長達は戸惑っている。

 すぐに状況判断出来ない者など戦場で死ぬだけ。師団長の殆どは温室育ちの貴族騎士。何も見抜けない愚か者など守るつもりはない。


「私には燃犀之明(ねんさいのめい)がある! 美の神が嫉妬で燃やし尽くしても消し炭にならなかった才覚がある! 愚者な王子に寝返るのなら大手を振って見送るぞ! 不老の蛇(ヴォロス)狂った狼(メニア)に命を預ける猛勇はもういないのか!」


 シュナ姫の怒号に、師団長達が次々と剣を掲げた。

 王とは本来このような者を示す。圧倒的なカリスマを有する、抗い難い存在。

 バースを突き飛ばして机の前方、シュナ姫の眼下に移動した。

 信頼すれば無防備に背中を預ける。シュナ姫になら刺されて良い。そもそも刺されないが、刺されても許せる。ティダはついでだ。

 シュナ姫の婿の座が必要な間、クソ狼は私を殺さない。この一ヶ月で、そのくらいの信用はした。

 剣の柄を両掌に当てて剣先を床に向ける。


「全員並べ!」


 元帥の命令に師団長が整列する。そこにバース、ゼロース、ビアーの三人が並んで、ティダの腕の中のシュナ姫に向かって敬礼した。


「我が第四軍の主は誰だ!」


 腹の底から声を出して吼える。


「シュナ・エリニュス・ドメキア様です!」


 その通り。シュナ姫がティダの腕から降りた。ティダも机から降りてバースの隣へ並ぶ。


「ベルセルグ皇国にもこのような主はいない! 皆の者! 幸運に喜び震えろ!」


 ティダが私に負けるかと言うように吠えた。睨まれたので、睨み返す。

 婿面しやがって、シュナ姫の権力を傘に着て、今に見ていろ。国を追い出された阿呆な皇子め。

 シュナ姫の望み通り、侮辱罪で死刑だ。役に立たなかったら、ぶっ殺す。役に立っても、ぶっ殺す。


「打算で良い! 裏切り上等! 毒蛇の巣では生き様がこそ全てだ! しかし尽忠報国の働きをすれば家族ならず子々孫々へ輝く未来を約束しよう! 民を虐げ搾取するドメキアの強欲蛇王(アバリーティア)に裁きを下す! 我が名は不死の蛇(ヴォロス)! どんな毒も食らい生き残る!」


 高らかに宣言したシュナにその場にいる全員が跪いて首を差し出した。

 毒を食らわば皿までというように、彼女は止まらない。

 囮役を拒否して国家反逆罪への道。しかし、血染めの道は私欲ではない。


 この世は因縁因果、生き様こそがすべて也。


 それならば、いつか報われる。正しい者は救われる。シュナ姫は選ばれる。

 彼女がこれまで人知れず築いてきた幸福を、彼女の功績の数々を披露できれば……。

 剣を握り締めて、歯を食いしばる。

 ここで死ねば終わり。生き残り、祖国へ帰り、目指すは王座だ。



 ☆☆


 これは、その後のお話。お姫様は深夜、たった一人にだけこう告げました。


『何故こんな気持ちになってまで、見知らぬ他人を守ろうとしているのかと、全部捨ててしまいたかった』


 彼女は捨ててしまいたくても、捨てられない。

 味方には信頼の刃、敵には本物の刃。

 四方八方から突き刺され、己の血をひたらすら流しながら、この世の全てを背負うしかない。

 

 後世、彼女にはいくつかの異名が付く。その中の一つは「血塗れの戦乙女」

連載作 風詠蟲姫の外伝


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