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浴槽の人魚  作者: 骨魚
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みなぞこにとけるいしき


 静海(しずか)くんと喧嘩しちゃった。

 あんなに怒っている静海くんは初めてだった。


「ほら、また『でも』だ! また話を振り出しに戻す!」


 そうじゃないの。話題をすり替えたり、変な方向にしようと思っている訳じゃないの。

 どうすれば分かってもらえるんだろう。どう言えば信じて貰えるんだろう。


 私と静海くんとは付き合って2年目になる。

 出会いは新人の私に、彼が教育係として仕事を教えてくれたことから。


 静海くんは優しいし、なんでも器用にこなす。

 でも付き合い始めてから、家ではちょっとだらしないって事も知った。

 指摘するとちょっと恥ずかしそうに笑う。会社では何をやっても完璧なのに。

 そんなところも可愛くて、私は彼に夢中になっていた。


 そう、私は彼に夢中で、大好きで。

 まさかこんな噂が流れるだなんて思わなかった。


 深谷 穏月(みたに しずく)は二股を掛けている。

 相手は先輩で彼氏の片桐 静海(かたぎり しずか)くんと、私と同じ年に入社した八城 宏峰(やしろ ひろたか)さん。そんな噂。


 多分、きっかけは私の仕事を八城さんが手伝ってくれたことから。

 本当にそれだけ。

 そもそも、八城さんは高丘(たかおか)先輩のことが好きだと思うし。

 私を手伝ってくれるのも、高丘先輩の仕事は繋がっているから、私の仕事が滞ると先輩が大変になるからだと思うんだよね。


 でも、嫌な噂はあっという間に広まってしまって

 私は元々あんまりお喋りが得意じゃなかったのもあって、簡単に周囲から孤立してしまった。


 心細いよ。怖いよ。

 だってみんなが私に後ろ指を指して笑っているんだもん。


 そんな中、静海くんは私に声を掛けてくれた。

 静海くんも会社で嫌な目に遭っているのに「話し合おう」って私を家に呼んでくれた。


「だから聞いてよ! 八城さんはただ私の仕事を手伝」

「言い訳が聞きたいんじゃない!!!」


 叩きつけるような怒りの声に、びくりと体が固まった。

 違うの、そうじゃないの、いろんな気持ちがぐちゃぐちゃになって


「      」


 何も聞こえなくなった。

 まるで世界にひとりぼっちになってしまったかのような気持ちになる。


「……。」


 気が付けば、私の目からは涙が溢れていた。

 でも、涙を拭くことも、彼から目線を逸らすことも出来なくて


「そう、だよね。ごめん……ね」


 なんとか言葉を絞り出すも、もう、それだけしか言えなかった。


 ソファーの上に置いていた鞄とコートを掴み、私は彼から逃げ出した。

 もうなにも考えられなくて、息が苦しくて、まるで海の底に落ちてしまったみたいだった。

 ひとりぼっちになりたかった。





 泣きながら街を走り抜ける。

 誰かに見られているかも。そんてことを考える余裕もなくて。


「ふ、ぅう、えぇええぇぇぇぇぇぇぇん………」


 夕焼けが、涙で滲んで、血に濡れたみたいで

 胸がキシキシと痛んで、まるでナイフでも突き立てられたみたい。


 走って、走って、走った。


 息が切れて、走れなくなった頃、私の目の前には穏やかな海が広がっていた。

 夕焼けが地平線の向こうに消えようとしている。


 堤防に腰掛けて、夕焼けを見送った。

 寒いけど、それが今は心地よかった。 


 夕焼けがすっかり海の向こうに沈む頃、自分の名前と同じ月が空に輝いていた。

 何故か心がもやついて


「私は、あなたの海に落ちたいよ」


 なんて呟く。

 海に映る私と、月を眺めながら、ため息を吐いた。

 と、ポツリと顔に雫が落ちる。


「え?」


 ザァッ、と突然に雨が降り出した。

 ぽかんとしている間に、あっという間に土砂降りになる。

 ゲリラ豪雨、っていうあれかな。


 月も雲に隠れてしまっていて、海にすらも映らなくなっていた。

 私の体もすっかり冷え切っていて、もうここにいる意味もないかな、と腰を上げる。


 立ち上がろうと


「あ」


 して、足を、滑らせ、た。


 ザブンと音を立てて大きな水飛沫が上がる。


 海は怖いくらいに冷たくて、全身が強張った。

 既に冷え切っていた体は冬の海に抗える訳もなくって


 ぱしゃん。


 あっという間に、私の視界は青に塗りつぶされた。


「    」


 彼を呼ぶ言葉は、あぶくになって消えていった。

深谷みたに 穏月しずく

23歳/女性/会社員

一人称「私」

のんびり屋な性格の女性。不器用で、大人数での会話は苦手。

多少周囲から孤立していることは理解していた。

仕事は遅いものの、細やかな気配りは出来る人物。

片桐とは恋人同士。


別の男性と二股をかけているという噂が立っている。

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