幕間・赤毛と放課後の学校
赤毛のウォルフガングの話です。
放課後。珍しくひとりで廊下を歩いている。
劇の練習も終わり、帰るつもりだったのだが。寸前で二組の担任に捕まって、ちょっとだけ手を貸してくれと頼まれたのだった。
舌打ちは心の内だけにとどめ、手伝いを申し出てくれたヴィーは丁重に断り帰宅させて、オレはひとりで頼まれた道具運びをすることになった。
多分、昔の魔法で使ったのだろう、年季の入った重い杖のようなものを三本も持たされて、図書館へ向かった。
図書館は学園と隣接する魔法研究所との境に建ち、両施設のものだ。たったひとつの入口は、学園内にはない。いったん研究所に入らなければならず、面倒だ。
国内で見つかった魔法に関する古書は全て、ここへ納めることが法律で決まっている。貴重な本ばかりがある、大切な図書館だ。
だが逆に言えば、古くてカビ臭い魔法の本しかない、古い施設。
学生でここを利用するのは、よほどの物好きだ。オレも入学直後の学校案内のときに入っただけだ。
それに普段は入退出を厳重に管理しているという。
図書館内へ入り、名前や所属、入館の目的などを細かく帳簿に書き記し、係員と共に地下へ降りた。
そこは、なんだかわからないものたちの墓場だった。大半は埃を被って雑然と置いてある。何年、いや、何十年も動かしてないのではないだろうか。
その中でも比較的埃の少ない一角に、係員の指示で運んできた杖らしきものをしまい、オレの仕事は終了。
一応、係員からねぎらいの言葉をもらい、地階に戻ると、ばったりアルとジョーに会った。
「なんで、こんな所に。しかも埃まみれじゃないか」
と目を見張るアル。
「また雑用だ。二組の教師に頼まれて道具を運ばされた」
「二組?」とジョー。「ずうずうしい。うちのクラスの委員を勝手に使うな」
オレの後ろからさっきの係員がやってきて、アルに丁寧に頭を下げて通りすぎる。
最近忘れがちだが、こいつは次期国王になる男だ。
「こんな時間まで調べていたのか」
今日の二人は、劇の練習に付き合わず先に下校した。だがまだ制服姿だ。きっと馬車で学園を出てそのまま研究所に入ったのだろう。
「でも帰るところだ」とジョー。「ヴィーたちは?」
「帰った。馬車を見送ったぜ」
そう、とアル。
週に何度か、二人はここで古い魔法書を読んでいる。だがそれは秘密だ。
「まったく。魔法研究の論文ならいくらでも書けそうだよ」
とアル。口調は明るい。
「俺も」とジョー。「すっかり古文字のエキスパートだぜ」
あんまり根を詰めるなよと言うか迷い、やめた。
三人で図書館を出ると、ジョーがオレの埃を払ってくれた。
「埃まみれのロミオなんて、格好がつかないぜ」
「…お前が諸悪の根元だよな?」
そうだったっけ?とすっとぼけたジョーの肩に、軽くパンチを入れる。
「やめろよ、予科練生の一撃はキツイ」
と笑う。
「アンディが褒めてるよ」とアル。「一流の騎士になれる素質を持っているって」
「素質、ね」
つまり、まだまだ鍛練が足りないということだ。
「ひねくれるなよ」とジョー。「誰もが褒めてもらえる訳じゃないぜ。ま、気持ちはわかるけどな」
そんな二人と別れて学園に戻る。
文化祭が近いので、残っている学生が多くいるのだろう。遅い時間だがまだざわめきや物音が聞こえる。
だが学級の教室がない地階に、人の姿はない。
職員室をのぞき、二組の担任に仕事を終えたことを報告をする。研究室にこもっている教師はゲインズブールぐらいなもので、放課後の担任たちは会議だか雑談だかをして過ごしているようだ。
茶なんか飲んで和やかだ。人に仕事をさせておいて。覚えてろ。
そのまま直進すると医務室がある。いつの間にか、ヴィーはすっかり救護医キンバリー先生になついてしまった。
そのせいなのか、彼女は毎日のように劇練習を見に来ている。けっこうな美人だから男子連中は喜んでいるが、オレは彼女が苦手だ。
そんなことを考えていたら扉が開き、当のキンバリー先生が出てきた。本やら書類やらを抱えている。オレを見て、
「あれ、先生に用?」
と訊く。
頼まれた仕事を終えて通りがかりだと答えれば、おつかれーと言いながら、医務室の扉に不在の札をかけた。
その手は、綺麗だ。よく手入れがされている。
この人は本来、身なりに気を配るタイプのはずだ。私服のときは、年齢と独身であることを考慮したセンスの良い服を着て、小物まで気を配っている。
それなのに、なんで仕事着は髪止めにいたるまで、毎日変わりばえしない定番セットを着ているのだ。
そのくせ薬草を調合するときは、きちんと手袋をしているし、靴はいつもピカピカに磨いてある。
「他クラスの仕事まで任されてご苦労なことだ。ご褒美にお茶でもあげたいところだけど、こんな時間に男子学生と二人きりでお茶してたら、クビになっちゃうからね」
ひとを食った胡散臭い笑顔だ。
「最近、ヴィーといますよね? 」
確実にヴィーと二人っきりで、お茶をしている。
「ヴィーは特別」先生は悪役っぽい笑みを浮かべる。「怖いお兄さんから面倒をみるよう雇われているから」
「雇われているって」
この人の言葉はどこまで真実なのかが、わからない。オレは小さい頃から店に立って商いを見てきたせいか、人を見抜く目には自信があるのだが。
「ちゃんと報告してるよ。劇練習の話なんて、コメカミをピクピクさせながら聞いてるからおもしろい」
「げっ」
「あはは、うそだよー」
笑った先生はその拍子に手を滑らせたのか、持っていた本やら書類やらを落とした。
やっちゃったよ、と言いながら拾う先生を手伝おうと、遠くへ飛ばされた書類を拾いにいく。
「あれ?これ」
ヴィーの字だ。昨日の授業のノート。
「なんで先生がこんなものを」
「マリアンナ用」
拾った書類は全部ヴィーの書いたものだった。
「マリアンナ用?」
「そう。ヴィーちゃんは授業のノートを写して、マリアンナに渡してる。私経由で毎日ね」
手の中の紙を見る。きれいな字で丁寧だ。
これを毎日?あんなヤツに?
「お人好しだよね。ヴィーちゃんは自分がすっきりしたいだけ、なんて言ってるけど」
「なんで俺に黙って…」
「ウォルフガングにこれ以上忙しくなってほしくないからだよ」
そういえば。
すっかり忘れていたが、郊外学習で事故を起こしたヤツが学校に来ないまま、夏休みになりそうだったとき。ヴィーに誘われて、クラス委員としてヤツの屋敷まで会いに行った。
ヴィーはうまく説得をして、ヤツは終業式に登校したのだが。
そのときにヤツがヴィーに、いつもありがとうと言ったのがひっかかったのだ。きっとあれもノートを届けていたのだろう。
オレは先生を見るとノートの写しを渡した。
「マリアンナはちゃんと使っているんですか?」
「ああ。彼女は変わっているけど、プライドは高い。停学処分がとけた後に授業についていけないのは、我慢ならないだろうからね」
「それなら、いいです。この件は明日、オレからヴィーに話します。先生は口を出さないでください」
わかったよと言って、また悪い笑みを浮かべる先生。
「君も大概だよね」
そのとき。
「おい」
と不機嫌な声がかけられた。
「こんな時間に巣から出てくるなんて、めずらしい」
とキンバリー先生。声の主はゲインズブールだった。
「手紙、送っただろうが」
授業とは違う低い声。眉間には皺がより人相が悪い。
「見てない。気づかなかった」
「ちゃんと見ろ、能無し。腹が空いた」
キンバリー先生は深いため息をつく。
「学食へ行け」
「早く持ってこい」
踵を返すゲインズブール。
「昼は?」と先生。
「食べてない」
そのまま去るゲインズブール。
なんなんだこの会話は。意味がわからない。
ゲインズブールは、受け持ちの生徒を完全無視だし。
「ひどい話でしょ?」と先生は肩をすくめた。「朝晩ほとんど、私が食事を運んでるの」
なんだそれは。
「学園に住んでいる職員は私だけだから、いつの間にか飼育係にされちゃったんだよ」
飼育係って。
「…ゲインズブールも寮に入ればいいじゃないですか。使用人も置いて」
先生はため息をついた。
「学園長も勧告してるけど、聞きやしない。何度か小間使いを雇ったけど、全員三日で逃げ出した」
「…よくクビにならないですね」
「他人の魔法レベルをあげることには秀でているからね。研究成果もあげている。不思議だが、教師の仕事もそれなりにこなしている」
確かに、授業はちゃんとしているし、生徒に嫌われていることもない。
「キンバリー先生が手を引けばいいんじゃないですか?」
先生はちょっとだけ顔を陰らせた。
「三十路独身女に拒否権があると思う?クビになると困るんだよ。いつまでも実家を頼るのは嫌だからね」
そうか。
結婚しない。かといってお決まりの修道院にも入らない。
こんなケースの女性は貴族には稀だ。実家に頼る気がないのなら、仕事は重要だ。
「万が一のときはうちに来てください」
ブラン商会は学園を卒業した平民の就職先として人気がある。
「なにそれ、プロポーズ?さすがに13コ下は遠慮するよ」
キンバリー先生はまた人を煙に巻くと、カッツに殺されるから急ぐよと言って、去って行った。
やっぱり、苦手だ。
ようやくのことで正面玄関にたどり着くと、見計らったようにうちの馬車が来て目の前に止まった。
柱の影から出てきた侍従が手紙を差し出す。
開くと、オレの顧客が来店すると書いてある。急げばなんとか間に合う時間だ。
馬車に乗り込むと、侍従に、
「到着するまで寝させてくれ」
そう言って、目を閉じた。
読んでくださって、ありがとうございます。
一見様も、アクセスしていただきありがとうございます。
昨日からただただ狼狽えていますが…。
つたない小説に目をとめて頂き、感謝しきれません。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回、本編にもどります。
《2019,2,23》
☆アクセス急増お礼のおまけ☆
☆その頃の2組委員たち(バレン編)☆
「お、本当だね。よく見える」
とキースが言う。どれどれとその隣に割り込むと、俺に押されたクラスメイトが
「ペソアの王子がこんなことしていていいのか」
と笑いながら小突いてきた。
「無礼者め」
とやり返して窓の外を見る。
ここは講堂に僅かにある二階席用ロビー。シュシュノンの重鎮が来た時用の場所らしく、立ち入り禁止区域だ。だけれどここから向かいの校舎がよく見える。
二年の、何組だかは知らないが、文化祭でバレエの白鳥の湖にセリフをつけて劇にアレンジして上演するクラスがある。それがここから丸見えだというので、クラスの男たちがこぞってやってきたのだ。
何しろ元がバレエだからなのか。それとも普段の鬱憤払しなのか。白鳥をやる女子たちの衣装が、上は体の線がはっきりわかり、下は丈こそは膝下まであるけれど薄いチュールを何枚も重ねただけの見えそうで見えないだけど見えそう、という素晴らしいものなのだ。
見学に来ない理由がない。
あの女子が…、とか、いやこっちの女子が…なんて楽しく盛り上がる。
「何しているの?」
掛けられた声に振り替えると、険しい顔のディアナと苦笑いをしているティントレットが立っていた。
「外から丸見えよ!」
クラスの男子たちはたちまち蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。
「バレン!キース!」
一緒に逃げ出そうとしたが、ディアナの鋭い声に思わず足を止めた。
あっという間にクラス委員の四人だけになる。
「クラス委員が一緒になって何をやっているのよ!」
俺とキースは顔を合わせた。
「そりゃ委員はクラスの親睦をはかるものだろ?」
俺の言葉にティントレットは吹き出したけど、ディアナはますます恐ろしい顔になった。
俺とキースは再び顔を見合わせると。瞬きひとつで意志疎通完了。
ディアナに背を向けて脱兎のごとく逃げ出した。
「王子の辞書に『逃走』ってあるの!?」
とキースが走りながら叫ぶ。
「俺の辞書に乗ってない言葉なんてない!」
と叫び返す。
背後からディアナの怒る声とティントレットの笑い声が聞こえてきた。




