幕間・赤毛と委員会
赤毛のウォルフガングの話です。
噂が広まるのは流行病が広まるより早いと聞いたことがある。ましてや狭い学園の中だ。
数少ない平民で、滅多にいない強大な魔力の保持者であるマリアンナの教科書がズタズタに切り裂かれた事件は、次の日には学年中に知れ渡っていた。犯人はヴィーたちのグループの誰か…
ということにマリアンナがしたがっている、ということも一緒に。
少なくともクラスのほとんどの生徒が、マリアンナの自作自演だと思っている。
教科書事件の前にヴィーとオレに苛められていると吹聴したのが、彼女にとってはマイナスに働いた。
元から評判の悪い彼女に比べてヴィーの評判はいい。
ヴィーと少しでも交流を持てば、あいつがどんなに心根の優しい素直な性質か、すぐにわかる。
そもそも、オレがミリアムに平手打ちをくらったあの事件。あれに立ち会ったやつらは、ヴィーがどんな人間かわかっているのだ。
アルベール殿下の前で『親友』としての振る舞いを一切せずに、自分に非があると謝罪した誠意と判断力に、毅然とした態度。周りはほぼ見知らぬ客という状況の中での度胸。姉に見せた優しさとオレへの真摯な眼差し。
あのヴィーが、つまらない苛めをするなんて、誰が思う。
ヴィーを知っている人間からしたら、マリアンナのしたことは、自分は嘘つきだと言いまわっているのと同じことだ。
ならば、教科書の事件だって彼女の嘘だとみな考えて当たり前。
ほとんどのクラスメイトがヴィーを信じているし、そのヴィーを必死に守ろうとしているミリアムたちのこともまた、信じているのだ。
更に、マリアンナが強大な魔力の保持者というのは事実だろうが、実は教師陣はそれを口にしたことは一切ない。ゲインズブールの特別指導を受けている以外は、全く他の生徒と同じ扱いを受けている。
それなのにどうして、『平民』、『強大な魔力』を理由に、ヴィーたちグループが彼女を苛めるというのだ。
もちろん中にはヴィーたちに反感を持っているやつも、マリアンナを信じているやつもいるけれど。数にすれば圧倒的に少ない。オレが考えていた以上に。
そしてミリアムたちは、自分たちが考えているよりずっと、味方が多いのだ。それはあの日医務室で、ミリアム自身がヴィーに言った通りの理由で。
だからと言って楽観視はできないけれど、大問題にはならなさそうだ。事件直後よりは安堵している。
あれから彼女が他に仕掛けてくることも、今のところない。その理由がどこにあるのかは計り知れないが、少なくともそのひとつは想像がつく。
ゲインズブールの特別指導が厳しすぎて余裕がないのだ。キンバリー先生もそう言っていた。
どうやらあの先生は、ゲインズブールの 担当といった立場らしい。指導がどのようなもので、どの程度の時間を費やしているか把握しているようだ。
研究者としてのゲインズブールは、報告連絡ついでに相談といったものを知らないらしい。その穴埋めをキンバリー先生がやらされているようだ。
以前本人が言っていた通り、数少ない女性教師だ。しかも学生寮に住んでいるらしい。マリアンナの様子を見る担当も兼ねているようだ。
そのキンバリー先生が、寮でのマリアンナは疲労でほぼ屍状態だと言っていた。
ヴィーちゃんには内緒だけど、とキンバリー先生はこそっと笑顔で教えてくれた。怖いお兄さんがカッツを煽っているんじゃないかな、と。
もうひとりの怖いお兄さんも先日学内で見かけた。何かしらの公的な用があって来たらしいが、仕事モードで笑顔を封印したあの人の威圧感は半端じゃない。さすが強面厳格な騎士団長の息子だ。ヴィーは気にせず満面の笑みで手を振っていたけれど。きっとあれも、マリアンナや、ヴィーたちに悪意を持つ者への威嚇なんだろう。
まったく。どれだけ愛されているんだ。
「ねえ、ウォルフガング」
ヴィーの問いかけに視線を上げる。
「一体どんな悪いことをしたのさ。こんな罰を受けるなんて」
オレは罰として医務室の窓拭きをしている。それを人の良いヴィーが手伝ってくれているのだ。
「それは内緒」とキンバリー先生。「でもそろそろ終わりにしていいよ。私、出かけないといけないし、君たちもあんまり委員会に遅れるとまずいでしょ」
はーいと返事をして雑巾とバケツを片付ける。ヴィーにこんなことをさせたと知られたら、怖いお兄さんたちに凄まれそうだが仕方ない。オレは損な役回りなんだと最近諦めている。
医務室を出て、一年生用の委員会室へ向かう。
教科書事件の起きたその日のうちに、オレは他クラスの委員たちに呼び出された。みんなヴィーを心配していた。オレは?と思ったが、その言葉は飲みこんで、とりあえず問題はないが、ヴィーの気分が落ちていると正直に話した。
それなら、自分たちなりに励まそうということになった。
みんなはサプライズを考え、そのためにヴィーが委員会に遅れるような状況を、オレが作らなければいけなくなった。
良案が浮かばなかったので、キンバリー先生に協力を仰いだのだが。その結果、窓拭きをやらされたのだ。
なんだか理不尽だが仕方ない。ヴィーが喜んでくれれば、それでいい。
委員会室の扉をヴィーが開けるよう、自然な素振りで誘導する。もう、役者気分だ。
オレは三年間、こんな調子で過ごすのだろうかという不安が一瞬よぎった。
ヴィーが扉を開け、あれ?と声を上げた。
「誕生日おめでとう!」
との声と拍手。委員会室は紙飾りや花で飾られて、黒板には『ヴィットーリオ 誕生日おめでとう!!』の文字。卓上にはケーキまである。
「だいぶ過ぎちまったけど、お前、今月誕生日だっただろう?それを知ったみんなが祝いたいってさ」
オレの言葉にヴィーが振り替える。頬が上気している。すごく嬉しそうだ。よかった、喜んでもらえたようだ。
「ウォルフガング、知っていたの?」
「企画したのはディアナだよ」
委員会の紅一点を見る。
「でも考えたのも用意したのもみんなよ」
「バレン殿下も?」
「王子にやらせるとはいい度胸だ」
ヴィーは蕩けそうなくらい目尻を下げ笑みを浮かべる。
「どうしよう、すごく嬉しいよ。僕、」
言葉を切ったまま黙ってしまったヴィーを見ると、目に涙が浮かんでいた。
「…ヴィー」
「本当にすごく嬉しい。ありがとう」
えへへと笑うヴィーは心の底から幸せそうで、余計にここ数日の傷ついた姿との差が浮き彫りになった。
「プレゼントもあるよ」
とヴィーにつられたのか、涙を浮かべたディアナがいそいそと綺麗にラッピングされた箱を渡す。
「たいしたものじゃないけどね」
「開けていい?」
どうぞと言われて丁寧に包装をとくヴィー。箱の中を見て、わっ、きれいだと声をあげた。入っていたのは青い絹のスリッパで、銀の糸でたくさんの星が刺繍してある。取り出してまじまじと見るヴィー。
「あれ?これはもしかして初めて行ったお茶会の時の服に似ている?」
「そうなの」ディアナは珍しく顔を赤らめた。「あのときのヴィーがとても美しかったから」
「本当に?」ヴィーは嬉しそうにニコニコする。「あのときはねえ、『男か女かはっきりしろ』って意地悪を言われて悔しかったんだよ」
オレじゃないか!
「ひどいな。俺とてそこまで言ったことはないぞ」
お前は黙ってろ、バレン!
とは言えないのが悲しい。
ヴィーは変わらずニコニコしたままだ。
「ありがとう!大事に履くよ」
「僕たちはヴィーの好みがわからなかったから」
とキースとティントレットはそれぞれリボンのついたカゴを取り出した。ヴィーはなんだろうと言いながら、被されていた布を取る。そして、わ、美味しそうと声をあげた。片方はアップルパイでもう片方はマフィンの詰め合わせだった。
「どっちも大好き!ミリアムと半分こにするよ!」
ヴィーに喜んでもらえるプレゼントをみんなが選べるよう、オレは強制的にアドバイスをさせられた。すでに何をプレゼントされたか、どんなものが好きか。ミリアム、アルベール殿下、レティ、ジョーについては、双子の誕生会に出たので何を送ったのか知っていた。フェルディナンド、アンディ、エレノアに関してはミリアムに教えてもらった。あの超絶過保護の兄たちが何をプレゼントしたのか、多少の興味はあったのだが、意外にも普通の品だった。フェルディナンドは香水でアンディはポーチだった。正直、拍子抜けだ。
「ほらよ」
バレンが小さな木箱を卓上に置いて、ヴィーの方へ押しやった。包装もリボンもない。だが蓋には丁寧な彫りで花が描かれている。何かな、と言ってヴィーが開ける。
「かわいい!」
普段より高い声だ。のぞきこむと、赤いビロードの上に小ぶりの金の髪止めが入っていた。描線で花模様が彫られている。確かにかわいいが、女物ではないだろうか。ヴィーも首をかしげた。
「これ、女の子用だよね」
バレンの意地悪なのかそうでないのかが、わからないようだ。
「だが、かわいいだろう。つけてやろう」
そう言うバレンの表情を見る限り、どうやら意地悪ではないらしい。ヴィーも悟ったのか、大人しくされるがままになった。
「よし」
つけ終わると満足そうな表情で頷くバレン。やっぱりガキなんだ。
「ありがと、殿下」ヴィーは満更でもなさそうだ。「僕、かわいいものもの大好きなんです。普段は身につけないけど。大切にしますね」
バレンは当然だ、と返事してふんぞり返っている。
これは物議をかもすぞとげんなりする。アルベール殿下とミリアムが怒り狂いそうだ。なぜ阻止しなかったと、オレに飛び火しないことを祈るばかりだ。
ヴィーはキラキラした目でオレを見る。
「オレはないぞ。もうあげたじゃないか」
違うよ、とヴィーは笑う。
「ありがとう、ウォルフガング。このための窓拭きだったんでしょ?」
そうだった。このためにリスクを冒したんだった。
「嘘をついて手伝わせて悪かったな」
「そんなことないよ。久しぶりで楽しかった。ありがとう」
ん?久しぶり?
「でもさ、これ、先生に怒られない?大丈夫?」
ヴィーは部屋を見回して心配そうだ。
「許可はもらってるよ」とディアナ。「委員会の仕事をちゃんとこなせば構わないって」
「そっか。じゃあサクサクやって、早く終わらせよう。ケーキのために!」
もらったプレゼントを棚に置き、すぐに卓上を整えるヴィー。その表情はまだ幸せそうだ。みんなもほっとしている。
「僕、本当はさ」と突然ヴィーが手を止めた。「アルやジョーが委員をやらされるのを阻止しようと思って立候補したんだ」
「そうなのか!?」
初耳だ。確かに立候補がいなければ、アルベール殿下は推薦されただろうし、となればジョーも推薦か立候補で決まっただろう。
「でも委員になってよかった」
へへへとだらしなく笑うヴィー。
「私たちも」とディアナ。「委員会がこのメンバーでよかった。楽しいもの」
ね、とエレナはキース、ティントレットに笑いかけ二人は頷く。
「まあ、暇潰しにはちょうどいい」
とバレン。オレはヴィーの頭をポンポンとした。
「オレも楽しいぞ。殿下の観察はおもしろい」
「だよね!」とヴィー。
「失敬な!」とバレン。
「ああ、おもしろいな」とキースとティントレット。
ディアナまで、そうねとうなずいた。
バレンはむむむとした顔で。
「ヴィットーリオ・シュタイン。もう王宮に来てもペソアの菓子はやらんからな」
「え!それは嫌です!」
どうやら知らない間に、ヴィーはバレンに餌付けされていたらしい。ミリアムたちは把握しているのだろうか。フェルディナンドは?ブルトン小隊長は?
と考えて。
すっかり手下根性が身に付いている自分に、おかしくなった。




