幕間・兄の嚇怒
兄フェルディナンドの話です。
苛立っている。三日前のヴィーの強盗事件からずっと。二人組の犯人は逃げ、いまだに捕まっていないのだ。
ブラン商会の騎士がひとりを追い詰め深手を負わせ、なおかつ覆面も弾き飛ばしたので顔も割れている。すぐさま手配書を多数作って各方面に送った。もちろん各地に検問も作った。
それなのに、犯人が捕まらない。すでに死亡しているのか、上手く潜伏しているのか。
そもそも。ウォルフガング・ブランと騎士の意見は一致している。あれは強盗ではない、と。格好こそは薄汚れてそのように見えたが、剣技が明らかに騎士としての教育を受けたものだった。何より、剣そのものが強盗風情が持つような品ではなかった。
そして二人とも聞いたそうだ。襲撃犯のひとりが仲間に向かって放った言葉が、ペソア語だったことを。
これは一体どういうことなのだろう。
シュタイン公爵家も現当主も昔からそれなりの地位と権力を持っている。こちらに非のない妬み恨みは買っているだろう。だがペソアから刺客を送られるような覚えはない。それともこの国の人間がペソアの騎士崩れを雇ったか。
いずれにしろ襲撃犯を捕まえないことにはらちが明かない。
万が一、ヴィー個人が標的だったとしたら。そう考えるだけでも恐ろしい。
ヴィーには怖がらせないために、観光客を狙った強盗だと偽りを教えてあるが、その分警戒心が低くなるのではないかとの危惧もある。
父、陛下、騎士団長は相談し、打てる手は全て打った。ペソアにいるアンディと大使にも調査命令がおりた。後は結果を待つしかない。襲撃犯を捕まえ、黒幕がいるならばそいつを白日のもとに引きずり出す。
「フェルディナンド様」
侍従の呼び掛けに、意識を現実に戻す。
「人相が悪くなっております」
いかん、と眉間を揉む。エレノアと双子にそんな顔を見せるわけにはいかない。
「ウォルフガング・ブラン様がお話したいそうですが、お通しいたしますか?応接間にいたしますか?」
ここへ、と答える。
ひとつ気になっているのが、なぜヴィーがひとりで葡萄畑に入ったのかだ。ボールを落として拾うためだったと釈明していたが、襲われたのはそこそこ道から離れた奥だったらしい。そんな遠くまで転がったのか?おかしいではないか。
事件当日、ウォルフガングにそう問い詰めると、彼もうなずいた。自分もそこが気になる、と。
会うのはその時ぶりだ。何か分かったのかもしれない。
部屋へ入ってきたウォルフガングは、綺麗に包まれた箱を持っている。一通りの挨拶が済むと彼はその箱を、よければ奥さまへと言って差し出した。
「妻へ?」
「はい。冬に向けてすでにご用意はされているでしょうが、お身体を冷やさないための腹巻きや靴下などです」
…確かにエレノアと母がそのようなやり取りをしていた。もう用意してあるのかは知らない。子供のくせに、いっぱしの商売人らしい。
「受け取るか拒むかは、お前の話を聞いてからにしよう」
何かウォルフガングに非があるからこその手土産だろう。彼は動じることなく、
「ヴィーが畑に入った理由が分かりました」
と告げた。
彼は当初からペルラ・バロックが一枚が一枚噛んでいると思っていたそうだ。当日の狼狽えぶり、また護衛に雇っていた騎士全員を襲撃犯の追撃に行かせたこと。バロック家は普段ならそんなことはしない。
ウォルフガングは、ペルラに何があったか話すよう迫ったが、知らぬ存ぜぬを突き通されたそうだ。
だが、ウォルフガングはバロック家の馬車の前後に停まっていた馬車をちゃんと確認していた。そして後ろに停まっていた馬車の馭者から、おおよその経緯が分かったのだそうだ。
ヴィーはペルラ、ぺルルと話をしていた。内容はわからないが、バロック兄妹がヴィーを責め、ヴィーは謝っているようだった。そして妹がヴィーの持っていたボールを奪うと葡萄畑に向かって投げた。畑は道からなだらかに下っている。そのせいでけっこう遠くまでボールが飛んだように見えた。妹はそのまま馬車に乗り込み、ヴィーは畑へ。兄は馬車の中へ声をかけて道にとどまった。誰かを待っているように見えた。
「それで恐らく、ヴィーが責められていたのだとしたら、オレのことだと思います」
ウォルフガングはすみません、と。頭を下げた。
「妹がオレに気があるんです。苦手なんで距離を置いてたんですが、最近それを双子がオレを独占してるからと勘違いしているみたいなんです。周りにもそう言いふらしていました。本当に申し訳ありません」
「ヴィーは痴話喧嘩に巻き込まれて、命を落としかけたというのか」
ウォルフガングの顔が強ばる。
「オレの対応が甘かったせいです。本当に申し訳ありません」
彼はもう一度深く頭を下げた。
目前の燃えるような赤毛。今は見えないけれど、意思の強そうな目をしている。ヴィーたちと遊んでいるときは、年相応のやんちゃな子供に見えるのに、いざという時のこの肝のすわり様はなかなかなものだ。
それに比べてバロック家の情けないこと。シュタイン家の掌中の珠を事件に巻き込んでおきながら、知らぬふりをするとは。それが突き通せると思っているのだろうか。
「お前には怒ってない」
ウォルフガングは顔をあげた。
「今回はヴィーにも問題があった。あの子はたまに突拍子もないことをする。お前が助けてくれたことに、心底感謝しているよ」
「…オレなんて、まだまだです」
唇を噛むその顔に、なんとなく考えていることはわかった。襲撃犯に叩きのめされて彼が動けなかったときに、ヴィーが身体を張って庇ったと聞いている。それが悔しいのだろう。
「それは」と先ほどの箱を目で示す。「妻はきっと喜ぶ。ありがとう」
ウォルフガングは黙って小さく頷いた。
さて、と足を組む。
「ヴィーは優しい子だからな。むしろ応援の騎士を寄越してくれてありがとうと考えているだろう」
ウォルフガングは頷く。
「僕はかわいいあの子を傷つけることはしたくない。お前も先ほどの話は忘れていい」
僕は得意の、優しい笑みを浮かべる。
「きっと皆が忘れた頃に報いを受ける」




