幕間・王女の失恋
王女レティシアの話です。
「レティシアさま、温かいミルクでもいかがですか?」
寝具を頭までかぶってぐしぐし泣いているわたくしに、侍女が優しく声をかけてくれる。
「いらないわ」
わかってるの、心配をしてくれているのは。でも今は誰の顔も見たくない。今日はミリアムたちと紅葉を見に行く約束だったけれど、風邪だと嘘をついて欠席した。双子と都の外に出るなんて初めてのことだから、楽しみにしていたのだけど。とてもではないけれど、行けるような状態じゃない。顔も心も。
昨日はジョーが遊びに来てくれていた。短い時間を、他愛もない話とボードゲームで過ごして彼は私室を出て行ったのだけど。すぐに翌日に持っていく昼食の希望を聞き忘れたことに気づいて後を追った。
そうして。
人目につかない廊下のカーテンの影で。ジョーが今年結婚したばかりのご婦人と深いキスをしているのを見てしまったのだ。
どうやって自室に戻ったのか覚えていない。号泣するわたくしに侍女が懸命に背中をさすったり、甘いものを差し出したりしてくれたけど、泣き止むことができず、今に至るのだ。晩餐も朝食もとっていない。お風呂は侍女たち総出で入れてくれた気がする。
ベッドに寝かされ、赤子のように頭をよしよしされたけれど、涙が止まらずにぐっすりと眠ることもできない。
もういっそこのまま泣きながら消えてしまいたい。
ジョーがわたくしとした婚約は、あくまで友情からで、そこに恋の要素はまったくない、とわかってはいたのだけれど。
時々勘違いしそうなくらいに優しくされたり、ちゅっ、とかわいいキスをしてくれたりするから、ついつい期待してしまっていた。なんてバカだったのだろう。
寝具の中でぐずぐず泣いていると、
「まあ、大変!」
と侍女の慌てた声がした。
「レティシアさま、ジョシュアさまがお越しになりました。お帰りになっていただいてよろしいですか?」
驚いて一瞬涙が止まった。朝からミリアムたちと出かけているはずなのに。
「え、ええ、お願い」
「まあ、いけません!」
わたくしの返答が侍女の叫び声に消される。
「なりませんってば、ジョシュアさま!お入りになっては!姫君ですよ!女性の寝室ですよ!」
「うるさいなあ。気にしないでよ」
「き、気にするしないの問題ではございません!」
侍女に声が震えている。もしやジョーはわたくしの寝室に入ろうとしている?
寝具をかぶった暗闇の中でとっさに自分の寝間着を見る。暗くて見えない。ずっと泣いていたからどんなものを着せられたかまったく覚えていない。かわいくないものだったらどうしよう。いえ、その前に絶対にひどい顔だわ。
「他人に言わなきゃわからないだろ。邪魔だよ」
ドンという音と侍女の小さい悲鳴。そして。
「レティ」
ジョーのいつもと変わらない声。
「風邪は大丈夫か?昨日は元気そうに見えたけど、無理をしていたのか?ていうか、なんで布団にくるまっているんだ?」
まったく悪びれのない声。いくら仮とはいえ婚約者がいながら他の女性と熱烈なキスをしたことに、何の罪悪感もないのだわ、きっと。止まっていた涙が再び流れ出す。
「レティ?大丈夫か?」
寝具の上から、ジョーが体を撫でる。侍女が慌てて止めるけれど、やめる気配はない。
「…大丈夫だから、気になさらないで」
絞り出した声は泣きすぎたせいか、弱々しい。
「本当か?お前の好きなケーキと蜂蜜を持ってきたからな。後でホット蜂蜜でも作ってもらえ」
ジョーとしては友人を気遣っているのよね?でもこんなことをするから、余計にわたくしは期待してしまうの。
「ジョシュアさま、本当におやめ下さい。レティシアさまが余計に体調を崩してしまわれます」
「そんなことあるか」
「ジョシュア・マッケネン様!」
「げっ」
「どうぞこちらに」
この声はたぶん侍従長だ。王宮のすべての侍従侍女の上に立つ侍従長は、王家のプライベートすべてを取り仕切る。威厳も迫力も満点で、わたくしでさえ彼には逆らえない。
「レティ、帰る前に顔をみせて」
「マッケネン様!」
「わかったよ、もう。早く元気になれよ」
ジョーはそう言い残し寝室を出て行った。扉が閉まる音のあと、しばらくして寝具の中から顔を出してみると、ジョーだけでなく、侍女もいなくなっていた。
◇◇
さすがに泣きつかれたのと、睡眠不足で、うとうとしていたようだ。いつの間にか、部屋には灯りが灯っていた。
「お目覚めになりましたか?」
侍女の優しい声にええと答える。ずっと側に控えてくれたようだ。
「何かお飲み物を用意致しますが、その前に。昨日からお泣きになっている訳でございますが…」
条件反射のように目に涙が浮かぶ。
「もしかしたら、ジョシュアさまが破廉恥なことをしているのをご覧になられたのですか?」
涙がポロポロと零れ落ちる。
「まあ。嫌なことを思い出させてしまって申し訳ありません」
彼女はハンカチでそっと、顔を拭いてくれた。
「侍従長がジョシュアさまを厳しく叱責しておりました。どうやら見ていた侍従がいたそうです。婚約を破棄するのかどうか、確認もしておりましたわ」
思わず息を飲む。もうその時が来てしまったのか。
「ジョシュアさまには破棄するおつもりはないそうです」
「…え?」
「昨日のは、あくまで本番のための練習だったと」
本番?練習?なんの?
「本番でがっかりされないように、かの方に指導を頼んでいたのですって」
「ごめんなさい、よく意味がわからないわ」
「ええ、私もジョシュアさまの思考がわかりません。いっそ言い訳ならばいいのですが、本気でおっしゃっているようなんですもの」
侍女は深いため息をついた。
「つまりジョシュアさまは、レティシアさまとスムーズに口づけするための練習を他の女性とされていたんですよ!」
「…ええっ!」
顔がぼっと赤くなるのがわかった。あんな、あんな、熱烈な…
「大丈夫です。侍従長がものすごい雷を落としていましたから」
では昨日のあの方をジョーが好き、という訳ではなくて。その、わたくしと、その、婚約者として、その、仲良くなるために、あんなことをしていたというのが真実なの?そんな都合がいい話があるのかしら?
「…レティシアさま。そこは喜ぶところではありません。馬鹿者がと怒るところです」
侍女はまた深いため息をついてわたくしの頭を優しくなでてくれた。
「レティシアさまをこんなに苦しめて。私、ジョシュアさまが嫌いになりましたわ」
「まあ、そんなことを言わないで。わたくしが勝手に泣いていただけなのよ。ジョーは悪くないわ」
はああああっ、とそれこそ体中のすべての息を出しきるようなため息をついて、侍女は。
「ジョシュアさまはバカですが、レティシアさまも残念なお姫さまなのですね。心配ですわ」
となにやらとても失礼なことを言って、頭を抱えた。




