1章 ・ 1 取り戻した記憶 1
ぼんやりと、ひらひらと舞う蝶を目で追う。
暖かい日差しの中、屋敷の裏広がる、自然をいかした庭園の隅。最近はここがお気に入り。
心が休まる。
フリスビー事件から早ひと月。ようやくあたしも周りも落ち着いてきたところだ。
もちろん、フリスビーで大ケガをしたとかではないよ。
レティはまだ9才。全力で投げたものが当たっても、死ぬようなことはない。
レティとミリアムは大袈裟に泣いていたけどさ。あたしの後頭部には大きなたんこぶがひとつ、出来ただけ。
問題はもっと別なことにあった。
あれをきっかけに、あたしは前世を思い出してしまったのだ。
あたし、大混乱。
そして大混乱しているあたしを見て周囲は、当たりどころが悪かったのかと蒼白になった。
ひと月かけて、ようやくあたしは今の状況を受け入れられるようになった。
だって女子高生のあたしが、気づいたら男の子になってるんだよ？
そりゃ混乱するなってのが無理な話でしょ？
前世のあたしは、普通のサラリーマン家庭に生まれた、普通の女の子だった。特に変わった人生を送ってたわけでもなく。地元の小・中学校を卒業して、高校は私立の女子高へ。
訂正。“普通”よりはちょっと活発な女の子だったかも。
クラスでも部活でも、頼れる姉貴！的な扱いをされていて。それが嬉しかったんだよねー。
でも。たぶん。あたしは死んじゃったんだよね。
“あたし”としての最後の記憶は、雨の日の歩道橋を登っているところ。突然目の前に何かが飛び出してきて、驚いたあたしはよけようとしてバランスを崩した。とっさに出した手は空しかつかめず、仰向けに倒れて後頭部を強打した。
消えゆく意識の中、甲高い犬の鳴き声が聞こえたから、飛び出してきたものの正体は、きっと小型犬だったんだろう。
そうして。死んでしまったわたしは、めでたく人間に転生を果たした。それが今のこの“ヴィー”。
毛虫とか蛇とか養豚場の豚だとか。そんな生き物に転生しなかっただけよかったけどさ！でもなんで、男の子なのさ。
あたしが活発な女子だったからなのかな？
女子高って、当たり前だけど女子しかいないからさ。男子っぽい、もしくは男子っぽい役回りの女の子が出てくるんだよね。
あたしも、どちらかと言えばこの後者のケースだったよ。女子から告白されたこともあったしさ。
だからといって、男の子になりたいって思ったことは一度もないんだけどなー。
しかもこのあたし、“ヴィー”はけっこうなハイスペックお坊っちゃまでさ。正式な名前はヴィットーリオ・シュタイン。財力・権力共に申し分ないシュタイン公爵家の次男なんだな、これが。
父親で当主のエマヌエーレは宰相を務めていて、国王一家とは家族ぐるみの付き合いだ。
フリスビー事件の時に一緒にいたアルはこの国の第二王子。第二といっても、第一王子はアルが生まれるより前にお亡くなりになっているから、王位継承権は第一位だ。正式名はアルベール・シュシュノン。
彼の妹であるレティことレティシアはぼくたちより一才年下の王女様。王位継承権は第二位。
それからジョーことジョシュア・マッケネンはマッケネン伯爵家の長男。父親のマッケネン伯爵は財務大臣だ。
なんて素晴らしい交遊関係！
ぼくの双子の妹ミリアムを加えた、いつもメンバー5人組は、同世代の中でダントツのハイスペックグループなんだ。
あ、口調が本来のヴィーっぽくなってる。
前世の記憶を取り戻してからというもの、喋り方やものの考え方が“あたし”と“ヴィー”の間をいったり来たりしている。
やっぱり家族や友達と一緒のときはヴィーよりで、一人のときがあたしよりみたい。
このへんの揺れがまだうまく馴染めていない。
