番外編・兄の回顧
兄フェルディナンドの話です。
向かいで自分のグラスに酒をついでいる親友を見ていて、ふと、あれから一年が経つのかと気がついた。
僕の可愛い双子は、性格はまったく違うけれど、どちらも心根は穏やかで優しい子だ。
ミリアムは愛しい姉に害をなす者に対しては、容赦ない怒りを向けるけれど、基本的に二人は他人に本気で腹を立てることはほぼないし、怒りをぶつけたりもしない。
それなのにある日ミリアムと僕が帰宅すると、ヴィアンカが見たことのない剣幕でこいつを責めていた。口調は激しいのにその顔は涙がこぼれそうなほど悲しげで、僕は息を呑んだ。
あの頃が二人の変化の始まりだった。
「なんだ?」
視線を感じたのだろう、親友は僕を見た。
「そろそろ一年だ」
なんのだ?と不思議そうな親友。
「お前が父親に絶縁宣言されたことを黙っていて、ヴィアンカに怒られただろう?それから、一年だ」
親友は瞬きをした後で、困ったような笑みを浮かべた。
こいつが彼女を好きだと自覚したのは、二人で遠乗りに行ったときだったという。ならばあの時こいつは、もうヴィアンカを意識していた筈だ。
「あの時お前は『まだまだ子供だと思っていた』と言ったよな?」
そうだったかなと目を逸らして呟く親友。
「もう好きだったんだろう?それじゃただのロリコンじゃないか」
「そうじゃない!」
食い気味に否定する姿に笑いがこぼれる。
「それならどういうことだ。ちゃんと説明しろ」
親友はため息混じりに、なんでだと言って肩を落とした。
だけどこいつは、僕に散々嘘をついた負い目がある。じとっと見つめていれば必ず降参する。今までその手であらゆることを白状させてきた。
「…多分、だがな」
親友は視線を卓上のグラスに向けたまま、重く口を開いた。
「ヴィーは俺より七つも年下だ。子供だと…思いたかったんだ」
「…やっぱりロリ」
「違う!」
奴は深いため息をついた。
「ずっと兄だった上に年の差も大きい。…無意識のうちに自分で自分にストッパーをかけていたんだと思う」
「なるほど」
こいつは存外真面目なところがあるからな。七つも年下の弟のような妹を、好きになってはいけないと考えたということか。
…そういえば『七つも年下』という言葉を何度かこいつから聞いたような気がする。いつだかは覚えていないけれど。
酒を口に運ぶ親友の表情を見ながら、首をひねる。安堵の表情だ。何故だろう。
僕も酒を飲みながら、一年前のことを思い出す。
ヴィアンカがこいつに詰め寄ったその日からそれほど日をおかず、僕はこいつの態度が不自然になことに気がついた。
あんなに可愛いがっていたヴィアンカに距離をおき、仕事の都合がつかないと、迎えも街歩きも極端に減っていた。
うちで顔を合わせていても、奴の態度はどこかぎこちなかった。
おかしいと思いよくよく観察をしてみれば、あいつは時折密やかに、愛しそうな辛そうななんとも複雑な顔をしてヴィアンカを見ていたのだった。
初めて見る表情だった。
もしやヴィアンカに惚れたのか。
なるべくしてなったことだと僕は喜んだ。いつ打ち明けてくれるのかと、その時を心踊らせて待った。
だけれどその時は来ないまま、月日は過ぎて、一方でこいつの態度はますますヴィアンカに恋しているとしか考えられないものになっていった。
「全く。よくあれで恋心を隠せていると思ったもんだ」
「しつこいぞ」
と、つまみのチーズが飛んでくる。それを受けとると口に運ぶ。…どうも鼻風邪気味のせいか、酒にしろチーズにしろ味気なく感じる。
「事実だから仕方ない」
僕は言ってやる。何度となくしたこの会話。
「本当にお前がどんな様子だったか見せてやりたいよ」
当初は密やかに向けていたヴィアンカへの表情。いつの間にか彼女と対面していても、愛しくて仕方ないという顔をするようになった。
一方で、彼女の頭を撫でる以外は、触れないように非常に気を遣っているのが見てとれた。必ず微妙な距離をあける。彼女があいつの服を掴めば、顔が僅かに強ばる。
まるで無垢な少年かのようだった。
こいつに初めてその様子を教えてやったときの返答はおもしろかった。話を盛るなと憤ったのだから。どうやら全く自覚がなかったらしい。ヴィアンカに触れないようにしていたこと以外は。
マッシモの話だとこいつがヴィアンカからバレンタインのチョコを貰った時なんて、危うく自制心を忘れて頬に触れそうになり、翌日はとんでもなく落ち込んでいたそうだ。
本当にどこの初な少年の話だ。
…もっとも、全て笑い話にできることが、この上なくありがたい事だとわかっている。
その頃のこいつの心中を考えると、胸は潰れそうに痛むし、自分の愚かさに頭を叩き割りたくなる。
「お前だってエレノアに惚れてからは異常だった」
「だから何だ。僕はきちんと気持ちを伝えていたし、何一つ恥ずかしいことなどない」
「…双子がお前に似なくて良かった」
「僕だってエレノアがお前に似てなくてよかったぞ」
お互い様だなと笑う。
この日常がどれほど尊いものか。それを知った今、二度と失いかけることのないよう、目をしっかりと見開いていないといけない。
「それで?他にも理由があるんだろう?」
「何の話だ?」
「ヴィアンカを子供だと思いたかった『理由』だ」
打ち明けたものより秘密にしたい理由が。先程の安堵の表情は、それを隠せたと安心したからに違いない。
僕はもう何も見逃さないと決めたのだ。
親友は黙って動きを止めていたが、
「僕はお前の大切なヴィーの兄だぞ」
と言うと、魂がこぼれるんじゃないかと思うほど深く息を吐き出した。
手にあったグラスを置き、騎士らしい大きな手で顔を覆う。
「多分だぞ!」
「はいはい、『多分』な」
「…子供でなくなったら、俺のそばにいてくれなくなる。それが怖かった」
多分と言いながら、断定しているじゃないか。
ヴィアンカに幸せな結婚をさせてやりたいと望んだ筈なのに、いざそれを求める男が現れたら手離せなかったというところか。
まったく。こいつは愛しい馬鹿者だ。
「今にして思えば、だぞ」
「そうか」
「あの時そう考えていた訳じゃない」
「わかったよ。お前がロリコンだったとしてもヴィアンカを幸せにしてくれるなら、それでいい」
親友は顔を見せた。
「無論全力で幸せにする。だが、」
親友はそこで言葉を切った。
「『だが』?なんでそうなる?」
こいつは幸せそうな笑みを浮かべた。
「俺はヴィーに幸せにしてもらっている。お互い幸せにし合うんだ」
…長い付き合いで、様々なことがあり、さすがにもうこいつのことで知らないことはないと思っていた。だが大間違いだった。
こんなにも穏やかな表情をすることがあるのか。
「そうだな。確かに僕もエレノアとレオノールに幸せにしてもらっている」
だろう?と言うこいつは、以前のこいつとは確実に違う。ヴィアンカが変えたのだ。良い方に。
嬉しいことだが…正直、少しだけ、悔しくもある。長い年月共に過ごしたのは僕だという自負があるからだ。
だがきっと僕とエレノアとの結婚が決まったとき、こいつもこんな複雑な思いをしたのだろう。
…そうじゃなかったら、親友をやめてやる。
つい先程までこの日常を失わないよう、しっかりこいつを見ていなければと考えていたが、そのような気構えは必要ないのかもしれない。
互いに幸せにし合うと言うのなら、こいつはもう一人で何かを抱え込んだりはしないだろう。
…なんだか淋しい。子供が巣立つ親の気持ちだろうか。
「せっかくだ、これも開けよう」
と親友がワインボトルを手に取った。
栓抜きはと卓上を見ると僕の前にあった。手にしてワインを受け取り、コルクを抜く。
「ここのところ、態度が軟化してな。多少は赦してもらえたのかもしれん」
そう言う親友に相づちを打ってグラスを口に運ぶ。
「…香りが…」
微妙な表情になる親友。
僕は鼻づまりのせいで、よくわからない。口に含む。
「待て、フェ…」
その瞬間、盛大に吹き出した。
「…やっぱり」
あまりの酸味に咳き込む。
「ほら、口直しだ」
奴が差し出した別の飲みかけのワインをボトルごとあおる。
「何だこれは!」
「ビネガーだな」
解いたスカーフで口回りを拭きながら、親友を睨み付ける。
「すまん」
と言いながら苦笑いを浮かべている。
「まさかウォルフガングがこんな子供じみたいたずらをするとは思わなかった」
ウォルフガングがくれたというワイン。
ヴィアンカの生まれ年のいい物だという触れ込みだったという。
間抜けなこいつならいざ知らず、何故僕まで疑わなかった!
「ずるいぞ、お前が飲む筈だった!」
「香りでわかっただろう?」
「鼻風邪気味なんだ!」
「そりゃタイミングが悪かったな」
「お前、予科練で叩きのめせ」
「自分でやればいい。予科練生OBとして」
「…あいつ、腕を上げているんだろう?まだ僕は勝てそうか?」
「お前にしては弱気だな」
「僕のことも恨んでいそうだからな」
「確かにそうだ」
「よし、明日の夕方に久しぶりに手合わせしよう」
「無理だ」
「休みだろう?」
「ヴィーと出かける」
だらしないにやけ顔になる親友。なんとも言えない情けない気分になる。これが騎士団ホープと言われる奴の顔か。
だがそれほどヴィアンカに惚れているってことだからな。
「忘れるな。清く正しくだぞ!」
「わかってる、馬鹿兄」
煩悩まみれのくせに。
気づいているぞ。お前がヴィアンカの頭をあまり撫でなくなったことを。代わりに何をしているやら。
まあ僕もエレノアのことではかなり協力して貰ったからな。
キスぐらいなら目は瞑ってやる。
だが釘は刺す。
「守らなかったらデート禁止だからな」
はいはいと気のない返事をする親友に向かってチーズを投げつけてやった。
読んで下さってありがとうございます。
☆ご注意☆
以下、キャラのその後に関する作者の独り言 です。ご興味がある方だけお読みください。
ウォルフガングの次の恋について。
小説を書いていた中盤までは、ヴィーにフラレるまでの全てを見ていた幼なじみに失恋を慰めてもらって。結局素敵な伴侶は隣にいた的なことを考えていました。
体育祭でダンスのパートナーをした女子です。
が、段々それは違うなと感じるようになりました。
ウォルフガングは恵まれた人生を送ってきた唯一のキャラです。ヴィーへの大恋愛・大失恋からすぐに次の恋ができるとは思えません。
なるべく全員に幸せになってほしかったのですが、ウォルフガングだけ、どうにも次のお相手が想像できませんでした。が、先日、浮かびました。
きっとアンディと同じ道を辿ります。
少年団からの友人の、5つほど年下の妹だと思います。
きっとかつての恋敵と同じ状況に陥ることに愕然としながらも、ためらうことなく突き進みます。
で、みんなにアンディと同じだとからかわれたり、アンディに親近感を持って仲良くなったり…となると思います。
この案もいつか変わるかもしれません。
それでは、つまらない独り言にお付き合い下さり、ありがとうございました。
追記。
ウォルフガングの次のお相手に、他国の貴族の女性は?とのご感想を頂いていたのを忘れていました。
もしご覧になっていたら、すみませんでした。
考えてみました。
ケース①
卒業後一時帰国をするバレンと共に、見聞を広めるためにペソアに赴き、賢くも分をわきまえたヨハンの妹(一つ年上。学生の頃に婚約者を亡くしている)と出会う。痛みを持った者同士。
ケース②
卒業後ドードリアへ、取引をより強固なものにするために赴く。同じような豪商の子供で商才のある同い年の娘と意気投合。聡明だけど、やややんちゃ系。
上のアンディと同じパターンは、可愛らしくて守ってやりたい系。
ウォルフガングは誰が似合うのか、わかりません。
では、再度、長々とした独り言にお付き合い下さり、ありがとうございました。




