番外編・副官と上官1
副官マッシモの話です。
◇ある晩◇
終わりが見えない事務仕事に嫌気が差す。俺は騎士になったはずなのに。
ペンを置いて、椅子に座ったまま伸びをする。ついでに友人兼上官を見る。
ヤツも疲れた顔をしながら、幾つもの資料を広げ考えつつ、ペンを走らせている。
まったく、こんなヤツの副官なんて、面倒なものを引き受けちまった。
とはいえ、こうなるのは分かった上で、引き受けた。
腐れ縁のアンディ・ブルトン。もう17年の付き合いだ。
こいつは昔から騎士団長の父親との折り合いが悪かった。
父親の方は、そう思っていないだろうがな。
こいつはヒラの騎士、いや、少年団の頃から妬んだ奴らからの嫌がらせを受けてきた。
更に小隊長になって以降、嫌がらせに拍車がかかり、度を越した分量の仕事を割り当てられている。『長』のつく者の中では最年少だから、という理不尽な理由をつけて。
勿論味方をしてくれる騎士たちも多くいるが、肝心の騎士団長が、俺の息子ならこなせて当然という態度だ。
むしろこいつの休みに会議を入れたり、急な警備を割り当てたり、都合のいい駒だと思っている節さえある。
しかもこいつは父親が苦手らしい。反抗するより、距離を置いてやり過ごしたいようだ。そのせいで、あり得ない量の仕事をおとなしく引き受けている。またこいつが、それをこなせてしまうものだから、余計に仕事を割り振られる悪循環だ。
隊員たちには、うまく遣り繰りをしてなんとか他の隊と変わらない仕事量に押さえてる。とばっちりを受けているのは副官の俺くらいだ。だから一応、奴も気遣ってくれてはいる。
そもそも大抵の騎士がこの状況になることを予測していたのだ。それほど、小さい頃から一部の狭量で卑怯な奴らからの嫌がらせがひどかった。
こいつの小隊長就任が決まったとき、こいつは申し訳なさそうな顔で俺に、副官を頼めないかと言ってきた。
腐れ縁だ。
俺がやらなくて誰がやる。
そう諦めて、引き受けた。
少年団、予科練だけでなく、シュシュノン学園でも三年間同じクラスだった。
その長い付き合いの中で、フェルディナンドを除けば、俺はもっともこいつと親しくしていただろう。
騎士団に入ってからは、何かと一緒に仕事をすることも多かった。
きっとこの先、動けなくなるその日がくるまで、共に騎士として生き、腐れ縁が続くのだろうと思っていた。
昨年の夏までは。
…こいつはもう少し、反抗してもいいと思う。父親にも、狭量な奴らにも。
俺が休んでいることに気づいたか、アンディは顔をあげてこちらを見た。
今、考えていたことをそのまま伝える。すると奴は、小さく息を吐いた。
「お前には苦労をかける」
「んなこた承知の上だ」
「ありがたい。俺にはこのぐらいしか親孝行ができないからな」
…こいつは絶縁されても、父親の望む結婚をしないと決めた。
「絶縁まではいい息子でいるってことか?」
「まあな」
こいつの父親である騎士団長は今、相当に焦燥しているって噂だ。絶縁宣言をすれば、息子がおとなしく結婚すると考えたのだろう。だけれど息子は従う素振りを見せない。予想外だっただろう。
俺も、そうだった。
こいつがヴィーに惚れてしまったと知るまでは。
あの騎士団長が一度公言したことを撤回するとは思えない。必死に息子を結婚させようとしているみたいだが、こいつはまるっきり無視をしている。
きっと夏の終わりにアンディはブルトンの名を名乗れなくなるだろう。
恐らく陛下や宰相の取り成しで、騎士は続けられるだろうが、都を出ることになるに違いない。
その時、騎士として生きることをとるのか、それを捨てて惚れたヴィーのそばで兄として生きることをとるのか。
尋ねても、まだわからないとしか答えてくれない。
「適当なところで切り上げて帰れ。細君に逃げられるぞ」
そんなことを言うアンディを軽く睨んでやる。
「俺の妻はそんな小さな器じゃない」
妻は俺の置かれた状況をすべて了解の上で結婚してくれた。だからこそ、俺は彼女といられる時間は最大限の愛情を示すようにしている。
こいつみたいに、思いを隠してイジイジはしていない。
…というか。なんでこいつがヴィーへの恋心を隠すのか、全く理解できない。フェルディナンドにすら打ち明けたくないと言う。あんまり必死だから、俺も黙ってはいるけれど。
どう見たって、ヴィーはこいつが好きだ。なのにこいつは全然わかっていない。それとなく教えてみたが、彼女にとって自分は兄だと思いこんでいる。
彼女の呪いがとけない限り、兄と弟ごっこを続けるしかないのかもしれないが。
そんなことをしているうちに、彼女がウォルフガングを好きになったらどうするつもりだ。あいつは友達の立場をとりながらも、積極的にアピールしていると聞く。
それなのに、こいつときたらアピールどころか…。
「とにかく切り上げて帰れよ」
そう言って再び書類に目を落とす腐れ縁に、
「お前こそ早く帰って、昨日の失態を取り返したほうがいいんじゃないか」
と言ってやる。
こいつは一瞬だけペンを止めたが、
「余計な世話だ」
と不機嫌に返答してまた書類に戻った。
俺も事務仕事に戻る。
昨日は、こいつとヴィーが遠乗りへ行く約束の日だった。
それなのに何日も前から浮かない顔をしているのが気になってはいたが、まあどうせまたアレだろう、と予測できていた。
で、今朝方、遠乗りはどうだったかと尋ねたら。フェルディナンドと三人で行ったとの返事で、驚いた。
こいつがここまで腰抜けだとは思わなかった。
ヴィーはどうだったかと重ねて尋ねると、やつは情けない顔で、がっかりさせてしまったとのたまった。
「当たり前だ、馬鹿が!」
思わず罵った。
…ペソアに行く前までは、恋人をとっかえひっかえしていたくせに、なんで女心がわからないんだ。いや、わからない奴だから、ころころ相手が変わったのか?他人の感情が分かるくせに?
それとも本気で惚れるのが初めてだからなのか?
心配を通り越して、頭の悪い息子を持った親の気持ちになってしまう。
こいつにはまともな恋愛はできないのだろうか。
と。ノック音がしたかと思うと返事も待たずに扉が開いた。見ればフェルディナンドだ。こいつもなんで遠乗りについて行ったんだか。
あれだけヴィーが態度に出しているのだ。こいつだって妹が親友をどう思っているかぐらい気づいているだろうに。
いや、だからこそなのか?馬鹿兄だから。
用件を尋ねるアンディに、馬鹿兄は扉脇の壁にもたれて
「ヴィーは学校でもしょんぼりしたままだったそうだ」と言った。「ついて行った僕も悪いが、賛成したお前も悪い」
もちろんその通りだ。
無二の親友が賛成した理由を知ったら、きっと呆れを通り越して、間抜けさに腰を抜かすだろう。
愛しいヴィーと二人きりで過ごす間、『兄』を保てる自信がない、という理由なのだから。
今まで何度そのくだらない悩みを聞かされたことか。いい年をした男の悩みとは到底思えない。
しかも腰抜けの腐れ縁は、
「…ヴィーがあんなにがっかりするなんて思わないだろう?」
と真顔でぬかした。この激ニブ野郎め!
「知るか。最近すっかりお前の弟じゃないか。お前なんてニセモノの兄なのに」
フェルディナンドの口調に、おや、と思う。『ニセモノ』という言葉に揶揄を感じた。
もしかしたら親友が妹に惚れていることに気づいているんじゃないのか?
それならこいつが隠す必要はない。
「ウォルフガングがヴィーと遠乗りに行く許可を取りに来た。ヴィーも行きたがっているらしい」
アンディの表情がやや固くなった。
フェルディナンドは奴の机に歩み寄り、手にしていた紙束をおいた。親友の表情に気づいているのかいないのか、元の位置に戻り、話を続ける。
それを腰抜けは紙束をめくりながら聞いている。
…その目。こいつ、確実に見る気がない。
「…許可したのか?」
と腰抜けは尋ねた。
「計画表次第だ」とフェルディナンド。「幾ら今日の学校が半日だったとはいえ、短時間でこれを作って来たんだ。一蹴するほど僕は鬼じゃない。昨日をつまらなくさせてしまったのは事実だしな」
「よく作ってあるな」
「さすがブラン商会の跡取りだ。仕事は早く質も高い」
こいつは多分今、必死に嫉妬を堪えているのだろう。指輪を触っている。
ヴィーが贈ってくれたという指輪。こいつがそれをどれほど大切にしていることか。
きっと自分では気づいてないが、彼女のことを考えているときはいつも触れている。
他の男なんかと行かせたくないとはっきり言えばいいのに。なんで言わない。全く、苛々する。
しばらくの沈黙のあと。腰抜けの間抜けは
「…話していなかったが、ウォルフガングはヴィーに手を出している」
と言った。
思わずため息をこぼしそうになり、慌て堪える。
阿呆か!
こんな姑息で情けない奴だとは思わなかった。
それを知ったなら、兄馬鹿のフェルディナンドは許可しない。
なんて卑怯なんだ。
だけれど。予想に反して兄馬鹿のはずのフェルディナンドは、
「そんなことがあっても、ヴィーはあいつと遠乗りに行こうと思うのか。僕が思っていた以上に信頼しているんだな。面白くはないが、そうか」
と前向きに検討している。あまつさえ、
「僕も寛容にならなければいけないのか。いくらヴィーが可愛くても、確かにもう17だ」
などと信じられないことを口にした。
アンディは何も言えずに指輪に触れたまま黙っている。
…やっぱりフェルディナンドは気づいている。こいつは筋金入りの馬鹿兄だ。ウォルフガング相手に寛容になる筈がない。親友を煽っているのだ。
鈍感なアンディはそのことを全くわかっていない。
そうか。フェルディナンドが距離を置いているのは感情を読まれないようにか。
「まあいい、目を通しておけよ。あの分だと今週末には出掛けたいと言い出しかねない」
フェルディナンドは反応しない親友にしびれを切らしたのか、そう言って扉の取っ手に手をかけた。
「僕は先に帰る。ヴィーに山ほど菓子を買っておいたからな。早く渡して喜ぶ顔がみたい。お前はゆっくりでいいぞ。僕がヴィーを宥めたいから」
まだ煽っていやがる。
だけどセリフがいちいち変態くさい。
フェルディナンドと目があった。
シスコンすぎるんだよと言ってやる。
煽っているのか、馬鹿兄っぷりを披露してるのかわかりづらい。
はっきりと親友に言ってやればいいのに。
…いや、ヴィーが女の子の姿なら言っただろう。
呪いさえなければ…。
フェルディナンドが出て行き、仕事を再開した腐れ縁の馬鹿男を見つめる。
「情けない。遠乗りにフェルディナンドを連れていくわ。姑息な手でウォルフガングの邪魔をするわ。お前がそんな男だとは思わなかった」
アンディはペンを持つ手を止めた。
「はっきり言え。ヴィーを好きだって。なんでフェルディナンドにまで隠す。あいつは喜ぶぞ」
奴はペンを置くと、肘をつき手を組んでその手に額をつけた。表情が見えなくなる。
「お前がそんなだから、ヴィーがしょんぼりしちまったんだろう?それが好きな女にすることか?」
もし呪いがなかったら。こいつは告白をしているのだろうか。
「告白する気がないなら中途半端にヴィーの兄面をするな。ウォルフガングにお前のポジションを譲ってやれ」
それができないのはわかっている。こいつは寝ている最中にうなされるぐらい、ヴィーに惚れていて、そのことにひどく悩んでいるのだ。
二月のあの日、夜更けに彼女がこいつの元へひとりでやってきた。あのときの彼女の顔。『教えてほしいこと』との言葉。何よりあのアンディの表情。
きっと彼女は自分の真実を知ったのだ。
それとアンディが気持ちを押し隠す因果はわからないけれど、原因のひとつではあるだろう。
あれからこいつは時たま思い詰めた顔で考えこんでいる。
「マッシモ」
「なんだ」
「その時が来たら、ちゃんと話す。だからそれまで、そういうことは言わないでくれ。頼む」
…そういう声はひどく暗い。
「『その時』っていつだ。八月末か?」
「…ああ」
こいつは本気でヴィーに惚れている。
キスひとつ我慢できないかもと、自分の欲に怯えるぐらい真剣だ。
腰抜けの卑怯者に成り下がるくらい、彼女を思い苦しんでいる。
『ちゃんと話す』とはなんのことなのか。全く予想もつかないが、俺はこいつを応援したいのであって、苦しめたいわけじゃない。
「わかった」
そう了承するとアンディは、らしくもない小さな声で、済まないと言った。
「だがなアンディ。しょんぼりしたヴィーは可哀想だ。文化祭から約束をしていたんだろ?」
「わかっている。俺が考えなしだった。本当にあんなにがっかりするとは思わなかったんだ」
今月末にはペソアの使節団を迎えに行くために旅立つ。それまでもう俺達に、週末の休みはなかったはずだ。
ため息ひとつついて立ち上がる。
「反省しているなら、もう一度ちゃんと遠乗りに連れて行ってやれ」
休みが、とこいつが言いかける。
「お前、二月はぼ休みなしだっただろうが。振休とれるように掛け合ってきてやる。お前はその仕事を終わらせろ。で、早く帰ってヴィーのご機嫌をとれ」
アンディは顔を見せた。
「反論はなしだ。褒美の約束だったんだろう?キスが我慢できないかもしれないからなんて理由で反古にするのはひどすぎる」
「…ヴィーは距離が近いんだ」
それは彼女がお前を好きだからだろうが!
激ニブ野郎め!
「知るか!わかったな!やっておけよ!」
「…わかった」
世話がかかる。まるで思春期のガキだ。
「マッシモ」
「なんだ」
「ありがとう」
率直すぎる感謝の言葉に目を見開く。
「…おう」
と返して部屋を出た。
17年の腐れ縁。
お前に幸せになってほしい。
多少の面倒事ぐらい引き受けてやるさ。




