幕間・兄の寛容
兄フェルディナンドの話です。
うっかり以前の部屋に入りそうになり、通りすがりの騎士にそこじゃないですよと声をかけられた。
そうだった。あいつは昇進をして部屋も変わったのだった。
同じような扉が並ぶ廊下を見回して、新しい部屋を探す。本当にややこしい。
念のために三度確認をしてから、目当ての扉を開いた。
以前より広い部屋、ややデザイン性のある調度品。騎士団は政務庁より階級差がはっきりしている。
それぞれの机に座って仕事をしていた親友とその副官は顔をあげて僕を認識すると、すぐにまた視線を落とした。
これはまだ帰宅できないな。とっくに勤務時間は過ぎているはずだが。忙しいなら少年団と予科練の指導に出なければいいのに、今でもきっちり出ている。少しは手を抜けばいいのに。
「何の用だ?」
と親友が何かの書類を書きながら尋ねる。
「ヴィーは学校でもしょんぼりしたままだったそうだ」
僕は扉横の壁にもたれて挨拶も抜きに、用件を話す。
親友は手を止めて僕を見た。
背後の窓の外はもう暗い。
「ついて行った僕も悪いが、賛成したお前も悪い」
「…ヴィーがあんなにがっかりするなんて思わないだろう?」
「知るか。最近すっかりお前の弟じゃないか。お前なんてニセモノの兄なのに」
「遠乗りにお前もついて行ったんだってな」
と副官のマッシモが口を挟む。
「そうだ」
なんでこいつが遠乗りのことを知っているんだ。アンディのヤツめ、べらべらと喋っているのか。
「相変わらず馬鹿兄だな」
「何がいけない。僕の双子の可愛さは世界一だ」
「お前の双子じゃないけどな。もう17だろ」とマッシモは言って、書類に目を落とした。「まあ、好きにしろ。お前の双子に嫌われないようにな」
「…」
「で、用件は?一緒に謝ろうとか言わないよな?」と親友。
「ウォルフガングがヴィーと遠乗りに行く許可を取りに来た。ヴィーも行きたがっているらしい」
僕は親友の机に歩み寄ると、手にしていた紙束をおいた。
「昨日はつまらなかったようだから、楽しい遠乗りに連れていってやりたいそうだ。行く前に計画表を出すと言っている。無論、ブラン商会のお抱え騎士をガードにつける。それはヤツが考えている行き先候補とルート。その中からヴィーと選ぶらしいけれど、僕の方で気に入らない場所があったら教えてほしいそうだ。僕はもう目を通したから、お前も確認しておいてくれ」
親友は紙束を手にすると、パラパラとめくっている。
「…許可したのか?」
「計画表次第だ。幾ら今日の学校が半日だったとはいえ、短時間でこれを作って来たんだ。一蹴するほど僕は鬼じゃない。昨日をつまらなくさせてしまったのは事実だしな」
「よく作ってあるな」
「さすがブラン商会の跡取りだ。仕事は早く質も高い」
親友は紙束を置いた。だが顔は上げない。何か考えているような顔で、右手の指で左手小指に嵌まっている指輪を撫でている。無意識なのだろうか。それはヴィーが贈った指輪だ。
元の指輪を持っている女はまだこいつに返事をよこしていないという。そんなことがあるか?少なくとももう一ヶ月が過ぎている。
こいつは、それだけ真剣に考えているなんて間抜けたことを言っているが、そうとは思えない。
長い沈黙のあと。
「…話していなかったが」とこいつは切り出した。「ウォルフガングはヴィーに手を出している」
その言葉に僕は瞬いた。
「遠乗りに行かせて大丈夫だろうか」
「どういうことだ。何も聞いてないぞ」
「話してないからな」
親友は同じ言葉を繰り返して小さく吐息した。
「ナターシャの誘導に引っ掛かってヴィーが告白したんだ。文化祭でジュリエットに扮した時に、頬にキスされたそうだ。ヴィーは悪ふざけと思っているようだがな」
「文化祭か。あのジュリエットは可愛かったからな。そうか、あの時のウォルフガングはやけに苛立っていた」
劇の終演後に僕たちと話していたヴィーを、ヤツは強引に連れていった。いつも僕の前では優等生でいるのに、珍しいことだった。間違いなく原因はこいつだ。
いつ頃からか、ヴィーはこいつの服の端を掴むことがある。あまり好きな仕草ではないから目につくのだ。あの時も寄り添うように立って、掴んでいた。
ウォルフガングはさぞかし嫉妬したのだろう。
「だが、そんなことがあっても、ヴィーはあいつと遠乗りに行こうと思うのか。僕が思っていた以上に信頼しているんだな。面白くはないが、そうか」
腕を組んで考える。
「僕も寛容にならなければいけないのか。いくらヴィーが可愛くても、確かにもう17だ」
「…」
こいつはさっきからずっと指輪を触っている。癖になっているのだろうか。前の指輪の時には見なかったが。
「まあいい、目を通しておけよ。あの分だと今週末には出掛けたいと言い出しかねない」
踵を返す。
「僕は先に帰る。ヴィーに山ほど菓子を買っておいたからな。早く渡して喜ぶ顔がみたい。お前はゆっくりでいいぞ。僕がヴィーを宥めたいから」
小さく変態と毒づく声がする。マッシモを見ると、シスコンすぎるんだよと更に悪態をつかれた。
「じゃあな」
マッシモを無視して親友に声をかける。ヤツはああと返事をして、遠乗り計画の紙束を脇に置きなおすと仕事の書類に再び目を落とした。
部屋を出る。
あいつは今まで必ずウォルフガングの肩をもってきた。だけれど今回はそうではないらしい。
◇◇
晩餐の後。いつもなら談話室でまったりと過ごすところを、ヴィーを僕の私室へ呼び出した。
ヴィーは山のようなお菓子のおかげなのか、ウォルフガングとの約束のおかげなのか、機嫌はだいぶ直っているようだ。
美しい顔に愛らしい笑みを浮かべて、長椅子にちょこんと座っている。
服装と平らな胸を除けば、ほぼ女の子だ。ここ数ヶ月で急激に女の子らしさが増した。外見だけじゃない。ちょっとした仕草もそうだ。
呪いの効果が薄れているためなのかどうか、原因はわからない。カッツから見ても彼女の魔力などに変動はないそうだ。
このまま自然に呪いが解けるということはないのだろうか。そう考えてしまうほど、女の子化が進んでいる。
こんな可愛いヴィーをウォルフガングと二人で遠乗りに行かせるなんて、もっての他だ。
ヴィーはひとりで馬に乗れない。親友と二人でくっついて乗っているのを見るのだって嫌なのに、ウォルフガングなんて冗談じゃない。ましてやとっくに手出しをしていたなんて。
…だが。
僕が17の頃なんて、いかにブルトン家の人々の目を盗んで、エレノアといちゃいちゃするかに心血を注いでいた。
あいつが17の頃なんて、とてもではないが双子に話せるものではない。
そう考えるとウォルフガングのしたことなんて、可愛いものだ。
面白くないことに変わりはけれど。
確かにヴィーはもう17だ。自分が本当は女の子だと知らない分、僕がしっかり守らないとと考えてきたけれど、彼女にだって意志はある。あんなにアンディにくっついてまわっていたのに、他の男と遠乗りに行きたいと心境が変化したなら快く応援すべきなのではないか。ウォルフガングなら、客観的に見れば、非常にいい相手だ。
「ヴィー。ウォルフガングと遠乗りに行きたいそうだね」
ヴィーは、あれ?という顔をして瞬いた。
「なんでもう知っているの?」
「ウォルフガングが僕の所へ来たからね。許可してくださいって」
「さすが、やることが早いね」
ヴィーは素直に感心している。と、目を伏せた。ちょっと憂い顔だ。けれどすぐにまた元の表情になる。
「僕が元気がなかったからって、誘ってくれたんだ」
それは口実だろうけどな。
「ヴィーは行きたいのか?」
「うん。せっかく誘ってもらったしね。気分転換にもいいかなって」
「なんの?」
「え?」とヴィーは瞬きをする。
「なんの気分転換だい?」
ヴィーは首をかしげた。可愛い。
しかし、自分で言っておきながら、なんの気分転換かわかっていないのか。
ヴィーはまた目を伏せた。
◇◇
僕のヴィーは可愛い。顔だけではない。性格が可愛いのだ。自分と血を別けた妹とは思えないほど素直で優しい。その分、やや幼く見えるがそこもまた可愛い。
だけど結局僕もその可愛さに見誤っていたようだ。
ヴィーは確かに17歳で、自分の考えをしっかりと持っている。悩みは外見のことばかりではない。
ヴィーはヴィーなりに、いつまでも兄妹幼なじみばかりを頼っていてはいけないと考えているようだ。アンディも含めて。
彼女がしょんぼりしていたのは、僕が邪魔をしたからだけではなかったようだ。
最近何かと忙しいアンディを、自分が独占する形になっていたことを反省していたらしい。
僕と一緒にいるあいつがとても楽しそうだったから。
確かに僕達は思いの外、盛り上がってしまった。昔話で。学生の頃にヤツと二人で行った場所を数年ぶりに訪れたのだ。ついつい当時を思い出して、そんなことばかり話してしまった。
ヴィーはさぞかしつまらなかっただろう。そしてそれだけでなく、反省に至ってしまったようだ。
確かに近頃あいつは休みを、というかプライベートの時間の多くをヴィーと過ごしている。だが、彼女の相談に乗っていたのだとしても、それをよしとしているのはあいつ自身だ。
ヴィーが気にすることはないのに、急に自分のワガママさが情けなくなったんだそうだ。それほど僕といるあいつが楽しそうに見えたらしい。
あいつが僕よりもヴィーに信頼されていることをドヤ顔で自慢したり、バレンタインのチョコに添えられたカードが自分だけ異なることを喜んでいたりすることを、教えようかと考えたけれどやめにした。
そんなことを伝えて、何になる?
あいつはキンバリーと結婚するのだ。未だ返事が貰えてないとはいえ、あいつは諦めていない。
その時に淋しい思いをするよりも、今から少しずつでもあいつから自立した方がいい。
ヴィーも自立を考えてウォルフガングと遠乗りに行くことにしたようだ。
だから僕も許すことにした。
可愛いヴィーを一日託すのは心配だけれども。あいつの誠実さを信じて、寛容になろう。
ため息と共にもやつく気持ちも吐き出せればいいのに。




