2章・25 深夜のシュタイン邸
しとしとと雨の音が聞こえる。
昼間は良い天気だったのに、夕方から降りだした雨は気温を一気に下げて久しぶりの寒さを呼び戻した。
もう真夜中近い時間だから、今から暖炉をつけるのはためらわれる。いい加減、寝なければ明日に差し支えてしまうだろう。
あたしは円卓の上のチョコを見て、ため息をこぼした。
直接渡したかった。
アンディの分だ。
このところシュタイン邸に泊まりに来ていても、ほとんど顔を合わせていない。
フェルも父様もだから、どこの部署も忙しいのだろうけど。
話したいことがたくさんたまっているし、それよりも何よりも、身体を壊さないか心配になる。
諦めて寝台へ潜り込んですぐ、馬車の音がかすかに聞こえてきた。
ほっとして起き上がる。かろうじて『今日』中の帰宅だ。
騎士団長に、過労死とブラック企業の説明を書いた手紙を送りつけてやろうかと考えていたところだった。
馬車の音が止んだ。
あたしはディアナにもらったスリッパを履き、ロングカーディガンを羽織った。
チョコを手にしたところで、はたと止まる。
こんな時間、さすがに迷惑だろうか。
アンディはきっとそんなことは言わない。喜んで受け取ってくれるだろう。
だからこそ考えて行動しなきゃいけないんじゃないかな。
連日の深夜帰宅だ。
相当疲れているにちがいない。
でもな。
もう一週間は顔を見ていない。
父様とフェルはかろうじて今日会ったけど。
うん。やっぱりアンディだけ直接渡せないのは淋しい。
あたしはランプも手に取り、廊下に出た。
階段まで行って下を伺うけれど、人気はない。もう部屋まで行ってしまったかと足を早める。
角を曲がるとその先にアンディと侍従が一人いるのが見えた。
どちらかがあたしに気づいたようで、ランプを高く掲げた。
「ヴィーか?」
「うん。少しだけいいかな?」
「どうした、こんな時間に。何かあったか?」
尋ねる声は心配げだ。そうか、まさかチョコをもって来たなんて思わないよね。あたしは男子だ。
大きな紙袋を持った侍従が、すぐ暖炉に火をいれます、と足早に部屋へ入っていく。
「ごめん、何もない。ミリアムと一緒にチョコを作ったからアンディにもあげたかったんだ。いつものお礼」
はい、と渡す。
「ちゃんと胃薬も添えたよ」
「…お前が作ったのか」
「そう。今のところフェルも父様もお腹壊してないから、大丈夫。美味しくできてるよ」
「ありがとな」
そう言ってアンディはあたしの頭をわしゃわしゃする。
すごく久しぶりだ。えへへ。
「仕事、毎日遅くまでご苦労様。身体壊さないでね…くしゅんっ」
廊下は冷える。何しろだだっ広いお屋敷で、暖房は暖炉しかない。廊下に床暖をつけたいよ。
「火が入りました」
と侍従が部屋から顔を出した。
「…僕は戻るね」たくさん話したいことはあるけれど。「アンディはゆっくり休んで」
またわしゃわしゃしてくれる。
「少し暖まっていけ」
やった!
「ありがと!」
部屋に入ると壁際のライティングデスクの上に、さっき侍従が持っていた紙袋が置かれていた。何気なく目をやると、中はかわいらしいラッピングのプレゼントでいっぱい。チョコだ。
騎士団には女子、いないよね?
わざわざ届けられてるの?
こんなに?
「モテモテだね」
椅子を暖炉前に移動していたアンディは、
「中身を確認させたらやるよ」
と言う。
自分で見てあげなよと返答しようとしたけど、日々激務のアンディにそんな時間はないのだろう。ありがとうとだけ返す。
「ちゃんとミリアムとエレノアと分けるんだぞ」
「わかってる!もう、みんな僕をどれだけ食いしん坊だと思っているんだ」
「際限なしだろ。ほら、ここに座れ」
暖炉前の特等席。遠慮なく座る。
はぁ、あったまる。
侍従がアンディの外套を脱がせて奥の部屋へ持って行くと、アンディは部屋の中央に置かれた長椅子に座った。
あたしが渡したチョコを開けて、
「お、普通にチョコだ」
と言う。
「当たり前!僕はそんなに不器用じゃないよ」
見栄えの悪いのはあたしもミリアムも自分用にして、とっくに食べてしまった。
アンディはひとつつまんで口に入れると
「美味しいな」
と言った。
「でしょ?」
あたしは立ち上がって長椅子の元へ行くと、アンディの隣に横座りした。
「ミリアムと頑張ったんだから。あげたい人が多くて作るのが大変だったよ。お菓子屋さんて凄いね。尊敬するよ。あ、もちろんお返しをすごく期待してる」
「え、お返し必要か?女子でもないのに?」
「アンディだけ十倍返しだよ!」
いつの間にか、奥の部屋から戻ってきた侍従が部屋の隅に密やかに立っていることに気づいた。
「もう、休ませてあげたら?」
とアンディに言う。日付は変わっただろう。
ていうか、あたしがアンディを休ませないといけないか。
「…下がっていい。後は自分でやる。心配はない」
侍従は頭を下げると失礼しますと部屋を出て行った。
「…僕もそろそろ戻らなきゃ」
「そうだな。明日も学校だろ?」
「うん。…あのさ、6月までずっとこんなに忙しいの?」
まだあと三か月半もある。いくらペソアのお偉い方々が来るからって、今からこうでは身体が持たない。
「来月には落ち着く。計画の変更を月末までにまとめなくてはいけなくてな。それさえ済めば、大丈夫だ」
それでもまだ半月ある。
「体力勝負の騎士団なんだから、気をつけてね」
「ありがとな」
「…」
「どうした?何か相談ごとがあるのか?」
「…前の王妃様が亡くなったのって、アルの誕生日の前の日なんだね」
あたしは前の王妃様のことをよく知らない。その辺りは複雑な事情がありそうだし、今の優しい王妃様とアル、レティが幸せそうだから、敢えて知ろうともしなかった。
「…そうだな。今年の殿下の誕生日はそれどころではないだろう。お前たちで、しっかり祝ってやれよ。そうだ、騒ぎすぎないようにだけは気を付けろ」
「うん…」
やだな。
あたしは子供だ。
アンディは疲れているだろうに、まだ話をしていたい。
「…あのさ」
「なんだ?」
「来月になったら僕と遠乗りに行くひまはある?まだ文化祭のご褒美、もらってないよ。チョコのお返しはいらないから、アンディと遠乗りに行きたい」
大きな手が伸びてきて、静かに頭の上に乗った。
「そうだった、まだ行けてなかったな」
「そうだよ!」
「わかった。来月行こう。お返しもたくさん用意するぞ」
「本当?約束だよ?」
「ああ、約束だ」
立ち上がるアンディ。
「そろそれ戻れ。授業中に寝るぞ。部屋まで送ってやるから」
ひとりで大丈夫だけど…。
せっかくだし。
あたしも立ち上がると、もって来たランプを手にした。消えていた火をアンディが魔法でつけてくれる。
あたしはこんな簡単な魔法もできない。
フェルもミリアムも魔力は強いのに、なんであたしだけ弱いのだろうと思いながら、アンディの上着の裾をそっと掴んだ。




