2章・18 ゲインズブールの不在 1
始業のチャイムが鳴って教室の扉が開く。入ってきたのは担任のゲインズブールではなくキンバリー先生だった。
「すごいね、あの張り紙」
と先生。先日クラス入り口の扉にアル、ジョー、ウォルフの三人が大きな紙を張り出した。
『ミリアム・シュタインとレティシア・シュシュノン
クリスマス会のダンス申し込みは受け付けません。
ヴィットーリオ・シュタイン
男子からのダンス申し込みは受け付けません』
そう書いてあるのを見て仰天した。
なにこれ、公開処刑なの!?
そう三人に詰め寄ったけれど。
でもこれが一番不愉快にならないと思うと言われて、三人は三人なりにあたしのことを考えてくれたのだと納得した。
実際、張り紙のおかげであたしたち三人への申し込みはなくなった。
「長く学校にいるけど、こんなお断りポスターは初めてみたよ。ナイスアイディアだね」
とキンバリー先生。
「せんせー、ゲインズブールはー?」とジョー。
「体調を崩して寝込んでる。今朝は先生が代理です」
やったあと声があがる。
「マリアンナ」
と先生。紙を渡す。
「特別指導は休みになるけど、これに書いてあるのをできるようにしておくことだって」
こんなに!?と叫ぶマリアンナ。
学校に復帰したマリアンナは、まるで停学処分なんてなかったかのようにふるまっている。彼女の強いメンタルだけは称賛できると思う。
「それからウォルフガングと、あと、そうだな、ジョシュア、ヴィットーリオ。この後悪いけど、手伝いをお願いしたい」
◇◇
それから朝のホームルームを終えると、あたしたち三人は先生の後について教室を出た。
「なんの手伝いですか?」
心なしかウキウキしているジョー。教師に手伝いを頼まれるのは初めてだからだろう。
「申し訳ないないけど、カッツを運んでほしい」
とキンバリー先生。
キンバリー先生が朝見つけたときのゲインズブールは、高熱で朦朧としていたそうだ。屋敷に帰宅することを勧めたものの、絶対に帰らないの一点張り。仕方ないので、睡眠導入剤入りの薬湯を無理やり飲ませたらしい。
「今頃薬が効いて寝てるはずなんだ。馬車は研究所のものをこちらにまわさせた。ただ、誰もあいつを運んでくれない。ジジイども、口を揃えて、力のある生徒に頼んでくれって言うんだ」
とキンバリー先生。
細マッチョのジョーも、予科練生のウォルフも、いかにも力持ちそうだ。
なるほどと頷いたジョーは、
「でもヴィーは…」
ちらりとあたしを見て口をつぐむ。
「濁したってダメだよ!自分でもなんで僕?って思ったもんね」
あたしの疑問に先生は澄ました顔で答えた。
「ヴィーはもちろん荷物持ち」
「先生、『もちろん』はいらないよ!」
ゲインズブールの研究室に着くと、扉横に担架が立て掛けてあった。
「中に入れられないんだ」
との先生の言葉にウォルフとあたしは、思わずああ、とうなずいてしまった。
研究室に入ったのは一度だけだけど、あのカオスっぷりは忘れられない。とてもではないが、担架は使えない。
先生は担架を床に寝かせると、
「まずはここまでゲインズブールを運んでほしい」
「そりゃ、年配の教師は嫌がりますよ」
とウォルフガング。ゲインズブールは背も高く、体の作りもしっかりしている。さすが攻略対象キャラ。無駄にモデル体型だ。
先生が扉を開ける。中を見たジョーが、わっと声をあげた。
「なんだここ。すごいな」
だよねー。
教師としてのゲインズブールは、小綺麗な格好をして、書く字と性格以外は普通の人に見える。
様々なトラップを回避しながら奥へ進む。
「運ぶときに、山を崩しちゃってもいいよ。言うことを聞かないカッツが悪いんだからね」
とキンバリー先生。
最奥の扉にたどり着くと、
「ちょっと待ってて」
と先生は一人で中に入った。
辺りを見ると、いつのかわからない食事が乗ったトレイがひとつあった。
こりゃ、完全にダメ人間だね…。
すぐに出てきた先生は小さな手提げ袋を持っていて、それをあたしに渡した。
「ヴィーちゃんはこれを持って。薬の入った小瓶だから、ぶつけないように。カッツを運ぶのに危ないから先に外に出ててね」
はいと頷く。
「ウォルフガングとジョーは、中入って」
はーいとの声のあとに、うわっとかヤバいなとか言うのが聞こえてきた。すごく気になる。
けど、ガマンして外に出た。
しばらくして、悪戦苦闘する声が聞こえてきた。
聞いていると…ちょっとおもしろい。
そこ危ない!とか、ゲッ何か踏んだ!とか、まずい落とした!とか、ヤバいぶつけた!とか。ガンガンぶつけてやれ!だとか。…最後のはキンバリー先生だ。
確かにこんな面倒なこと、先生たちはやりたがらないよね。
ていうかゲインズブール、とんだ困ったヤツだな。
ようやく全員が出てきた。頭側をジョーが、足側をウォルフが抱えて、汗だくになっている。今、11月なのに。それでも、重そうなゲインズブールを担架に丁寧におろした。なんだかんだ、育ちがいいんだよね。
ゲインズブールは汗だくで息も浅い。服は昨日のままだ。なんでこんな状態なのに、家に帰りたくないのだろう。アンディみたいに家族とうまくいってないのだろうか。
キンバリー先生は両手に大きな袋を持っている。
「何ですか、それ?」
「着終えた服。ついでに送ってやろうと思って」
「えっ」とウォルフが声をあげた。「先生、洗濯までしてやってるんですか?」
「まさか。ゲインズブール家の使用人が週一回取りに来てるよ。新しい服と引き換えにね。でも今週は来なかったのか、置きっぱなしだったんだよ」
…ほんと、ゲインズブールはダメだな。で、キンバリー先生はお母さんだ。
それから担架に乗せた眠れるゲインズブールを正面玄関に運ぶと、すでに馬車が待っていた。研究所の所員なのか、見ない顔の男の人もひとりいた。
またまたジョーとウォルフが苦労してゲインズブール乗せて、キンバリー先生が洗濯物を放り込み、男の人に薬を託して、あたしたちの仕事は終わった。
「ありがとね。助かった。いずれお礼をするから」とキンバリー先生。
「やったあ!」
とあたしが喜ぶと
「お前は薬しか運んでないだろ」
とすかさずウォルフに言われる。
「ケチっ」
「しかしさあ」とジョー。「ゲインズブールの巣、本当に巣だな」
ウォルフガングも頷き先生に、
「あそこに住んでいるのですか?」
と尋ねる。
「ほとんどね」とキンバリー先生。「君たちはああいう大人になったらいけないよ」
「なりたくないよ 」とジョー。「あれ、一生結婚できないぜ。見た目はいいのに残念すぎるな」
どんだけ凄まじい巣なんだ。
そんなダメ人間でも、ゲインズブールは攻略対象なんだよね。ミリアムとレティには関係ないからとノーマークだったけど。
ゲームからだいぶ変容しているみたいだし、念のために警戒したほうがいいのかな。
「ゲインズブールだって子爵家の長男だろ?」とウォルフ。「よく親はほうっておくな」
「出来のいい弟がいるから」と先生。「内務省で働いている。兄と違って外見も中身もいい男」
「よく知ってますね」とジョー。
「三年生の授業は全クラス受け持つからね。ここ数年の卒業生は全員知ってるよ」
ああそうか、とうなずくあたしたち。キンバリー先生はゲインズブールより若く見えるけど、年上だった。弟がこの学園に通っていたときも、先生をしていたのだ。
職員室に戻る先生と別れる岐路で、ちょっとと手招きされた。
ウォルフとジョーから離れると先生は
「カッツ、昨日は具合が悪そうだったかな?」
と訊いてきた。
「…ここのところずっと、機嫌が悪かったよ。具合のせいだったのかな?そうだ、痩せたねって女子が話してた」
そう、と先生は頭を掻いた。
「いや、ちょっと忙しくてカッツのチェックしてなかったら、あんなになっててさ」
珍しく、先生の顔が陰っている。
ゲインズブールはマリアンナを指導している。その監督をしているキンバリー先生。ゲインズブールの病気は立場上まずいのかも。
「失敗したよ」と嘘くさい笑顔をつくる先生。「ありがと。教室に戻っていいよ」
あまりこういうことを言ってはいけないのだけど。
「先生、癒しは?」
職業が“癒す者”でない人にそれを頼むのは、マナー違反だ。遠足のときに先生があたしを癒してくれたのは、あくまで好意。
ただ、先生自体がゲインズブールの病気のせいで困ってしまうなら、確認くらいしてもいいんじゃないかな。
幸い先生は、気分を害することはなかったようだ。
「断られた。施しはいらないって」
と普通に答えてくれた。
なるほど。さすがゲインズブール、断り方にも性格の歪みが出ている。
「僕にできることある?」
先生は首を横にふった。
「今は大丈夫。何かあったら、即、助けを求めにいくよ」
「絶対ですよ」
そう約束をして先生と別れた。




