幕間・友人と婚約者 2
王宮は以前に比べて俺に厳しい。
『王子の友人』には寛容だったのに、『王女の婚約者』には注文ばかりする。
到着したら、まずどちらの殿下に用があるのかを告げ、レティの場合は控えの間で待たされる。
どうやら以前、彼女の寝室に侍女を押し退けて入ったことが問題視されているらしい。
ま、俺は待つのは嫌いだから、いつもショートカットをする。
アルに用があると告げれば早いのだから。
侍従の先導でアルの元へ行き、よっと挨拶だけしてレティの元へ行けばいいのだ。
そのうち出入り禁止になるよとアルに脅されてはいるけれど。
今日もその手を使い、一旦アルの元へ。
ヤツは私室で読書をしていたが、俺を見るとちょっと座れ、と言った。
「こんな時間にどうしたんだ」とアル。
もう日も暮れて、晩餐に呼ばれてもいない人間が人の屋敷を無断で尋ねる時間ではない。
ちょっとな、とごまかすとアルは盛大にため息をついた。
「お前、これでレティのところへ突撃してみろ。いい加減、婚約者としての資質なしとみなされるぞ」
「それは困る」
「…困るんだな」
アルは部屋の隅に控えていた侍従に振り返った。
「レティを呼んできてくれ。必ず、侍女も一緒にな」
「ありがとう」
「頼むから、レティを泣かさないでくれよ」
「泣き顔は好きだけど、泣かせようとしたことは一度もないぜ」
それは事実なのに、アルは何も言わず剣呑な目で俺を見た。
話題を変えることにする。
「また魔法書か」
アルの前にあるのは古い魔法書だ。
彼はうなずいた。
「落ち着かなくてね」
「…あのフェルディナンドは切なかったな」
「ああ」
自分でふっておいて、話はそこで途切れてしまった。
しばらくして、レティと侍女が入ってきた。俺はいつも通り、片手をあげて挨拶する。
アルは立ち上がった。
「僕は隣室にいる」
そう言って侍従と去り、部屋には俺とレティと彼女の侍女の三人になった。
あの侍女はすぐに邪魔をしてくるから、消えてほしいが仕方ない。いないものと考えよう。
さっきまでアルが座っていた椅子に座るレティ。兄と同じように、こんな時間にどうしたのと聞いてきた。
「…レティにプレゼントを持ってきた」
上着のポケットから、聖マルグリーテ教会の護符を出して、彼女の前に差し出した。
「お守りだ。腕につけられる」
レティはそれを見て目を見開き、それから俺を見た。
「…若い恋人の間で流行ってるって」
暗い中でも彼女の頬が赤くなるのがわかった。
「あの…」
と言いかけて彼女は口をつぐんでしまう。
生意気な侍女が近寄ってきて、俺の手をのぞきこんだ。
「ジョシュアさま」
「なんだよ。また文句か」
「いいえ。こちらがどのようなお守りかご存知ないようですが…」
「知っているよ」
ぴしゃりと遮る。
「しゃしゃり出るな。俺はレティと話している」
って。
こう言うってことは、この侍女はこの護符のことを知っている。戸惑っているレティも、知っているからこその戸惑いなのか。
「ジョー」消えいりそう声のレティ。「これは最期まで一緒にいたいって願いがこめられているのよ」
「わかっている。レティは受けとりたくないのか?」
目を見開いたまま固まっていた彼女は、やがてその大きな目から綺麗な涙をぽろぽろとこぼした。
なぜこのタイミングで泣くのか。
せっかくレティがかわいい泣き顔を見せているのに、俺は不安になった。なぜか胸が苦しい。
レティは護符を手に取った。
「…ジョー」
「なに?」
「ありがとう。とても嬉しいわ」
泣きながら、顔をくしゃくしゃにして笑顔になるレティ。
かわいい。
ドキドキしてきた。
彼女は侍女から差し出されたハンカチで涙を拭くと、
「つけてもらえるかしら」
と言った。
おずおずと差し出されたそれを手に取って、彼女の華奢な手首に巻く。
終わると彼女は腕をあげて、つけられた護符を見た。
蕩けそうな顔をしている。
俺は身を乗り出すと、キスをした。
顔を離すと目が合って、レティは小さな声でありがとうと言ってくれた。
なにもかもが、かわいい。
ふと。いつもなら入るうるさい邪魔が入らないことに気づいて侍女を見ると、なぜか壁の鏡で自分の髪をなおしている。
ラッキーだ。
もう一度、レティにキスをした。
「気に入ってくれたか?」
レティはええとうなずいてくれる。
「これ、知っていたのか?」
彼女はふふと笑った。
「侍女の間で話題になっているのよ。ねえ、ソーニャ」
話題をふられた侍女は、はいと答える。
「そうか。ちゃんと自分で詣でてもらってきたからな」
ウォルフガングからこの護符の話を聞いたあとすぐに、四日も時間がとれない男向けに、ブラン商会は参詣代行業を始めた。
そんなんで御利益があるのか不思議だが、繁盛しているそうだ。
レティは首をかしげた。
「でもこの教会はとても遠いのでしょう」
「学校を休んで行ってきたぜ」
言ってから、しまったと気づく。俺が欠席したのは入学以来、ただ一日だ。しかもずいぶん前。
もらってきてから渡すまでに、随分な日数が経っていると気づかれてしまう。
「…ウォルフガングのところでリメイクしてもらうのに、日数がかかった」
レティは素直に、人気なのねと感心する。
すまん、ウォルフガング。泥をかぶってくれ。
「…なあ、レティ」
なにかしらと聞き返す声もかわいい。
「学校のクリスマス会なんだが」
「まあ、気が早いのね」
と笑うレティは、きっとダンスの予約のことを知らないのだろう。
彼女の両手を握りしめる。
「俺以外とは踊らないでくれ。アルとヴィーはいいけれど。他の男は嫌だ。バレンもウォルフガングも、嫌だ」
「…そう仰るのなら」またお邪魔虫が割り込んできた。「ジョシュアさまもレティシアさま以外の女性と踊らない約束をしませんと、不公平です」
「踊らない!俺はレティとしか踊りたくない」
「…ミリアムとは踊ってあげて」とレティ。
「彼女に俺は必要ない。どうせ申し込みが殺到する」
「ミリアムはそれが困ると思うの。アルとヴィーとジョーで守ってあげてほしいの」
確かにあのミリアムは、俺たち以外の男と踊るのはまだ出来ないだろう。
「わかった。ミリアムは踊るし守る。レティは?」
「もちろん。わたくしもジョーとしか踊りたくないわ」
握る手に力が入る。
「本当か?」
赤い顔でうなずくレティ。
握りしめた彼女の手を持ち上げて、その甲にキスをする。
すごく、嬉しい。
レティが俺としか踊りたくないだって。
なんてこった。
嬉しいぞ。
「そろそろ、終わりです」
ムカつく侍女が、レティの手を握りしめる俺の手に、指を突き付けた。
「うるさい、あっちに行け」
「…わかりました」
珍しく素直な侍女に驚きながら、レティの手にもう一度キスをする。
いや。
手を握りしめたまま身を乗り出したら、後ろから頭を叩かれた。
侍女め!
と振り返ると、立っていたのはアルだった。
そうだ。ここはアルの部屋だった。
「残念だろうが、そこまでだ、ジョー」
「邪魔するな。いいところだ」
「何が『いいところ』だ」とアルはもう一度俺の頭を叩いた。「僕もかばいきれなくなるぞ」
「使えない王子だな」
仕方なしにレティの手を離す。
俺の言葉に目を吊り上げているアルを見ていたら、いいアイディアが浮かんだ。
「そうだ、アル。ちょっと陛下に頼んで来てくれ」
「何を」
「結婚年齢を15に引き下げようって」
今は18だ。魔力がある人間を必ずシュシュノン学園に三年間通わせるためらしい。
俺よりひとつ年下のレティは、まだ15歳。18になるまで後2年と5ヶ月もある。
「結婚しちゃえば邪魔されないだろ」
なんていい案だ。
剣呑な目をしたアルは。
「…僕の前でよくそんなんでことを言えるなっ!」
と叫んだ。
「…八つ当たりするな」
「したくもなる!」
アルは侍従を振り返ると
「ジョシュアを見送って」
と冷酷に命令を下し、レティを見ると
「もう部屋に帰りなさい。侍従長に叱られる」
とそそのかした。
「国王になる男が小さいなあ」
「うるさい」
アルはため息をつく。
「でも本当に帰れ。かばいきれなくなるのは事実だぞ」
「わかったよ」
俺は立ち上がるとかわいいレティの額にキスをした。
「また明日」
レティはにっこりと笑ってくれた。
「幸せそうな顔をして」
とアルが呆れたように言う。
「俺?幸せそう?」
「ああ、幸せそうな間抜け顔だ」
さきほど侍女がのぞいていた鏡を見る。暗くてはっきりとはしないが、確かに俺の顔はにやけている。
「そうか。俺は幸せなのか」
レティを見る。
彼女は、わたしも、と微笑んでくれた。
☆連載100回記念おまけ☆
☆その頃の留学生(バレン編)☆
「ジョシュア様がお越しになったようですね」
と部屋に戻ってきたオットーが言う。
「あ?こんな時間にか?」
俺はチェス盤を睨んだまま尋ねる。まったくいい手が浮かばない。
「そのようです。どうぞ」
とオットーは湯気が上がる温かいレモネードを卓において、向かいに座った。
ペソアでは寝る前に必ずこれを一杯飲む習慣だった。そうするとよく眠れた。
「まだ手が決まらないのですか」とオットー。
嫌なヤツだ。今までの戦績は五分五分だが、今日はどうも調子が悪い。
「お疲れなのでしょう。騒ぎすぎなのです」
昨日の文化祭の後、キースの屋敷にクラスの男子が集まって打ち上げをした。ペソアの学校ではそんなことをしたことはなかった。だがシュシュノンに来てからは、一学期終了の打ち上げ、体育祭の打ち上げ、それからテストが終わった打ち上げというのもあった。
なんのことはない、ただみんなでで盛り上がって騒ぐだけのことで、騒ぎたいがために何々の打ち上げという名目をつけているだけだ。
最初は馬鹿馬鹿しいと思った。だが昨晩なんてみんな広間で寝落ちして、そのまま今日の夕方まで遊んでいた。
これが貴族のすることか?と思う。ペソアではもっと上品で洗練された日常だった。たとえ第五でも王子の俺は礼儀と節度を持って接されていた。雑魚寝なんてあり得ない。
…だが、俺の性分には合っているらしい。ものすごく楽しい。
以前はレモネードがないと不眠気味だったのに、いつの間にかなくてもぐっすりと眠れるようになった。不思議なものだ。
今日のこれは、久しぶりだ。
散々騒いだあとのいつもの生活は、いやに淋しい。余計なことを考えては気が滅入る。
それを察したオットーがいれてくれたのだ。
グラスをとって一口飲む。美味しい。
ペソアにいたときは、友人も恋人候補も家柄を考えて選んでいた。それがシュシュノンでは家柄で選ぶ暇なんてなかった。怒濤に飲み込まれるようにクラスメイトに飲み込まれていた。
アルベールたちと違うクラスだったのはラッキーだったと思う。次期国王と同じクラスだったら、さすがに雰囲気は違っただろう。そうでなくてもあいつはクソ真面目だ。
明日は委員会がある。選ばれたときはふざけるなと憤ったものだが、今ではそうでもない。
楽しみだ、と思いながら空になったグラスを置いた。




