Finale:【記憶のかけら】
暖かな陽射しが、俺の体を温めていた。
それに誘われ、少しずつ意識がはっきりとしてきた俺は、伏せていた顔をゆっくりと上げた。
病院の一室に、俺はいた。
ベッドに向き合う椅子に腰を下ろし、俺はベッドに伏せて眠っていたようだ。
顔を上げた視線の先には、一人の少女が寝息をたてていた。
一緒にバカみたいに笑いあっていた頃、ショートヘアーだった茶色の髪は、数年かけて長く伸び、窓から入ってくる風とともに静かに揺れていた。
名前は【柊 美琴】。
彼女は、高校生だった頃から、今に至るまで、“ずっと眠り続けている”。
柊がこうなってしまった“あの時”のことは、今でも忘れない・・・。
〜*〜*〜*〜*〜
「それは・・・相談に乗ってほしいからなの」
俺たちが高校生だった頃、そう言われて俺はショックを受けて、その場から逃げ出した。
「あっ、ちょっと待ってよ〜!!」
柊は、走り出した俺の後を追いかけてきた。
「ねぇ、黒澤くんっ!!待ってってばっ!!」
その時、校門の前の十字路で悲劇が起きた。
「待って、って言って―――」
キィィィイイイイイっ!!!!
俺を追いかける柊は、横から走ったきたトラックに気づかず、そのまま・・・。
トラックの運転手は慌てて降りてきて、柊に駆け寄った。
「大丈夫か、きみっ!?しっかりっ!!」
柊は薄れていく意識の中、走り去ってゆく俺の背中を見つめていた。
「・・・くろ・・・さわ・・・くん・・・」
辺りには、手に持っていたかばんの中身が、飛び散っていた。
そして、たくさんの通りすがりの人々や生徒たちが集まってきた。
「誰かっ!!救急車をっ!!」
集まってきた人の一人が、急いで電話をかけた。
人ごみを掻き分け、柏木がそばに駆け寄る。
「美琴っ!!しっかりして、美琴っ!!」
「・・・と・・・もみ・・・?」
柊は擦れた声で、呼び返した。
柏木は彼女の手を取り、必死に声をかけた。
「もうすぐ救急車が来るからねっ!?だから、もう少しだけ頑張ってっ!!」
「・・・か、ばんの・・・す、スト・・・ラップが・・・」
「そんなのいいからっ!!」
「・・・でも・・・で・・・も・・・」
電柱に向かって、柊は手を伸ばした。
その方に柏木は視線を向ける。
そこには、柏木が柊と一緒に作った手作りストラップが落ちていた。
柏木はそれを手に取ろうとした。
その時、救急車のサイレンが聞こえてきた。
やっと来たのだ。
その後、柏木は柊を助けることで頭が一杯になり、そのことを忘れてしまった。
柊は救急車で、この病院に運ばれていった。
俺はその頃、部屋で寝ていた。
柊が事故にあったことなど知らず、自分のことばかり考えていた。
俺は柊のそばにいられない・・・そんなことばかり考えていた。
そこに電話がかかってきた。
「・・・はい、もしもし」
「私っ!!智実だけどっ!!」
柏木からだった。
慌てた様子で、話していた。
「・・・で、何か用?」
「陵っ、大変なのっ!!美琴がっ・・・美琴が事故にあったのっ!!」
「っ!?」
俺は病院に、すぐさま走って行った。
病院の入り口で、柏木が俺を待っていた。
ここで、俺は柏木に事情を聞かされる。
俺は頭が真っ白になった。
彼女が走っていたのは、俺を追いかけていたからだ。
俺のせいだ。
俺のせいで、柊は事故にあった。
・・・俺の・・・せいで・・・。
俺たちは集中治療室の前で、柊を硝子越しに見守っていた。
そして、医者の一人が告げた。
「今のところは、まだ何も言えません。ですが、一応すぐ連絡できる場所にはいてください」
俺たちは黙り込んでいた。
何も言えなかった。
ある時、柏木は口を開いた。
「私はとりあえず、家に帰ろうと思う。家ならここから近いし、連絡してくれればすぐ来れるから・・・陵はこれからどうするの?」
「俺は、ここに残る」
柏木はそれを聞くと、頷いてから「じゃあ、またね」と家へ帰った。
そして、次の日、柊は病室を移された。
〜*〜*〜*〜*〜
そして、柊はこの病室で、長い間、今でも眠り続けている。
柏木や他の友達も、時々見舞いに来ている。
無論、俺は毎日ここに来ていた。
それにしても、俺がここで見ていたあの“夢”は、一体何だったのだろう?
今思うと、可笑しなことばかりだ。
「・・・“クロ”かぁ・・・」
俺はあの時、確かに“クロ”だった。
この記憶に、はっきりと残っている。
きみだけの“クロ”だった。
いつまでも柊のそばにいる“クロ”。
今の“俺”と“クロ”・・・何も変わっていなかった。
俺はふと、目の前の少女に視線を送る。
今も変わらず、俺はこいつのそばにいる。
俺は確かに、こいつから聞いた。
それは夢の中で聞いたことだけど、確かに柊は言ってくれた。
だから、俺はこいつのことを待ち続ける。
いつまでも・・・いつまでも・・・。
俺は眠り続ける少女に、声をかけた。
「・・・俺はいつだって・・・お前のそばにいるからな・・・だから・・・」
ふと、胸の奥底に溜まっていた感情が、溢れてきた。
「・・・だから・・・絶対にまた『おはよう』って・・・俺に笑ってくれよな・・・」
静寂が漂うこの病室で、俺はこぼれてきた雫で手の甲を濡らした。
突然、その病室にノックの音が転がった。
俺は涙を拭い、振り返る。
「ど、どうぞ」
すると、柏木が病室に入ってきた。
「どう?美琴の様子は」
「あぁ、あんま変わんないな」
「そう」
柏木はベッドの横まで歩いてくると、柊の寝顔を見て、クスッと笑う。
「どうしたんだよ?」
「ん?いやね・・・何か美琴・・・」
そう続けて、こう言った。
「―――前にここに来た時より、幸せそうな顔してるな、って思って」
俺は「そうか」と相づちをうつ。
ふと、柏木は呟いた。
「もしかしたら、“幸せな夢”でも見てるのかな?美琴」
「そう、かもな」
俺はふと思い出す。
さっきの“クロの夢”を。
柊にとって、あれで幸せだったのかは、俺にはわからない。
けど、俺は少なくとも、あいつのそばにいれて幸せだった。
あれは“夢”だったけど、とても満たされていた。
俺はさっき、“柊の夢”を見ていた。
そんな気がした。
突然、柏木は俺に手を差し出した。
「これ」
「ん?何だよ、急に?」
渡されたその手には、可愛らしい小さな人形のついたストラップが握られていた。
「あんたから渡してやって。きっと、美琴もそのほうが喜ぶと思うからさ」
俺は黙って、それを受け取った。
「美琴のこと、待ってあげてよね?」
「わかってるよ、そんなこと」
俺はまじめに答えたつもりだった。
しかし、それを柏木はクスッと笑う。
確かに、ちょっと似合わなかったかもしれないが、少しショックだった。
「わ、笑うなよな・・・」
「あっ、ごめんごめん。ちょっと、美琴の飼ってた猫を思い出してね」
俺は首を傾げた。
柊がペットを飼ってるなんて聞いたことなかった。
しかも、いつも嫌われてる“猫”だなんて・・・猫?
俺は柏木に、すぐさま訊きかえした。
「まさか、その猫の名前って・・・?」
「“クロ”っていうの。黒猫のクロ。美琴が事故にあってから、急にいなくなっちゃって」
俺の中の記憶が破片となって、砕け散っていた。
辺りをふわふわと漂い、原型をとどめていなかった。
クロの夢・・・そしてストラップ・・・。
不思議な気分だった。
「どうかした?」
突然、柏木が俺に声をかけてきた。
俺はとりあえず「何でもねぇよ」と、適当に受け流す。
こんなこと、話しても信じてもらえるはずがなかったから。
「じゃあ、私はそろそろ行くね?またね、美琴」
そう柊に声をかけ、俺にも「じゃあ、また」と言った。
「あぁ、またな」
柏木は部屋を後にした。
二人だけ残された病室で、俺は柊に話しかけた。
「なぁ、柊?俺、さっきまで“夢”を見てたよ。黒猫がお前のそばにいてやる夢。お前は今でもそれを見てるかもしんないけど・・・目が覚めたら、また話してやるよ」
ふと、外で猫の鳴き声が聞こえた気がした。
それは、ただの野良猫だったかもしれないし、もしかしたら・・・。
俺は、そっと彼女の手を取り、柏木から受け取ったストラップを握らせた。
そして、窓の外を眺めた。
静かな風が吹き、空に雲が浮いていた。
ふと、小さな鳥が過ぎった。
木が風に揺れて、かさかさと音をたてている。
【・・・俺たちは、流れる“景色”が好きだった・・・】