1day:【おれはクロ】
朝、眩しく射しこむ陽の光で目が覚めた。
両手両足を伸ばし、大きな欠伸をする。
ふと、俺は耳をすませた。
―――声が聞こえた・・・しかも大勢・・・。
俺はボーッとした意識の中、周りを見回す。
すると、通り過ぎていく人の足が見えた。外の景色も見えた。
―――ここは、どこだろう?
違和感を感じた。
俺は、立ち上がりまた一つ欠伸をした。
そして、また見回す。
何か地面が近い。人が大きい。世界が広い。
俺はとりあえず、周辺の詮索を始めた。
しかし、ここはよく見れば見覚えがあった。
俺が通う高校の校門前だった。
どうりで声がするわけだ、と俺は納得した。
けど、もっと早く気づくべきことがあった。
―――なんでこんな場所で寝てたんだ?
俺は考えに考えたあげく、とりあえず家に帰ることにした。
かばんが無くては、学校にいても意味がない。
俺は走った。
何か、速かった。
足を見てみた。
けど、手があった。というよりは、前足?
後ろを見ると、黒い尻尾が・・・しかも体まで黒い・・・。
俺は焦って、どっかの店の硝子を探した。
そして、ついに自分の姿を目の当たりにした。
硝子の向こうで、黒猫が俺を見つめていた。
ここで確信した。
―――俺・・・猫になってる!?
しばらくパニクって走り回っていた。
走って、走って、走って・・・。
そして気づくと、また高校の校門前にいた。
あれだけ走り回ったと言うのに、さほど息が切れていないのは猫の特権なのだろうかと、少し誇らしくなった。
俺は夢だと思い、また眠ることにした。
これもまた普段と違って、いつもよりぐっすりと眠れた。
俺はしばらく眠り続けていた。
早く夢から覚めることを願いながら・・・。
「わぁー!!黒猫さんだ!!」
「やめなって・・・不吉だよ」
「えー、そんなことないよ?可愛いよぉ」
―――せっかく眠ってるのにうるさいな・・・。
そんなことを思いながら、ゆっくりと目を開けた。
すると、俺の体を持ち上げようとする手が見えた。
俺は驚き、逃げ出した。
「ちょ、ちょっとー!!」
ふと、俺はその声に足を止めた。
ゆっくりと振り返る。
またしても、柊だった。
その後ろには、クラス委員長も見えた。
柊は、俺に向かって走ってきた。
彼女は俺の目の前まで来ると、しゃがみこんで俺の頭を撫で始めた。
嫌な感じは・・・しなかった。
「ほらね?可愛いでしょ?」
「可愛いのと、不吉は別々じゃないの?」
すると、柊は俺を持ち上げて、クラス委員長に突き出した。
「不吉なんて、この子がかわいそうでしょ!!」
クラス委員長の目の前に突き出された俺は、あまりの近さに驚き、思わず引っ掻いてしまった。
すると、クラス委員長は怒ったのか、うがぁーっと怒鳴りだす。
そんな俺を、柊は優しく抱いてくれた。
「引っ掻いちゃダメだよ。わかった?」
俺はいつもどおり返事をしようとしたが、声が出なかった。
喉がゴロゴロと鳴って、鳴き声がこぼれた。
まぁ、猫だからだと思う。
俺が返事をしたのが嬉しかったのか、柊はキャーと興奮していて、俺をなかなか解放しようしなかった。
少し、恥ずかしい気もした。
でも、その腕の中は温かくて、とても優しくて、心地よかった。
柊は、しばらく俺を抱いていると、そのうち俺を地面に戻した。
そして、「そろそろ教室に行こっか?」とクラス委員長に言って、俺に「じゃね」と手を振り、歩いていった。
その時、「あの猫可愛かったね?」と話しているのが聞こえて、少し照れくさくなった。
が、クラス委員長はそれに比べ、「次こそやってやるんだから」と拳を握り締めていたことに、巨大な恐怖を感じた。
小さなため息がこぼれた。
放課後、俺は柊がまた来るのを信じて待っていた。
そんな時、俺はふと思った。
―――俺は今、この世界で猫となっているけど、本当の俺はどうなったんだろう?
俺はそれを考えていたが、そんなことすぐにわかる。
柊たちが来れば、いろいろわかると思うから。
それにしても、猫になると本当に暇だった。
―――こんなにのんびりしてられるのも、人じゃなくなったからできたことなんだな。
そんなことを思いながら、一つ大きな欠伸をして丸くなった。
―――というか、俺はこんな大変なことになっているのに、どうしてこんなのんびりしてるのだろうか。
顔をゆっくりと上げて、空を見上げた。
風が静かに吹き抜けている。
雲が空で揺れている。
ふと思う。
―――・・・寒っ・・・。
クシュッと小さなくしゃみが出た。
それをした俺自身が、結構驚いた。
猫のくしゃみを生まれて初めて聞いたからだ。
俺は不思議な気分になった。
ここは夢の世界なのか、それとも俺が本当に猫になったのか。
今の俺に、確認する術はなかった。
ふと、数人の生徒が下校していくのが見えた。
―――そろそろ来るか?
そんなことを考えながら、俺は少しの間身構えていた。
クラス委員長に襲われないように・・・。
そんな時、二人の女子生徒が出てきた。
―――間違いない・・・柊たちだ・・・。
どちらに襲われても、おかしくない状況。
だと思っていたが、様子がおかしい。
どうやら、柊が落ち込んでいるようだ。
―――何があったんだろう?
二人の話し声に耳を傾ける。
「“りょう”のことなら、大丈夫だよ。私の鉄拳の五発分の強度はあるから」
「そ、そうだよね・・・」
“りょう”というのは俺の名前で、本名は【黒澤 陵】。
というか、クラス委員長の鉄拳は冗談抜きでシャレにならない。
五発分の強度があると言われたが、その時は正直、骨が逝ったかと思ったほどの激痛だった。
―――・・・というか、柊!!納得するな!!
と、声にも出ないので、心の中で一人、ツッコミを入れていると、俺に気づいた柊は、何事もなかったかのように駆け寄ってきた。
そして、俺を抱き上げた。
「わぁー!!絶対ウチに懐いてるよ、この子。だって、待っててくれたんだよ?」
「へぇ〜・・・私たちを待ってるとはねぇ・・・いい根性じゃないの」
そう言って、クラス委員長は拳をカキコキと鳴らした。
俺はその音に驚き、思わず柊に抱きついてしまった。
すると、柊は「キャー!!怯えてるー!!可愛いー!!」と、俺を抱き返した。
クラス委員長は、チッと舌打ちをして、拳の力を解いた。
柊は突然、俺の顔を見て、宣言した。
「決めたっ!!ウチがこの子の面倒を見る!!」
「・・・でも、美琴って、猫に好かれてないじゃない」
クラス委員長は、呆れたような口調でそう言うと、柊は自信を持ってはっきりと言った。
「この子なら、きっとウチを好きになってくれるよ」
その声は、いつもと変わらず明るみを保っていた。
俺は思わず、明るい彼女の顔に見とれていた。
すると、柊は俺を見て、微笑んでくれた。
俺は喉をゴロゴロと鳴らした。
柊は俺を抱いたまま、クラス委員長と一緒に歩き出す。
その間、俺は彼女の腕の中で、寝息をたてていた。
とても静かで、温かかった。
このまま時間が止まってしまえばいいのに、と思ったほどに心地よかった。
いつまでも、近くで彼女の笑顔を見ていたい、そう思った。
ふと、ブルッと体が少し振るえ、思わずクシャミが出た。
二人の女の子の笑い声が、聞こえた気がした。
何だか、地面がふわふわしていた。
それにとても暖かい。
俺はゆっくり目を開いた。
すると、いかにも女の子の部屋という場所にいた。
顔を上げ、辺りを見回した。
可愛らしいぬいぐるみが、そばに置いてあり、部屋の中心に丸い小さなちゃぶ台が置いてある。
俺はどうやら、彼女のベッドの上で丸くなっていたようだ。
ふと、鼻にフワッと甘い石鹸の匂いがした。
これが柊の匂いなのか、と俺は解釈した。
一つ大きな欠伸をすると、ふとゴロゴロと鳴き声がこぼれた。
すると、ドアから柊が入ってきた。
「起きた?気持ち良さそうに寝てたね」
彼女は、そう嬉しそうに言った。
俺はベッドから降りて、柊の足元にやってきた。
やはりでかい。
五感がおかしくなりそうだった。
彼女は俺を抱き上げると、俺の顔を見て首をかしげた。
「何て名前にしようかな・・・?」
しばらくそのままで、彼女はうーんと唸っている。
俺は鼻が痒くなり、前足で不器用そうに鼻を掻いた。
柊はそれを見て、クスッと笑った。
そして、言う。
「そうだ。“クロ”にしよっと。どうかな?」
彼女は俺に問いかける。
俺は「あぁ」と言うするつもりで、鳴き声を出した。
すると、嬉しそうに俺の名前を呼びなおした。
「じゃあ、決まりね?クロ」
俺は返事をした。
すると、彼女はクスッと、嬉しそうに笑った。
柊はベッドに寝転がると、俺を彼女のそばにゆっくり置いた。
俺はそこで丸くなると、柊は俺の黒い毛を優しく撫ではじめた。
俺は彼女の温もりに誘われて、静かな寝息をたてて、だんだん眠っていく。
俺が寝ているここは、俺だけの暖かな場所となっていた。
ふと、小さな欠伸がもれた。
ゴロゴロと鳴くと、喉が薄っすらと乾き、心がほんのり潤った。
そんな気がした。