第百六十五話 羽車ツナギの過去3
『べ、別世界・・・?』
猫香はツナギから告げられた衝撃の事実に未だ整理がついていないのか、ぽかんとした表情をしている。
そんな彼女に対してツナギは一つの質問をする。
『覚えているかしら猫香、私が別世界についての研究を行っていたことを?』
『は、はいそれは・・・』
それには確かに猫香は頷けた。
目の前にいる女性は自分たちの住んでいる世界とは別、他の世界という存在について色々と調べていた事は自分も知ってはいる。
しかし、猫香は彼女が行っていた様々な研究の中、この研究に関しては心では成果は得られないだろうと思っていた。それ故に自分はよくツナギにその研究を続ける意味があるかどうかを尋ねていた。
同じ屋根の下で暮らしていた同居人として・・・・・・。
『ここが別世界だっていうんですか・・・?』
『そう、ここは日本のE地区に当たる部分・・・』
『E地区?』
猫香が疑問の声を漏らす。
日本という国はなじみ深い響きではあるが、その中でE地区などという単語は聞いたことも無い。だが、それでもすんなりとここが別世界だとはやはり到底思えない訳で・・・・・・。
『で、でも・・・それでもここが別世界なんてやっぱり・・・』
『言葉だけでは信じられないわよね。後で外を色々と見せてあげる・・・ところで、あなたはどうやってここに来たのかしら?』
『それは・・・』
ツナギからの質問に猫香は気を失う前までの記憶を辿る。
だが――――
『ええ・・・っとぉ・・・』
首を捻り考える様子を表すが、その答えは中々出てはこない。
『覚えてないの?』
ツナギは中々答えの出てこない猫香にそう言うと、彼女は力なく笑みを浮かべながら頷いた。
『は・・・はい・・・正直何も・・・』
飛ばされた衝撃でその時の記憶が飛んだか、その真相は分からないが、何も覚えていない彼女のことをこれ以上問い詰めるのは少しかわいそうだろう。なにしろ、彼女が現在居るこの世界は自分が居た世界とは全くの別世界なのだから。
そんなことを考えていると、猫香がそっと手を上げてツナギに質問をしてきた。
『あの・・・ここが別世界なら・・・ツナギさんはどうして此処へ?』
『ああ・・・私の場合は事故と言った方が良いかしら・・・』
『事故?』
猫香が首を傾げながらさらに詳しく理由を尋ねようとする。
ツナギの話では、彼女は元々別世界の存在について研究をしていた。
そして、その方法の一つに彼女は魔力を用いて別世界へと続く入口を作りだす魔法を作り出そうと試みたが、その途中で事故が起きたのだ。
その魔法を完成させるために長い時間かけて溜め続けた魔力が目的の魔法作成の最中に暴発し、未完成な魔法が完成し、その魔法により別世界へと続く裂け目を偶然にも作り出したのだ。
そして、彼女はその裂け目へと吸い込まれて偶然にも今の世界へと辿り着いたのだ。
『まあ・・・一応別世界へと跳ぶという目的は果たせたんだけど・・・未完成な魔法、それも偶然起きた出来事だから一つ困ったことがあったんだけど・・・』
『それは・・・いったい?』
別世界への研究を行っていた彼女自身が、別世界へと跳べたのだから、目的は果たせたのではないだろうか?
だが、ツナギは頭を軽く押さえて小さくため息を吐きながら、その困った出来事とやらについて話し始めた。
『今の所は帰る手段がない・・・という事よ』
『えっ、帰れなくなったんですか!?』
『ええ、だからこそあなたの前にいつまでも現れなかったんでしょ』
ツナギの言葉に猫香は黙り込んでしまう。
この時、彼女の顔は僅かにだが青ざめているのをツナギは見抜いていた。
ツナギは帰れない事を問題だと口では言っているが、正直彼女は元の世界へと帰りたいなどとは考えてはいなかった。だが、目の前に居る猫香へ別だろう。彼女は原因も分からず突然この世界へと呼ばれ、その上帰る方法がないなどと言われて混乱していた。
『とにかく、今は顔見知りである私が居るこの研究所に居なさい』
『・・・はい』
正直、ここが異世界である以上はツナギの言葉に従うほかないと納得する猫香。
こうして、この研究所内に居る人間たちから彼女を守る為、ツナギは猫香のことを傍に置いておくことにした。
「――――それからはしばらくは猫香と共に研究所で過ごしていたけど、あなたも知っている男・・・探朽ススムは猫香の記憶をいじり、自分の手元に置こうとしたわ。その後、あの男は研究所を壊滅させ、そして猫香や彼女を元に創りだした子達を連れ、今のこの屋敷へと連れて行ったわ」
ツナギはそう言いながら、猫香や綾猫のことを見ながら言った。
「その辺の話は聞いている。あの男の話ではアンタは研究所から逃げ延び、そしてこの屋敷に居た猫香を連れ出したんだろう?」
ヒビキの言葉にツナギは小さく頷いた。
「ええ・・・だけど猫香は記憶を失っており、しかもこの屋敷から連れ出す途中に探朽ススムに追手を出されて猫香とはぐれてしまったの。その後、追手の方は撃退できたけど、猫香とははぐれてしまって・・・・・・」
「その後、はぐれたコイツが俺と遭遇したって事か・・・」
全てを話し終え、ツナギは居心地の悪そうな表情を浮かべながら猫香の顔を窺った。
彼女からすれば、記憶が消された猫香のことを一人きりにさせてしまった事に対して負い目があるのかもしれない。
「猫香・・・ごめんなさい。私はあなたを助けようとしていたにも関わらず、記憶の無くなったあなたを一人きりにさせてしまったわ」
「・・・・・・」
ツナギが謝罪の言葉を述べながら、頭を下げる。
その様子を見ていたヒビキと綾猫の二人は黙ってその場の行方を見守った。ここで自分たちが口を出すべきではないと思い、あえて何も言わずに猫香の言葉を待った。
そして、目の前のツナギに対して猫香は口を開いた。
「あの・・・頭を上げてください」
猫香は小さく手を前に出し、頭を上げてくれるように頼み込む。
「猫香・・・でも・・・」
「ツナギさん・・・あなたが謝る必要なんてないですよ・・・むしろ私はあなたに感謝しなければなりません。今の話通りならあなたが連れ出してくれたおかげで私はあのいかれた研究者の探朽ススムという悪魔の手から逃れることが出来たんですから。それに――――あの人とも出会えましたし」
猫香はツナギのことを気遣いながら、壁に寄りかかり話を聞いているヒビキへと目線を移した。
一方ヒビキの方は突然向けられた視線に不思議そうな表情を浮かべる。
「おい・・・何で俺と出会えた事を羽車さんに感謝するんだよ?」
「え? え~っと・・・だってこういう言い方は変かもですけど、ツナギさんとはぐれたからご主人様とも出会えましたし」
「だから・・・なんで俺と出会えたことに関してそこまで喜ぶ必要があるんだよ?」
「? だって私、ご主人様と一緒に居て楽しいですし・・・・・・」
猫香が当たり前の様な表情でそう言うが、ヒビキとしては自分と出会えた事などそこまで感激する出来事でもないと思っているので、頭を押さえてため息を吐く。
その様子を見ていた綾猫は声を抑えながらクスクスと小さく笑っていた。
いつの間にか、この空間に漂っていた重い空気は払拭されていた。