第百六十三話 羽車ツナギの過去2
何故、彼女が此処に居る?
ツナギは目の前で眠っている一人の少女を見て呆然としてしまう。
『どう・・・して・・・?』
無意識の内の小さな声でそう呟いてしまうツナギ。
余りの衝撃で思わず声が自分の意思とは関係なく漏れてしまい、それに気付いて僅かに動揺をするツナギ。しかし、周囲に居る者達は謎の少女に夢中であり自分の漏らした心の声には気付いてはいなかったようだ。とりあえずその事に内心でほっとするツナギであったが、すぐに意識を目の前の少女に傾ける。
『(まずい・・・わね・・・)』
目の前に居る少女は周囲の研究者達には未知の存在かもしれないが、自分は違うのだ。
そう・・・自分は違うのだ・・・・・・。
『(とにかく、彼女が目覚める前に・・・!)』
心の中でそう言うと、彼女は口を開いた。
『皆、とりあえず落ち着きなさい』
ツナギの一言に、全員の視線が彼女へと集中した。
『兎に角、彼女は私の部屋で休ませておくわ。目が覚め次第あなた達にも知らせるから、あなた達もまずは自分の仕事を片付けなさい』
ツナギはこの研究所での立場が高く、そして信頼もある為に全員が一応は納得をして少女の身柄をツナギへと任せた。
目が覚め次第、報告をお願いしますと言う同僚達へと頷くと彼女は猫の様なその少女・・・猫香を自分の仕事部屋へと連れて行った。
「あなたは私が所属していた研究所前で倒れていたわ」
ツナギは猫香に自分との出会いを話す。
その話を聞き、猫香は自覚のないまま頷いた。
「なんだか変な感じです。記憶がないので他人のことの様に聴こえて・・・」
「無理も無いわよ。あなたは記憶を消されていたんだから」
気にする必要は無いと言った感じでツナギはそう言うと、話を続けようとする。
だが、そこで猫香の後ろに居るヒビキから待ったをかけられる――――――
「ちょっと待て・・・少しおかしな部分があるだろ」
「え・・・?」
ヒビキのその言葉に猫香が疑問の声を上げる。
声こそは出していないが、綾猫もヒビキと同じである疑問を感じていた。
「今の話しの中で、アンタはどうして猫香の存在を知っていた?」
「え、存在を知っていた?」
言葉の意味がよく分からず首を傾げる猫香。
そんな彼女に対してヒビキが呆れながら詳しく説明をする。
「人とも異なる存在であるお前は未知の存在の筈だろう。だが、そこに居る羽車さんにとってはそうではなかった・・・・・それは何でだ?」
ヒビキがそう指摘すると、猫香もようやく理解したのか、ああっといった表情をする。
そんなヒビキの疑問に関して、ツナギはすぐに解るわ、とだけ呟いて話を再開し始める。
「・・・・・」
しかし、ヒビキにはなんとなくではあるが、その答えは既に自分の中では出ていた。
『さて・・・まずは彼女を起こさないと・・・』
研究所の入り口付近で倒れていた猫香のことを自分の仕事部屋へと連れて来たツナギ。
まずは彼女の目を覚まさせる必要がある。見た感じでは目立つような外傷は特に見当たらない。
『え~と・・・』
部屋の中の棚を漁り、何か目覚めさせれる物はないかと捜索するツナギ。すると、なにやら見つけたのか、彼女は棚の中にあった一つの細長い瓶を取り出した。
しかし、彼女が取り出したそれは怪しげな薬などでは決してない。
『これを指に付けて・・・』
瓶のふたを開けると、ツナギは自分の指の先に一滴だけそれを垂らす。
そしてそのまま、指に付着した液体を猫香の口の中へと指ごと入れる。
『んぅ・・・』
口の中に入って来たツナギの指をぺろりと、付着した液体ごと舐める猫香。そのままツナギは彼女の口から指を引き抜き、そのまま眠っている猫香の様子を見守る。
その数秒後――――――
『・・・・・辛ッッッ!!??』
閉ざされていた猫香の瞼が勢いよく開き、舌を出して騒ぎ出す。
『ヒイィィィィッ!? カライカライカライ!?』
涙目になりながらひいひいと騒ぎ出す猫香。
ツナギが彼女の口の中に入れたものは別段特別な薬でも何でもなく、そもそも薬ですらない。
『起きてくれたわね・・・』
そう言ってツナギは手に持っている瓶を眺めながら呟いた。
その瓶には『超激辛! デス・タバスコ!!』と書かれている。
『ただの調味料でもこういう使い方が出来るのよね』
目の前でのたうち回る猫香のことを眺めながら、ツナギは小さく呟いたのであった。
『ごくごくごく・・・ぷはっ!』
コップの中の水を勢いよく飲み干す猫香。
自分に水を差し出した相手が誰なのかよりもまず、自分の口の中の激辛によってもたらされる刺激を鎮火する事の方が先決であり、言葉を発するよりもまず、全ての水を飲みほした。
『うえ・・・助かったぁ~・・・』
舌を出しながらそう呟く猫香。そしてすぐさま彼女は目の前にいる相手に抗議をした。
『何をするんですか! てっ・・・あれ・・・』
勢いよく文句を言った猫香であったが、相手の顔を見るとその声量は小さくなり、目の前の女性の顔をまじまじと見つめた。
『あなたは・・・・・』
『久しぶりね・・・猫香・・・』
ツナギは目の前の相手の名前を呼んだ。
初めて出会った者ならば、相手の名前など判るはずも無い。
そう・・・この二人は初対面同士などではない。いや、正確に言えばこの世界では二人は初めて出会ったと言えるだろう。
この世界では・・・・・。
『ツナギ・・・さん・・・?』
『ええ、そうよ』
ツナギがそう返すと、猫香は驚愕の表情を表す。
それにはある理由があった。
『う、うそ! ど、どうして貴女が・・・今までどこに?』
『落ち着いて・・・』
『いや、それよりも此処は何処ですか?』
『落ち着いて・・・説明するから・・・』
二人の会話は目覚めて初めて対面する者同士のものではない。
明らかに顔見知りの者同士の繰り広げる会話だ。
『とにかくまずは落ち着いて・・・その様子だと、あなたは此処が何処か把握できてはいないだろうから』
そう、恐らく猫香は自分が今居る場所が何処か把握できてはいないだろう。
『ここがどこ・・・? 建物の中だって事は分かるんですけど・・・』
『ええ、確かにそれもそうなんだけど・・・重要な部分はそこではないわ』
『・・・?』
やはり、彼女は自らの意思でこの世界に跳ばされてきた訳ではない。
自分と同じく、意図的ではなく偶発的に辿り着いてしまったのだろう――――――〝この世界〟へ・・・・・・。
『猫香、今から私の言う事を落ち着いて聞いて・・・』
『は・・・はい・・・』
真剣な顔でそう言われ、猫香も同様に真剣な表情を創る。
『まず・・・今、あなたが居るこの建物は私が所属している研究所。だけど・・・・・・』
ツナギはそこで一度言葉を切り、目をつぶった。
そして、目を開けると言葉の続きを話し始める。
『あなたは自分が居た世界とは異なる世界・・・・・・つまり、別世界へと跳んできたのよ』
『・・・・・・え?』
ツナギの口から放たれたその言葉を聴き、猫香の目が点になる。
だが、ツナギの表情は真剣そのもの、ふざけているとはとても思えない。だが、それでも信じがたい突然の事実を告げられた彼女は、しばらくの間、放心するしかなかった。