第百二十七話 少しずつ晴れる靄
「(思えば、こいつも俺を少しづつ変えてくれたのかもな・・・)」
ヒビキは初めて猫香と出会った時の事を思い返すと、自分が僅かながら変わり出すきっかけを猫香が与えてくれたのではないかと考えていた。
「・・・ま・・・・人様・・・」
「(無意識ながら、こいつとの何気ない会話も今にして思えば楽しんでいたように思える)」
「ご・・人・ま!」
「(・・・俺は)」
「ご主人様!!」
「は・・・」
考えている最中、猫香の大きな声が聞こえて来て、我に返るヒビキ。
顔を上げると目の前には頬を膨らませている猫香の姿があった。
「もう! 何度も呼んでるのに無視しないでください!」
「ああ、すまない。少し考え事をな・・・」
「もう・・・ご飯出来ましたよ」
猫香の言葉に頷いてヒビキは彼女の用意した食事にありついた。
食事が終わると、特にやることも無くいつも通り本を開いて読書を始めるヒビキ。
そんなくつろいでいる彼に猫香が最近話題となっている魔道具について話し始めた。
「ご主人様、最近ニュースでこの地区内に宝石の様な魔道具がばら撒かれているって・・・」
「ああ、どうやら使用者の魔力を底上げする事と引き換えに、精神面に支障をきたす様だ」
「ぶるぶる・・・おっかないですね」
猫香の尻尾がぷるぷると振るえた。
「お前、万が一にも怪しげな物を勧められたら断れよ?」
「勿論ですよ!!」
「・・・ところで、ここに来てから何か記憶に変化はあったか?」
ヒビキがそう聞くと、猫香が思い出したように話し始めた。
「それが実は、一つだけ思い出したことが・・・」
「何だ?」
「その・・・昨日の夜、夢を見たんです。その内容は私と同じ容姿、つまり獣の耳や尻尾の生えている人達と何かを話していました。そして・・・夢から覚めてしばらくすると、その夢をきっかけに思い出したんです」
猫香は額に軽く手を当てながら言った。
「私の頭の中には、私と同じような容姿をした子がたくさんいて・・・どこか、お屋敷の様な場所で働いていた様な・・・・・」
「・・・・・」
そう言えば猫香は自分の事をご主人様などとスっと言ってきた。
本人曰く、言い慣れていただのなんだのと・・・。
「どこぞの屋敷で仕様人として働いていたという事か・・・」
「たぶん・・・」
ご主人というワードが言い慣れていたという事はそういう事だろう。しかし、気になるのは自分と同じ容姿をした存在が大勢いるという事だ。
「お前と同じ容姿か・・・・・気にはなるな」
「ですよね・・・まだ完全には思い出せません・・・」
「まあ、少しずつ頭の中の靄が晴れているようだな」
ヒビキは本のページをめくりながら呟いた。
そして時間が経過し、夜遅くとなり外の光も消え、一面黒く染まった夜の世界。
そこには一人の女性がヒビキの住むマンションの近くで呻きながら歩いていた。
「ぐ・・・痛・・っ」
彼のマンション付近で痛みに耐えながら一人の女性がふらついていた。
彼女の身なりは衣服はボロボロ、所々にも傷が見られる。まるで何かに襲われたかのような。
「誰か・・・・・」
女性は傷を押さえながら歩き続けるが、とうとう力尽きその場に倒れ込む。
不運にも夜遅くの為、近くには人も出歩いておらず、彼女の苦しむ姿を確認して保護してくれる者は皆無であった。
「(痛い・・・誰か・・・)」
その頃、ヒビキの自室では――――
「!!」
突然猫香がその場で急に立ち上がる。
そんな彼女のことを不審そうな顔で見るヒビキ。
「・・・どうした?」
「聞こえます」
「は?」
猫香の言葉に首を傾げるヒビキ。
猫香の頭の上の猫耳がピコピコとせわしなく動いている。
「誰かが近くで・・・苦しんでいます」
猫香の言葉にヒビキは思い出す。
「そうか、お前は確か動物の声を聴きとれるんだったな」
「はい、それなりの距離ならば・・・」
猫香は猫耳に手を当てながら、意識を集中する。
彼女、猫香は魔物を含め動物の声を聴きとる能力がある。そして、それなりの距離から聞こえる声を拾う事もできるのだ。
「このマンションのすぐ近くからです・・・私、ちょっと見て来ます」
「・・・はあ」
猫香が玄関に向かうと、ヒビキも本を閉じて同じく腰を上げた。
面倒ではあるが、コイツ一人では正直なにをするかわからないため、仕方なく付きあう事にした。
部屋を出て、エレベーターで下まで降りていく二人。
そしてマンションの入り口を出ると、猫香の耳は激しく動き出す。
「・・・こっちです!」
てててっと小走りで目的の場所まで走っていく猫香。
それにヒビキもついて行く。
「この辺り・・・あっ!」
すると、猫香が倒れている一人の女性を発見した。
「(なんだ? こいつが反応したから動物の類かと思ったが・・・人げ・・!?)」
倒れている人影をよく見て、内心で驚愕したヒビキ。
彼女の元まで近寄った猫香も同じように驚きの表情を表していた。
「ご主人様、この人・・・」
「ああ・・・これは・・・」
二人の視線の先で倒れている女性は普通の人間ではなかった。
彼女の頭と尻部には猫を連想させる耳と尻尾が生えていたのだ。
「猫香・・・コイツは」
「はい・・おそらく私と同じ・・・」
猫香は倒れている女性の猫耳にそっと触れる。
その耳は温かく、着け耳の類ではなく直に生えている事は間違いない。
「ご主人様、とりあえずこの人を部屋に」
「・・・・・はぁ」
ヒビキは小さくため息を吐く。
さすがにこの状況でこのまま野ざらしにするのも気が咎める。本音を言えば面倒ではあるのだが、しかし猫香と同じ容姿をしているこの女性に対して興味があるのも事実だ。
見た感じ年齢は二十台の前半から中盤というところであるだろう。
「よいしょっと・・・」
猫香が彼女の肩を持って運ぼうとするが、そこにヒビキがそっと彼女の体を背負って運ぶ。
「ありがとうございます、ご主人様」
「お前じゃ落としかねんからな」
「ひどいです、私そこまでどじっ娘じゃありません」
ぷぅーと頬を膨らませる猫香。
こうしてこの謎の少女を連れてヒビキと猫香、そしてこの女性はヒビキの部屋へと戻っていった。
部屋に戻り傷だらけの彼女に治療を施す猫香。
衣服を脱がせて傷を消毒し、包帯を巻いていく。その間、もちろんヒビキは部屋の外で対している。この時、女手があって良かったと思うヒビキ。もっとも、猫香が居なければこの女性を助けるなどという行動を取ることはなかったが・・・・・。
しばらくして、部屋の中から猫香がヒビキに声を掛けてきた。
「ご主人様、もう入って来ていいですよー」
「・・・・・」
猫香から部屋に入っても大丈夫だと許可を貰い。部屋の中へと戻るヒビキ。
正直、自分の住んでいる場所で部屋に入るために許可を貰うというのもおかしな話だと思うが。
部屋に入ると、猫香により手当を受けた女性は、猫香が用意して引いて置いた布団の上で寝息を立てていた。




