第八十話 苦しいなら・・・・
アタラシス学園一年生最大行事の開催まで残り二日と迫り、今日は土曜日の休日である。
タクミは家で大会の事を考え、時間を過ごしていた。二日後に大会に出て来る他クラスの生徒、合計にして二十名。自分たちを含めると二十五名の生徒達が大規模な戦いを繰り広げるのだ。その中には自分の存在も在る。
「ふふ・・・・」
その事を考えるとタクミから小さな笑みが零れる。
彼ももちろん緊張はしているが、それ以上に少し楽しみにしているのだ。普段はあまり係わりのない生徒達としのぎを削って競い合い、自分の力を存分に奮い戦う事がとても楽しみだ。ミサキを狙っていた様な連中との勝負は別であるが、このような学生同士の〝純粋〟な勝負は燃え上がる物がある。
しかし、中には〝純粋〟とは程遠い事を企てている生徒も居るのだが、そんな事はタクミには知りようもない。
「それにしても、落ち着かない休日だな・・・・・・」
二日後には大規模な戦いの中に身を置く立場である為、いつもとは違い何もない今の時間でさえもタクミには落ち着かない時間であった。
自分と同様、他の皆もやはり落ち着かない休日を過ごしているのだろうか?そんなことを考えながら過ごしていると――――
「おっ、電話か・・・・」
物音しない静かな空間の中、タクミの自宅の電話が鳴り響く。
電話の相手はタクミの父からであった。
「・・・・・・」
電話に出るタクミ、すると受話器の向こう側から父親の声が聞こえて来た。
「もしもし、タクミか・・・・」
「それ以外に誰が居るんだよ?」
僅かに棘を感じさせるような声でそう返すタクミ。しかし父親はそんな息子の反応に特に気にも留めず淡々と要件を伝える。
「今日は残業が入り徹夜になった。帰りは相当遅くなるから鍵は掛けておいていいぞ」
「・・・・・・」
「聞いているのか?」
「ああ・・・・」
「そうか、ではな」
それだけ言うと父親からの電話は切られた。
必要最低限の報告だけで、親子らしい会話の一つもなし。タクミはやるせない気持ちになりながら受話器を電話機に戻す。
タクミ自身は気付いていないだろうが、この時――――
「・・・・・・」
彼の顔にはどこか寂しさが宿っていた・・・・・・。
黒川家では、ミサキが自室で本を読んで暇を潰していた。しかし、タクミと同じく彼女もまた今朝から緊張し続け、読んでいる本の内容はほとんど頭には入ってこなかった。
もやもやした気持ちのまま自室で時間を過ごしていると、ミサキの携帯に電話が架かって来た。
「誰かな?・・・・あ」
着信相手を見てミサキの顔は嬉しそうなものに変わる。
電話を架けて来た相手は恋人であるタクミであった。喜々としてすぐに通話ボタンを押し電話をするミサキ。
「もしもし、タクミ君?」
「ああ、悪いな急に」
「ううん、大丈夫だよ。実は私、月曜日の大会で緊張していたからタクミ君から連絡が来てほぐれたよ」
「はは・・・・そうか」
何か違和感を感じるミサキ。どことなく彼からいつもの元気のよさが感じられないのだ。何かあったのではないかと心配になりタクミに質問するミサキ。
「ねえ、タクミ君・・・・もしかして何かあった?」
「え・・・・?」
「ごめんね、でもタクミ君、なんだか元気がないような・・・・」
「気のせいだよ」
直観だが恐らく彼ははぐらかしている。自分の様な緊張から来る抑制の無さとは違い、別の何かが原因で今の彼からは元気が薄れている様にミサキは感じ取った。
もしそうなら何とかしてあげたい、その想いから改めてミサキは同じ質問をタクミにぶつけた。
「タクミ君・・・・何かあったの?」
出来る限り優しい声で聞くミサキ。自分のことを心配してくれているとタクミも感じ取り、思わず黙り込んでしまう。ミサキは会話が途切れはしたが、それ以上自分からは追及をしなかった。自分が無理やり強引に聞くよりもタクミ本人の意思で話してほしいからだ。
そして、小さな声でタクミが語りだした。
「やっぱり分かっちゃうか、ミサキ」
「うん、だって私はあなたの恋人なんだから」
ミサキの言葉に携帯電話の向こう側からタクミの小さな笑い声が聞こえて来る。タクミは観念したようにミサキへと告白する。
「さっき父さんから電話があってな・・・・ほんの少し話しをしたんだ」
「うん・・・・」
「でも、必要最低限の言葉だけで会話は終了。いつも通りとはいえこれが親子の会話だと思うと空しさが溢れてきてな・・・・・・」
「・・・・うん」
「なんか寂しくなって・・・・それでミサキに電話したんだ」
「そっか・・・・」
タクミは胸の内の全てを吐き出すと、ミサキに謝った。
「ごめんなミサキ」
「?、どうして謝るの」
突然のタクミの謝罪にミサキは不思議に思った。タクミ君が自分に謝る理由など何一つないはずなのに。
タクミは不思議そうにしているミサキに分かる様、言葉を続けていく。
「情けない話だろ。寂しくなったから彼女の電話なんて」
「そんなことないよ」
ミサキは即答でタクミの考えを否定した。
寂しさから誰かに声を掛ける、その行為は決して恥ずかしくはないとミサキは思っていた。むしろ大切なタクミ君が傷ついているならば、自分がその傷を塞いで癒してあげたいくらいだ。
ミサキはタクミにとって優しさの溢れる言葉を掛けてあげる。
「タクミ君、私は何度もあなたに助けてもらった。だから私だってあなたを助けてあげたいと思っているよ。寂しいなら、辛いなら、苦しいなら私に手を伸ばして。私はあなたに何度も手を掴んでもらい、そして救われているんだから・・・・・・・・」
ミサキの言葉が言い終わると、携帯電話の向こう側から掠れたタクミの声が聞こえて来た。
「ぐっ・・ぐすっ・・ああ、有難うミサキ」
「うん・・・・」
電話の向こうから聞こえて来る今のタクミの声を聴き。ミサキの胸は締め付けられる思いだった。そして、タクミから改めてお礼を言われた。
「ミサキ、有難う。お蔭で元気が出た」
「うん」
「じゃあ、いったん切るよ。愚痴を聞かせて悪かったな」
「もう、だから謝らないでよ」
ミサキがそう言うと、タクミは小さく笑った。
そして、二人の通話は終了した。
「・・・・・・・・」
電話が切れた後、ミサキはしばらく無言で部屋の一点に目を向けていた。しかしそれは視界に映る物を見ている訳ではなく、頭の中でタクミのことを、タクミのことだけを考えていた故に視線が固定していたのだ。
「タクミ君・・・・」
電話越しから聞こえて来た彼の声は最後の辺りは普段通りに聴こえはしたが、直接彼の顔を見ていなかった為、ミサキの中にはほんの僅かな不安があった。
「・・・・よしっ!」
ミサキは机の引き出しを開け、そこにしまってある地図を取り出した。取り出した地図は手書きの物で、そこにはこの家からある場所までの道筋を示してあった。
ミサキは地図を確認すると、自分の部屋を出て玄関まで歩いて行く。途中すれ違ったユウコに声を掛けてから家を出るミサキ。
彼女は地図の示してある目的地まで小走りで向かって行った・・・・・・。