プロローグ
「あなた、行ってらっしゃい」
──ほら、お父さんに挨拶して。
妻の腕に抱かれ、その声に促された幼い息子は、彼に向かって小さな手を握っては開いて見せた。
「おう、行って来るぞ。期待して、待って居てくれ」
見送りに出て来た妻子に振り返って応えた“竜人族” の男性は、愛用の手槍を持って、意気揚々とした足取りで歩き出した。
彼は、所属しているリザードマンの一族が暮らす村から少し離れたこの場所に、自身と妻子の暮らす為の家を建てたばかりだった。
彼とは種族の違う妻子に対して、村の者たちが思わず向けてしまう視線から、妻と息子を守る為だった。
人族たちとの交流が、ここ数年の間に活発化した大陸の東側では、異種族間での婚姻も増えていると言う話を聞いたことは、彼にもあった。
しかし、彼の村では、そのような行為はまだ異端として見られていた。
妻と話し合い、彼は村から出て、べつの場所に家を建てることに決めたのだった。
その日の昼下がり。
前日に設置していた罠の見廻りを終え、掛かっていた獲物を回収した彼は、川原で妻の持たせてくれた弁当を広げていた。
“人族”の妻が作る料理は、リザードマンである彼の目からすれば非常に物珍しい物ばかりだった。
糖蜜を使い甘味を付けた豆料理に、塩漬けにして発酵させた葉物野菜。
ハーブや貴重な香辛料を使って下味を付けた後、日干しにして仕上げたジャーキーと、スモーキーな風味が香ばしい魚の燻製。
ドライフルーツとナッツを使用した干菓子まで用意されていた。
小麦粉を練って、発酵させた生地で作ったパン一塊を主食にして、弁当をあっという間に片付けてしまった彼は、空を見上げながら満足気に腹を擦った。
罠猟で得た獲物以外にも、愛用の手槍で仕留めた若い“ボア“が、彼の傍らに置かれていた。
──これなら、アイツらを満足させられそうだ。
彼は思った。
今日の猟果である穴ウサギ三匹とボア一頭分の肉を含めれば、このアークランドの厳しい冬を越せるだけの食料が、充分に集まったことになる。
まだ、数日は狩に出ることが出来る晴天が続く筈だったので、備蓄を更に増やすことも可能だった。
彼は気分良くその場に寝転がり、改めて空を見上げた。
しかし、そこには、不吉な影が射していた。
低空に降りてきて、彼の居る森林の上空を旋回しているその影を見た瞬間。
彼は弾かれたかのように、勢いよく起き上がった。
はぐれの一頭や、番が飛んでいるだけだったら、彼も気にはしなかった。
しかし、頭上を飛ぶ飛竜の数は、次々と増えて行く。
彼の胸が、ざわめいた。
その胸騒ぎに煽られ、彼は全力で家へと向かって駆け出した。
家に近付けば近付くほど、上空の飛竜たちの数は増えてきた。
「リール、アルっ!」
妻と息子の名前を叫びながら、家の前までたどり着いた彼が見た光景は、強大な力に拠って打ち砕かれた我が家と。
飛竜の一頭に咥えられて、空へと連れ去られて行く息子の姿だった。
それから暫くの間の記憶を、彼はよく覚えていなかった。
息子を咥えた飛竜が飛び立って行った後、家の中に集り続けていた他の飛竜を追い払い、妻の死体を見つけたことだけは、あやふやながらも覚えていた。
家の中に残っていたのは、彼女が着ていた服の切れ端と、その頭部だけだった。
救援を求めるため、彼は家から走り去り、村を目指した。
そして、村に着いた時。
彼の両膝から力が抜け、その場に崩れ落ちた。
焼け落ちる村の中では、口周りをリザードマンの青い血で染め上げた何十頭もの飛竜が、狂宴を繰り広げていた。
「……父さん……それに、兄さんたちも」
呆然とした呟きが、彼の口から漏れた。
襲いかかる飛竜の牙から必死に逃げ惑うリザードマンの姿が、幾つか見える。
村の長老の一人である父親と、それぞれ族長と戦士長を務めている二人の兄。
三人の姿は、見えなかった。
「──ヴォォァー!」
言葉にはならない咆哮が、彼の口から迸った。
目からは涙が溢れだす。
昔、彼が初めて猟にむかう際に次兄が作ってくれた手槍を構え、村の入り口に向かって走り出した。
涙を流し、怒りの叫びを上げ、彼は村の中へと飛び込んで行った。