囚われたさかな
まるで親鳥の真似をする雛鳥のようだと、彼のことを説明したことがある。
彼は女子というものを恐れ、自分だけの殻にこもり、そうして自分の傷を癒した。そしておそるおそる殻から顔を出したときに目の前にいたのが莉緒だった。おそらく莉緒たちの関係を表すなら本来それが適切で、しかしどこかで変わったその線引きは、今でもずっと莉緒たちの中にあるのだ。
◆ ◇ ◆
「ねぇ、一緒に帰らない?」
「………いきなりだね、渡辺」
「まぁね。迷惑だったらいいよ」
「べつに迷惑じゃない。いいよ、一緒に帰ろう」
それは中学一年生のときだ。飯田は席替えをするまえまではとなりの席に座っていたクラスメイトで、莉緒が気になっている男子だった。拍子抜けするほどあっさりと承諾をもらい、莉緒はぱちりと目をしばたいた。
「……随分あっさりだね?」
「べつに。暇だし」
「女子、キライなんじゃなかったの」
「………誰から聞いたんだよ、それ」
「あんたが言ってたんじゃん」
男子にしては長めの髪に、莉緒より少しだけ小さい背丈。中性的な顔立ちで読書家の飯田正臣は、その端正な顔を少し歪めて考えるしぐさをしてみせた。それから莉緒を疑うような声色で問い返す。
「……いったっけ、そんなこと」
「言ってた言ってた」
「うわ、まじか」
「まじ。そっち教室掃除だよね? 昇降口にいるね」
「…ん」
リュックを背負い教室の扉をくぐった莉緒は、そこでほうとため息をついた。緊張した、と小さく漏らすと、そのまま階段をかけ降りた。飄々としていたって、意識している男子に声をかけるのはドキドキするものなのだ。昇降口まで一気にかけ降り、靴をはきかえて外に出る。この学校では、だいたい一緒に帰るために人を待つときは門の前にある茂みのところで待つのが定石だ。未だばくばくとうるさい心臓を抑えながら、莉緒は飯田を待った。
その日が切っ掛けだった。
次の日も、また次の日も、莉緒は飯田に声をかけて一緒に帰った。そのうち飯田の方も、莉緒が声を掛けなくとも茂みのところで待つようになっていた。ふたりで休日に遊ぶことも多くなり、好きなゲームが同じだとわかった。図書館で待ち合わせて、近くの川の土手に座り込んでそのゲームについて語り合った。通信して戦ったりも、した。そのほかにも、ふたりでイヤホンを片方ずつつけて、お互いの好きな音楽を紹介しあうなんてことは、もはや日常だった。
いつのまにか莉緒と飯田は、クラス中から付き合ってると誤解を受けた。ふたりは、それほどまでに仲がよかった。
ある日莉緒は勇気を出した。飯田が莉緒意外の女子とこれほどまでに親しくしているのは見たことがない。脈ありなんじゃないかと踏んで、当たってくだけろと告白を実行したのだ。
好きだよ、とだけ伝えた告白の返事が返ってきたのは二週間後。俺さ、と帰り際に切り出した飯田は、敬語の混ざった変なしゃべり方でたどたどしく返事した。
「……お前のこと、大事にしたい、と思ってる……」
「…え、」
「………」
「……飯田、それってどういう……」
「……俺は、お前が好き」
ってことだよ、とつけたした声は莉緒には届いていなかった。うれしさにぽろりと涙をこぼせば、飯田は何を勘違いしたのか謝りながらあわててその涙をぬぐった。丁度クリスマスイブの一ヶ月前の日だった。
恋人になってそれからの日々は、しかしあまり代わり映えがなかった。一緒に帰って、遊びにいって、変わったのは関係の名前と手を繋ぐようになったことくらい。キスは、一度だけした。莉緒から話題をなげかけて、飯田がそれに応える形で。
………そして。中学一年生の終わりとともに、飯田と莉緒は友達に戻った。恋人という名前の関係に別れを告げることとなった。
_____さかなは、水瓶に閉じ込められた。