煌夜side『怖れ』前編
あの日―― 初めて人型で抱きしめた。 柔らかい―― 良い匂いのする身体。 ましろ ましろ ましろ―― 頭の中がおかしくなりそうな位に焦れて。
幼体でいた時よりも遥かに強い刺激に混乱した。 匂いも、 触感も、 体温も、 ましろの可愛らしい声も、 舐めた時の汗の味も―― 全部が俺をおかしくする。
変現すると、 こんなに感覚が違うのかと改めて驚いた。
あぁでも嬉しい。 ましろを抱えて空を飛べた。 嬉しい。 嬉しい―― この身体だと、 ましろは小さくて俺の腕の中にすっぽりと収まる。 嬉しすぎて俺は一瞬自分の失敗を忘れそうになった。
失敗。 そう…… いつも―― いつもだ。 ましろは俺の手をすり抜けて行く。 俺はそれが我慢ならない。
1度目はイ―ロウに出会った時。 かろうじて一緒に居られたけれど、 ましろを助けたのはイ―ロウだった。 2度目は洞窟街道のダンジョンで。 これは、 ポチのお陰で追いつけた。
そして3度目――
『ナギ! 』
俺の呼び声は、 ましろを捕える事が出来ずに―― 俺の手をすり抜けてましろは雑踏に消えた。
俺は、 人目も憚らずに変現すると、 空を飛び、 ましろを探す。 驚いたような声が上がったがそんな事を気にしている余裕は無い。
心話を使って、 ポチにましろの居場所を探させてそこへと向かった。
―― 追いかけられてる?
眼下には逃げるましろと、 人相の悪い2人の男。 血がざわつくのを抑えながら、 行き止まりに追い詰められたましろを安全な所に運んだ。 取りあえずは屋根の上なら大丈夫だろう。
屋根の上で安堵の息を吐いていたら、 離して欲しいと言われて断る。 ましろにはまだ俺の姿を見られたくない。 嫌われたくないんだ。
この腕を解けば、 俺の姿が見られてしまうかもしれない。 だから、 姿を見られたくないと告げた。
『分かりました。 絶対に振り向かないので―― 離して下さい』
それなのに、 そう言われて目の前が真っ暗になった。 そんなに俺の事が嫌なのだろうかと、 思っていたらどうやらソレを口に出していたらしい。 慌てたましろに訂正されて嫌々ながら離れる。
抱きしめていた手を離すのには我慢がいった。 俺の本能は、 ましろを離したくないって言っていたんだから。 なんて自分勝手な衝動だろう。 自分の事は隠してる癖に、 ましろは俺のだと感じる心――
名前を聞かれて、 思わず父親の名前を出してしまったのは、 やっぱりまだ俺の正体に気付かれたくなかったからだ。 それと同時に、 嘘を吐いた事が後ろめたく感じられた。
嫌われたら―― 想像もしたくない。
嫌われなかったとしたら―― 俺は、 ましろにツガイになる事を強制するかもしれない。
俺は今、 俺が一番信用できなかった。 ましろを傷付けたくないと思っているのに、 その一方で、 傷付けてでも手に入れたい―― と思っている。
だから、 ましろが『クリフレイン』 の名に反応して泣いた時に胸が詰まった。
ましろと出会ってから一度だけ、 たった一度だけ―― 昔の夢を見た。 卵の中に居た頃の夢だ。
最後の絶望の時に、 何故かましろの気配を感じた。 優しく俺を包み込む―― 俺の家族を悼む心優しい光。 最初は誰だか分からなかったけど、 夢の中の俺の脳裏に浮かんだのは確かにましろだった。
目が覚めた時―― ましろは何も覚えていないようだったし、 俺もつい今までその事を忘れていたけどな。
けれどやっぱり―― あれは、 ましろだったのだろう。 ちゃんと覚えてる訳ではないんだろうけど、 それでも俺の父親を悼んでくれている―― そんな気がして、 俺はましろが愛おしくて仕方がなくなった。
抱きしめて、 いっそ閉じ込めてしまいたくて。 愛しくて、 愛しくて心がどうにかなりそうで――。
だから首元で花のような甘い香りがした時も、 抗いきれずに舐めてしまった。 無茶苦茶怒られたけどな。
ましろに嫌われるのは困る。 だから、 精一杯謝った。 ましろは恥ずかしそうに許してくれて―― 俺は幸福だった。
理性が持たなさそうだったので、 ましろを宿に送って―― 住んでいる場所を聞かれたけれど、 答えられるはずがない。 一瞬、 正体を明かそうかとも思ったけれど、 その勇気はまだ足りなかった。
逃げるようにして飛び去って、 俺はコッソリと表に戻った。 フワフワした気持ちでタナトス達に合流して、 裏から戻って来たましろに飛びつく。
人と同じような体で、 ましろに触れて、 触れられて―― 有頂天になって気が付かなかった。
幼体で、 ましろに抱きついて愕然とした。 ましろの―― 心が分からない。
ましろが、 俺の事を好きになってくれる度に、 より鮮明にましろの考えている事が分かるようになっていたのに……。 さっきは変現した体だったから、 上手くそれが感じられないのだと思っていたけれど違うのか―― 何故? どうしてだ?
あの体で、 ましろに触れて、 俺の気持ちが制御できない程にましろを求めているから? それとも、 ましろは俺が嫌いになったのか??
そう言えば、 ましろの反応が何故だかギクシャクしている――。 どうしてだ! さっきまでは普通に聞こえてたのに。 はっきりとしたものじゃなくても、 ましろの気持ちがなんとなく分かっていたのに?
まるで、 いきなり目が見えなくなったかのようなショックを受けた。
キライ? ましろは俺の事―― 嫌になったのか? そう考えてしまうと俺は怖ろしくてましろから離れられなくなった。 そのくせ、 ましろの反応を見るのが怖い。
ぎゅうぎゅうと腕に抱きついて離れる事ができない。 嫌だ。 嫌だ嫌だ。 ましろは俺のだ。 嫌いになって欲しくない。
宿で、 疲れて眠りこんだましろにキスをする。 俺はズルイ―― そう思うのに怖ろしくてましろに問いただせない。 なんて小心者―― けど怖いんだ。
俺の様子が変なのは周りにも筒抜けで、 タナトスやポチは具体的な事は分からないまでも、 俺が変現してましろに会った時に、 何かあったのだろうと解釈して放っておいてくれた。
ミズキとか言うやつや、 イ―ロウの息子がマシロに近付いた時は物凄くイライラした。 けど、 俺はそれを我慢する。 何がましろに嫌われるような事か分からないからだ。
けど、 心配そうにする…… ましろを見て、 ましろは俺の事を嫌ったわけではないのかもしれないと、 思い始めた。 なら―― どうして?
イ―ロウの所にチナを迎えに行った時も、 ましろは俺を気遣ってるように見えた。
チナとましろが契約するのは賛成だ。 チナと従魔の契約をすれば、 ましろはより安全になるからな…… けど、 その冷静な思いとは別に、 俺がこんな状態の時にチナがましろと近しくなるのが妬ましいと思う自分もいる。
だから契約の時、 ましろの真名をポチに知られても良いんじゃないかって雰囲気になった時、 ポチには影に入っとけと示した訳だけれど。 ポチは何となく予想はしてたらしい。 大人しく、 俺の影へと入って行った。
そんな事を思い出しながら、 ましろのしなやかな黒髪を弄る。
「―― コーヤ、 行くぞ」
そうタナトスに促されて、 俺は渋々マシロの横から離れた。
俺の横には、 すやすやと寝息を立てるましろがいた。 宿の部屋だ。 本当なら、 ましろと2人っきりで『幻の家』 で眠りたかった。
いっそ、 ましろを閉じ込めてしまいたいとさえ思う。 俺以外の誰にも会えないように―― 今の精神状態は、 そんな事を考えてしまう位には不安定だった。
意志の力でもってその考えをなんとか捩じ伏せたのは、 それをすれば本当にましろに嫌われると思うからだ…… それ位の判断力が残っていて助かった。
それに、 これから俺はタナトスと出かけなければいけない。
『ナギお姉ちゃんには内緒でサァ。 今夜、 タナトスと一緒に来てよ―― 』
『な―― に? 』
『アイツにも話は通しちょくけぇの。 お前ぁさんの大切な嬢ちゃんに関係することじゃあ。 来るろ? 』
猫娘と、 胡散臭い笑顔を浮かべたミズキと名乗った男の言葉を思い出す。
ましろに関する事だと言われて、 俺が放置できるはずもない。
―― ましろには内密で―― その言葉に少しだけ後ろめたい思いを感じながら俺は、 ましろの頬にグリグリと頭を擦りつけた。 くすぐったそうに笑うましろを見て胸がきゅうと締めつけられる。
起きない―― 当たり前だ。 チナにスキルを使わせたし。 チナは不満そうだったけどな。 それはタナトスが説得した。 ましろには連日の疲れを取るのに良いからと。
話がすぐ終わるかは分からない。 途中でましろの目が覚めれば、 俺達を探そうとするだろう。 夜の街に出れば、 ましろがどんな危ない事に巻き込まれるか分かったもんじゃない。
俺が傍にいてもアレなんだぞ? 考えるだけで傍を離れたくなくなりそうだ。
「ポチ、 チナ―― ナギの事頼む」
『了解であります』
俺達が留守の間、 ましろを守れるのはポチとチナだけだ。
この2人の力ならちゃんと留守を任せられるだろうと思う。 それでも、 傍で守りたいと思うのは竜の本能だけどな。 変現した身体でましろに触れた所為か、 いつもよりその思いが強く出る。
『―― コーヤ、 ナギにもお話してあげて欲しいの。 ナギ、 コーヤとお話したがってたの。 可哀想なのよ』
へちょり―― とでも効果音がつきそうな顔でチナが言った。 責められてると分かるのに俺は少しだけ嬉しくなる。
ポチは俺の従魔だから、 最終的には俺の味方だ。 対してチナはましろの従魔だからな。 ましろに寄り添った考えをしてくれる。 チナからましろがそう見えたんなら、 ましろは俺の事を嫌いでは無いのだと確信が持てた。 そんな小さな事が、 馬鹿みたいに嬉しい。
「―― 分かってる。 取り合えず、 ちょっと行ってくるから―― 頼んだぞ」
俺はそれだけ言うと、 返事を待たずに羽ばたいてタナトスの傍へと行った。 これ以上待たせると、 催促されそうだ。 けれど、 ましろの体温が離れた事が無性に寂しかった。
外に出れば、 人通りはまばらで…… 俺達を飲み込みそうな位に大きな月が、 優しい光を地上に注いでいた。 俺はそれをジッと見つめる。
『太陽と月はウツロの目なの』
ましろに良く似た女が話した言葉が脳裏によぎった。 ウツロというヤツは今この瞬間も俺達をみているんだろうか。
俺は、 頭を振ってその考えを振り払うと、 タナトスの後を追って飛ぶ。 着いた場所はギルドの裏口だ。 タナトスがノックを3回、 2回、 3回と繰り返すと中から、 男が扉を開けた。
その男に手を出され、 タナトスが割符を差し出す。 男の持っていた割符と合わせれば、 ピタリと合わさって剣と楯の描かれた一枚の板に戻った。 そのまま、 男が地下へと降りる階段を指差す。 タナトスが無言で頷き、 階段を降りはじめた。 俺もそれに続く。
階段の横に小さな部屋があって、 男は裏口に鍵をかけるとその部屋へ戻って行った。 どうやら宿直室らしい。
「ギルドはこの時間は閉まってるのだと思ってた」
「閉まってるさ。 この時間に入れるのは特別な許可を得たものだけだ…… 」
その許可が割符だったんだろう。 タナトス曰く、 条件にあう場所がここしかなかったらしい。 俺達がイ―ロウに会いに行っている間にアルフィに許可を取ったようだった。 使用する場所は地下室の部屋だという―― 成程、 ウツロには聞かせたくない話―― と言う事だろう。
そうこうしているうちに見覚えがある場所に出た。 どうやら、 裏口は表から降りてきた時の地下の廊下と繋がっていたらしい。 案内された場所は、 イ―ロウの所に行くのに使った部屋だ。
「やぁ、 来たね。 待ってたぞ」
「普通に喋ってるな―― と言う事は発動中か」
ニコリと笑った男の口調は、 昼間みたいなふざけたものでは無かった。 ミズキの言葉にタナトスが、 ホッとしたような声を出した。 ミズキの背後から、 ミツキが顔を出す。
その顔が何故か馬鹿にしたかのような笑顔に見えて苛ついた。
「あぁ。 言霊による結界は張ってある。 お前さんが、 第一級レベルで警戒頼むなんていうから、 張り切っちまったよ」
どうやら、 俺達がイ―ロウの所に行っている間にタナトスが頼んでいたらしい。 地下のここで、 さらにミズキの結界があれば、 空虚とやらの目を誤魔化せるだろうと言う所だろうか。
「―― 結界を張ると、 普通に喋るのか? 」
「俺はね、 力が強い訳だ。 それで、 普通に会話してると、 変な時に発動しちまう事がある。 だから、 普段は妙な喋り方をしてるのさ。 あぁ、 今は大丈夫だよ? 一つの言霊を持続させている時は他のが使えないんでね。 俺は不器用だから。 けど、 未来の嫁さんはさぁ…… そう言うのすっごい得意なんだよ」
俺の問いにそうミズキが答えた。
不得意だというそれを話している時には申し訳なさそうな顔をしていた癖に、 『嫁』 の話になった途端に嬉しそうにしている。 どうやら、 猫娘は自慢の嫁らしい。
「ミツキがか? 」
怖ろしく嬉しそうにするミズキに、 げんなりとしながら俺は呟いた。 …… ちくしょう。 嫁とか言いきれるのが憎たらしい。
「ボクじゃあないヨ。 ミズキの好い人は元の世界にいるんだから」
俺の顔を覗きこむようにしてミツキが言った。
その言葉に俺は訝しげな視線を向ける。 異界渡航者であるのなら、 絶滅寸前の俺達のツガイになれる人間のはずだ。 様々な理由で、 あの神の野郎が別の世界から繁殖用に攫ってきた人物。
なのに、 何故? ミズキはお前の伴侶になるはずだろう??
「――…… お前、 ミズキのツガイじゃないのか? 」
「ツガイだねぇ。 便宜上だけど。 ミズキは元の世界に帰りたい―― ボクはそれに協力してる。 ボクは子孫を残す予定は無いからね」
ハッキリと、 そう口にしてミツキが笑う。
俺のいた箱庭に、 そんな考えのヤツは居なかった。 俺は、 それをどうでもいいと思っていたからな。
あそこに居た奴とはどうにも反りが合わなかったし、 良く話を聞いた訳でもないが…… 暇つぶしに観察していて分かる事もある。
自分の種族をこのまま終わりにしたくないと考えている奴―― ただただ、 死にたく無くて神の野郎におもねってる奴―― 世界に自分が独りだけだと言うことに耐えられない奴―― 様々だった。
その考えに囚われている所為か、 女が来ればご機嫌伺い。 良い年した奴もあそこでは幼体で居るものだから外見を活かして甘えたり―― とかな。
あぁ、 でも前に一匹だけいたっけ…… 俺と同じようにそう言う事に興味が無かった奴。 俺みたいなのにも話しかけて来るような気の良い奴だったけど、 あいつは処分されたんだ。
くそ。 嫌な事を思い出した。
「――…… それは俺も初耳だが…… 」
俺の物思いは、 タナトスの言葉で中断された。 付き合いが長そうなタナトスも聞いたことが無い話らしい。
「あまり大っぴらにしすぎるのはねぇ。 どこでカミサマの耳に入るか分かったもんじゃないし。 ……ボクの種族は妖精と言うものに分類されてるんだ―― 額のこの石はね? 宝石としての価値もあるけれど、 不老長寿の妙薬さ」
ミツキがそう言って哂った。 ミツキが話す内容を聞いて、 俺は深く溜息を吐く。
少しだけ予想できたからだ。 ミツキの種族が滅びるに至った理由がなんとなく理解できて。
ただ、 それを憶測でも口にするのは憚られた……。 理由をすでに知っているであろうミズキは、 沈痛な面持ちでミツキの方を見ている―― ならやっぱり血生臭い話なのだろう―― そう思った。
長くなると読みにくそうだったので前後編に分けました。
後編もこの後UPしますので、 宜しくお願いします。




