煌夜side 『激怒』
煌夜がお怒りです。
「コーヤ! やめろ。 ナギを生き埋めにする気かっ!! 」
タナトスの怒声と頬の痛みに我に返った。
グラグラと地面が揺れている―― 地震? いや違う。 俺の怒りに呼応して力が暴走しかけたんだ、 と気がついた。 暴走しかけた俺を見て、 タナトスが殴って正気に返してくれたらしい。
正気―― そう考えて辺りを見回す。 端の方で震えて丸くなるポチの姿―― ましろ―― ましろがいない。
「――っ」
怒りに目がくらんだ。 そうだ、 ましろは目の前で連れて行かれたのだ―― 伸ばした手は寸前で届く事なく、 レイスに連れ去られた。
マグマのようにグツグツとした怒りが噴き出そうになる。 俺はそれを意志の力で抑えた。 タナトスに言われた事を思い出したからだ。 ここで、 俺が怒りにまかせて暴走すれば、 ましろが余計に危険になる。 それはおれの望む事じゃない。 あぁ、でも――
―― コロスコロスコロスコロス―― ましろに毛一筋でも傷を付けてみろ! 産まれた事を後悔させてやるっ!!
抑えた怒りが、 出口を求めて荒れ狂う。 俺のましろを攫っていった―― 守ると約束したのに、 逆にましろに守られて―― 荒れる呼吸を、 何とかして抑える。
「取りあえずは正気に返ったか? 落ち付けるとは思わんが、 このままだとナギを助けに行くのにお前を置いて行く事になるぞコーヤ。 暴走する竜など危なくて連れて行けん。 分かるな」
「あぁ」
怒りを、 意志の力で捩じ伏せる。 ましろを助けに行くのに俺が行かないなんて冗談じゃない。
けれど、 タナトスの言い分は理解できた。 俺が、 ましろに対する気持ちを認めてなければ、 ここまで暴走する事はきっと無かった。 けど、 俺はもうソレを認めてる。
本能はましろを俺のツガイだと判断してるのだ――
だからこそ、 ましろを求めて荒れ狂う力がこんなに激しい。
とにかく、 ましろを助けに行かなけりゃ……。 それにはこの姿では足りなかった。 俺の翼じゃそんなに早く飛べない―― なら……。 俺は両手を地面に着くと、 唸り声を上げた。
「グ…… うぅ」
細かい制御は必要ない。 ただ、 ましろの所に少しでも早く行ける二足歩行の足があればいい。
痛みは大分感じなくなった。 ただ、 身体が変わる不快感はまだ拭えない。
俺は、 『変現』 すると立ちあがった。 手足に鱗は残ってるし、 尻尾も角も生えたままだ。
イーロウに、 こっそり貰っていた『異空間の首飾り』 の下につけた『自在の服』 という首輪が初めて役に立った。 『変現』 する俺達みたいな奴等には必須のアイテムらしい。
―― 素っ裸で過ごしてるやつが普通に『変現』 したらどうなるか位わかるだろ?
面倒だが、 服は着てないと外を歩いてはいけないんだそうだ。 変態扱いされるのは困る。 ましろにそう思われるのはごめんだ。
上は、 袖がない白い服、 下が黒いズボンに、 えんじにあブーツといった動きやすい服装だ。
「それがお前の『変現』 した姿か―― しかし何故、 今―― ? 」
「飛ぶと 遅い 走った ほうが マシ」
怒りを抑え込んでる所為で、 まともに言葉が話せない。 タナトスが、 成る程と納得した。
俺は、 そのまま走ろうとしてツンのめった。 後ろを見れば、 元凶が俺の服の裾を掴んでる。
「あ? 」
ゴゴゴゴと怒りが沸き起こった。 何してやがるポチ。 手前ェ死にたいのか? ん?
俺の怒りを受けて尻尾が、 ビッタンビッタンと地面を抉る。 ブルブルと震えたポチは、 それでも意を決したように顔を上げて俺の目を見た。
『待って欲しいであります! コーヤ殿…… 真名を下さいっ』
「は? 」
突然のポチの物言いに俺のコメカミには青筋が浮かんでいた。 真名とか―― この忙しい時に何言ってやがる。 死にたいのか、 ポチ。 俺の尻尾がぐるりとポチを締めあげようとする。
「ポチ―― それは―― 」
戸惑ったようなタナトスの声が聞こえた。 止めようとするようなその言葉にポチは首を振る。
俺の脅しにも屈せずに、 ポチは強い意志を込めた目を逸らそうとはしなかった。
『僕の真名を捧げます。 僕を―― コーヤ殿の従魔にして下さい! コーヤ殿と僕の属性相性はすごく良いのです。 だから、 契約すれば、 僕の『影渡り』 がランクアップします』
隷従は、 強者が弱者を無理矢理従わせる契約だ。 対して魔物と交わす従魔の契約は、 当人同士の了解のもと結ばれる主従契約だ。 前者には契約に際して相互交換の力の譲渡などは起こらない。 つまり、 当人同士持ってる力しか使えないし、 それを貸し与える事も出来ない。
対して、 従魔契約は信頼関係の元で結ばれる。 そのせいか、 相性が良ければ、 契約中はスキルのランクアップが起こったり、 信頼が厚ければ互いの力を貸し与えて使う事も可能となる。
「分かってる のか―― ポチ」
『分かってます。 契約中に主が死ぬような事があれば、 僕も死ぬと』
レイスになってるポチが死ぬって言うのも変な話だけどな。 そうだ…… 従魔契約は、 よっぽど信頼し合ったヤツしかしない。 何故か? 今ポチが言った事があるからだ。 従魔が死んだ場合、 主人は痛みを負うが死ぬ事は無い。 だけど主が死んだ場合、 従魔はその主の死に殉じるのだ。
『僕が、 ナギ殿の所にコーヤ殿を連れて行きます。 走るより早く―― だから真名を下さい』
「死んでも ナギを 守れ と 言った からか? 」
罪悪感からならオカド違いだ。 あれは俺が悪い。 ナギを連れて行かれたのは、 俺が狙われていたせいだ。 ポチに八つ当たりする程、 俺は腐ってないつもりだ。
『それは―― ほんのちょこっとあるであります。 けど僕は、 僕に優しくしてくれたナギ殿を助けたい。 嫌だって言いながら、 僕を影の中に入れてくれたコーヤ殿の役に立ちたい……―― あの時、 気持ちが伝わって来ました。 コーヤ殿は口では色々言いましたが、 僕の境遇を理解してくれてました…… コーヤ殿も暗闇に置いて行かれた事があるから―― 』
「っ―― 」
本当に、 影の中に入れた事を忌々しく感じる。 そうだ、 俺は暗闇に置いて行かれたポチに自分を重ねてた。 卵の中で、 弟妹や両親が死ぬのを、 ただ感じるしか出来なかった絶望の日々。
ポチは明るくしてはいたけれど、 俺の影の中にいた時の感情は察して余りある物だった。
『拒絶されず、 誰かと話せるのは嬉しい。 けれど、 この人達は去っていく人だ。 この人達が去った時―― 僕は正気でいられるだろうか? この人達を恨まずに、 魔物にならずにいられるだろうか…… 僕はいつまでこの暗闇に囚われていればいい? いつになったらここから出られる? 』
伝わって来たのはそんな感情だ。 喜びと不安と哀しみに後悔―― 知ってしまえば、 知らない頃には戻れない。 孤独に耐えて、 孤独に慣れて何とか保っていたポチの心は、 俺達と出会ってしまった事で変化した。
喜びを知ってしまえば、 飢えがこの身を苛む。 その飢えはいつか恨みに変わるだろう。
だから、 俺はこの洞窟から去る時に、 ポチに聞くつもりだった。 『俺のブレスで消滅するか? 』 と。 ましろは単純に魔物をやっつけれるものと思ってる俺のブレスは、 先の戦闘の通り、 大概のアンデットに効く。 ただし、 浄化させるんじゃない―― 魂ごとの消滅だ。 転生は叶わずただ消える。
ましろには言えない。 絶対に。 けど、 ポチが望むなら俺はそうしてやるつもりでいた。
―― だって一人は寂しいだろう?
「分かった―― タナトス。 分かってる と思うが、 俺達 の 真名は 他言無用だ」
ポチの真剣な目を見て、 俺は決断を下した。 時間が惜しいので、 さっさと真名を交わす事にする。 タナトスもいるがまぁ良いだろう。 コイツは俺達の真名を吹聴して回るような人間とも思えない。 だからそう言ったんだが――
「分かった―― 俺の真名は、 黒曜=ウォルフレアだ」
…… 関係無いはずのタナトスの真名を教えられたぞ? コイツ、 この風体の割には正直というか真っ直ぐというか―― 義理固いな、 オイ。 てっきり職業暗殺者だと思ってたけど、 もしかしたら違うのかもしれない。
『ふぁ?! 何でタナトス殿が真名を言うでありますかっ』
があん、 と何だかショックを受けたようなポチがそう言って叫んだ。
「その方が公平だろう? 気にするな…… 従魔契約でも何でも、 俺の目の前ですればいい」
まぁ、 お互いが真名を知ってれば、 悪い事は出来ないよな。 するつもりも無いのに―― 良いヤツすぎるだろ、 タナトス。 だから、 思わず言ってしまった。 「お前も、 大概 変な ヤツ だな」 って。
『僕が最初に言うはずだったのに―― まぁ、 良いでありますけど。 僕の真名は錫白=ニアメイアであります』
少しだけイジケタ様子で、 ポチがそう告げる。 また、 ポチとはかけ離れた名前だな。 タナトスもまぁそうだけど。 俺だけか? 真名に近い愛称なのは。
「俺の真名は煌夜だ――…… 我が真名、 煌夜の名において、 今より主従の契約を結ぶ。 汝の名は錫白=ニアメイア。 汝は今より我が従者―― 我が力の恩恵を受けるに足る者―― ならば答えよ。 我に従うと誓うがいい」
『我が真名、 錫白=ニアメイアの名において誓います。 今より我が主の名は煌夜―― 我は主に従い、 我が力を主に捧げます。 今より我は主の従者―― 貴方の力の恩恵を受ける者』
ぼうっとした光が、 俺とポチを繋ぐ。 それが広がり魔法円が描かれた。 契約の鎖がジャラリと音を立てる。 俺を表す力の鎖は黒銀の色をしていた。 それも数瞬で瞬いて消える。
契約は完了した――。
「ポチ。 俺をナギの所に連れて行け」
『了解であります。 我が主―― 』
影が下から伸びて、 俺達を包む。 どうやら、 ポチのスキルのランクアップは無事に出来たらしい。
『影の道』 を一気に抜けて俺達はそこに辿り着いた――。 影から抜け出した瞬間、 光が目を焼く。
―― 眩しい
ここは洞窟の中のハズなのに、 眩しい白い光が辺りに満ちている。
レイスが、 スケルトンが陽光にあたったかのように蒸発していく―― コレは浄化だ。
ポチが慌てて俺の影の中に沈んだ。 ポチもレイスだからな。
光の下にいるのは、 愕然と光を見つめるポチの身体だ。
「私は真実の鏡―― 欺瞞を見抜き、 真実の姿を晒すモノ」
女の声が聞こえて、 リッチの身体が歪む。 ポチの身体と二重映しに見えるのは、 ガリガリに痩せた老人だ。
落ちくぼんだ目に卑小な顔つきの―― 男。 これがリッチの正体か――。 ポチの身体を奪った……。
それよりも、 ましろだ。 ましろは無事なんだろうか……。 俺は焦る気持ちを押さえて部屋の中を見渡した。 けれども、 ましろの姿が見えない―― 焦る俺に、 タナトスが光を指さした。
「ナギっ! 」
光の中―― 宙に浮かぶのは、 ましろの身体―― 良く見ればそれに幾重もの鎖が、 緩やかに絡みついている。
金の鎖、 銀の鎖、 そして、 黒と白の鎖――。 その白と黒の鎖が、 パキリ パキリ と音を立てて崩れて行く。
俺の呼びかけに、 ましろが顔を上げた。 その姿を見て愕然とする。
赤い、 ザクロのような深紅の目―― そこに重なって見えるのは女だ――。
20代前半…… 顔はそれほど似ているとも思わないのに―― きっと、 ましろが後数年したらこうなるだろうという形を体現した存在―― 儚くゆらゆらと蜃気楼のように揺れるその女は泣きそうな顔で微笑んだ。
「違う―― ナギじゃない…… 誰だ」
『コウヤ―― あぁ、 まさかこんなに同じなんて―― ごめんなさい。 ちょっと待っててね? 今片付けるから』
何故? 呼ばれる声は俺に向けられているのに、 別の誰かを呼んだように聞こえた。
この女は竜のツガイだ―― ましろに似ているのに、 その目の色が俺じゃない竜の色を宿している事に不快感を感じた。 ましてやその女が入ってるのは間違いなく、 ましろの身体なのだ。
『―― 以前の私なら赦したでしょうね―― そして、 ここにいるのが彼女なら、 やっぱり見逃したかもしれないわ…… ここではどうなるか分からないけど…… 貴方を赦した事で失われる命があるかもしれない事を知ってるの。 私はそれを看過できない…… だから、 さようなら』
儚く、 優雅に微笑んで、 女はそっと呟いた。
『土は土に、 灰は灰に、 塵は塵に―― 還りなさい』
ポチの身体がボロボロと崩れて灰に還る。 それを俺の影の中からポチが複雑そうに見ていた。
そして、 ポチの身体の中に入っていたモノは……
『嫌じゃ! 嫌じゃヤメロっ!! 我は死霊の王になるのだ! アイツラを見返してやるのだっ!! お前のような小娘に―― 滅ぼされるなんてあってはならん…… 嫌じゃあっ。 やめてくれ!!』
無様に、 見苦しく逃れようとあがく。 宙に浮かんだましろの身体がゆっくりと降りて来た。
『駄目よ。 貴方は滅びるの。 可哀想な人―― 友の忠告を聞き入れず、 受け入れて貰えない事を恨んだ…… 自分を顧みることなく、 したい事の為に他者を踏みにじった。 貴方にはその身に合った最後が似合うわ。 もしも、 少しでも他者を思いやる心が残っていれば、 転生する事もできるでしょう―― あぁ、 けど…… 無理だったみたいね』
ましろの中の女が言ったように、 リッチだった男の魂は浄化ではなく、 消滅したようだった。
塵一つ残さずに―― バツンと消える。 ましろから発せられていた光が徐々に収束する。
ジャラリとした鎖が、 ましろに巻き付いた。 白と黒の鎖も元通りだ。
「…… それは何だ? 」
『鎖の事? 金と銀の鎖は神の鎖だから私には弄れないの。 けど、 黒と白の者は言霊士のものだからね。 私には弄れる―― 鎖を戻したのは、 ナギには制御が出来ないから』
分からない事が多すぎる―― 俺の焦りを余所に、 きょとんとした顔で女が言った。 首を傾げた仕草が、 ましろに重なる――。 神の鎖とやらは理解できた。 ましろの記憶を弄ってるあの野郎の封印だろう。 他の鎖は良く分からないが―― ましろに害がなければどうでもいい。
それよりも―― ましろだ。
この女がいて、 ましろが居ない…… そっちの方が問題だった。 ギリギリと歯ぎしりしながら、 問いを放つ―― 返答次第ではこの女を消すつもりで――。
「ナギは何処だ―― どうして俺の名が分かる」
『眠ってるだけだよ。 コウヤを助けたいって言うから、 身体を借りたの。 大丈夫。 そんな顔しないでよ…… 乗っ取った訳じゃないわ。 暫くしたらちゃんと目をさますから。 コウヤの事が分かるのはね、 ナギと記憶を一時的に共有してるから』
呆れたようにそう言われて、 思考する。 正直この女が信用に値するかまったく分からない状態だ。
けれども、 いきなり敵対するのはマズイか? 今は様子を見て、 ましろを無事に取り戻す事が先決だろう―― 記憶の共有と言うのが腹立たしいが、 しょうがない。
「…… 」
『難しいのは分かるケド、 怒らないで欲しいな。 共有しないと力が使えなかったんだもの。 しょうがないでしょ? リッチを片付けたんだから大目にみてよ』
不思議な事に、 女は俺が何を怒っているのかを正確に把握しているようだった。 ましろの記憶の中から推測したんだろうか……。 ましろも、 これくらいカンが良ければ、 俺の苦労も減るんだがな。
「ナギは言霊士の力は無いと言っていた。 あの力はなんだ―― 」
改めて俺は女に問いただした。 言霊士の話は、 ちょうど聞いたばかりだ。 記憶が確かなら、 ましろはその力を継がなかったと言った。
『正真正銘、 ナギの力よ…… 言霊士の力』
「だが―― 七才までに力が発現しなければならぬとナギは言っていたが? 」
女の答えにタナトスがそう疑問を口にした。
『封印したのよ。 ナギの家族が。 産まれた瞬間から、 ナギには黒の力と白の力があった。 けどね―― あっちの世界でそれはありえないくらいに奇跡的な事。 もし、 どちらかの一族にバレたら、 ナギは監禁されて無理矢理、 子を産む道具にされたでしょう―― だから封じたのよ。 祖父母と父親がね』
―― 子を産む道具だと?
聞いた瞬間、 怒りで力が噴出して、 足元にヒビが入った。
神の野郎と重なるその自己中心的な考え方に、 苛立ちが募る。 『オレノマシロニ、 ナニヲ』 と言う、 自分の中の本能の叫びに我に返った。 自己中心的なのは俺もか……。
『落ち着きなさい。 そうはなってないんだから…… なってない事にまで怒ってどうするのよ、 もう』
苦笑してそう言われれば、 少し居心地が悪いようなそんな気持ちになった。 そうだ―― それは無かった事だ。 ましろは、 そんな目に合わなかったし、 今俺と一緒にいるじゃないか――。
俺は、 見た事も会った事もない、 ましろの祖父母と父親に感謝した。
「――…… 分かった―― それで、 お前は一体何なんだ? 」
『私は、 封じられし神―― 七泣って神様の協力者。 堕ちたる神―― 私達は空虚って呼んでるソイツから、 かっこ良く言えばこの世界を守りたいの。 私は別の強い理由もあるんだけど―― 』
冷静さを何とか取り戻し問いただせば、 からかうような雰囲気を収めて女は言う。
神―― それの協力者だと? 神の協力者と言うだけで、 俺のこの女への心象は大分悪くなった。
どうやら、 この女の協力者の神の他に敵対する神がいるらしい。 箱庭の外にある、 神々の暮らす世界には、 あの野郎以外の神も居ると言うが、 そいつらの事だろうか――。
『ナナキでありますか? この世界の神様はそんな名前じゃないのであります』
ポチが影から身体を出してそんな事を呟いた。 そうだな確かに違う。 ナナキやウツロなんて初めて聞く名だ。 ここの神の名は――
『ポチ君! へぇ、 面白いなぁ。 こっちでは猫のポチ郎君なんだ。 私の所は犬のミケ子ちゃんだったんだけどな。 ふふ。 変な感じ―― 違うって分かってるのに―― 私も馬鹿だなぁ』
思考の途中で、 女がそう言って泣き笑いの表情になる。 哀しい顔だ。 失った物を惜しんでるような孤独が見えて、 俺は少し動揺した。 この女は、 ましろじゃないのに……。
『こっちってどう言う―― 』
『あぁ、 ごめんね。 神様の事だったよね。 もちろんナナキはちゃんとした名じゃないわ。 それどころか、 この世界を管理してる神様がいる神界には存在しない神よ。 名前はね、 私が勝手に呼んでるの―― 私が自己を取り戻した時―― ずっと一人で泣いてたから…… 』
ポチの言葉を遮って女は話す。 まるでその話はしたくないかのようだった。
それより、 今サラリと言われた事が気になった。 ―― この世界を作った神がいるサリファに存在しない神だって? ―― ソレは別世界―― 異次元の神とか言わないだろうな。 そんな事は通常ありえないんだが……。
「泣き虫の神様ね―― どっかで聞いたような話だな」
イーロウの、 あの野郎が昔は泣き虫で心優しい神だったという言葉を思い出す。
今じゃそのカケラも残っちゃいないがな。
『やだ! もっとちゃんと説明したかったんだけど、 ナギが起きそう。 これじゃあ、 私もナナキに文句を言える立場じゃないわね…… 取りあえず、 私と会った事とかは太陽とか月の下では言わないで』
突然、 慌てたようにそう言って女は座り込んだ。 太陽? 月? 何言ってやがる。 それより、 俺が気になったのは、 ましろが起きるって事だ。 今の姿のままじゃヤバイ。
「起きるって?! 戻っとかないと―― 」
「いや、 ちょっと待て―― 太陽とか月とは何だ? 」
慌てて姿を幼体に戻す俺の横で、 タナトスが冷静に女に聞き返した。 そうだよな―― 慌ててたから突っ込み忘れたけどさ―― 何で太陽とかの下で話しちゃダメなんだ?
『えー。 なんで、 姿を戻しちゃうの? あっ! 分かった…… こっちのコーヤも小心者なんだから…… 見せれば良いのに。 ナギはきっと嫌がったりしないと思うけど。 まぁ、 いいわ。 それは私には関係の無い事だしね? 』
タナトスの質問より、 女は俺が姿を戻した事の方に気を取られたらしい。
無遠慮に幼体に戻った俺を抱きしめると、 嬉しそうに触りだす。 複雑な気分だ。 身体はましろなもんで、 振り払うに振り払えない。 それにしても、 心を読んでるのかってくらいに察しの良い女だ。
腹が立つ。
『えと、 姿はどうでも良いでありますが、 太陽とか何とかは一体…… 』
タナトスが呆れ顔で溜息をつく中、 困惑した声でポチが言った。
『あれ? 説明してなかったっけ?? 太陽と月はウツロの目なの。 要は見張られてるのよ、 貴方達』
「は? なんだそれ。 そんなの人の業じゃ―― 」
軽い調子で言われた言葉に、 俺達は目を瞠る。 今のそれ、 軽く話すような内容じゃ無かったよな?
見張られてるってどういうことだ? ただでさえ、 面倒事に巻き込まれそうな予感がするって言うのに、 勘弁しろよ――。 その様子じゃ、 これから巻き込まれるんじゃなくて―― もう巻き込まれてるって事か? オイ。
『だから神だってばウツロもね。 名前を呼んじゃうと気付かれるかもしれないから、 ワザワザ字をつけたのよ』
『…… 太陽と月の下が駄目って、 地上は無理って事でありますか? 』
ポチの問いかけに女が頷く。 心なしか、 姿が薄くなってきている気がする。 どうやら本当に、 ましろの目覚めが近いらしい。 ましろが目が覚めるのは嬉しい事なんだが―― 今は少しタイミングが悪かった。 この女にはもう少し聞きたい事がある。
『そうね。 地上は駄目かも。 コウヤの事だから、 ポチ君と主従契約したんでしょ。 それならそのうちどんなに遠くにいてもここに『影渡り』 できるようになるから。 そしたらここで相談とかすればいいんじゃない? 』
口早にそう言って、 女は俺達を見た。 ましろの記憶の中に、 主従契約の事があるとは思えない。
なぜ―― 何故この女はそれが分かったんだ? 驚愕する俺に優しく笑いかけて女は言った。
『忘れないで。 太陽と月が出てる時は話ちゃダメ。 あれは目なの。 監視されてるから気を付けて。 話すなら地下とかでね。 外だと―― 新月、 日食とかの時なら大丈夫だけど…… 後はナギに夢の事を聞いて。 竜が出て来たはずよ。 大切な事だからって伝えてね。 後はナギは私の事、 分からないと思うけど謝っておいて…… 私の感情を身に受けて、 きっと苦しかったハズだから…… 』
訳の分からない事ばかり言うだけ言って、 女の身体がさらに薄くなった。
「いや、 ちょっと待て、 ウツロが誰で、 何をしようとしてるかくらいは教えて行けよ! 」
俺は思わずそう叫ぶと、 女を掴もうと手を伸ばす―― 幽霊みたいな存在だからもちろん掴めるはずもなく、 俺の手は宙を掻いた。 その様子を困ったように見ながら女が苦笑する。
『あー…… 残念ながらその時間は、 ない―― かなぁ? ごめんねぇ。 じゃ、 そういう事で』
笑って無責任な事を言うと、 女は消え去った――。 ましろの身体が傾ぐ。
俺は、 ましろを支えようとして、 ぺしゃんと潰された。 幼体に戻るのはもう少し後の方が良かったらしい。
ポチが従魔になったり、 色々と変化があったり…… 当初、 ちゃんとリッチと戦闘させるつもりでしたが、 まさかの瞬殺―― リッチよ憐れ。
次回は、 目を覚ましたましろと現状確認です。
『廃棄世界に祝福を。』 も更新しました。




