あなたの幸せを願って
父が海外から取り寄せたという、しっかりとした作りのデッキチェア。そこに身を預けている友人の小さく開いた唇から、小さな寝息が規則的に漏れている。
彼女が使用しているのと対になっているデッキチェアに寄りかかりつつ、その光景をじっと見つめながら、僕は父から聞かされた話を頭の中で反芻した。
「今度、我が家に、お前の母親違いの弟が来る事になった」
一方的に、そう言われた。
僕には反論の余地がない。昔から僕には、父の決めごとに逆らう権利がない。
いや、普通は与えられて初めて行使する権利ではないのかもしれないけれど、「はい」と言っても「嫌だ」と言っても何も変わらないと知った日から、僕は父に逆らう事をやめてしまったのだ。逆らっても無意味だというのなら、逆らわない方が面倒臭くなくていい。
不本意な決定だとしても、僕の力ではどうこうできないのだから。
「……ふう」
溜め息が出る。
父が余所で作った子供。その子が母親ーーつまりは、父の愛人だーーの死をきっかけにして、我が家に移り住む事になっただなんて。
そりゃ、他に行く所がないなら仕方がない。けれど話を聞かされるまで、父が余所に僕以外の子供を作っていただなんて知らなかった身としては、大変複雑な気分だ。父はどこまでも不誠実な人間なのだと思い知らされたし、父に逆らえない母に悲しみと苛立ちを感じたし、その母親違いの弟にもなんと言ったらいいのかわからない、もやもやとした感情が湧いた。
それは憎しみでもなく、嫌悪でもなく、同情でもない。本当に、なんと表現したものかわかりかねる感情だった。
僕はその異母弟に、優しく接してやろうとも、邪険に扱ってやろうとも特に思わなかった。
父のわがままで家族ーーいや、同居人が一人増える。ただ、それだけの事だ。僕は自分にそう言い聞かせた。
「ん……ふあああ」
考え事をしているうちに、眠っていた友人が目を覚ました。大きな欠伸をして、天へと腕が伸ばされる。その仕草は、よく晴れた春の日溜まりには似合っているのだろうが、嫁入り前の女の子が男の前でする事ではないのではと思ってしまう。
「おはよう、満ちゃん」
「“おはよう”はおかしくないか? もう、午後の三時だぞ」
「いいじゃない。細かいわよ、満ちゃん。それより、こんな所にいていいの? 今日は満ちゃんの異母弟が来る日じゃない」
目の前の少女ーー僕の友人で、名を海彩というーーは、まるで咎めるように言った。いや、咎めているのだろう。異母弟が家に来るという日に、のんびりと友人宅で寛いでいる事を。
「いいんだよ、別に。僕には関係のない事だもの」
「あ、そ。別にいいけどさ。満ちゃんは本当に家族がだーい嫌いだねえ」
「……海彩には、そう見える?」
「見える。でも聞き返すって事は、違うの?」
そう言うと海彩は少しだけ神妙な表情をして、僕の目を見た。
海彩は大雑把で誰に対しても言いたい事をなんでも言うけれど、誰かを傷つけるのをひどく嫌っていた。行いと思想が矛盾しているとは思うけれど、僕はそんな海彩が好きだった。ちなみにこの好きは、友人としての好きだ。海彩を恋愛の対象として見た事は一度もないし、たぶんこれからもないだろう。
僕は海彩の質問に対して頭を左右に小さく振ると、瞼を伏せた。
「ううん。大嫌いなんだと思うよ」
そう、大嫌いなのだと思う。身勝手で恥知らずな父も、父に逆らわない母も。
そして、これから家族になるであろう異母弟の事も、僕はきっと嫌いになる。何故だか、そんな風に思った。
「曖昧ねえ」
「だって、あんまり深く考えた事がないんだよ。あの人たちを好きか嫌いかなんて、考えたって意味がないし」
「……なーんか、好きか嫌いかを考えるって時点でおかしいわ、満ちゃん」
海彩がわざとらしく顔をしかめる。
「いいな、海彩は。好きか嫌いかを考えなくても答えが出ているだなんて」
「難しく考えすぎなのよ、満ちゃんは。でもさ、異母弟くんの事はちょっとでも好きになれるといいねえ」
「どうして?」
僕は、海彩の発した言葉を心底、不思議に思った。異母弟を好きになる必要なんて、少しも感じないからだ。すると海彩は、女の子らしい柔らかな笑みを浮かべながらこう言った。
「その方が、満ちゃんが幸せになれると思うからよ。誰かを嫌いでいる事は楽しい事ではないもの」
僕の幸せ。それはあくまで僕が決める事だ。普通に考えれば、海彩の発言は余計な御世話だった。
けれど海彩は、ただの友人でしかない僕の幸せを願って、そう言ってくれたのだ。
それが素直に嬉しくて、僕はありがとうと頷いた。心から、頷いた。




