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5/12

*玻璃の谷

 石の砦を駆け抜け、夕暮れの街へと妖魔達が踊り出た。

 彼らの高揚した雰囲気につられて、あたしまで気が高ぶる。

 辺りは見る間に暗くなり、街灯が雪の道路を照らし出していた。建物と建物の間を強い風がうねるように吹きすさび、音を立てる。


 タン ト タタン

 タン ト タタン


 風の太鼓だ。


「チビ、手を出せ」

 見上げると、チェイサーが馬上から手を差し延べていた。

「俺の後ろに乗れ」

「馬なんて乗ったことない」

 あたしが首を横に振るとチェイサーは声をたてて笑った。

「心配するな。普通の馬ではない。お前が逆立ちして乗っても、振り落としたりはしない」

 半信半疑で、あたしはチェイサーの手を取った。

(あぶみ)に足をかけろ」


 無理。

 かかるもんかっ!


 次の瞬間、誰かに体を放り投げられてあたしは馬上に無事収まった。


「モタモタするな、トムボーイ!」

 狐達が跳ね回って囃し立てる。

 チェイサーが馬の脇腹を軽く蹴り、あたし達は車の間を縫うように街を駆け抜けた。

 あたし達の横を走る狐にぶつかった男の人がよろめきながら、『風が強くなってきたな』と言うのが聞こえた。

 こっちからは何もかもが見えるのに、向こうからはあたし達が見えないんだろう。

 白魔達が『玻璃の谷』と呼んでいるビル街に近づくにつれて、空から雪が降りだした。

 発泡スチロールの粒みたいな雪で、凍った道路の上をコロコロと転がっている。夜が訪れたビルはライトアップの光の中で、そそり立つ岩山のように見えた。


 ああ、ここは確かにコンクリートと鉄とガラスでできた谷だ。

 あたしはもう寒さを感じなくなっていたけど、きっとかなり気温が下がっているはず。


「左側の建物の奥を見てみろ」

 チェイサーが言った。

「氷狼がいる」

 ビルとビルの間の狭く暗い闇の中に、それはいた。

 変身した狐より一回りほど大きいだろうか。白というより銀色に近い長い毛の獣だ。銀の毛のところどころにクリスタルの粒がチラチラと光っている。


 なるほど。チェイサーのマントと同じだ。


 闇の中から琥珀色の目がこちらをうかがっている。


 一頭? いや、三頭か


「チェイサー、囲まれるぞ」

 狐が毛を逆立てながら言った。

 右側のずっと離れた所にも数頭いる。


 遠巻きに一頭、また一頭。

 低い唸り声さえ聞こえてきた。


「矢を番えろ、チビ」

 チェイサーが小声であたしに言った。あたしは矢筒から矢を三本抜き、二本を右手に持ったまま、一本を弓に当てた。

「怯むなよ」

 チェイサーはそう言いながら、自分も剣を抜いた。日本刀のような片刃の長剣だ。

「あれは獣の姿をしているが、生き物ではない。迷わず撃て。いいな?」

 あたしはうなずいた。

 氷狼達は静かに、でも確実に距離を縮めて近づいて来る。どこからか長い遠吠えの声がし、それが合図のように氷狼達が一斉に駆け寄ってきた。

 狐が取っ組みあいのように氷狼に飛びかかった。

 鋭い鋼の牙が、爪が、氷狼の喉元を狙う。

 氷狼は体格の優位を利用して、狐達を跳ね飛ばした。

「跳んでくるぞ!」

 チェイサーの声と同時に、大きくジャンプした氷狼があたしの目の前に現れた。

「うわっ!」

 あたしはとっさに弦をいっぱいに引いて、矢を氷狼に打ち込んだ。

 狼の耳元をかすり、矢が飛んでいく。

「落ち着け」

 チェイサーが剣で氷狼の前足を払った。

「俺は右側に跳んできたのを倒す。左側は任せたからな」


 なんだってぇ!

 そんな簡単にいうなよぉ


「弓をいっぱいに引くな、トムボーイ!」

 イタチの声がした。

「接近戦だからそれほど狙わなくとも当たる。その弓なら耳の横まで引けば十分だ」


 はあ、さいですか。

 先に言ってよ。こっちはド素人なんだから!


 あたしは弓を引き続けた。

 あんまり当たらないけど、氷狼を後ろに下がらせるのには十分みたい。

 あたしの代わりに狐が止めを刺そうと、氷狼にかじりつく。

 それにしても、次から次へとキリがない。

「チェイサー、なんかこっちの人数少なくない?」

「狩りは二手に分かれてするものだ。俺たちは追い立てる側。残り半分は待ち伏せする側。待ち伏せ隊はもう先に行っている」


 その前にこっちがやられたらどうなるのよっ!


「これじゃあ追い立てるどころか追い詰められてる」

 あたしが言うと、

「その娘の言う通りだ、チェイサー」

 長槍で氷狼を跳ね飛ばしながらイタチが言った。

「こ奴らは明らかに戦法を変えてきている!」

「くそっ! 今度は何を喰らったんだ?」

 チェイサーが忌ま忌ましそうに毒づいた。

「あー、ビジネス書とかじゃない?」

 あたしは弓の他に蹴りを入れる戦法に切り替えながら言った。

「中国の兵法を取り入れたのとか見たことある。こいつらが字を読めればの話だけど」

「字は読めぬよ」

 イタチが答える。

「だが、それを読んだ人の子の思いを喰らえば知恵となる」

「能書きはいい!」

 チェイサーが怒鳴った。

 耳がキンキンする。

「ちょっと! 近くで大声出さないでよ!」

「すまん」

 おや、意外と素直。


 また遠吠えが聞こえた。


 あたしは目を凝らして闇を見据えた。

「チェイサー、正面のビルの入口見て。上の張り出してるところ」

 氷狼が一頭、雪降る空に向かって吠えている。

 大きい!

 他の氷狼よりはるかにでかい。

「あれが群れのリーダーだ」

「ポニーくらいあるじゃん!」

 あたしはぼやいた。

「もう帰りたい」

「別にあいつを捕まえろとは言っていないぞ」

 チェイサーが言う。

「小さいのを一匹捕まえれば帰れる」

「小さいのぉ? それでも十分大きいよっ!」

「まあそうぼやくな、トムボーイ」

 イタチが一人、氷狼をなぎ倒しながら近寄って来ると、あたしに木の棒のようなものを差し出した。

「何これ?」

「ほらこれも」

 さらに手渡された小さなもの。

「近頃の人の子はタバコを吸わぬのだな。火種を探すのに苦労したぞ」

 ――ライター??

「松明に火を点けておくれ、トムボーイ。あ奴らは太陽の火が苦手だ」

「火事にならないんでしょうね」

「我ら妖魔の技を侮るな」

 イタチが咎めるように言う。

「自分で点けりゃいいじゃん」

 あたしは弓を背負ってライターをつけた。

 小さな炎に氷狼が下がる。


 ホントに苦手なんだ。


 棒の先にライターの炎を近づけると、狐達もジリジリと下がった。


 なんで?


「煙が出たらすぐに種火を離すのだぞ」

 チェイサーが言った。


 そんなもんでいいの?


 白い煙が立ち上り、あたしは言われた通りライターを離した。


 ボンッ!


 ――ボンッ?


「おわぁ―――っ!」


 花火みたいに火花が弾けた後に、棒の先から炎が上がった。

「もうちょっと具体的に警告してよっ! びっくりするじゃない!」

「やかましい……」

 チェイサーがうんざりしたように言った。

「こんなにやかましい娘だとは思わなかった」

「やかましくて悪かったねっ!」

 あたしが怒って言うと、チェイサーは笑った。

「それだけやかましければ炎がなくても氷狼を退けられたやもな」


 んな訳ないでしょ。


 でも今、明らかに氷狼はあたし達から離れている。

「もう何本か松明を持ったら?」

「松明を作ることはできても俺達は火を点けたり持ったりすることはできない。火を操れるのは人の子だけだ――そのままその火をしっかりと持っていろ、チビ」

 チェイサーはそう言うと手綱を持ち直した。

「追い立てるぞ! 右と左から囲い込め。横に逃がすな!」

 イタチと狐が二手に別れた。

 チェイサーは馬をジグザグに走らせながら、まるで羊の群れを追い立てるように氷狼達を一カ所に追い詰めていく。

 あたしは手に松明を握りしめ、左右に動く馬から転げ落ちないように、片手をチェイサーの体に回してしっかりつかまっていた。

 体はすぐ側にあるのに何の温もりも感じられない。

 やっぱりチェイサーは人間じゃないんだ。

 かつて人間だったとしても。

 狐が氷狼に飛び掛かり、振り回されながらも鋼の牙を氷狼の喉に食い込ませた。

 どうと音を立てて倒れた氷狼の体からは一滴の血も出ていない。


 ――獣の姿をしているが生き物ではない


 そういう事か。


 ピクリとも動かなくなった氷狼。

 だけど、あたしの獲物ではない。


 がんばらなきゃ。


「松明を持ってたんじゃ、氷狼を捕まえられない」

「火を消して捕まえる方に専念するか?」

 チェイサーはダメだとは言わなかった。

 多分イタチや狐もダメだとは言わないだろう。

 でも、あたしはそれでいいの?

 自分のためだけにせっかく上手くいっている狩りの手順を壊せる?

「ううん。あたしのは後でもいいや」

 チェイサーは一瞬黙ってから

「好きなようにしていいのだぞ」

 と言った。

「誰も責めたリはしない」

「分かってる。でも、あたしが嫌なんだ」

「気遣いなら無用だ。人の子はすぐに自分を縛る」

「みんなが好き勝手してたら目茶苦茶になるよ」

「そうだとしてもそれがどうした?」

「あたしは――あたしは自分に誇れる自分でいたいの」

 チェイサーはまた少し黙った後

「それがお前の本当の願いなら」

 と言った。

「本当だってば! 今はこれでいい」

「では、今は氷狼を追い立てよう。だが後で必ずお前に捕まえさせてやる。約束する」

「うん」

 妖魔の約束は、たぶん人間の約束よりも重いような気がする。


 チェイサー


 あんたは自分で自分を縛りつけるような人間の世界が嫌いだったの?


 あたしは語らないチェイサーの背中に無言で問いかけた。


 そして、そこのあんた。


 あたしは高みにいる氷狼のリーダーを見上げた。


 あんたはこの事態をどう収める気?


 無言の問いかけに答えるように氷狼のリーダーがあたしを見た。

「あんたはただ見てるだけ?」

 あたしは嘲るように言った。

 琥珀色の目があたしを見た。

 その目の中にあたしは英知の光を見た気がした。

 あいつはあたしの言葉を理解している。


 低い唸り声 ひとつ。

 雪が降る夜の空に、

 ガラスと鉄とコンクリートでできた谷に、

 咆哮と共に大きな氷狼が飛び降りた。


「来るぞ、チビ」

 チェイサーの声は心なしか楽しそうな響きさえあった。

「いいよ」

 あたしは松明を握りしめ、チェイサーの体にしっかりとつかまった。

 チェイサーは馬の脇腹を蹴ってリーダー狼の方に向かって行った。

 あたしの持つ松明から、炎が滴となって流れていく。

 リーダー狼が唸り声と共に白く冷たい息を吐いた。息は瞬く間に風になり、ビルとビルの間で渦を巻き空中へと舞い上がる。

 凍りついた風に頬がキンと突っ張った。

 チェイサーは低く笑い声を上げると剣を振り上げ、リーダー狼に切り付けた。

 大きな氷狼は真横に飛び跳ね切っ先をかわす。

 あたしはチェイサーの動きの邪魔にならないように体を離そうとした。

「チビ、しっかりとつかまっていろ!」

 チェイサーが風に負けないように大きな声であたしに言った。

 あたしは慌ててチェイサーにしがみついた。

 氷狼は馬の顔前で飛び跳ね、馬が前脚を上げて避ける。

 馬の蹄が落ちるその前に氷狼はチェイサーの剣をかわし、あたしの持つ炎の下をくぐり抜け、狐の牙をものともせずに白魔の包囲を突破した。

 その後ろを氷狼達が走り抜けていく。

「やられたな」

 チェイサーは馬をなだめながら言った。

「追え! 予定通りの場所へ追い込め!」

 狐が唸り声を上げて駆け出した。

「俺達も後を追うぞ」

「ちょっと待って。この松明持ったまま? 危ないよ」

「そうだな……川の上を通るからそこへ投げ入れよう」

 チェイサーは馬を促して狐達の後を追った。

「それっていいの?」

 あたしはチェイサーの背中に頬を預けて尋ねた。

「人の子の創造物とは違う。俺達が作るものは自然から生まれ自然に還る」

「人間は不自然な存在?」

「いや、生命のあるものは死しても何かしら形が残りなかなか消えぬものだ」

「あんた達は違うの?」

「妖魔は――そうだな、いわば自然現象だ」

 程なく大きな橋の上でチェイサーは馬を止めた。

「ここから投げ入れろ」

 あたしは松明を川面に向かって投げ入れた。

 チェイサーは放物線を描いて落ちていく炎をじっと見ていた。

「俺達は雨や風のようなものだ。老いる事もなければ病むこともない。そして死す時は消え去るだけだ。ちょうどあの炎のようにな」

「妖魔も死ぬの?」

「時には。狩りに失敗することもある」

「狩りをやめたくなる事ある?」

「ないな。そんなことを考えた事もない。お前はなぜ息をする?」

「え?」

「それと同じだ」

 チェイサーは肩越しにあたしを見た。

「さてと、お前の氷狼を捕まえに行こう。飛ばすぞ。つかまれ」

「うん」

 あたしは両手をチェイサーの体に回した。チェイサーが馬の脇腹を蹴った。


 そんなにしっかりしがみつかなくていいのかも。

 だって妖魔の馬はあたしを振り落としたりしないって言ってなかった?


 でもあたしはチェイサーの背に頬を預けて、ギュッとつかまった。

 マントの毛皮はフワフワと柔らかかった。

 ふと何か懐かしい気がした。

 妖魔の馬が風を切りながら走りだす。

 あたしは風の音を聞きながら考え続けた。


 チェイサー


 やっぱりあたしはあんたを知っているはずなんだ。

 あたしはこの背中の広さを知っている。

『チビ』と呼ばれる時の声の響きを知っている。

 なのに何であんたを思い出せないんだろう?

 まるで幼稚園の時の記念写真を見ているみたい。仲良しだったはずの子なのに名前が思い出せない時のような感覚――

 記憶ってなんて曖昧なんだろう。

 大切な思い出のはずなのに何で忘れてしまえるんだろう。


 チェイサー


 あんたはあたしを覚えてる?

 そう訊いても、あんたは『知らない』って答えるんだろうな。

 あたし、絶対に思い出してみせる。


 年は同じくらいだよね。

 同級生?

 それとも先輩?

 目は黒でしょ

 髪は?

 黒? 茶髪?

 今よりは短いはず。


 髪と瞳の色を置き換えて考えても、記憶の中に当てはまる顔がない。


 あんたは誰なの?


 いくら友達でも男の子の背中に顔をつけるとは思えない。


 兄弟?

 あたしにお兄さんいたっけ?

 ううん

 兄弟ならチェイサーはキスしない

 あたしだって、こんな気持ちにはならない。


 もどかしいほどあたしの記憶には空白があった。




 馬は幹線道路からそれて、丘の方へ緩やかな坂道を駆けていく。

 森林公園への道だ。

 真冬の、しかも夜の森に向かう道には、さすがに人気ひとけはない。

 チェイサーは手綱を引いて馬の速度を緩めた。森林公園の入口でイタチと狐が待っていた。

「奴らは『迷いの森』へ入った」

 イタチが言う。

「足跡が消えぬうちに追うぞ」

 チェイサーが言うと、イタチの面がしかめっつらになった。

「うまく海沿いの道に出てくれればいいが」

「いつになく心配性だな」

「チェイサー、あのリーダー狼は大きすぎる。かなりの知恵を喰ろうておるぞ」

「待ち伏せするほどの知恵はあると思うか?」

「あるいは」

「では三つに分かれよう。分散して待ち伏せるとは思えない」

「承知」

 イタチが合図すると、白魔達は二手に分かれた。

「下りるぞ、チビ。馬に乗って森は行けぬ。枝がひっかかるからな」

 チェイサーが言った。

「俺の腕につかまって下りろ――ゆっくりでいい」

 あたしが不様にソロソロと馬から下りた後、チェイサーがヒラリと下りる。

「もう一本松明を渡しておこう、トムボーイ」

 イタチが棒を差し出す。

「矢筒に入れておけ。種火はまだ持っているな?」

「持ってる」

「近づかれたら使え。距離がある時は弓の方が効果がある」

 あたしはうなずいて松明を矢筒に入れた。

 二手に分かれたイタチと狐がそれぞれ違う方向に走って行った。

「来い。俺達は足跡の通りに行くぞ」

「あの馬はどうするの?」

「あいつなら勝手に後を追って来る」

 チェイサーがあたしに手を差し延べた。

「おいで、チビ。勇敢なる俺のお転婆娘」



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