*風のラッパ
――風の喇叭が鳴っている
ものすごい嵐。
何日か前から強い寒波が入って、今夜は大荒れ。
風の音が犬の遠吠えのようだ。吹きつける雪がドラムみたいに音をたてる。
眠れない。
友達にメールをしてみたけど、誰ひとり返信してきやしない。
夜中の2時だものね。仕方ないか……
こんな風の音を、亡くなったおばあちゃんは『風のラッパ』って呼んでたっけ。
小さい頃、布団の中で聞いた、古い古い昔話――
風のラッパと太鼓が鳴る夜は、白魔の行列があるんだ。
冬の殿様がお供を連れて道を行く。
行列を見たら白魔に捕まって、冷たい息で殺される。
だから、こんな夜はカーテンを閉めきって、布団をかぶって――
バカバカしい!
あたしはベッドから起き上がって窓のそばに行った。
外はどうなってるんだろ。雪、積もった?
カーテンをちょっとだけめくって外を見た。
天気が悪いっていうのに、外は異様に明るい。
ああそうか。積もった雪に街灯の光が照り返してるんだ。
あまりの寒さに、地表に落ちても解けない雪が強い風に舞い上がり、地吹雪となって渦を巻く。
明るい地面とは対照的に、空は墨を流したように真っ黒だった。
タン ト タタン
タン ト タタン
吹きつける雪と風がリズミカルな音を奏でる。
タン ト タタン
タン ト タタン
吹雪の向こうに影が見えた。
車かな? こんな天気の悪い真夜中に出歩く人もいるんだな。
タン ト タタン
タン ト タタン
あたしの部屋は二階にある。
窓のすぐ外には街灯があって、真っ暗な中、窓の下の道路だけを円く照らしていた。
上から見る外の景色は、スポットライトに照らされた舞台のようだった。
やがて雪煙の幕を抜けてスポットライトの下に現れたのは、車じゃなくて人影。
一、二、三……
真白いスキーウエア――コートかもしれない――を着た子供が十人歩いている。
子供達の傍らには、これまた白いコートを着た大人が白馬の上に……
ありえない光景。
あたしは夢を見ているの?
風と雪が奏でるリズムに合わせて子供達が踊るように歩いて行く。
その真ん中をゆったり進む白い馬。
馬の乗り手の真っ白い髪が街灯のスポットライトを浴びてきらめいていた。
白魔の行列だ。
カーテンを閉めて隠れなきゃ!
行列を見ていたことがばれたら取り憑かれる。
でも、待って。
これは夢でしょ?
もう少し見ていたってだいじょうぶじゃないの?
そう。
ここは二階だもの。静かにしていれば気づかれやしない。
でも、そうは上手くいかなかった。
あたしが窓枠までそおっと顔を上げて下を覗き込むと、馬の乗り手がふっと顔を上げて、まるであたしがいることを知っているようにこっちを見た。
ヤバイ!
慌ててカーテンを閉じて床に座り込んだ。
焦るな。
部屋の明かりはつけてないから、下からは見えない。
あたしがいたことには気づかない。
風が、ひときわ大きく唸り声をあげた。
ガタガタッと窓が音をたてる。
まるで誰かが外から窓を叩いてるみたい。
あたしは怖くなってベッドに飛び込み、頭から布団をかぶった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ケータイのアラームが耳元でうるさくなり続けた。
眠い……
アラームを止めてあくびを一つ。掛け布団を半分めくって慌てて元に戻した。
寒っ!
なんだかすっごく寒くない?
ノックの音と同時にドアが開いて、弟が顔を出した。
「姉ちゃん、遅刻すっぞ」
「ねぇ、寒くない?」
「寒いさ。記録的な寒気団が日本上空に居座ってるらしい」
どうりで。
「起きろよな」
ドアが閉まった。
そういえば変な夢、見たなぁ。
夢――だよね。
それとも何かを見間違えたのかな。
あたしは起き上がると窓の前に立って、勢いよくカーテンを開いた。
朝の眩しい光が部屋に差し込んだ。
あれだけの嵐だったのに雪はそれほど積もってないみたい。窓の下を見下ろすと――嘘でしょ?
真っ白い人影が窓を見上げている。
純白の丈の長いコート。
白いブーツ。
少し長めの髪も雪のように真っ白。
馬の乗り手だ。
目が合った。
思わず窓から飛びのいた。
落ち着け、あたし。
ソロソロと窓に近づき、もう一度下を見た。
誰もいない。フウッと息を吐いた。びくびくしすぎだよ。白魔なんていないんだから。
「ハルカぁ! 起きたんでしょうねぇ?」
階下から呼ぶママの声が聞こえた。
あっ ヤバイ!
マジで遅刻する!
ドアを開けて、
「起きてる! 今行くから!」
階段の下に向かって大声で答えた。
「今日は寒いからね。暖かくして学校へ行くのよ」
ママったら、朝から何回同じこと言えば気が済むんだよ。
「分かってる」
「もう、最近の若い子は薄着過ぎるのよね。体を冷やしちゃよくないのよ」
「それも分かってる」
あたしは多少ウンザリしながら家を出た。
雪こそそれ程積もっていなかったけど、外は氷の世界だった。
街路樹の幹にも枝にも、吹き付けた雪がそのまま凍りついて氷の彫刻みたいになっている。
あたしは、さっき馬の乗り手が立っていたあたりをチラッと目の端で確かめた。
よかった、誰もいない。
ほっとして、あたしは駅への道を歩きはじめた。一足ごとにブーツの下の雪はギュッギュッっと軋むような音をたて、吐く息が白い煙のように宙に散っていく。
頬が、耳が、痛いほど。
大きな通りに出て、信号で立ち止まる。先に信号待ちをしていた小学生がこっちにクルッと振り向いた。
えっ! 何?
白いフードつきのコートを着たその子供は、白い狐のお面をつけていた。
この子っていったい?
『雪の白馬を取り囲む白い鼬に白狐』
古い昔話の一節が頭をよぎった。
あたしはその子が見えないふりをした。
この子が白魔なら、見えちゃいけないんだ。
だってほら、
あたしの後から来たサラリーマン風のおじさんも、狐のお面の子には気づかないみたいだもの。
その後もずっと、駅まで行く道の途中、時々目の端にチラチラと白い人影がよぎったけど、あたしは気づかないふりをし続けた。
駅の改札を通ると、白い人影は見えなくなった。どうやら建物の中には入って来られないらしい。
ここから電車に乗って三駅。
学校の近くまで行けば友達もいるし、あいつらを無視しやすい。あいつらも、あたしがあの行列を見ていたって確信はないに違いない。
気づかないふりをし続けること。
絶対に目を合わせないこと。
――でも、馬の乗り手とは目が合ったよね。
心の中であたし自身がそう言う。
ううん、あたしだって分かるわけない。
たぶん……
電車から降りると、ホームで友達のサヤに会った。
「ハルカ、おはよう!」
サヤは帽子、マフラー、手袋の完全装備。
「おはよう、サヤ。すごい格好だね」
「いやあ、うちの母親が『寒いから』ってうるさくてさぁ。高二にもなって母親から毛糸のパンツはけって、ありえなくない?」
「うちも同じ。『体、冷やしちゃよくないのよ』っていっつも」
「そうそう、必ず言うよね。あたしなんて知らないオバチャンにまで言われてさ、ほっといてくれって感じよ」
ホント
ほっといてほしいわ。
駅の出口に白い影がチラチラしてる。
近くまで行って、白狐じゃないことに気づいた。
馬の乗り手だ。
あたしは見えないふりをしながら、乗り手の横を通りすぎた。馬の乗り手は、あたしの横にピッタリとついて歩き出した。
勘弁してよ。
遠くから見て白いコートだと思っていたのは、白い毛皮のマントで、キラキラ光るクリスタルのようなものが無数に散りばめられていた。
乗り手が歩く度に視界の端でマントがきらめく。
「気をつけろ」
低い声が言った。
「突っ込んでくるぞ」
乗り手の言葉が終わるか終わらないかのうちに、子供があたし達の足元にスライディングしてきた。
子供に足を蹴られてよろめいたサヤが
「うわっと! すべるぅ」
と騒ぐ。
子供が立ち上がらないので心配して見ると、それは子供ではなく白狐だった。
サヤは足元に寝転ぶ白狐には気がつかないらしい。
白狐はあたしの方を見てニヤリと笑った。
お面が笑うとは思わなかった。
それでもあたしはなにも見えないふりをしながら
「もうサヤ、気をつけなよ」
って、友達の腕を支えて白狐の上をまたいだ。
「この娘、見えてるね」
白狐が嘲るように言った。
「絶対に見えてるよ」
「まだ分からん」
あたしの横で馬の乗り手が言う。
「チェイサー、あんたは慎重過ぎる」
白狐は素早く腕(前脚って言うべきかな)を延ばしてサヤの足首をつかんだ。
「サヤっ!」
前のめりになったサヤをあたしは慌てて支えた。
「もうやめさせて」
あたしは小声で馬の乗り手にささやいた。
「俺が見えるのか?」
馬の乗り手が小声で言う。
「見えたり見えなかったりするけど、いるのは分かる」
「見えないふりを続けろ」
そんなこと言ったってこのままじゃ友達がケガをしちゃう
白狐がもう一度サヤの足に手を延ばした。
あたしは我慢できなくて、ブーツのかかとで思いっきり白狐の手を踏んでやった。
「痛ぇっ! なにすんだよ、この娘!」
白狐がわめいた。
いいきみ
「チェイサー! こいつ絶対に見えてるって!」
あたしはわめく白狐を無視した。
「危ない!」
馬の乗り手があたしの体を引っ張り、勢いあまって二人とも倒れた。
次の瞬間、車道から乗用車が突っ込んできた。
フロントガラスに狐が張り付いてニヤニヤ笑っている。
誰かの悲鳴が聞こえる。
――女の子がひかれた!
――救急車!
「ハルカ! しっかりして!」
泣き顔のサヤが倒れているあたしを覗き込む。
「今、救急車来るからね!」
あたし、ひかれてないんだけど
そう言いたかったけど、狐とイタチに手足と口を押さえられて、あたしは身動きできなかった。
サヤの次に別の顔があたしを覗き込んだ。
血の気のない白い顔――馬の乗り手だ。
思っていたよりずっと若い顔立ちだ。
あたしと同じくらいに見える。
顔を取り巻く髪の毛は、よく見ると白というより銀色に近かった。
そして
あたしを見つめる瞳はアイスブルーって言うんだろうか、色の薄い青で、なんだか吸い込まれそう
「お前を連れて行かなくてはならなくなった」
馬の乗り手が言う。
彼はあたしの口から狐の手をどけると、唇を重ねた。
口から冷気が体の中に流れ込む。
あたし死ぬのかな
救急車のサイレンが聞こえる中、あたしの意識は遠ざかっていった。