第七話 笹蟹
院栄様の紹介状は明智家にも渡っているらしく、こちらから出向くまでも無く明智家より使者が来た。どうやら、胤栄様は私が女の剣豪であることも伝えているようで、明智様も仕事の息抜きがてら見物に来るという。
場合によっては召し抱えてもいいとのことだが、これに関しては丁重にお断りした。しかし、使者は食いついて、褒美を出すから上様への見世物として剣技を披露してほしいとも頼まれた。近頃の光秀殿は去就が曖昧で、この者の差す上様が公方様か、はたまた安土の織田殿かは判別つかないが、とりあえず予定次第ではと曖昧に返答をした。
「ほう、聞いてはいたが、なかなか可愛らしい嬢ちゃんじゃないか」
明智様の指定された時刻に本圀寺に到着すると、すでに用意万端とばかりに可児吉長とやらはそこにいた。御親切に、明智様の御家来であろう身形の整った観衆が、あたりを埋め尽くしているのは少々やり辛いものがある。
「ふむ、そちらは聞きしに勝る荒くれのご様子。いかなる剣技をお持ちか楽しみだ」
「ふん、試合を前につまらぬ挑発をする娘だ」
それはお互い様だろう、と言いたいところだが、もしかしてこの者は素で褒めていたつもりなのか? しかし、先ほどから後を尾行する師範殿の所為で気が散って仕方がない。帰ればまた「礼儀が云々」「作法が云々」と和尚に告げ口されそうだ……。
「しかし、笹の才蔵殿は試合でも笹を背負われるか。これも実践と加減するおつもりが無いその態度はありがたい」
「ほぅ、解るか。娘、ただの剣豪ではないな。死地を潜ったか。面白い、よいだろう。先ほど女子とあなどるような発言をしたことは撤回しよう。しかし、そちらも実践の心づもりで家臣を連れておるようだな」
「いえ、あれは師範です。勝手についてくるのです」
「はぁ! はははははは! それは面白い。では、始めよう」
「承知し……」
合図も無く!? しかも、十文字を捨てて居合をかけてくるなど常道を逸している!
「何を驚いておられる。これは実戦であるぞ!」
「ふ、無論、遠慮はご無用!」
初太刀は半分運で躱したが、一歩誤れば遠慮なく死を突きつけてくる。鞘ごとで防いで助かったものの、刀を抜けば刀がなまくらになっていたかもしれない。なるほど、良いじゃないか。
「ならば!」
「ふん、やる! な?」
さすがに面を喰ったか。
「刀を抜かずに、だと?」
「笹殿は刀の扱いはお得意でないようで」
「っく、なんたる馬鹿力か……しかし! 舐めるなよ、女ぁ!!」
折れた刀を捨てただと!? 槍も持っていないのに、丸腰でいったい何を!?
「斬撃後の体位では鞘はもう抜けまい、意表をつくのが自分だけだと思うなよ!」
「うぐ!」
両腕を重ねて構え、籠手を盾に突っ込んでくるとは。体当たりではさすがに男に分があるか……命知らずにもほどがある。はやく身を翻さねば。
「ふ、距離を取ったか。すぐに追撃を食らわせればよかったものを。しかしまぁ、さすがに男の力で馬乗りされては敵うまいか。いやはや、そうすればよかった。そうすれば役得が得られたかもしれんが、あまりの馬鹿力に女であったことを失念したわ」
「っく……下郎」
「そう怒るな。次は槍の技を見せてやる。刀でさばききれると思わぬことだ」
宝蔵院流の型は捉えたつもりだが……どうにもこの男は我流の面が強い。胤栄様に教えを乞うたと聞くが、似ても似つかぬ戦いぶり、次の手がまるで想像つかないな……。
穂先を回すか。上か、下か、はたまた突きに見せかけ、直前で薙ぐだろうか。何が来ても想定してや、
「てぇい!」
「なっぁ!?」
正面、だと。馬鹿正直に、しかし高速の一突。芸がないなどとは笑えない、尋常ではないぞ、これは。
「どうした、女。艶のある顔になるじゃないか」
「私を口説くには、言葉が足りないな、下郎」
槍筋を右に躱し、上から刀で押さえつける形で鍔迫り合いをしているというのに、持ち上げようとする力がそこらの男とは比にならない。腕力だけなら胤栄様も超すか。
「そうかな? しかし、その割にはいい顔をしているぞ。馬鹿正直な一突を笑え、さぁ! それとも、芸の無い一撃ごときで面を食ったか?」
「馬鹿にするな。人を見る目が無いな。笑っているさ。あまりに芸が無くてつまらなかったもので、冷笑したのだ」
「ふん、今にその口のきき方なんぞできぬようにしてくれる!」
◆◆◆
「そこまで!」
血の気高さを感じさせる透き通る声が広場に響く。
明智様の掛け声である。
「ふむ、両人ともなかなかに見ごたえのある試合であった。しかし、そろそろ皆失ごとに戻らねばならぬ故、今日はそこまでとせよ」
私が可児の穂先を切り落とし、可児は柄だけの槍で私の刀を叩き折り、とうとう取っ組み合いとなったところで号令はかかった。明智様という御仁、大層気高いと見え、組手で私の着衣が乱れるのを気遣ってのことだろう。気の利く二枚目振りが、やはり世にもてはやされるのだろう。
「殿、間もなく試合は終わるかと思いますが」
「才蔵、良い。引き分けだ。両者とも得物が無くては仕方があるまい」
「は、誠その通りでございまする」
この男も、二度目の口答えをしないあたり分を弁えている。愚かな人間は見栄や手柄に逸り、いらぬところで食いつくものだが、この荒くれはただの荒くれではないようだ。
まぁしかし、組手なら勝ったと思い込む辺りは好きになれないのだが。女手には不利とは言えど、勝負はまだ決まってはいない。負けを認める気など毛頭ないのだから。
「玲殿と申したか」
「はい」
明智様の涼しげな声が私に向けられる。
「才蔵と同じく、宝蔵院を訪ねたそうだが、どうであった」
「は、可児殿は宝蔵院の型を飲み込み、我流でそれを凌駕する、実践的な技術をお持ちです。これなら、首を持ちきれなくなる戦働きをするも納得というもの」
明智様は暫し腕組みをする。線が細く、幸の薄そうな色白は都の人間にはさぞ好かれよう。大した言葉を交わさずとも、佇まいから自ずと知性が伺える。この常に理知的な佇まいは天性なのだろうが、なるほど、人に拠ってはこれが鼻を突く態度にも思えると。
明智様も御家中ではさぞ苦労をなさるのだろうな。
「ふむ、そこまで計れる定規を持っておられるのか……実に天晴れ。家禄を与え、ぜひとも手元に置きたいものだが……」
「申し訳ござりません。それだけはご容赦を」
「そうか、律義、忠義、武勇。これほどの士に慕われる主は大層幸せ者だ。玲殿、貴方なら歓迎だ、もし何か都での相談事があれば私の下へ来るといい」
「かたじけないお言葉、痛み入ります」
「なに、今日の見世物の駄賃の一部だと思ってほしい。そこに銭を二貫用意している。帰り際に手にしてゆかれよ」
「は、有難く承ります」