第四話 正義漢
「え~、と言う訳で、これがもっとも基礎となる八陣形で……」
「……」
「玲、聞いているなら返事をしなさい」
「……はい」
「では、この陣形はなんと言いますか?」
「……」
「てぇい!」
「っ!?」
ぅぐ!? ……師範がもそもそと何かを言っていると思ったら、急に頭を叩かれた。何という粗暴な人だ。この人の考えることは全くわからない。
「玲、人が教えているのに寝ているとは何事ですか!」
「何を仰る。寝てなど居りませぬ。瞑想し、精神統一を図っていたのです」
「座学で瞑想など必要ありません! 目を開けて、書を見なさい! 貴重な紙を使って図まで書いて説明しているというのに何事ですか! 紙も墨もただではないのですよ!」
「む、ちゃんと聞いております」
失礼な、勉学の集中をより図ろうとしただけだというのに。そもそも、師範の教え方が悪いのだ。そのようにのんびりとした声で、面白くもない講義を延々と聞かされては誰でも瞼が重くもなるだろうに。
「なら、この陣形について長所と短所を答えなさい」
「……魚鱗の陣」
「馬鹿者、これは鋒矢の陣ですよ。しかも、用法を答えよと言っているのになぜ名前を答えているのですか!」
「申し訳ありません」
「全く、まぁいいでしょう。貴方には座学はあまり向いていないようですから、近々どこか適当な戦を見繕って戦見学に出るとしましょう。戦場の空気に充てられていればさすがの貴方も居眠りなんてできないでしょうしね」
「……はい」
座学が向いていないとは……解ってはいたが、こうして正面切って言われると胸に来るものがあるな。それに師範、貴方はとても初心者向けの教え方じゃないと思うのだ。
しかし、戦場を見るというのも悪くはない。苦い記憶が蘇るが、和尚もこれは成長を促すために良い事だと仰っていたし、実戦で役に立たなければ意味がない。それに、私は戦場で戦うために武を鍛えているのだから。
「さて、では今日の講義はここまでにしましょう。私はしばらく近隣の不穏な噂を集めて吟味しますから数日ここを空けます。それまでにせめてその書物にある基礎くらいは覚えておくように」
「解りました」
「では、私は善吉殿に少し話があるので、貴方はもう少し京の町と外の地形でも見て回って来なさい」
「はい」
師範が和尚に? 何用だろうか。少し興味があるが、外を回ってこいと言われてしまったので仕方があるまい。折りがあれば聞いて見るとしよう。しかし……、
「また、寺から放り出されてしまった……」
最近、こういうことが多い気がする。なぜか、気が付いたら寺の外に放り出されている。道場で素振りでもしていたいのだが、こうも街中では鍛錬がし辛くてかなわない。毎日の様に遊覧ばかりしていていいのだろうか。仕方がない、名のある剣豪の噂でも集めて決闘を申し込むか。
「強盗だ! 誰か! 誰かそいつを止めてくれ!!」
天下の都、花の都、帝や将軍の御膝元であるはずの京だというのに、想像していたよりもずいぶん醜い町だ。常にこびり付くような血の臭いと気配が漂って居心地も悪い。ましてや、こんな真昼間の天下の往来で強盗などとはなんて様だ。
「何! 天下の往来で盗人とは愚かな! 成敗してくれる!!」
ふむ、京都にもまともな人もいるのか。しかし、軽装とはいえ、戦でもないのに籠手や胴をつけているあの侍もおかしなものだ。助ける義理もないが、見て見ぬ振りも情けない。
それに、しばらく命の取り合いから離れて腕が鈍っていては、師範との戦見物に支障があるだろう。どれ、一つ刀の錆びにしてくれようか。
「そこの女! どけ!」
随分とひょろい奴が三人。強そうなやつはあっちの侍に取られてしまったな。こっちのは、装備もみすぼらしい所を見ると食うに困ってだろうか。しかし、理由はなんにせよ強盗をしてしまったのだ、よもや言い訳等立つまい。
「くそ、どけ! 退かねば切るぞ!!」
「三人がかりでなら女子の一人、一捻りだと思ったか?」
まずは一人。
「な、ご、権兵衛! 大丈夫か!? 権兵衛! 貴様……女だからと言ってもう容赦はせぬぞ!」
「大いに結構だ」
二人目。
「うぐぁあ!? う、腕が、腕がぁぁあああ!!」
他愛もない。一振りで、しかもただの袈裟切りで終わるなんて。こいつも、袈裟切りで下した刀を振り上げただけだというのに、こうもあっさりといくものか。人は存外脆いのだな……どこか嘆かわしいものだ。
「わ、悪かった! 命ばかりはとらないでくれ! 頼む!」
「知らん。それは私に言うべき台詞ではない。あちらの侍にでも命乞いしてみるのだな」
「あ、あぁ、解った、と、とりあえずあんたは俺を斬らないでくれるんだな?」
「まぁ、逃げなければな」
「よ、よかった……」
何とも情けないものだ。覚悟もないのに強盗とは。しかし、不思議なものだな。今は不思議と切っ先が鈍らなかった。どうしてだろうか。
「そこの御仁」
「ん」
「いや、助太刀かたじけない。私もつい、勢いで飛び込んでみたは良いが、数が多すぎて背を取られると不味いかもしれぬと思っていたところだ。助けていただいて感謝している」
「なに、たまたまこの者たちが私に斬りかかってきたから身を守っただけのことです。感謝をされるようなことではありません」
「清廉な御仁だ……いやはや、若いのに誠に天晴れな心意気だ」
ほぅ、さすがは華の都、大層な美丈夫がいたものだ。稀にいる人格者と言うたぐいの人物なのだろうな。
そして、おそらく早死にする類の人間だ。
「ずいぶんと面白いお方だ。貴方も随分とお若いではありませんか」
「ははは、そうなのですが、如何せん苦労が多いと心が年を取ってしまうのです」
「では、私の心も結構な年ですね……」
「貴殿、ずいぶんと身なりの良いようだが、いったい……いや、失敬。深くは聞かぬ方がよさそうですな。では、拙者は主君が待っております故、これにて失礼つかまつる」
「えぇ」
なかなか正義感の溢れる男、か。この世もまだ捨てたものではないかもしれない。主君、と言っていたな。あの侍も出仕先があるとすると、幕府関係者だろうか。少し話を聞いて見ても良かったかもしれない。狭い都の中だから、また会えるといいのだが……。