第三話 今孔明
「玲殿、この前に話した兵法者の件だが」
早朝、庭の雑草抜きと掃除をしている私に、和尚は唐突に声をかけた。
「和尚、もう連絡が付いたのですか?」
「あぁ、というか、すでにこちらに向かっておる」
「……早すぎではないですか?」
「それだけ手回しをよくやったという事よ。ありがたく思う事だ」
「はい、かたじけない限りです」
「うむ、では頑張るのだぞ」
しかし、あまりに唐突過ぎる気がする。和尚はたまに強引な所がある。この手回しはいくらなんでも早すぎる気がするし、もしかすると事前に話はつけてあって、私がどう言おうと学ばせるつもりだったのかもしれない。
道場でしばらく待っていると足音が聞こえてくる。開いた襖から顔を覗かせたのは、そこそこ身なりの良い男で、思ったよりは若い感じのする人物だが、目元の鋭さはなんとなく有能そうな雰囲気を覗かせる。
「貴方様が、私の師範となる方でしょうか?」
「そのようですね。最近まで常陸の国にいたと聞いています。私もあなたくらいの駆け出しの頃に京都に来て学んだのです。あなたもきっと立派な兵法者になれますよ。なんてたって常陸の男なのですから」
かなり親しげに話をかけてくる、口調はどこか頼りなさそうな印象を受ける男だった。
言葉を交わす前に一瞬有能そうに見えた目元も改めてみると鋭さは消え、気の所為だったのかもしれないとさえ思えてくる。しかも、一言かわしただけで性格が解りそうな気の抜けた声、挙句に私の性別まで間違えている。何処をどう見れば私が男に見えるというのか、全く。
「女です」
「おや、これは失礼。つい間違えました。貴方が雄々しい空気を纏っておりましたので」
「和尚、私は馬鹿にされているのでしょうか?」
胡散臭い男に続いて顔を覗かせた和尚もなぜか呆れ顔だ。人選を誤ったわけではないのだろうか。
「うむ、こやつはこれが素だから気にするでない。わしはまだ仕事が多くてな。義長殿、風格ばかり大層ですが、中身はまだまだ小娘。厳しくしごいてくだされ」
「よいでしょう。初めての弟子が女性と言うのはある意味日ノ本初の行いかも知れませんからね。もしかすると、大した偉業を成さないでもこれだけで後世に名を残せるかもしれませんし」
「……和尚?」
「気にするな。こやつは馬鹿ではない」
「はい……」
もう一度和尚へ振り返るが、和尚も額に手を当ててため息をついている。生来の変人気質と言う事だろうか。しかし、このような気の置かない反応を見るに長い付き合い、若しくは親しい付き合いのある人物なのかもしれない。ともすれば、粗相は出来ないな。
「さて、ではまず自己紹介としましょうか。私は柳水軒義長。柳水軒白雲斎様に師事してつい最近貰ったばかりの名なのです。良い名だとは思いませんか?」
「はい、そうですね」
「因みに雲斎様はとても素晴らしい兵法の使い手でして、何ゆえに世に名が知られないのか不思議なお人なんです。並み居る兵法者の兵法は机上の空論であると切って捨て、実学を重んじて多くの戦場に連れまわされたものです」
「はぁ」
「ついぞ、雲斎様は仕官することができずに、その兵法を実戦で見せていただくことができませんでしたが、あれは必ずや役に立つでしょう」
「先ほどから雲斎様申されていますが、白雲斎様では?」
「えぇ、そうですが何か?」
「師の名前を勝手に短くしてよいものなのですか?」
「だって、白雲斎って長くて呼び辛いじゃないですか。雲斎様もこの程度では怒りませんよ。兵法者は時として大将の下で片腕となって軍配を揮う事もあるのです。いかなる時も冷静でなくてはなりません」
何なんだこの人、師と仰いでも大丈夫だろうか……ものすごく胡散臭くて、どこか適当な人にしか見えないが……。でも、和尚が推すほどの人だし、力量はしっかりしているのだろうか?
「師範、雲斎様の素晴らしさはよくわかりました。しかし、私は師範に教えを授かろうとしているのです。師範の兵法を伝授してくださいませんか?」
「君、雲斎様と略して呼ぶなんて失礼でしょう」
「……申し訳ありません」
「ところで、君の名前はなんだったかな? 聞いていないような気がするけど。というか、師範に先に名乗らせておいて自分は名乗らないというのは失礼だとは思わないのかな?」
この人、私が名乗る前に勝手に話し出したと思うんだけど、かなり勝手な人なんだな。会話をかわせばかわすほど心配になってくる。そして、この人とは気が合わない感じがする。
「私は天寧寺の玲なので、玲とお呼びください」
「そうか、では玲ちゃん」
「玲で」
「ゴホン、では、玲。一つあなたに問いましょう」
「はい」
しかも、話していて疲れる。でも、ようやく真面目な空気になって、兵法の話をするようだしひとまず今までのことは置いておこう。教えが立派ならば、真面目に兵法を学んでみるのもいいのかもしれないしな。
「玲、貴方は、人は何故にこの世に生をもって生まれたと思いますか?」
「え……それは……難しい問いですね」
「そうですね。私も、とても難しい問いだと思います」
「でも、だからこそ、初めにこれが解らない程度では弟子の資格もない。人がなんたるかを知ってこそ兵法の極意が解るという事なのですね」
「いえ、ただの思いつきです」
「は?」
「いや、昨日の夜、ふと唐突にそんなことを思いましてね。そうすると、考えても考えても答えが見つからないじゃないですか。そうするとそんな日の夜って、一睡もでき無くなる事ってありますよね?」
「……知りませんよ」
「そんなわけで、昨日から私は一睡もできていないので、そろそろ寝ますね」
「……なんなんだコイツ」
少しまともかも知れないと一瞬期待した私が馬鹿だったんだな。弟子を前にして、教えを授けに来たくせに堂々と横になって寝るとは何事だ。和尚は何故こんなわけのわからない人物を私の師範にしたというのだ……。