第二話 京都遊覧
とりあえず、少し大きな通りに出てすぐそこにある賀茂川まで歩いてみる。
荒廃と復興を繰り返す京都の町は、新築の家と古い家が立ち並んでは、しばらくすると焼け跡になった荒れ地が点々と残る。
戦の度に土塀などが増築されているみたいだが、まるで籠の中で暮らすような息苦しさがある。都は人も多くて空気が不足しているような息苦しさだ。
嗚呼、故郷の風景が恋しい。
「知っておるか、あの信長とか言う田舎大名が、いよいよ京都に兵を進めようとしているそうだぞ」
「あの飛ぶ鳥を落とす勢いは、三好の殿様方じゃ止められないだろうよ。一乗院の覚慶様を立てて軍を進められたら、三好の殿様方と互角になっちまうもんなぁ」
「しっかしよう、松永様は興福寺に覚慶様を幽閉して命まではとらないんだなぁ」
賀茂川の通りを歩いてさほど立たぬ頃、道沿いの酒屋から気になる名前が聞こえた。
私の足はその一言につられるようにして暖簾をくぐった。
(松永……公方様を弑逆した外道か)
「すまない、相席しても良いだろうか」
赤ら顔の町人風な身形をした二人の男は、なぜか楽しそうに私を席に招き入れた。
「おぉ! ねぇさんは女だてらに剣豪かい? 珍しいねぇ!」
「あんたみたいな美人なら大歓迎さ! おやじ、酒をと魚をもう一人分追加だ!」
騒がしいのは好きではないが、慣れてはいる。それに、こういった気のいい人種は嫌いじゃない。
「剣術修行の旅の最中でな。前将軍、義輝様は大層剣達者だと聞いて、陰ながら慕っていた。一度でいいからお目にかかりたかったのだが……」
「あぁ……そりゃ、残念だったなぁ。あの日は朝から雨で視界の悪い日だったな。いつになく騒々しい物音に京都の人間が目を覚ましたころには、公方様の館には火が上がっていたよ」
「そうか……」
男は遠い目をして語った。この近所に住む男は、その日も晩酌の酒を買いに家を出て偶然現場を見かけたらしい。
もう一人の男が徳利を差し出して、私の盃に酒を注ぎながら悲しげな目で問う。
「ねぇさん、幕府に所縁ある人なのかい?」
「幕府には直接の所縁もないんだが、足利家には少しな。だからこそ、権威を蔑ろにする松永の所業は許し難い」
「権威を重んじてるお武家さんなんてめったに見かけないけどねぇ。最近だと上杉様くらいなものか。でもまぁ、そういう心掛けもいいと思うよ」
「そうか、ところで松永は」
「松永様は三好の殿様たちと別の公方様を立てて対抗してるよ。どっちが勝つにしても、今しばらくは京都も荒れそうだなぁ」
「三好三人衆って知ってるだろう? それと、大和の松永様が手を結んで一進一退の攻防よ。あー、興福寺を敵に回したくないから、松永様も覚慶様を興福寺に幽閉してるのかもなぁ」
「そうか……いい話が聞けた。感謝する」
「お? もう行っちまうのかい。残念だなぁ。まぁ、近所に住んでるならまた飲もうや!」
「ふ、飲み比べで負けない様に今から五臓六腑を鍛えるといい」
「ほぉ~! そりゃ次に会うのが楽しみだ!」
酒飲みは聞けば面白いように密事も喋るが、かといって長話をすると同じ話を繰り返したりと、益の無いことを始めるので早々に話を切り上げる。あまり世間を知らないが、大体はそういうものだとも風に聞くし、何より亡父がそうであった。残念なことに、酒を飲むと一見素面に見えて、三分と経たず同じ話を繰り返すのだ。一歩も動かないでこれなのだから、鶏より性質が悪いかもしれない。
しかし、京都は熱いな……常陸とはまるで違う。蒸し返るようなこの暑さは薄着でもして凌ぎたいものだが……全く、こういうときばかりは男が羨ましい。
「駄目だ、寺に戻ろう」
寺に戻ると、和尚が自ら門前の掃除をしていた。
「和尚、ただ今戻りました」
「おや、ずいぶんお早いお戻りですな」
「……」
和尚はなぜかことあるごとに小言のような嫌味を言う。私はもう子供ではないのだから、からかうのもほどほどにしてもらいたいものなのだが……。
「なにか、ためになることはありましたかな?」
「多少。幕府のことや奈良のことを少々」
「左様か。奈良と言えば、里村紹巴 (じょうは)殿が最近奈良で詩歌の上手い者がいて、さすがは歌の国の出身なだけはあると大層ご機嫌であったなぁ。玲殿は詩歌はお得意か?」
「いえ、私の家ではそういった教養はあまり学ぶことが無かったので……」
「左様か。はっはっは、子女に武術を教えて詩歌を与えぬとは、なかなか愉快なお父君ですな」
「か、からかうのはおやめください。頭のわるい父でしたが、私には自慢の父上なのですから!」
「ふふ、これは失敬。しかし、刀の一振りで世渡りを出来るほどこの世は甘くできてはおりますぬぞ。多少は剣術以外の素養教養を身につけなされ」
「いえ、私はそれらをも凌駕する剣術で主家に再び仕官いたしますので」
「くはははは! かようにキリリとした顔をなされても、言うことが左様に情けなき様ではかっこが付きませんなぁ! とにかく、剣豪は大体兵法についても学んでおる物ですぞ。ただの剣豪では徒武者の将が良い所。馬上の人となりたければ兵法を学びなされ」
おかしい、今のは我ながら名言であったと思うのだが、なんで馬鹿にされているのだろうか。これはおかしい。それに、過去に刀の一振りで名を立てた者たちもいるではないか。
「しかし和尚。兵法などどこで学べと言うのです」
「貴方とも所縁のある人に伝手がある。すぐに使いを出すから数日待ちなさい」
「はい、ではそのように」
納得はいかないが、まぁ致し方ない。和尚の勧めを無碍にもできないし、あまり頭を使うのは得意ではないが、剣術に何か役に立つ心得もあるかもしれない。今しばらくは素振りでもして待つとしよう。