第十六話 常陸小田織り
店構えのみならず、どこか内装にも見覚えがある造りだ。父上は武具屋や鍛冶場ばかりに連れて行かれたが、何度か母と見に来たかつての菟玖波屋もこのように鮮やかな色合いの着物を売っていた記憶がある。
強いて言えば、どことなく雰囲気が違うのと、物珍しい小物を取り扱うようになった点だろうか。まさかとは思いつつも、どこかやはり違うような気にもさせる、不思議な店だ。
「ほほぅ、小田織りとは……この様に美麗にして廉価であるとは、どうりで京中に風靡するものだ」
「小田織り……」
常陸はもともと織物の産地ではあるが、小田織りなど聞いたことが無い。南常陸に織物の産地などあっただろうか。常陸紬か? だとするならば、小田織りというよりは結城織りと形容すべきだろう。それに、小田織りの生地棚には木綿が多いが、紬や絹、麻も置いてある。一つの品というよりは、その地方で生産された物全般の呼称と言う事だろう。
「どれ、玲殿。どれか一つお選びになられてはいかがかな? せっかくこの店と巡り会ったのです。これも何かの縁、故郷を偲べる品の一つも持っていて罰はあたらないのではないかとおもいますよ」
「いえ、私は寺に居候する身、大した手持ちもなければこの様な流行物に溺れるなど……それに、私は一人前になるまで故郷には戻らぬと誓ったのです。これを持って偲ぶなど甘えです」
そう、今は懐かしむ暇も惜しいんだ。
しかし、鹿之介殿は意を汲んでくれなかったのか首をひねる。
「はて、そうであろうか」
「……なんです」
「なに、これは今日私の護衛をしてくれたお礼ですよ。流行物であるのは品が良いからで、故郷を偲ぶ品に流行も廃れも関係などありますまい。一人前になるまでにその志が折れぬよう、初心を思い出すという意味でこれを身につけることに何の不都合がありましょうか? どうです。玲殿がこれを手に出来ぬ理由はなくなりましたよ」
私などとは違い、鹿之介殿は嫌に口達者だ。全く、意地の悪いというか、人の好いというか、私が困るのを見て楽しんでいるのではあるまいな。
「で、ですが……いくら小田織りが廉価とは言え、やはり布は高価ですし……」
「ここ数日お付き合いいただいたのに何も礼をしていなくて心苦しく思っていたのです。どうか私を救うと思って手におとりなさい」
「……では、遠慮なく」
えぇい、ままよ! ここまで断ったのだ、戴いても誰も私に文句など言うまい!
「それでよい」
「あの、ありがとう……ございます」
「いえいえ。品はそれでよいのですか?」
「えぇ。これがいいです。変ですか?」
やはり……変に飾りすぎて私には似合わないのだろうか……だとすれば少し悲しいな……。
「いえ。その鮮やかな藍色は凛とした貴女によくお似合いだ。涼しげで、清らかで、とても瀟洒な印象を受けます。金の鳳凰は貴女の力強さや心の内に秘めたる熱意を感じさせます。帯の雀に対比してその志の高さを暗に示しているようですよ」
……何が言いたいのだ。褒められてはいるのだろうが……。
「……申し訳ない、無教養で鹿之介殿の意を汲みきれていないかもしれない」
「はは、これは失礼しました。以前玲殿が私を例えてくれた、燕雀安ぞ鴻鵠の志を知らんや、との諺を比喩しているような柄でありましたゆえ」
そういう事か。
「なるほど。これをそのように見立てるとは、鹿之介殿は賢い御仁ですね」
「それほどでもありません。あるとしても、それは私を厳しく躾てくれたよき母のおかげです」
「賢母であられるのですね」
鹿之介殿は突然顔を暗くした。すぐに何がまずかったのかは心当たりも尽くが、このご時世に親族を失ったことの無い人間の方が珍しい。だから、慌てて取り繕うような謝罪はしない。
鹿之介殿も、顔に影を差す以外何するでもなく話を続けた。
「えぇ。母はまだ若くしてなくなりましたが、我が心にはその教えを幾度となく説くために力強く生きておりまする」
「……それはいいですね」
鹿之介殿は悲しげだが、温かみのある表情で微笑んだ。
母に愛され、強く育てられたのか。羨ましいな……それも決して楽な人生ではなかったのだろうが、それでも鹿之介殿の顔を見ればわかる。きっと心温まる、充実した暮らしだったのだろう。亡母を偲んでいるのであろうに、とても良い表情をなさる。
しばらくして、ふと表情を見直すと、鹿之介殿は再び悲しげな顔をして私を見ていた。今までの雑談でも鱗片的に話していたし、和尚からも多少話を聞いているのだろう。その視線はおそらく、大体の事情は察しているものと見えた。
「玲殿のご家族は……」
私は小さく息を吸った。
「皆、亡くなりました。母と親しくできたのは物心ついて少しの間です。妹たちが生まれると、体の弱い母は私にまで手が回らず、専ら兄や父と接して暮らしておりました。賢母であったと記憶してはいるのですが、なにぶん接する時間も短かったので、ご覧のように無教養で男勝りな性格になってしまって……」
今、私は恐らくばつの悪そうな顔をしているのだろう。人からあまり表情を崩さない、何を考えているかわかりにくいと言われるが、今ばかりは顔の筋肉が強張り、いつもと違う動きをしているのがはっきりとわかる。
鹿之介殿は、まだ少し悲しげだが、力強い視線で私を見つめた。
「そう自虐なさってはいけない。美しい花が自ら日陰に入ろうとすれば皆が悲しみます。貴女は男勝りではない、力強く咲く向日葵のようなものだ。向日葵を花らしくないと誰が言おうか。花の美しさに変わりはない」
「鹿之介殿……」
私が、花、か。考えたこともな、
「よ! 色男だねぇ。奥方、その着物、試着室で試しに着ていかないかい?」
「な! お、奥方、それは鹿之介殿に失礼だ! もののふに無礼を働くとは、そのそっ首はね飛ばされたいか!」
「め、滅相もない! これは失礼いたしやした!」
コイツ、馬鹿にしているのか! こんなの菟玖波屋ではない。肥えて動かぬのんびり屋の旦那がこんなにも軽々しい間抜けを雇うと思えん! 斬って捨ててくれる!
「まぁ、玲殿。私は気にしていない、寧ろこの様な落ち武者の奥方とは、玲殿にこそ不憫であろう。ところで、主人、シチャクシツとは?」
「へぇ、このお店では私や番頭に申しつければ、奥の小部屋で下女に着物の着せかえを手伝わせておりまして、試しに着たり、ここらの小道具をつけて姿見を見ながら、品を選んでいただくことが出来るんです」
ほぅ、確かにそれは便利かもしれないな。さすがは技術や流行の中心地だけある。面白い取り組みだ。
「ほぅ、それは便利だな。どれ、挨拶先に手みやげとして着物や小物を買っておくのも悪くない。玲殿、手伝ってくれまいか?」
「私が身につける……のですか?」
私に似合う訳がないだろうに……。
「拙者に女物の小物が似合うとお思いかな?」
「あ、いえ、しかし、私がこんな女らしい小道具など……恥ずかしぃ」
「よいではないか。貴女ほど美しければどんな小道具も霞んでしまうだろうが、似合わないことなどよもやあるまい。何を恥ずかしがる必要がありましょうか」
「そ、そんな、御戯れを……」
鹿之助殿は私の言葉など聞き流して話を進め、次々と商品を手に取る。
今度は柔らかい布を揉みこんで泡のような形状にした飾りのようなものを手に取った。
「どれ、主人、この柔らかい布の輪っかはどのような道具だ」
「それは腕輪の一種にございます。柔らかく女性らしさを際だたせる道具にござれば、伺い先のお子さまに差し上げれば喜ばれるかと存じます」
「ふむ、玲殿」
鹿之助殿は急にこちらを向いたかと思うと真剣なまなざしで私を見つめる。まさかとは思うが……。
「え、これをつけるのですか?」
「うむ」
「し、しかし子供向けと今……」
「主人、これを成人がつけると何か問題は」
「滅相もない。着合わせ方にもよりましょうが、そちらの方のように美麗な容貌でもよくお似合いになるかと」
コイツ、ここぞとばかりに卑しくにやけおって!
私が小道具を身に付けると、鹿之助殿はじっと私の姿を見つめる。いっそ笑ってくれ。その方が私も無用に思案せず気が楽だというのだが……。
「……恥ずかしい……」
「いやいや、玲殿。よくお似合いですよ。では、これを色違いでいくつか。後は簪を買って参ろうか」
「へい、毎度!」
店を出るとき、私は何のためにここにいるのかすっかりと忘れていた気がした。