第十五話 菟玖波屋京都支店
あぁ、朝から忙しない者共だ。刺客という仕事柄、やむを得ないのだろうが辻斬り染みた真似はやめてもらいたいものだ。神経が過敏になって、なんでもない町人まで刺客に見えてきてしまう。誤って無関係の人を斬り捨ててしまったらと思うと、背筋がゾッとして冷えるじゃないか。
夏でもそんな涼み方は御免蒙りたいものだ。
まぁ、鹿之介殿なら私が護衛し損ねても、自分で自分の身は守れるだろうとは思うが。
しかし、京都の盆地は熱がこもると話には聞いていたが、あまりに熱すぎやしないだろうか。洛中はさながら地獄の窯のようだ。昼間は、おちおち市中を出歩くことすらままならなくなるんじゃないか?
「いやはや、今日はいつになく籠ったような暑さですね。玲殿は疲れてはいませんか?」
「心配無用です。護衛する立場に合わせて休息など取っては仕事にならないでしょう。しかし、こうも厚いと風鈴のある日陰で一息入れたくなる気持ちはわかります」
「はは、それもそうですね」
噂をすれば何とやら、心地よい風鈴の音がする。
そう、こんな風鈴の音のする心地のいい木陰で、一杯の粗茶でもいいからのんびりと、雲でも眺めて飲みたいものだ。しかし、貴族の邸宅が多い洛北でもないのに、こんなところで風鈴の音がするとは……っな……!
「……」
「急に止まれていかがした? 玲殿?」
「ぇ、あぁ、いや、すまない鹿之介殿。少々見覚えがある店構えを見かけて、思わず足を止めてしまいました。参りましょう」
気のせいだ、こんなところにこの店がある訳がない。菟玖波屋など、歌の盛んな都なら同じ名前で店を出すものがいてもおかしくはない。歌の事なぞよく知らないが、筑波山は歌では重要な位置にある言葉だということくらいは私も知っている。ならば、都人が知らぬわけがない。
「いや、なに。先を急ぐ道ではありませぬ。今日中に京中に潜伏する同志の元を訪ね回れれば良いだけのこと」
「しかし、鹿之介殿は毛利に狙われている身です。いつまた毛利家の刺客に教われるとも限らぬではありませんか」
「うむ、そのために玲殿にご迷惑をかけている。このくらいの道草なら何のその。何より、故郷を思う気持ちは拙者も同じでござるよ」
……こうまで言われては、これ以上断るのは無粋か……少し、少しだけだ。せっかく通りかかったのも何かの縁、見てみるくらい罰は当たるまい。
「そ、そうか……ではすまない。好意に甘えましょう」
「うむ。筑波屋か……常陸の店であろうか」
「え! えぇ、確かに。ですが、何故……」
鹿之介殿は歌に詳しいのだろうか? 武将になるには、やはり歌も学ばねばならないだろうか……しかし、それにしても若く、京に来るまで地元を離れたことが無かった割には、えらく地理に詳しいものだ。
「あ! いや、すまぬ! 何も詮索いたそうというのではない。昔、一時期関東をめぐっていた頃があってな、常陸の筑波が美しかったのがよく記憶に残っていた故……」
「なるほど、左様でしたか。筑波は……好きですか?」
「えぇ。甲斐をめぐったときの富士の雄大さにも驚きましたが、私は生き物の息吹を感じる筑波の方が好ましく思っております。だからこそ、飯尾宗祇殿も菟玖波集と歌集に名づけたのでしょう」
広く見聞を持つ上に、教養もあるのだな。さすがというか、らしいというべきか。然し筑波山か。思えば一年以上も見ていないのだな。懐かしいものだ。これほど長らくあの山を見なかったことは無い。
「そうですか。私も、筑波が好きなのです。故郷が筑波の麓でしたので……」
「そうだったのですか。……ところで、店主殿が冷やかしではないかと窺っておる。一度店に入って品ぞろえでもみませんか?」
「えぇ、そうしましょう」
菟玖波屋、か……