ノースと母親(2)
「母さん寒くない?」
ノースは座り、母親にかけているボロ布を少し持ち上げて、石をベッドの中に潜らせる。
冬だというのに冬用のかけ布を用意出来ず、薄っぺらい布を三枚かけることしか出来なかった。これでは身体を冷やしてしまうと、ノースは石を暖めてベッドの中に入れ、冷えてきたら交換というのを繰り返していた。
「だ、いじょう、ぶ、よ……」
母親はかなり痩せ細っている。骨に皮を貼り付けたかのような姿に、ノースの心配は募るばかりだった。
「あなた、たちの……おかげで、暖、かいわ……」
今日はマリアが母親のそばを朝から離れなかった。ベッドの中で、母親にピッタリくっ付いて寝ている。
母親がマリアの頭に頬を寄せた。
「ありが、とう……」
母親がノースをじっと見つめる。
「あなた……たちを、産んで……良かった……」
「母さん?」
「どうか……」
母親がゆっくりとノースの頭に手を伸ばす。ノースは手が届くように頭を下げた。
「二人で……」
母親の手がノースの頭に触れた。
「強く、生きて……」
母親の手が撫でるようなしぐさをした。
「愛し、てる……わ……」
そう言うと母親はにっこりと笑い、そして、手がズルリと下に落ちた。
「母さん?」
ノースはすぐに母親の手をすくい上げる。
「母さん?」
手を強く握るが、母親の手に反応はなかった。
「母、さん……」
握った母親の手を、ノースは額に付けた。ギュッと目をつぶる。
「ああ……。うああああああっっっ!」
ノースの目じりからボロボロと涙が落ちる。
ノースは力の限り泣き叫んだ。
その泣き声で、マリアが目を覚ます。
マリアは起き上がり、ノースと母親を見て起こったことを理解したのか、マリアも声を上げて泣き出した。
いつもは泣かないマリアが泣いたことで、ノースはハッと我に返る。
「マリア……」
ノースはマリアを抱き締めた。
「俺にはまだマリアがいる」
ノースの胸の中で泣くマリアは暖かかった。
ギュッと強く強く、マリアを抱き締めた。
「うるせえぞ!」
マリアの泣き声をかき消すかのような怒声が家の中に響く。
父親が帰って来た。
「何やってんだ! 仕事はどうした!」
ドスドスと部屋の中を横切り、父親がノースの前に立つ。
ノースは父親を睨んだ。
「ああ? 何だその眼は? さっさと仕事に行け!」
父親はノースの胸ぐらを掴み、無理やり引っ張り上げて壁に投げつける。
マリアごと投げられたノースは、腕の中のマリアを守るように身体を丸め、そのまま壁にぶつかった。
「ぐうっ」
「お前もいつまでも寝てねえでさっさと仕事に行け!」
父親は母親のかけ布を剥いだ。
「おい! 何か言わねえか!」
ノースと同じように母親の胸ぐらを掴み引き上げる。母親の身体が力なくだらりと弓なりに反った。
「ん? 何だ?」
母親の異変に気が付いたのか、父親が母親の顔を覗きこんだ。
「死ん、でる……? ……くそっ」
父親は母親の身体を床に落とした。
「死ぬなんて……この役立たずが!」
落とした母親の身体を父親は蹴り付ける。
「俺の酒代はどうすんだ!」
父親は怒鳴りながら母親の身体を蹴り続けた。
「母さん!」
ノースは母親と父親の間に割り込み、母親の身体を庇うように覆い被さった。
「邪魔だどけ!」
そう言いながら、父親はノースごと蹴り上げる。
「この役立たずどもが!」
ノースは蹴られてもどかなかった。
「ろくに稼いでくることも出来ねえで!」
父親はノースを蹴り続ける。
「反抗ばかりしやがる!」
蹴って、蹴って、蹴り続けた。
「はあっ、はあっ」
しばらくノースを蹴っていた父親は、息を切らし始めた。足の動きも止まる。
「……くそっ。飲み直しだ!」
悪態をつきながら、父親は家を出て行った。
家の中が静まり返る。
ノースがゆっくりと身体を起こした。
「ごほっ」
痰が絡むような咳をしたあと、ノースの口から血が出た。それを、ノースは服の袖で拭う。
「母、さん……」
ノースは痛む身体を叱咤し、母親の身体をベッドに寝かし直した。
母親の顔や身体に酷い傷はない。
キレイなままだ。
そのことに満足し、ノースは微笑む。
「ん?」
肩を触られたように感じ、ノースは顔を上げた。
すると、ノースのすぐそばにマリアが立っていて、控え目にノースの服を掴んでいた。
「マリア……。おいで」
身体が痛むのもかまわず、ノースはマリアを胸に引き寄せた。
マリアは素直にノースの胸に収まる。
「今日は三人で寝よう」
マリアを真ん中にして母親の隣で横になる。
ノースは三人の身体の上にかけ布を被せ、三人でいられる最後の眠りに付いた。
外ではまた雪が降りだし、全ての音を吸収していく。
ノースたちを静寂が包みこんでいた。
その安らかな時間が破られたのは、夜遅く、深夜になってからだった。
家の扉がドンドンと激しく叩かれ、ノースの意識を覚醒させた。
ノースは起き上がり、扉の方を見る。
「誰だ?」
立ち上がろうとすると、ノースは服を引っ張られるのを感じた。
下を見ると、じっと見上げるマリアと目が合った。
「大丈夫だよ。あれはあいつじゃないから」
父親は扉を叩かずに家の中へ入って来る。
ノースはマリアの手をそっと外して立ち上がり、扉に向かった。
「どちら様でしょうか?」
扉の前に立ち、ノースは外に声をかける。
「大変だ! あんたん家の旦那が倒れてるぞ!」
ノースは驚いて扉を開けた。そこには髭面の男が立っていた。
「おお! ノースか! お前の父ちゃんが大変だぞ! 早く来い!」
ノースは髭面の男に引っ張られて家を出た。
道すがら聞かされた話によると、父親は崖から落ちて倒れているところを発見されたそうだ。雪に半分埋もれており、長い間、そこで倒れていたようだった。
ノースがその崖に到着した時は数人の男たちがいて、ちょうど父親が崖から引き上げられたところだった。
父親のそばに行くと、プンと酒の臭いが漂ってきた。
「酔って落ちたんだろうな。こんだけ臭うんだからそうとう酔ってたんだろう」
「雪で道が隠れてて踏み外したんだ」
「発見した時には手遅れだった」
男たちが代わる代わる言うが、ノースの耳には入っていなかった。
ノースは父親を凝視していた。
身体も顔も崖から落ちた時に岩で切ったのか傷だらけで、服は血に染まり、顔にも汚く乾いた血がこびり付いていた。
なんと汚い最後なのか。
ノースは思った。
そして、口の端がゆるんだ。
これで、こいつが帰って来ることは二度とない。
「母さん……」
ノースは心の中で思う。
母親がノースとマリアの為に、父親を連れて行ってくれたのだと。
母親は最後に『二人で強く生きて』と言っていた。
これはきっとそういうことなのだ。
これからはマリアと二人、怯えることなく暮らすことが出来る。
母親はいないけれど、マリアと幸せになろう。
そうノースは自分に誓った。
しかし、ノースの希望は父親によってすぐに打ち砕かれた。
父親は街で借金を作っていたのだ。
父親が死に、借金取りがノースに取り立てに来たことで発覚した。
借金の額は数年で返せるようなものではなかった。ノースは昼も夜もなく働き、何とか返そうと努力したが、身体はすでに限界が来ていた。




