本心
病院を退院し、職にも復帰した俺は、前と同じような日常に戻ることができた。仕事に行き、業務を終えて、帰宅すると妻が温かく迎えてくれる。ただし、心のあり様に違和感を覚えながら。
自宅のドアを開ける。
「おかえり。今日は早かったのね」
「ああ、流石に前みたいに仕事はできないからな」
ラフな服装に着替える。タンスにはすでに明日着る分のシャツが掛けられていた。リビングのテーブルの上には二人分の夕食の準備がしてある。
「まだ食べてないのか」
「最近は早く帰ってきてくれるから、一緒に食べようと思ってね」
「そうか、すまんな」
二人で夕食を堪能した。妻の家事の能力の高さは流石と言うべきか。俺は妻への感謝の気持ちを絶やした事がないつもりだ。しかし、病気を機に、妻への気持ちが変わったような気がした。女でも妻でも家族でもないようなふわふわしたあいまいな存在になった。そして、彼女に対しては……。
彼女と駅で待ち合わせをした。今日は俺一人だ。妻には仕事で遅くなると言った。俺の彼女に対しての感情をはっきりさせたいと思った。
時間通りに着くと、彼女はすでに到着していた。彼女に近づいて行くと、彼女もこちらに気づいたようだ。
「ごめん、待たせたみたいだね」
「いやいや、今が待ち合わせ時間だから」
「それじゃあ、行こうか」
俺は手をつなごうと思ったが、止めておいた。俺の事を不審に思った彼女が訪ねる。
「あんた一人で私を誘ってくるなんて珍しいわね。あいつとの間で何かあったとか? 」
「うん、それもあるというか。それも含めて、昔を懐かしんで一緒に食事でもどうかなって」
「そう。仕事の話とかは私じゃないと難しいこともあるしね。でも、あんたが誘ったんだから、あんたの奢りでね」
「いいよ。俺が相談に乗ってもらうわけだし」
二人で話をしながら歩いていると、予約していた店に着いた。
「そう言えば体調はどうなの? お酒は流石に無理? 」
「うーん、それなんだけど、あれ以来お酒に弱くなってみたいで。飲む気があまりしないんだ」
「へー、体質が変わったりとか? 」
「それはもちろんあるんだけど、なんだか心も落ち着かない感じで」
「どんな感じで落ち着かないの。もしかして、それであいつと何かあったとか」
「いや、まだ何かあったわけじゃない。でも、すでに起こってはいる」
「何が起こっているの」
「実は君の事を思うと胸の高まりを感じるんだ。以前はそういうことはまったくなかったんだけど、入院中にお見舞いに来てくれたことがあったよな。その時以来、ずっと君のことが気になって仕方なかったんだ」
ついに言ってしまったと思った。無意識に口を手で触れていた。
「あんた、本気で言ってるの? 」
彼女の表情は険しい。当然だと思った。妻の友人に不倫を打ち明けたのだから。しかし、自分の気持ちは偽れないと思っているので、後悔はない。打ち明けたという解放感と、間違いを犯しているという罪悪感がのしかかる。
「そう……」
静かな食事の時間が流れる。俺も彼女も黙って、出てくるものを口に運ぶ。
彼女は左手で髪をぬぐった。左耳には前に妻がもらったと言っていたものと同じ輝きがあった。そして、右耳にはその光はなかった。俺は悟った。妻と彼女との関係を。妻と彼女との気持ちを。足が勝手に動く。俺は店を飛び出していた。妻と彼女の過去を想像してしまった。俺は自分が恥ずかしく思えた。