転機
今日は仕事の付き合いで飲み会であった。べろべろに酔っ払い、帰宅した。玄関で妻が迎えてくれる。
「あなた、大丈夫? あまり無理はしないでね。身体は一つしかないんだから」
「わかってるよ。ただ、仕事の付き合いだからある程度は飲まないといけなくてね」
妻の胸に向かって倒れこんだ。次第に意識が遠のく。
「あらあら。仕方ないわね。おつかれさま」
誕生日にイヤリングを買う約束だったので、一緒に店に選びに行く。
「どれでも好きなものでいいぞ」
妻は目を大きく見開いた。展示されているものを一通り眺める。
「これなんてどうかな」
妻は中から一つ指差した。装着姿を想像して見る。良いと思った。
「いいんじゃないかな。きっと似合うと思うよ」
「じゃあ、これでお願いしようかな」
話を聞いていた店員とあれやこれやと支払いの手続きをした。
「すぐお召しになりますか? 」
妻に尋ねる。
「どうするか? 」
「じゃあお願いしようかしら」
店員は妻にイヤリングを渡した。俺がケースを梱包した袋を受け取る。店員に見送られて、店を後にした。妻の両耳には俺がプレセントした光があった。
会社の健康診断で意外な結果が出た。肝硬変だった。最近、食欲が振るわないのはこれが原因であった。日頃の酒の習慣が祟ったようだ。しかも、かなりの末期だという。もって1年との事だ。妻に打ち明けた。
「そう。治療法は? 時間を延ばす方法はないの? 」
妻の瞳が潤んでいる。私は医者に告げられた言葉を反復した。
「養生すれば、最後を延ばすこともできるそうだ。それに、一番の方法は移植だと聞いた。ただ、知っているけど、ドナーがなかなか見つからないという難点があってね。実現は難しいと思う」
妻の口元にぐっと力が込められた。
「なら、私の肝臓を使って。確か、生体間でも、夫婦間でも可能だっていう話を聞いたことがあるわ。前に言ったじゃない。私はあなたのためなら、身体も辞さないって」
「ありがとう。君の献身には感謝するよ。ただ、少し考えさせてくれ。時間はあまりないけれども、とても大事なことだと思うから」
「うん、わかった。あなたの考えも大切だからね」
妻は肝移植手術のドナーとなることを申し出てくれた。ベッドの上で一人、妻のことを考えた。彼女はどうして申し出てくれたのだろうか。確かに、妻は俺の事を十分に愛してくれていると思う。思い募って、ということで十分な理由になる。なぜそのようにいたったのだろう。妻はこれまでどんな人と共に過ごしてきたのだろうか。どんな体験をしてきたのだろうか。十分に信用しているつもりだけど、一抹の疑問が頭によぎる。疑問というより興味と言った方が適切かもしれない。あれこれ考えて、俺は妻の申出を受け入れることにした。どんなことがあっても、共に生きようと思った。
目を覚ます。手術は無事終わった。隣のベッドでは、妻がすやすやと寝息を立てている。妻を見ていると、ふと新しい親近感に襲われる。そうだ、俺の体にはすでに彼女の一部で構成されているのだ。俺は目を閉じた。
彼女が私たちのお見舞いに来てくれた。私たちはベッドに身を起こした。
「調子はどう? 大変な手術だって聞いてる」
「うん、最近は調子も良くなってきてる」
「私の調子は殆どいつもと変わらないよ。体力使うことじゃなければ、大丈夫」
「そう、じゃあちょっと中庭を歩かない? 」
「俺はまだ本調子に戻らないから、行っておいで」
「うん、いってきます」
彼女は妻を連れて病室から出て行った。俺はベッドであおむけになる。そして、心中に華やかな色が渦巻くのを感じるのだった。彼女を見たときに心ときめいてしまった。彼女の姿を想像して、胸が高まってしまった。俺には妻という存在があるというのに。あれほど、いやというほど確認したというのに。以前との心の違いに驚いた。恥ずかしさのあまり、右手で口を覆った。