記念
今日は結婚記念日だ。俺たち夫婦は、今晩は外食の約束をしていた。俺は服装を整えた。妻は落ち着いた外着を身に着けている。右耳は髪で隠されており、左耳にはイヤリングが輝いていた。奥ゆかしい美しさがある。
家を出て、約束の場所の駅前に着くと、とある女性が立っていた。妻が女性のもとへ駆けてゆく。
「ごめん、またせたかしら」
「待ち合わせ時間まで、まだ5分も余裕があるのよ。待つとかいう時間じゃないわ」
彼女は妻に比べるとずいぶん派手な格好だ。
「楽しみで早めにきちゃった。さあ、行きましょう」
妻は彼女の腕を掴んで、道を急いだ。俺はそれについていく。
妻と彼女に随って、三人は予約していた店に入った。グラスを傾け、食事をしつつ、雑談する。俺と彼女のグラスの空くペースは速いが、妻は遅い。酒はあまり飲めないのだ。
「そう言えば、お前はまだ独身なのか? さっさと身を固めろよ。いい男はいないのか。お前ならそこそこの男と結婚できると思うけどな」
「いいんですよーだ。私の今の恋人は仕事なんです。やる気になればいつでも相手を見つけられるわよ」
「それは結婚しようと思えばできる人のいいわけだよね。あなたの場合はそのがさつな性格を直さないと、そもそも出来ないと思うよ」
妻が景気よく笑った。少し酔っているのだろう。彼女が半ばやけくそに答えた。
「二人そろって、寄ってたかって私をいじめる! 私に対する感謝の気持ちはないの? 誰があなた達を結びつけてやったんだか」
「それをいわれちゃ、ぐうの音も出ないな。本当に感謝しているよ。妻みたいな良い人を紹介してもらって」
「私も有難く思っているわ。夫みたいな素敵な人と巡り合わせてもらって」
私が妻の方を見ると、妻も私の方を見ていた。少し気恥ずかしい。
彼女は俺と妻を結びつけたキューピットなのだ。彼女と妻は幼馴染であり、俺と彼女は大学で同じ教授のもとで研究していた。彼女に今の妻を紹介してもらうという形で、俺と妻は知りだったのだ。今もこうして、たまに食事を共にすることがある。今日は結婚記念日というわけで、二人だけで過ごすことも考えたけれども、交際のきっかけになった彼女への感謝も込めて食事に誘ったのであった。
「そうやってすぐ惚気るんだから。いいわよ、覚えてらっしゃい」
冗談を言いつつ、三人で楽しい時間を過ごすことができた。俺たちの間柄だからこそ、罵倒に近いような、からかい半分の冗談を言い合うこともできるのだ。彼女は明日も仕事があるということで、早めに切り上げることになった。駅まで彼女を送って行った。
少し時間もあるということで、妻と一緒に少し遠回りして散歩することにした。公園の歩道を歩く。他にもカップルらしき男女が逢瀬を楽しんでいた。
「こうやって、二人で散歩するのも久しぶりだな」
「そうだね。なんだか昔を思い出すね」
妻は口を手で覆う。これは妻の癖のようなものだ。
「昔ってほど昔じゃないぞ」
「そうやって、どんどん歳をとって、私もいつかおばあちゃんになるのかしら」
「俺も一緒にお爺さんになるから平気だ」
「肌も皺くちゃになって、あちこちガタがきて」
「しわくちゃでも君を愛すよ。ガタがきたらなら一緒に直そう」
「うん、ありがとう。あなたのためだったら、私はこの身さえも厭わないわ」
ふと妻の横顔を見た。その顔つきからは、内面の穏やかさがにじみ出ているようだった。俺はその穏やかな、優しい妻にひかれたのだった。先ほど会った彼女とは正反対な容姿性格だ。彼女は見た目も内面もきつい女だ。どうして正反対の妻と彼女が長年付き合っていられるのか、不思議に思ったことも多々ある。俺の視線に気づいた妻は、こちらを向いて微笑みかけてきた。顔を傾けた妻を見た俺はあることに気がついた。
「あれ、右耳のイアリングがないけど、どうしんだ? 」
妻は右耳をさわって、顔をしかめた。左耳に残っているイヤリングを昔彼女から誕生日祝いとしてもらったと言っていたのを覚えている。
「落としたかも。どうしよ、彼女にもらった大切なものなのに」
「一緒に探そうか? 」
「いや、いいよ。大変だと思う。流石に無理かなって」
「そうか。それじゃあ、次の誕生日に代わりを買ってやろう」
「本当? 楽しみにしてるわ」
空では月が輝いている。歩みを止めて、妻と一緒に月を一緒に眺めた。