二度目の過ちは許されない
私には、あれが恋だったのかもわからない。
高校の入学式、桜舞う校舎で彼女を見て思ったのは、そういえばハスは男子校だったな、という淡白な感想だった。
ハスというのは、私の幼馴染で、私の視線の先の彼女田中みちるの恋人だ。
なんとなく、ゲームや小説の趣味が合って、私はハスの家に中学生のある時期まで行き来していた。
日常の変化がやってきたのは、ハスに田中みちるが告白したその日。
私は当時ひとりでいるのが好きで、学校の友だちとあまり良好な関係を築けていたとはいえなかったけれど、彼女のいる男の子の家に、幼馴染とはいえ女友達が平気で寝そべってゲームや小説を読むことがどんな影響を及ぼすかを察せないほどには鈍くはなかった。
これでも、空気読めよ。の世界にそれなりに在籍していたのだ。
田中みちるが、ハスのことをなんとなく気になると発言して以来、女生徒の中で真中蓮生の名前は、田中みちるの情報網に取り込まれることは当然の帰結になった。
そして、練りに練られた偶然という接点を何度か重ねるうちに、もうこれならいけるんじゃね?という段階になる頃、田中みちるは一歩踏み出し、勝利の栄光を手に凱旋した。
私はそれを、なんとなく寂しいな、とは思いつつ、そのあまりのエネルギーに怖気づき、自分を守るという選択肢に身を委ねることが最善の選択肢だった。
結果として、少し浮いているなりの平穏な学生生活を遅れたのだから間違っていたとは思わない。
思春期の子供が、どれだけ残酷か。
これでよかったのだと、自分を納得させたのだ。
しかしこれは運命だろうか。
隣の席に、ハスの彼女が座ってるのを見たときに胃の辺りにずしんと重いものがのしかかる。
パパの胃薬分けてもらおうかな、なんて遠い目をしかけたが、現実はなにひとつ代わらない。
隣の席に座ったら、田中みちるは少しだけ驚いたような顔をした後、小さく舌打ちした。
…もう一度言おう。舌打ちした、この人。
怖っ。
視線を合わせないように黒板をじっと見てると、わざとなのか、荒々しく筆箱をあさったり、椅子を動かす音が妙に殺気立っている気がするのは気のせいだろうか。
気のせいだ。気のせい。
背中に汗が浮いてくるのがわかったが、汗臭い匂いひとつですらなんらかの切欠になりかねない気がしていますぐその場を去りたかったが、ガイダンスは始まった。
もうやだこの席。
悪いことは続くもので、入ろうと決めていた合唱部には何故か田中みちるがいた。
きつく睨まれて回れ右しようと思っても、入部届けは既に部長の手の中。
見学したときにはまだいなかったから、まさかかぶるなんて思いもしなかった。
だって田中みちるは中学のときはバト部だったし。
さっと顔色が悪くなった私に、部長は「あれ、どうしたの末永さん。顔色悪いよ、保健室行く?」
なんていわれて頷きかけたが、部長の心から心配している声に良心の呵責に耐えられずつい、平気です、と口に出してしまったのが運のつき。
それから私は授業中でも、部活でも田中みちるに睨まれる日々を送った。
風向きが変わったのは、冬に差し掛かったある日。
合唱部が終わり、楽器や機材を片付けて帰っている途中で田中みちるとでくわした。
田中みちる、とわかるなりそのまま逆走してしまいそうな私だったが、田中みちるが駅の前で立ち往生しているのが気にかかった。
じっと料金表の載った看板を見ているが、そこから動く様子がない。
なんとなく様子を伺っていると、携帯で何度もどこかにかけているが、つながらないらしく、大きく溜息をついていた。
これはもしかして。
と気がついたら声を出していた。
「田中さん、定期なくしたの?」
「っ」
田中みちるはこちらに気づくなり、眉をつりあげる。
どうどう。
なんで切符を買わないのか、事情はわからないが、お財布から500円玉を出して、田中みちるに押し付ける。
「いつか返してくれれば良いから」
田中みちるになにか言われる前に、私はさっさと電磁定期券を翳してその場を脱する。
なにかきついことをいわれたら、間違いなく心が折れる。
自己保身にまみれた偽善的行動といわれようと、これが最善だ。
少なくとも私の気は済む。
そして私は負け犬のように立ち去った。
「ボウリング、得意?」
その日、部活が休みで、家に帰ったら某大人気推理作家の新作を読むつもりで学校を出ようとしたら仁王立ちした田中みちるが待ち構えていた。
そして告げたのが、ボウリング。
思いっきり首を横に振ると、田中みちるは深く頷いて、私の手を引いた。
「じゃあボウリング行くわよ」
会話のキャッチボールってのはなんですかね?とは、怯えてるあまり声に出なかった。
私がガーターしたぶんだけ、田中みちるはストライクをぶちかました。
敗北感と疲労で死にそうになっていると、対照的にすっきりした顔の田中みちるに駅前のコーヒーショップまで連れられて、席に座ると同時に田中みちるは私に宣言した。
「これで許してあげる」
「…何を、でしょうか」
なんで同級生にへこへこしてるのか、と都合の悪い自分はすべて見ないようにして、聞き返すと田中みちるはぴくりと反応した。私はそれに大袈裟にびくついた。
「あんたと、蓮生君が付き合ってることを」
私とハスの名前のところだけやたら強調していうので、内容が頭に入る前にすいません、と謝りそうになった。
「私と、ハスが」
落ち着くと同時に、噛み砕くように田中みちるの言葉を繰り返す。
「付き合ってることを?」
なにそれ。と思って目を丸くすると、田中みちるは鼻息荒く窓の外を見る。
「なんか本当にばっかみたいなんだけど、腹立つんだけど、もういーわ。好きなだけいちゃいちゃすればー?」
不貞腐れたようにいう田中みちるを未知との遭遇かと思ってじっとみつめる。
私とハスが付き合ってる。
もう一度、頭につぎ込むと、すんなり言葉が出た。
「付き合ってませんよ、私とハスは」
いったら、彼女はコーヒーを飲むのをやめて、コーヒーカップを置いた。
そして、私を見て、凄んだ。
「あんだって?あんたあたしを踏み台にしといて?肥やしにしといて?付き合ってないって?」
「近い近い近い、怖い怖い怖い」
あんまりに顔を押し付けてくるので必死で逃れようと上半身を後ろに引くが、私のネクタイが田中みちるの手に収まりすでに私の動きを封じてる。
「私、ハスのこと好きじゃありません」
「んなわけあるか、あたしが蓮生君の部屋でふたりっきりになるときに、蓮生君はこれはあんたとどこまでクリアしたか、あんたはどこまで読んだか、そのクッションはあんたのお気に入りかをわざわざ教えてくれたのよ、惨めにも程があるわぁ!!」
「ハスに言ってください」
泣きそうな気分で、告げると田中みちるは大きな溜息をついてネクタイを放してくれた。
「もう一度聞くから、よく聞きなさい」
「はい」
「あんたは、蓮生君のことが、好きなの?」
区切って、強調して、辛抱強く聞く田中みちるに、私は事情聴取をうける容疑者を思った。
嘘をついたらどうなるかわかってんだろうなぁ、といわれたわけでもないのにいわれた気になる。
「…わからないんです」
「なんで」
「他に、好きになった人とか特にいないし。一緒にいるのは普通だったし、特別なのか、そうじゃないのか」
いってから、情けなくなってきた。
田中みちるは私の言葉に嘘がないかを慎重に吟味した後に、上から目線でいう。
「あんた、恋愛経験足らないんだね。だからわかんないんだ」
いや、そっちこそハス以外の恋愛経験あるんですか。とはいえないけど、思った。
「このままじゃあんたは次に蓮生君となにかあったとしても絶対に同じことを繰り返すわ、それは知らないうちに肥やしになった私が許せない」
そもそもハスとはもう連絡取ってません。といっても、全然通じない。
「一緒に、経験値をあげましょう」
ハスはRPGも結構好きだったな。
それからというもの、田中みちるは私を連れ出し、合コンやら、ナンパやら、手当たりしだい異性と接せられそうなところへ私を連れ出した。
多かれ少なかれ、痛い目にあいながら、何度か逃げ出そうとするとみちるに最後は守ってあげるから、と凄まれて一緒に出会いの場に出かけた。
事実、本当に危ない目にあったことはない。みちるは空手の有段者で、やばそうな匂いかぎ分けるのはやたら得意だった。
そして大学に入ってBARにも通うようになって、なんとなく気が合う人や、全く異なる趣味の人とみちるには及ばないにしても親しくなったりもした。
なんか、最初の目的本当はどうでもいいんじゃないの。と何度かみちるに聞いたことがあったが、みちるの答えは変わらない。
「同じ轍は二度と踏まない」
そもそもハスが今どうしてるのかもわからないのに。
と、本来の目的よりもみちると一緒にいるほうが楽しいってだけで付き合っている日々が続いたある日。
その日は雪が降っていた。
みちるが熱を出したから、その日はみちるの家に泊まって看病をした帰り。
始発で家に戻れば、仕事には間に合うと思って駅に向かった。
私よりも先にプラットホームに立っていた懐かしい面影の男性。
みちる、あんたは預言者か。
気がついたら、私は声をかけていた。
「ね、ハス。秋にいいことがあったでしょ?」
読んでいただいてありがとうございます。
他の作品とリンクしてます。でも視点が違うので印象が違うかもしれないので、別々でもいいかと思ってます。