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第二話 バカに着ける首輪ってどこで買えますか?

 あらすじにもならないあらすじ、


 高校入学直後、ヨシトの住むアパートに男の娘が押し掛けてきた。

 そいつは小学生時代に海外へ引っ越した昔の男友達だったのだが、なんと性転換して女子になっていたのだ。

 しかも『面白そうだったから』などという中途半端な気持ちで股の一物を切り落としたため、心のほうは未だに男子な上に、精神年齢も小学生レベルかもしれないと来たもんだ。


 さて、これからどうなる?


※縦書きモード表示推奨

 笑い声が聞こえる。

 とても大きな声だ。

 何がそんなにおかしいのだろう、ボロアパートの狭い一室が濃い目のオタクワールドなレイアウトになっているからか、だがヨシトが実はオタクなのは家族以外知らないし、晒してあるもの以外この部屋にはここまで笑われるようなものは一切無い、ならば何を、何に対して、何がそれほどまでにおかしいのか、とにかくこのうるさいのをどうにかしなければならなかった。

 意識がぼんやりとしたまま、ヨシトの睡眠状態が徐々に解かれる。


「うっはー、なんだこれ、ありえねぇっ!ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!」


 デスクに突っ伏していた頭上でけたたましい爆笑が響いていて、この騒音によって目が覚めてしまったのだ。

 一瞬、どこの誰が不法侵入してきたのかと思ってしまったが、この酷い笑い声を耳にしたとたん、昨日一日の間だけで起こった出来事が回想され、快眠状態から無理やり引きはがされたことも含め、腹の底からマグマが噴き出しそうなほどの苛立ちが湧いてきた。

「・・・・イサム、朝からうるさ ―――――― ッ!?」

 顔をあげたヨシトは起床早々絶句、そこにあったのはパソコンのモニター、しかしその画面は昨晩記憶していた黒一色ではなかった。

 前方からレッド、ブルー、グリーンの三原色から構成される眩く白い電光が映像を紡ぎだし、両眼球の中にある水晶体にそれが飛び込んでくる。

「な、な、な、な、な!?」

 驚愕に眠気が一気に吹き飛ばされ、口の中から質量無く零れ落ちた『な』の発音が小さく始まってだんだん大きくなっていき、その声質の変化の幅から明らかに動揺しまくっているのが分かった。

「おー?起きたかー、にしてもひでーなこれ」

 イサムは画面に顔を向けたまま少々引き気味に感想を述べ、視線の先の画面内にはいくつかのファイルと、そこからのウィンドウが開かれていて、まさに今、そのうちのひとつが操作されていた。

 フォルダは『出納帳簿フォルダ』と名付けられているが、そこに内臓されているデータが展開されると対応したのはなぜかエクセルソフトではなく、フォトビューワーによってイラストというよりも漫画のページの内容が表示されていて、<カチカチッ>という音とともにポインターが『次へ』のアイコンを叩き、漫画も次のシーンへと移行していく、しかもその漫画の内容はとてもアレなものだった。

「この部屋、エロ本一冊もねーなって思ってたら、パソコンの中に隠してたんだなー、でもパスが『ナマクビ』って ―――――――― あっ!?」

 <プツッ>という音と同時に突然モニターが真っ暗になり、イサムがモニター横の本体に目をやると、電源ユニットのランプが消灯していた。

 前にパソコン、後ろにイサムの体のサンドイッチ状態から、ヨシトが抜け出てイサムに顔を合わせた。

 その目つきはコンビニでいつも買っている酢豚弁当の空き箱を見るようなもので、眼光が鋭利な刃物のようにギラギラと鈍い光を帯びていた。

「あー・・・・いや、はははっ、スマンッ!起きぬけでな、適当にパスでな、入っちまってな・・・・?」

 ゴミを見る目と一文字な無言の圧倒的プレッシャーに圧され、動揺する立場に入れ替わったイサムが引きつった苦笑で漏らす言い訳文章はまるで具体性を持たず、至極端的な泥沼と化していた。

 数秒間固まっていたヨシトが、突然静かな動作でパジャマを脱ぎ始め、脱いだ後は適当に置き散らかし、パンツ一丁の仁王立ちになった。

「え・・・・?いやいや、ヨシト、ちょっと待てや・・・・R-15にチェック入ってるけど、内容的には全年齢向け・・・・」

 朝になったとはいえカーテンが閉め切られて薄暗い部屋、心は男子とはいえ現在の肉体の性別は女子、先ほどまでパソコンに表示されていたのはきわどいエロ漫画、数年ぶりに再開した男友達はたった今パンツ一枚、畳の上には敷かれたまんまの布団、そして昨日壁越しからお怒りの言葉を頂戴した隣人さんは多分まだ寝ておられるようだ。

 おバカなイサムでも、以上の要素から状況判断は十分に理解できた。

 ヨシトの体がゆらりと動き出した。

 うむ、仕様がないのだ。


「きゃ ――――――――――――!?」


 腰を抜かして盛大に尻もちをつくイサムの目の前で、沈黙のヨシトは回れ右をしてタンスに向かった。

 肌シャツ、ワイシャツ、制服のズボン、ネクタイを取り出し、いくつかの静かな衣擦れをさせながら、これもまたやはり黙々と着装した。

 続いて台所に向かい、数分後のちゃぶ台の上には、焼いた食パン、ベーコンが一枚添えられた目玉焼き、コップに一杯の牛乳の朝食セットが二人前出され、正座したヨシトはテレビの電源を入れてニュース番組を表示させた後、『いただきます』と言ったきり、他に何も言うことなくパンにかじりついた。

 他に特出した何かが起こることは一切なかった。

 パソコンの前で腰を抜かしたまま怪訝な表情を晒すイサムは、ポカーンと口を半開きに、ヨシト、朝食、それらだけを交互に見つめていた。

 やがてイサムも四つん這いで恐る恐るちゃぶ台に寄り、対面で胡坐をかくも、空気の気まずさから正座に直して、小声で挨拶をしてから食パンにかじりつく、乾いた口の中で租借したパンきれを飲み込む際、パンくずを気管に吸いこんでしまい思いっきりむせた。

 大慌てで牛乳を飲み干すも、対面に座るヨシトは毛ほども気にしていないようだ。

『――――― 片手のポンッでボリュームアップ! ――――― 詳しい資料は ―――――』

 番組中のインターバルを迎えたテレビに初老の女性が出演していて、最近巷で話題の女性用カツラのコマーシャルナレーションが流れてくる。

「げほっ・・・・えーと・・・・いまどきの日本人ってさ、女でもあーいうの被んの?」

 明るい感じではあっても取り繕った涙目の笑顔でイサムが質問すると、ヨシトもテレビを一瞬見て、口の中に入れていた目玉焼きを飲み込んでから、若干だとしても十分露骨にめんどくさそうな顔色で淡々と応じた。

「・・・・薄毛を気にしてる人たちが着けてるんだって」

「そ、そうなのかー、オレ知らんかったよ」

 さすがに火に油とまではいかず、されど空気が改善されることもあらず、何か変化が訪れることなくヨシトが一足早く朝食を済ませ、自分が使った食器を持ち上げようとしたところ、イサムが声をかけた。

「あ・・・・か、片づけはオレがやる、昨日の晩飯の時はヨシトが片づけたんだし、な・・・・?」

「・・・・今やってたら遅刻するから流しに置いといて、後は帰ってから僕がやる」

 互いの間に、見えない溝がぼっこりと大きく空いてしまったことだけは、確かだった。

 これは居候させてもらっている身のイサムにはとても分が悪い、それでも『今すぐ出ていけ!』と怒鳴られないところから、ヨシトのほうも、家賃の負担が半分減ることに寄ってコレクション収集のための余裕が出来ることは、そう簡単に手放したくない話なのかと思われる。

 食後に泡立つ歯ブラシを口の中で動かしながら、番組中盤に入ったニュース番組の続き『本日の星座占いコーナー』を二人で見ていた。

『本日、とってもついてる人は いて座 のアナタ!興味を惹かれたモノには迷わず飛びつきましょう!新しい発見があるかも!?』

 楽しそうに解説する女子アナウンサーの声をボーっと聞いていたイサムの手がピクッと止まり、胡坐をかいていた上半身を乗り出して、視線は画面の中でファンシーな背景を背負う いて座 の三文字にくぎ付けとなった。

 続いて他の運勢がそれぞれ2つの星座とセットで5分割されて、10位までランキング形式で表示されていき、最後にランクインすらしていない星座の名前がデカデカと映され、アナウンサーが苦笑しながら運勢解説に入った。

『 ――――――― そして、本日とってもついてない人は うお座 のアナタ!いつどこでなにが起こるのか?とにかく自分のすぐ身近に注意してくだひゃい!』

 末尾で思いっきり発音を噛んだアナウンサーが顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしているが、ヨシトはそれよりも『身近』という単語が出てきた瞬間、隣に座っているイサムのほうをチラッと見て、それから汚水のように濁った憂鬱を少しでも改善しようと、雲ひとつない清らかなスカイブルーを窓から見上げた。

「な、なんだよー?テレビの星座占いなんてロクに当たらんぜー・・・・?」

 フォローも介することなく、ヨシトは立ち上がると洗面所で口内の歯磨き粉をすすぎ落として、冷水で顔を洗い流した。

「・・・・イサムも早くして」

 急かされたイサムも慌てて洗顔まで済ませ、テレビの電源を消した後、二人とも登校支度をしてアパートの部屋から外に出た。


 通学路を歩く二人は全く対照的で、ヨシトは軽そうな片手カバンを持っているのに対して、イサムは昨日と変わらず大きなリュックサックを背負っていた。

 どうしてこんなにもアホみたいな差があるのかというと、あの高校には通学カバンに学校指定がされていないからだ。

 それでもイサムのリュックの表面がちょっと凹んでいるのは、これは中の荷物を少しだけヨシトのアパートに置いてきたためである。

「・・・・そういえば、校内にいるときはオマエのこと何て呼べばいいの?」

 アパートを出てから数分後、距離を開けて前を歩くヨシトは素朴な疑問から、後ろを歩きながらスマホを弄っているイサムに確認を取った。

「ん? ・・・・あー、イサミで頼む、下手に前の名前出すとマズイかもな」

 一回程度なら読み間違いで片付くかもしれないが、何度も続いたら周りから変な勘ぐりをされるかもしれない、それがおかしな誤解に発展してしまったら双方にとって嫌な話だ。

 何気ないやりとりだが、この間に二人の思惑の利害は一致しているようではなかった。


 やがて学校に到着し、ホームルームを経て一時限目の授業が始まり、イサムもといイサミさんは今朝のことでわずかでも反省しているのか、時折そわそわすることはあっても授業中に難しい単語ときに苦い表情をするだけにとどまり、比較的に落ち着いていて特に何事もなく一時限目は修了した。

 

 問題は二時限目に起こった。


 ヨシトが黒板に書かれた方程式を相手にうなり声をあげてにらめっこしていると、すぐ隣の席から不意に騒音が聞こえてきた。

「・・・・んごっ・・・・ぐごごごごごごごごご・・・・・」

 昨晩あれだけ爆睡していたやつが、まだ昼の11時迎えていないにも関わらず居眠りをこいていた。

 他のクラスメイト達からの奇異の視線が、教室の最後方に注がれる。

 高いびきをかくイサミの左肩をヨシトが恐る恐る突っつこうとしたところ、それよりも早く、眼鏡を着用した頭の固そうな男性数学教師がイサミの席の前までやってきた。

「キサラギ!おい、起きなさい!」

 怒鳴り声を浴びせられても大音量のいびきがそれを掻き消し、他の生徒たちの耳にも途切れ途切れにしか聞こえていなかった。

 数学教師は仕方なく、直接触れるのではなく手に持っていた教科書の角で、イサミの頭を軽く小突いた。

 数秒経ってからイサミは不機嫌そうな声を漏らして、机に突っ伏していた顔をあげ、例のごとくヨダレまみれになって女子としてなら考えられない様になった顔面を晒した。

 意識のほうはまだ覚醒していないようだが、ぼやけた感覚で居眠りの注意を聞き流していると、教師を見た瞬間、目の色が驚愕に変貌して横の席のヨシトに振り返った。

「・・・・なぁ、ヨシト」

 このタイミングでどうして話しかけられなければならないのか分かりかねるが、関わりたくないがためにヨシトが知らん顔をしていると、イサミは尚も話しかけてきた。

「なーってば」

「・・・・なに?助けてあげるつもりはないよ?」

「ちげーって、なんだっけ、テレビCMの『片手のポン』のアレ、なんて名前だっけ?」

「・・・・ウィッグだよ」

 もう面倒くさいのでヨシトはそれだけ応えると、イサミが両手の人差し指を自分に向けて突き出して『それそれ!』と言ってくるのもガン無視して、窓の外へとそっぽを向いた。


「この先生、頭にウィッグ載っけてるぜ?」


 ヨダレまみれの口から言葉が放たれた瞬間、世界が静止したような気がした。

「な、な、な、何を言っとるのかねキミはっ!?」

 『男性』数学教師は疑惑をかけられた頭髪の頂点を抑え、揺らいだ声を張り上げながら顔を真っ赤にして反論する。

「いやー、どう見ても生え際おかしいっスよー?いつだったかなー、なんかのテレビ番組で俳優さんがアトラクションのセットの壁にウィッグ貼り付けちゃったやつ、あんな感じっスわ」

 男性教師の頭髪部分をまじまじと見つめながら、そこには意図的な悪意は全く感じられず、むしろ初めて見るモノに興味津々で心が澄みきったような喋り方でイサミが淡々と語り切った途端、先ほどまで一色即発に緊迫していた空気が一気に爆発し、堪え切れず大声を出して狂ったように机を叩きだす者、耐えてはいるが顔を伏せて体を小刻みに震わせる者が続出した。

 静かに数式を解いていたはずの教室内のあちらこちらで、笑いの台風が発生し吹き荒れる。

「これは違う!ウィッグじゃない!あの俳優の事件も悪質なデマだったそうじゃないか!」

「ぁー、確かに先生のは良質な原材料使ってそうっスねー」

 若干言葉の受け取り方が変換されて噛み合っていないが、ああ言えばこう言う、教師のほうも別物の名前を出して訂正しないあたり、変にプライド高いのだと見えた。

「アレ?でもなんか違うな・・・・ なー、ヨシトー、ウィッグって男物だったっけー?」

 ぐるりと首を回してヨシトのほうへ平気なツラして火の粉を振りかけた。

 すでにシカトを決め込まれているのにも気づかず、肩に両手をかけて『なー、なー、なー?』としつこく問い詰めてくる。

「てか、なんでみんな爆笑してんの?」

 極め付けに状況を心底理解していない顔で、この元男は大ボケを炸裂させた。

 こんなヨダレまみれで頭の悪そうな非常識女にここまで晒し者にされ、数学教師も我慢の限界が来てしまい、もう一度手の教科書を目一杯腕を伸ばして頭上に振り上げる。

「喧しいぞ、1年2組!静かに授業を ――――― 」

 隣のクラスから他の教師が教室のドアを開けて怒鳴り込んだ目の前で、木魚を叩いたときと同じ音が鳴り響いた。


 ひと騒動後、二時限目は自習化し休み時間を迎えた。

 乱入した隣のクラスの教師に生徒への暴力現場を押さえられた数学教師は、事情がどうであれ事実は事実として職員室に呼び出され、野次馬の情報では、最近よく耳にする教職員の不祥事事件も引き合いにエライ人から然るべき今後の対応を考えられているそうだ。

「おー、いってー・・・・ あのウィッグ思いっくそひっぱたきやがって」

 一人の教師人生を左右するかもしれない原因になったヤツは、我関せずと言わんばかりの逆恨み節で頭をさすりながら口を尖らせていた。

「キサラギさん、まだ痛むの?」

「ひっどいよな、女子の頭叩くとか」

「てかあの先生、やっぱり偽毛だったんだな」

 イサミの席の周囲には、男女問わずクラスメイトのほぼ全員が見舞いに来ては、黄色い声を出している。

 大音量のいびきをかかれたときは迷惑そうな顔をしていたのに、そのことについては全くの不問で、現金というか、手のひら返しが上手いというか、それでも結果としてクラスメイト達はこの変な女子に興味を抱いたようだ。

「でもさー、XとかYとかなんで算数で使うの?考えるの嫌んなって寝ちゃったよー」

 ネコみたいな顔でカラカラと笑いながら、手をひらひらと振って周囲に応えた。

「キサラギさん、さっきのは数学だよー?」

 こういうのが愛される脳足りんなのだろうか、ツッコミを受けたイサミは、数学という言葉が初耳だったのか変な反応をしては、それでも嫌味無く素直に周囲から面白がられていた。

 にしてもコイツ、どうやってこの学校の入試を通過したのだろうか、それも気になっていたが日影に置いてけぼりにされたヨシトは、なぜか普通にぼっちにされるよりもどこか気分が嫌になっていた。

「そういえば、ミトリくんに声かけてたけど仲いいの?」

 自然な流れでヨシトは普通に苗字を読み間違えられたのだが、イサミはそれを気に掛けることすらなく、女子からの質問に応じた。

「んー?ヨシトとはエロ、あっ、やべ・・・・ ふが」

 とっさにイサミの口を押さえるも、瞬時にいくつもの視線がヨシトに向けられた。

 言い逃れができそうな雰囲気ではない、しかし事実としては別に不純なことはない、同居することになったとはいえど、それはすべての第三者が知りうることでもない、のだが、静寂な周囲の空気は室内常温なのにとても冷たいものであった。

 凍てつくような嫌な汗が滲み出てきて全身が金縛りにあい、心臓が握りつぶされそうだ。

 ヨシトが身動きを取れずにいると、イサミの視線が交差していることに気づく、イサミ自身も先ほど瞬間的に言い淀みこの現状で暴れださないあたり、打破する考えが何かあるとでも言いたいのだろうか、100%不安しか感じられなかった。

 だとしても唯一打てる手段だ。

 可能な限り震えを抑え、あてがっていた手を離した。

「ぷはっ ・・・・えーと、アレ、なんだっけ、ヨシトとはエロアミニ四駆でどれが一番早いかって言い合いになった仲だっけ?」

「そ、そうそう、ていうかエアロだよ?一番早いのはマックスブレイカーだって」

「い、いやー?一番はサイクロンソニックだったっけ?」

 小学生時代にミニ四駆があってよかったと思いつつ、互いに引きつった作り笑いで不自然なフォローをし合うも、イサミの発言には現状脱出どころか泥沼化しそうな不安個所がいくつかあった。

「ねぇねぇ、キサラギさんはミカラスくんのこと名前で呼んでるけど、ミカラスくんはなんで苗字で呼んでるの?」

 クラス女子の一人が、特に食いついてほしくない点に鋭く首を突っ込んできた。

 そういうことが気になる年頃だからか、楽しそうにしている様子から明らかに要らぬ誤解をされているようだった。

「僕、実家に妹がいるから区別のために昔から下で呼ばれてるんだ、あと三島だよ」

「アレ?ヨシトに妹なんていたっけ?」

 同じ沼に一緒に沈みつつあるにも関わらず、抜け出そうとするどころか悪気の感じられないボケ顔と口調で、イサミはヨシトの足を泥中に引っ張り続ける。

「いるじゃん!キョウコだよ!懐かれてたのに忘れたの!?」

 昔の様子を知らない周囲にしてみれば、とっさの出任せに見えるが、これは嘘ではない、三島家実家にはミシマ キョウコなる現在中学二年生のれっきとしたヨシトの妹がいる。

 ちなみに兄妹関係は悪いが、これはまた別の話だ。

「ぁー、めんご、なんかちっこいのいたな」

 とりあえずイサミもおぼろげながら思いだしたようだ。

 それでも女子は当初期待していた展開から外れても挫けず、すぐに別の点に着目した。

「てことは、二人は幼馴染なのっ?」

 休み時間終了のチャイムが鳴り、一分遅れて三時限目担当教師が教室にやってきた。


 野次馬が二時限目での事件について他の担当教師に詰ることがあったくらいで、イサミが再度の居眠りに突入することなく昼休みを迎えることが出来た。

 その昼食時のことである。

「ヨシトー、缶切り持ってねー?」

 学食に行こうとしたヨシトのすぐ横で、イサミはリュックの中から大きな怪しい缶詰を取り出して、困った顔をしていた。

「・・・・そんなのないよ、もしかしてそれ弁当?」

 赤と黄色のラベルが貼り付けられた円錐型の缶詰だが、どこか変な風感じにパンパンに膨張しているように見える。

 本当のことを言うと、すでにイサミのことなどどうでもいいし極力相手にもしたくないとヨシトは思っているのだが、缶詰なんて校内の持ち込み品としては非常識な物体だ。

 不審に思ってラベルを覗き込んで見ると『 Surstromming 』という文字が印刷されており、製造国欄の文字は『スウェーデン』と読めた。

「しゅー・・・・?スウェーデン?」

 どこかで聞いたことがあるような気がしたヨシトは首をかしげていると、缶切りが手に入らなくて焦れ切ったイサミが、何食わぬ顔で両手で缶を掴むと学校机に叩きつける往復運動をし始め、突発した奇行に『また何か面白いことやってる』と受け取った教室内にいるクラスメイトたちの好奇の視線が集まった。

「あかねーな、コレ」

 舌打ちしながら振り降ろす動作に更に勢いを加えるイサミを見て、自重するように言おうとしたところ、ヨシトは前に見た農業大学が舞台のアニメのワンシーンでとある名前の缶詰が登場していたことに思い当たった。

「・・・・っ!?イサ ―――――― !」


<ブシャァッ!>


 茶色い謎の汁が四方八方に勢いよく飛び散り、タマゴとバターを同時に腐敗させたうえに酸味を含んだこの世のものとは思えない刺激臭が一帯に充満し、外の気温が寒いからと窓を閉め切っていたことが仇となり、瘴気を吸引してしまった者たちが続々と吐き気を訴えるか失神していった。

「あー、オレのひるめしがー・・・・・」

 イサミの足元に、缶詰から漏れた大量の頭付きの小魚が一面いっぱいぶちまけられた。

 汚物の大群が『ひるめし』と呼ばれたのを耳にして、僅かでも気を保っていたクラスメイトたちは目を見開かせて近くにいた者同士で顔を見合せた後、雪崩のように一斉に全員教室から逃げ出した。

「やっぱり!それ世界一臭い缶詰『シュールストレミング』じゃん!なんてものを校内に持ち込んでんの!?立ってられるのが不思議なくらいクッサイ!」

 商品名とは真逆にシュールとは程遠い惨状になったにも関わらず、元凶のイサミはしゃがみこんで魚を一尾つまんで拾い上げると、怒鳴るヨシトを尻目に頭からかぶりついて租借し始めた。

「むー?むにゃみぬまも、もめ? (訳:んー?ウマイんだぞ、コレ?)」

 腐った魚を呑気にくちゃくちゃ食いながらネコみたいな顔をして悪びれる様子を一切見せない男の娘に、ヨシトはとうとう堪忍袋の限界が来てしまい、自分を見上げるイサミの額目掛けて強烈な右掌底打ちをかました。

 しかし首が上向きに傾いた程度のダメージしか見せず、すぐにカクンと顎が下りた。

「んぐ、いてーな、なにすんだよ」

 そう言ってる自分こそ何を考えているのか立ち上がったイサミは、ヨシトの口に腐敗魚を一尾押しつけてくる、唇にぐにぐにと触れる嫌な感触のそれをヨシトは口にくわえると、つやのあるリノリウム建材の床の上に速攻で吐き捨てた。

 残された二人が睨み合ううち、悪臭で涙目なヨシトが塩辛くなった口火を尖らせて先に切った。


「残酷描写アリのタグ着いてないんだぞ、オイ」


 結局、二人だけで大人しく、静かに、可能な限り、イサミが偶然持っていた大きなビニール袋の中に魚を全部片付け、雑巾で汁をまんべんなく拭き取るも、やはり悪臭だけが床や空気中に染み付いてしまい喚起しても気休めにすらならず、午後の授業の担当教師たちは入室時に必ず即時退室し再入室時も数十秒間硬直し、ホームルーム時の担任だけが苦々しい雰囲気を出しながらこれに耐えた。

 二時限目に起こった教師による暴力事件のことなど話題にすら上げられず、されど缶詰爆弾事件はなぜか大事にならなかった。

 ヨシトとイサミは、周囲からクッサイ仲と呼ばれるようになっていた。


 放課後を迎え、肌寒い春風に抱かれながら、オレンジ色の夕陽の下をヨシトとイサムは無言で帰路を歩いている、その空気の色は言うまでもなく最悪だ。

 自宅アパートに向かっていたはずのヨシトの足取りが、突然別の方向に傾いて、よく分からずにイサミもこれに着いて行くとやがて24時間営業のコンビニにたどり着いた。

 入店して店員の挨拶を受け流し、まっすぐに弁当コーナーに歩み寄ると数種類ある中から特に選ぶことなく酢豚弁当480円(2割引きシール付き)をヨシトは手に取った。

「・・・・オマエはどれにすんの?」

「・・・・え?」

「部屋で変なのぶちまけられると困るから、まともなの買ってあげる」

「え、あ、いや、オレ、カードあるし・・・・」

「ここ、あのカード使えないよ」

 呆気にとられてから、イサムは躊躇いつつも牛カルビ重650円(割引対象外)ラスト一個に手を差し伸べようとしたのだが、横から突き刺さるような視線を感じ、隣に大量に置いてあった焼き鳥タマゴそぼろ重450円(2割引きシール付き)を持ち上げた。

「・・・・これにする」

 弁当を温めてもらってから会計を済ませて外に出ると、すでに陽は沈みきっていて、人通りの少ない路地に一定の間隔で設置されたスズラン型の白色街灯が、垂らした首の先から味気の感じられない人工の光を零していた。

 右手にコンビニ袋を揺らして歩いていたヨシトが立ち止って振り返り、イサムに尋ねた。

「・・・・あのさ」

「ん?」

「何しに来たの?」

 一人で日本に戻ってきたこと、高級マンションの契約を破棄して狭いボロアパートに押し掛けてきたこと、学内におけるあの素行の悪さでどうやって高校入学できたのかも当然気になる。

 そもそもなぜ性転換なんて狂行に走ったのか、気になることだらけだ。

「・・・・必要か、ソレ?」

「正直ね、ああいうおかしなことはアメリカでやればいいんじゃないかと、僕は思ってる」

 真剣に問い詰めると、イサムは口をつぐみ、目線を泳がせ、うつむき、それからゆっくりと口を開いた。


「キミたち、こんな時間まで何をやっているんだい?」


 イサムの数歩後ろ、街灯に照らされない暗がりから若い男性の声が聞こえてきて、目をやるとそこには濃紺色の制服と帽子、帽子には金の刺繍、制服には金のバッジ、右腕にはワッペンが装着されている、つまり見た目で判断できる通りナンパ野郎でもないし補導員でもないため、どういった職業の人なのかというと、だ。

「最近は変な事件は特に起こってないけど、どこの学校の生徒?」

 手に持たれた電灯で照らしてくるこの人は巡回の警察官である。

 学校帰りに夕食用の弁当を買ってました、証拠のレシートもあります、別に変なことは一切ないです、これから家に帰るところです、そう言えば見逃してくれるだろう、ヨシトがポケットの中からレシートを引っ張り出そうとしたところ、警官が素っ頓狂な声を出した。

「な、な、な、な、何をしっ・・・・!?」

 別にヨシトは挙動不審な行動は取っていないから咎められる必要などない、まさかと思いポケットを探る手から目を警官のほうへとやると、この場にいるもう一人が案の定とんでもないことをやらかしていた。

 風景が一転して、モノクロの切り絵で作られたエッジの鋭利な劇画ハードボイルド調になり、イサムの伸ばされた右腕の先、その手にはどこから持ち出してきたのか鈍い鉛色に黒光りする左横に傾けたJ字型のゴツイ物体が握られていた。

「Hey chicken (オイ、臆病者)」

 薄く釣りあげられた口元からテキサス訛りの訊いた流暢な英語が紡ぎだされた。

 硬直する青年警官に向けてイサムはJ字物体の先端上部に設けられた照準を合わせた。

「How did you do it? Take it? (どうした?掛かって来いよ?)」

 青年警官の足がたじろぎ、ヨシトが止めに入ろうとした瞬間、平和大国日本国内の市街地ではまずあり得ない爆発音が響いた。


「Fu ......」


 世界そのものが、今何が起こったのか理解できずに呆けてしまったことに違いない、青年警官は腰を抜かして放心状態、ヨシトも事態把握の情報処理機能がフリーズしてしまっていたのだが、煙を濛々と噴き出すJ字型物体の口からは万国旗が、しかも見たことすらない空想国家国旗だらけのものが吐き出されていた。

 イサムがJ字物体をブローバックさせると、万国旗が掃除機の巻き取りコードみたいに口の中へとリロードされていった。

「逃げるぞ、ヨシトっ!」

 身を翻してイサムは一目散に脱兎、あっという間に20メートルほど離れて行ってしまい、我に返ったヨシトも地べたにヘタレ込む警官をしばらく見つめてから、警官の指が一本動いて呻き声を出した瞬間、無我夢中でイサムの後を追って走り出していた。

 遠く背中から『公務執行妨害ー!!』の怒鳴り声が聞こえてきて、体を前方へと漕ぎ進める両足の運動速度に加速を付加した。

 どれくらい走ったか、イサムが立ち止ったことで追いつき、自分も足を止めたところで目をやった片側で月明かりに反射して金属を輝かせる電車のレールが、明らかに自宅アパートとは正反対の地区に入ってしまっていることを告げていた。

 数年ぶりの全力疾走で尽きたスタミナに肩で荒い呼吸をしながら、前方にいるイサムをヨシトは睨みつけた。

「はっ・・・はっ・・・・お、オマエ、ふざけんなよっ・・・・!?」

 振り返るイサムは汗一滴滲ませておらず、まったく疲れた様子を見せることなく、まだ余裕があるのかゴツイJ字物体に指をかけてクルクル回して制服の胸元内側に忍ばせた。

「だいじょーぶだべ、手製のカスタムパーティーグッズだし」

 カラカラと笑って豪語するあたり、模型でも違法改造を施した場合には処罰されることを知らないようだ。

 無鉄砲、いや、無謀にもほどがありすぎる、昨日も行動がエスカレートしていったし、今日も今日で朝から不正アクセスやらかすわ、学校内での奇行三昧もそうだわ、明白な火薬改造をあろうことか警官の目の前でぶっ放した。

 もう目も当てられなかった。

「・・・・どこ行くんだー?」

「帰る」

 温めてもらった弁当はもう冷めきっているだろう、そもそも今は何時なのか、両脚だって筋肉がパンパンだ。

「さ・・・・!さっきの話の続き、だけど、な・・・・?」

 口をついて出てきたようだが、末尾が萎れていた。

 ヨシトは足を止め、顔だけ半分振り返らせた。

「・・・・えと、オレな、あのな」


 再び警官に遭遇することなく無事にアパートに帰ってこれた時には、すでに夜の10時を過ぎていて、弁当は温めなおしてから食べた。

「・・・・風呂入んねーの?」

「・・・・先に行って、昨日みたいなことになったら嫌だし」

 一番風呂を譲り渡すと、ヨシトは放置していた朝食の食器の洗浄を手早く済ませ、やることも特に無く、憂さ晴らしも兼ねてパソコンの電源を起動させた。

 インターネットに接続して、よく見ているアニメのストーリー展開考察サイトを巡っているときだ。

 変なものを見た。

「・・・・?」

 リンクを開いて表示されたものは、その日起こった様々な出来事を大手情報掲示板で交わされた議論を記事として公開するサイトなのだが、これがヨシトをさらにいろいろな意味で困惑と混乱、焦燥に掻き立てることになった。

 記事には『現役女子高生だけど、春の入学直後からクラスのオタク男子に飼われてる件』と銘が打たれていた。

 読み進めてみると最初は『読者の気を惹くようなタイトルにしただけだろ』『自作自演だな』『アニメや漫画の見すぎ』『お疲れさまでした』といった非難反応ばかりだったが、記事の作成者の発言、出来事の展開中においてこの女子高生とオタク男子の関係性から異常なデジャヴを感じ、似たような境遇の人間が同時期にいただけだと距離を置いて読んでいたのだが、途中で信じられないものを見つけた。

 貼られていた写真画像内、パソコンデスクに突っ伏して眠る少年は明らかに自分だ。

 間隔をおいて貼られた次の写真画像が、名前の看板までは写り込んでなくとも自分が今住んでるボロアパートだ。

 さすがに住所の探知や公開はされていないみたいだが、これはどういうことなのか、傍観者なら適度に面白がることが出来たかもしれない、でも知らず知らずのうちに自分が舞台の壇上を歩かされていたのを知ったのだ。

 不幸中の幸いは、この議論の更新が止まっていることだった。

「あがったぞー」

 未だ手配した他の服が到着していないため、また制服を着込んだイサムが、タオルで髪を拭きながら戻ってきた。

「・・・・イサム、これはどういうことなの?」

 パソコンのモニターを指さしながら、震える声でヨシトは問い詰めた。

「・・・・?『これは』って何が?」

 イサムもモニターを覗き込むと『あ』とだけ音を漏らした。

「今朝学校行く途中でスマホ弄ってたときだよね、どうしてこんなことしたの」

「いや、え、とな、どうしたらいいのか分からんくて・・・・」

 動揺から答えにもならない要領の得ない言葉ばかりを並べられて、納得が行くわけがない、でもイサムの口から納得のいく上手い言葉が出てきたとしても、取り返しのつくようなことではないのだ。

「どうしたらいい?それは僕のセリフだよね?下手すれば僕はこのアパートから出ていくことになるだろうし、大事にはなってないみたいだけど、このことは他の部屋の人たちにも迷惑かけるかもしれないよ?」

 冷淡な剣幕に圧されたイサムは応えることが出来ず、完全に黙り込んでしまった。

「・・・・もういい、僕もお風呂入ってくるから」


 就寝時、布団の使用権を再びイサムに渡し、安全地帯のパソコンデスクに顔を伏せたヨシトは、制服の上着を羽織って寒さを凌ぐことにした。


「・・・・なぁ、まだ起きてっか?」


 返事は無し、息遣いだけが規則正しく静かに聞こえる。


「・・・・オレな、オレが頭悪いことは、自分でも分かってんだわ」


 カーテンの小さな隙間から見える空が、青白くなってきた。


「・・・・なんもできねぇ」

   

 目覚まし時計だけが、うるさく鳴る。


 ――――――――― 街灯の下、初めて見たかもしれない、整形してるからとか、体つきとかもいろいろ変わってるからとか、多分そういうのはやっぱりあるのかもしれない、小学4年生で離れ離れになるまでの間にも、こんなことは一度も無かった気がする。


 あのとき、イサムは本当に困った顔をしていた。


 長い夜行回送電車が通る。


 そのとき、ヨシトは何も聞こえなかった。

 

 やっと第二話完成っスよ・・・・;

 書き始めたのいつ頃でしたっけ?

 もしかしたら第一話よりはペース早く終わったかも知れませんが、なんだかそうでもないような気がします。

 では、以下は作品についてになりますね。


 イサムは何かありそうですが、基本的には何も考えてないような子です、でもDQNではないです。

 ヨシトは特に何も無いですが、何かを考えてる子かもしれません、主にアニメやフィギュアやゲームのこととかだけ。


 ヨシトのパソコンのパスワード『ナマクビ』は、パロディ元のアニメで黄色い子が頭かじられてたので、逆に体のほうを無くしたということです。

 ハードディスクの中に入ってるアレな漫画の趣味は秘密。

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